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アリシアの目覚め

 魔王の館の一室で、テリィは寝かされていた。

 初めてこの館に来た時とはまた別の、ひときわ広く、品のある調度で整えられた部屋だった。

 この館に来てすぐに、魔王はテリィが空っぽになったことを確認し、満足そうに笑った。そして、オレンジ色に光る呪言の玉を取り出すと、その場で割った。

 中の光がテリィの空っぽの体に染みわたるように広がった。

 ゆっくりと光が収まると、魔王はしばらく期待する目で見つめていた。

 しかし、何も起こらなかった。

 

 2日が経った。

 何故この部屋に自分がいるのか、わからない。魔王さえ、部屋にいないのに。

 夜になると、満ちてきた月が部屋の中に影を作るようになった。

 いつ立ち去ればいいのか、わからなかった。

 せめて目覚めるのを見守って、と思っても、目覚めるかどうかもわからない。いつ、誰が。

 時々執事さんが運んでくる食事は、ほとんどのどを通らなかった。

 何かあった時のことを考え、体力を維持するためにも、食べないといけないのはわかっていた。だけど、すべてが面倒で、どうでもいいことのように思えた。

 帰ろう。次に月が出たら、帰ろう。

 部屋には鍵はかけられていなかった。帰ろうと思えばいつでも帰れる。あの黒い森を無事に抜けることさえできれば。


 3日目の朝、テリィの目が開いた。

 ぼんやりと天井を見る目が、僕の方を向き、笑みを浮かべた。

 その笑みでわかった。

 これは、知らない誰かだ。

「こんにちは」

 同じ声なのに、聞いたこともない優しい声だった。

「お水、いりますか」

 こくりと頷いたので、僕は彼女の半身を起こし、支えながら水を飲ませた。

 ゆっくりと、おいしそうに味わい、極上の笑みを浮かべた。

「ありがとう。お水がこんなにおいしかったなんて。どれくらい飲んでなかったのかしら」

 答えを求めていたとは思えなかったけど、

「3日間、寝てました」

 そう答えると、

「そう」

と答え、柔らかい笑みは途切れなかった。

 支えがないと一人では起きていられないようだった。

 枕を積み重ねて、少し胸の位置が高くなるようにして再び横に寝かせた。

「あなたは、誰ですか?」

 僕の質問に、目の前の人は迷うことなく

「アリシア」

と答えた。そして

「私はあなたを知ってるわ」

 いたずらっぽく、くすくすと笑いながら、アリシアさんは言った。

「フェルディ、ね。テレシアのお気に入り」

 本人にも言われたことのないことを暴露された。もし、本人が聞いていたら、黙り込んでにらみつけ、ツンとそっぽを向くだろう。

「これは、テレシアの体なのね。あの子の心を感じるわ」

 心を感じる、という言葉に、むしろ驚いた。テリィの心はすっかり体から抜き取られたと思っていた。少なくとも、僕にはそう見えた。

「ごめんなさいね。」

 突然謝ると、アリシアさんは僕の頬に手を添えた。

「あなたのテレシアの体を借りてしまって」

 温かい手に戸惑って、手が頬に振れない位置まで少し体を後ろにそらせた。

 それを見て、またクスッと笑った。テリィが見せたことがない、穏やかで、柔らかな笑み。

「子ども扱いして恥ずかしかったかしら?」

「い、いえ。あまり女の人に触れられるのは、慣れていません、から」

 すると今度は思いっきり噴き出して、

「す、…素敵ね!」

と言った。

「見た目に騙されず、ちゃんとテレシアとは別の女だとわかっているのね。そして警戒してる。素敵だわ。でも安心して。私のこの手は、お友達のお母さんの手よ」

 友達。テリィの、お母さん。


 ふと、アリシアさんは僕の周りを見て、

「…リーフィ?」

とつぶやき、突然独り言が始まった。僕の後ろあたりを見つめながら、

「…ええ。……そうなのね。ありがとう。ええ、私もよ。…本当? 試してみる」

 そして突然会話が戻ってきた。

「フェルディ、あなたの手を貸してもらえる?」

「手?」

「あなたの手に触れれば、少し力をもらえるんじゃないかって、古い友達が言うの」

 アリシアさんには、僕には見えないものが見えているらしい。

「僕、あまり魔力は強くないですけど…」

「試してみて、いい?」

 ゆっくりと伸ばされた手はふらついていて、今にも力尽きてしまいそうだった。そっと手を握ると、弱々しい力で握り返してきた。

 特に何をしたわけでもないのに、少し時間が経つと、握る力が強くなった。力を吸われているんだろうか。特に何も感じない。

「ほんとね。なんだか歩けそう。」

 いきなり上半身を自力で起こした。さっきまでの脱力はどこへ?

 そして僕の手をつかんだまま腰をひねり、足をベッドの横に垂らした。

「離さないでね」

 この状態じゃ、言われなくても怖くて手を離すことはできない。

 慎重に、慎重に足を地面につけ、僕の手をつかんでいない方の手でそっとベッドを押し、おしりを持ち上げた。

 立ててる。ついさっきまで、体を起こすことすらできなかったのに。

 一歩、恐る恐る足が動く。そして、もう一歩。両手で僕の腕をつかみなおして一歩、腕に腕を巻き付け、そのままスタ、スタ、スタ、と部屋を1周した。

「すごい!」

 …何だ? 何があったのか、わからない。

 嬉しさに満ち溢れた子供のような顔をして、アリシアさんは僕を見る。

「ねえ、フェルディ、少しだけ、私に力を貸してくださらない? 1週間…いえ、5日でいいわ」

「え、何を…」

「私と一緒にいてほしいの」

 一緒、と言われて、返事ができなかった。

 アリシアさんになってしまったテリィは、もう僕が一緒にいられる人じゃない。

 あの魔王は、アリシアさんに娘であるテリィの体を差し出したんだ。

 そのために、魔力も、心も、みんな奪われてしまった。

「きっとあなたに、テレシアを返すわ。だから、少しだけ」

 テレシアを、返す?

 アリシアさんは、そう言ったけれど、僕には信じられなかった。

 こんなに近くにいて、手も触れているのに、僕にはこの手の中に、テリィを感じることができない。

 テリィは、もういない。

「テレシアは消えていない。テレシアは戻ってくるわ。ね、リーフィ? …ほら、リーフィもそう言ってる。」

「リーフィって、誰ですか?」

「私のお友達よ。ずっと昔からの…」

 近くにいる僕ではない何かを見て、話しかけ、笑みを浮かべる。

 目に見えないものを信じるのは難しい。だけど、信じたい気持ちが強かった。信じていいのなら、それに縋りつきたい。

「…はい。」

 さえない顔で返事をしたのに、アリシアさんは喜んでくれた。

 僕の滞在延長が決まった。

 再び、部屋の中を歩く。もう、腕を貸さなくても平気そうに見える。

「僕は、何をすればいいんですか」

「そうね…このまま一緒に走ってみる?」

 組んだ腕が強く握りしめられる。

「それはちょっと怖いです。支えられる自信がない」

 すっかりその気で、スピードが上がっていく。ちょっとした早足になり、笑顔がはじける。跳ねるように、一歩ごとに足が宙に浮く。

 そこへ部屋のドアが開き、黒づくめの男がドアをつかんだまま立ち尽くす。

「ヴィットリオ!」

 男のもとへと走り出し、僕の手がふり切れた。

 滑らかだった動きが崩れ、3歩も進まないうちに体がふらついた。しかし、黒づくめの男が素早くその腕に受け止め、そのまま力強く抱きしめた。

「アリ…シア?」

「ああ、ずっとあなたに会いたかった。あなたに触れたかった」

 物語のハッピーエンドのように抱き合う二人を見て、自分の心がぼろぼろと欠けていくのを感じた。


 アリシアさんが着替えた後、二人は魔王の居室に移動した。なぜか僕も指名されて、アリシアさんについて行くことになった。どう見ても邪魔な存在だ。気を利かせてこのまま家に帰りたかった。

 魔王も同じことを考えていたかもしれない。でもアリシアさんの願いを拒否することはなかった。

 魔王とアリシアさんが話す間、アリシアさんのすぐ隣に椅子が置かれ、そこが指定席だった。手持ち無沙汰なまま机に向かって座っているのは、結構苦痛だった。

 執事さんが僕の分のお茶と本を持ってきてくれた。

 ずいぶん古い本で、薬草やきのこの絵が細密に描かれていて、しっかり読まなくても見ているだけで時間つぶしにはなった。

 二人だけがわかる懐かしい話が続く。二人には、邪魔な僕の存在はないに等しい。

 少し頭がぼおっとする。

 魔王がちらっと僕を見る。もしかしたら、僕に何かしかけているのかもしれない。

 またそ知らぬふりで、会話を続ける。

 さっき、アリシアさんに触れられた時には何の変化もなかったのに、急に世界が歪みだす。これは、魔力を抜こうとされてる?

 変わらぬ二人が、話を続ける。

 不意に、魔王がアリシアさんの頬に手を伸ばす。

 魔王がアリシアさんに唇を寄せる。それを受け、重なるそれは触れているだけから少しづつ深さを増していく。

 アリシアさんの手が魔王の体を押し返しても、その手をとって抱き寄せ、唇を首筋に這わせる。背中を這う手に殺意に近い怒りが満ちた。

 テリィの体なのに!

 本を閉じて、立ち上がった。そして振り返ることなく部屋を出ようとしたとき、後ろでガタン、と何かが崩れる音がした。

 そして僕も、扉にたどり着くことなく、その場で意識を失った。


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