奪う者
テリィにかけられた魔法は3分も経たずに振り切った。
まだ少しくらくらする。しかし、記憶遅れの魔法も、家に戻れの指示も、全部はね返した。
テリィはすでにいなくなっていた。
まずは家に戻り、まだ家にいた兄、レオナルディに事情を話し、持っていたメモをリーヴェ家に届けてもらえるよう頼んだ。
「持ってけ」
と兄に渡された小さなナイフ5本が入った袋を隠し持ち、テリィがいるはずの時計台に向かった。
テリィの魔法を食らった時、僕に魔法をかけるのに集中していた当人は、まるで無防備だった。
断片的に、必要なキーワードをなぞるように景色や言葉が流れ込み、メモに残された事情以上に、何があったのか、これから何をしようとしているのかが、手に取るようにわかった。
僕が頭の中を覘いたことにさえ気が付かず、魔法をはじくことなど予想もしない。
なめられているのはむしろ好都合だった。
唇を通して伝わってきた魔力が、ついこの前の熱の夜が夢じゃないことに気づかせた。
二度と夢にされてたまるか。絶対に追いかける。追いかけて、必ず連れ戻す。
時計台の裏手には2台の馬車が止まっていた。前方の馬車には既に人が乗っていて、後方にはこれから乗り込もうとする数人が見えた。誰もが黒っぽいローブをかぶっている。
うちの一人を馬車の死角で殴り倒し、ローブを奪った。
着ていた服から、ベアトリーチェ姫の護衛のようだったが、あまりにあっけなく倒れた。見ると、そこにいた面々はみんな生気を失った顔で、焦点も合っていない。ローブにも大人しくさせる補助魔法がかかっているようだった。あまり長い時間着ていたくないけど、仕方がない。
指示のままぞろぞろと馬車に乗り込んでいくのに続いて、僕も乗り込んだ。
車内でも誰も何もしゃべらなかった。
足元に置かれていた古い箱が場違いで気になった。以前、ベアトリーチェ姫が魔物に襲われていた時に持っていた箱に似ていた。以前のような複数の呪いの気配は感じられなかったにもかかわらず、心をざわつかせる得体のしれない不気味さはまだ残っている。
どれくらい時間が過ぎたのか、馬車が止まった。
前の馬車から人が下りる気配。
姫が馬車を降りる。従者は1人。
両腕に何かを巻き付けられ、無理やり引きずられるように運ばれているのはテリィだった。意識がない。左右には人ではない、大きな機械のような…色も大きさも違うけど、以前見た、魔女が作った傀儡を思い出させた。腕に巻き付いているのは、傀儡もどきから伸びた触手のような、蔓のような何かだった。
従者の手が複数の闇の力を帯びている。箱に入っていた魔具は、そこにあるらしい。
「箱を持ってこい」
従者が屋敷から出てきた男に言った。
後ろの馬車の者は、誰も動かない。黙って不自然に姿勢よく座ったままだ。
ドアが開いて、前の馬車にいた侍女と思われる女がこっちの馬車に乗り、座った。同じく目はうつろで不自然に言いなりだった。
続いて侍女を連れてきた男が箱を取るために身を伸ばしたところを馬車の中に引きずり込み、背後から締め上げ、声を出さないように意識を落とした。着ていたローブを交換し、手を後ろに回して親指同士を紐で結ぶと、自分のいた位置にそのまま座らせて、箱を持って馬車を出た。
禍々しい気配が箱から出ようとうごめいている。箱には封印の名残はあったものの、今にも解けそうだ。
玄関にいた、仲間と思われる男と一緒に屋敷に入った。
箱を指示された台の上に置くと、部屋の隅で控える。
テリィは傀儡もどきにつながれたまま、背もたれのないソファの上に投げるように寝かされていた。傀儡の触手を通して今も魔力が吸い取られている。
「ゆ、指輪を返してもらいに来ましたのよ」
震えながらも気丈に言葉を口にした姫に
「存じております」
そう答えたのは、従者のようなそぶりで馬車から姫と共に降りてきた男だった。
男は指輪を外し、右の手のひらに乗せて姫に渡すふりをしながら、すぐに手の中に握り隠した。
完全に男のペースだ。
「あなたのような程度の者に扱えるものではありませんよ」
左手を姫の顔の前で広げると、その指には指輪が5つ、はめられていた。
すぐに呪いが発動できるよう、既に魔力が込められているものもあれば、魔力がないものもある。
動きのない指輪からわずかに残る、魔力の気配。…テリィが壊したのかもしれない。
「これはお返ししましょう」
姫に1つの指輪が渡された。指輪には石がなかった。
男は、自分の指から黄緑色に光る指輪を外すと、石が姫の目に映るよう目の前にかざした。
姫の目が光に魅入られる。
「あなたの用事は終わった。あなたは指輪を手に入れた。あなたは一人でここに来た。あなたは帰る。そしてすべて終わる」
その言葉は、呪言になった。
人形のように目から意志が消え、言われた通り姫は部屋から出ていき、そのまま戻ってくることはなかった。
指輪さえ手に入れば、隣国の王族を巻き込む気はない、という訳か。
「箱を」
隣に立っていた男が、僕が運んだ箱を男の目の前の机まで運ぶ。
男は指輪を外すと、1つづつ確認しながら、箱の中に収めていった。
全部で5つ。
指にもまだ1つあった。
じっとテリィを見る。嫌な視線だった。
「女かどうか、確かめておいた方がいいか。」
引き出しから取り出したのは、ナイフだった。
心臓が耳のそばに移ったのかと思うほど、はっきりと鼓動が鳴る。
殺そうとしている訳じゃなかった。
ローブの金具部分をナイフで切り取る。
下衆な笑みが、なにをしようとしているのか簡単に理解させた。
あえてナイフを置く。
手が伸びる。
ボタンに手をかける。テリィの服に。
早まるな。失敗は絶対に許されない。
欲望に男の目の色が変わり、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
ボタンから離れた指が見頃をつかもうと伸びた。
投げたナイフは男の指先を削り、血しぶきが上がった。
「ぎゃああああっ」
削られた手を反対の手で押さえ、男がうずくまった。
すぐ隣にいた従者のみぞおちを膝蹴りし、腰につけていた剣を奪い取る。剣の柄で後頭部を殴って気絶させ、続いて指から血を流す男の顔面を蹴り飛ばした。
テリィを起こそうとするが、絡みついた傀儡もどきの触手が邪魔だった。
剣で左右の触手を断ち切ると、テリィから流れ出ていた魔力が止まった。
「テリィ…、テリィ!」
声をかけても反応がまるでない。
息はある。怪我も命取りになるようなものは見当たらない。
嫌な気配は額にあった。深い青色の光が額の奥深くから全身に流れている。夜の闇を思わせる青には、呪いが込められている。眠りの呪いだ。これを取り出さなければ
「取り出されては困るな」
聞き覚えのある声がして、後ろから頭を殴られた。
吹っ飛ばされたが、痛みをこらえ、ふらつきながらナイフを投げ、剣を構える。
ナイフはかすりもせず、壁に突き刺さった。
黒い影が手を伸ばす。
飛んできたのは手ではなく、手から放たれた魔力だった。殴るような勢いで腹に空気の塊を当てられ、気が遠くなりそうなところで、後ろ手に縛りあげられた。
指を吹っ飛ばした下衆男がよろめきながら立ち上がり、何度か体を蹴られた。
「この子に手を出そうとした君が悪いんだ」
知っている声が下衆男に話しかける。
「ご依頼の魔女かどうか、確かめようとしただけですよ。見た目じゃ、男だか女だかさっぱりわからない」
下衆男は自分の指を魔法で止血した。魔法は使えるが、あまり治癒は得意ではないようで、血は止まったものの、指の欠損は戻っていない。
「この子でいいんだ。間違いない」
「では、『白百合の静寂』と引き換えで」
黒い男が白い石のついた指輪を取り出した。
「これのことかな」
下衆男が、さらに下衆な顔をしてにやりと笑った。
黒い男も、笑みを浮かべた。
「『白百合』の取引を穢した君に、この指輪はふさわしくない」
その笑みは、全く笑っていない笑みだった。ぼやけた目にも、明らかに見覚えのある顔だ。
魔王、ヴィットリオ・ヴァレンティン。
魔王はソファに近づくと、未だ目覚める気配のないテリィを眺め、より深い眠りに向かわせる魔法を唱える。青い光がより深さを増した。
「この子から抜いた魔力を人型にため込んだ上、まだ追加の報酬が必要か」
冷たく光る魔王の目に怯んだが、隙を見せないように下衆男は
「約束は約束だ」
と言い放った。
「そもそも約束は魔女を引き渡すということだけだ。魔女を捕らえるのに魔力を抜くなんぞよくあることだ。抜いた魔力をどうしようが、少々痛めつけようがとやかく言われる筋合いはない。こっちは指輪を3つもやられてるんだ。こんなあばずれ魔女と知っていたら、もっと」
男の言葉が止まったのは、魔王の目が赤く光ったせいだ。
「ほう、指輪を3つ。それはなかなかの暴れっぷりだ」
「だ…だろう?」
男が震えている。
「6つか、お前が持っているのは」
指輪の入っていた箱が爆発した。
「あの北の魔女の魔力…。リヴァーサの遺物か」
爆発の中、ひびさえ入らなかった赤い魔力の入った瓶が浮かび上がる。
箱の中にあった5つの指輪は、いつの間にか魔王の手の中にあった。
「お前の言うとおり、指輪はふさわしいものが持つべきだ。」
「何っ」
横取りされた男が、魔王に自身のつけている指輪を向けた。指輪はすぐに反応した。
魔王に向けられた黄色い光は、魔王を取り囲んだにもかかわらず、そのままゆっくりと光が乱れ、回りながら地面へと落ち、砂のように石が砕け落ちた。
「『満つる月を見る花』か。いかにも北の魔女らしい、かわいらしい呪いだ」
魔王は砕けたはずの指輪を、砕ける前の完全な姿のままでつまみ上げていた。
新しい悲鳴は、指輪をしていた指をなくした男のものだった。
「この指輪で、私の魔力を吸い尽くせるとでも思ったのか? 北の魔女でもそこまで大胆な野望は持つまい」
指輪についていた血を振り払うと、魔王は指輪をどこかに収納した。それはもう魔王の物だった。
「君が北の魔女を信奉する者だとは知っているよ。だが、彼女はもういない。君が傀儡の破片を見つけ、森の主である私に黙って持ち帰った時も、形見として持ち帰るのならと大目に見た。だが」
テリィをつないでいた、白い傀儡のうちの1体が風船を縮ませるように小さくなり、粉になり、消え去った。
「余計なおもちゃは不要だ」
「魔女を捕らえて引き渡せと言ったのはあんただ! こんな魔女を大人しく捕まえるのに、細工の一つもなしにできるか!」
「なるほど」
堂々と魔王に怒りを向ける男に、魔王は再び笑みを見せた。
「私の依頼でやった、ということで終わらせるつもりか」
そう遠くない場所で、何かが砕ける音がした。
「ま…まさか…」
家の壁が落ち、隣の部屋が見えた。
そこにあった、テリィと僕を襲った傀儡の名残、頭部の右半分が、目の前でみるみるうちに砂になり、崩れていった。にもかかわらず、そこに貯められていたはずのテリィの魔力も一緒にどこかに消えてしまった。
戻ったんじゃない。消えた。
魔王は、どうして…、どうして白い傀儡を1体しか壊さない?
「テリィ! テリィ、起きろ! だめだ。テリィ!」
白い傀儡のもう1体が、断ち切ったはずの触手をテリィの手首に巻き付けていた。
傀儡に体当たりし、起き上がって蹴りを入れる。
触手を何度踏みつけても、切れてもまた伸びてきて、テリィの残り少なくなっている魔力を、そして派手な魔力吸いを隠れ蓑にして別のものを吸い続ける。
テリィの、心を。
つながる先はないはずなのに、ただひたすら汲み上げていく。
「起きて。起きろ、テリィ!」
手の枷がちぎれた。
両手でテリィの頬を包み、額の奥にある青い光を消す。
光を放っていた青いものは破片になって消えた。呪いは消えた。間に合ったはずだ。
テリィが目を開ける。
僕と目が合う。
少し、笑って、
そのまま目を閉じた。
役割を終えた白い傀儡が、ゆっくりと動きを止め、砂になっていく。
吸い取った魔力も、テリィの心も一緒に消えていく。
僕の腕の中で、テリィの中からテリィが消えてしまった。
魔王は、男に、男が姫に見せたのと同じ黄緑の光を放つ指輪を見せ、額に押し当てた。
明らかに男が姫に向けた時よりも光は強かった。
「全てはなかったことだ。傀儡はない。北の魔女は死んだ。お前は指輪を返した。北の姫は帰った。私にも、この娘にも、この男にも、お前は会っていない」
男は目を見開いたまま、その場に倒れた。
屋敷の壁は崩れたまま、男の指は1本なくし、2本欠損したままだった。
魔王は僕の後襟をつかむと片手で放り投げ、テリィと僕を引き離した。そしてテリィを肩に担ぐと、ドアに向かって数歩歩いたものの、急に足を止め、気が変わったのか僕の腕をつかんだ。
「君には、見届けてもらおうか」
そう言うと、テリィと僕を連れてどこかへ移動した。




