「アリシア様」の引退と探し物(3)
「いつから学校に戻れる?」
フェルディが尋ねた。
学校に?
言われている言葉に戸惑う。
「元気になって、戻っておいで。みんな待ってるから」
「みんな…?」
待っている? 自分を待つ人なんて思い浮かばない。
フェルディには私の疑問がすぐにわかったようだった。
「レポート、少し修正が入ったし、次の課題も出てる。ティルがまた食堂でアニエルにおごってもらいたいって言ってた。次はプリンだって。ナタリアが、実家に帰ってるならまた上物のブラウスよろしくって言ってたけど、心当たりある?」
ああ、寄宿舎で服を売りさばく手伝いをしてくれる子だ。彼女と母の趣味は合う。
「そういや、アニエルがスカート着せてみたいって言ってたっけ。…今のドレス姿見たら、きっと驚くな」
また話ができるだろうか。少し、もう少し、話を続けることができたなら…
「でも、スカートが苦手なら、そう言えばいいよ」
こくり、と頷いた。
「僕も、…待ってるから。ちゃんと上司の面倒、見るし」
「もう違うし」
『部下』なんて、言い訳だった。
「友達だし」
私がそういうと、フェルディは、大きく瞬きをした後、笑みを見せて頷いた。
「ん、友達だ。それに、もう雇われてはないけど、もうしばらく『部下』役でいるから。…遠慮なく頼みごとができる人間がそばにいると、便利だろ?」
言われて、腑に落ちた。あの時の自分が望んでいたのは、そんな存在だった。どうして何でもお見通しなんだろう。
自分の思いをわかってもらえることが嬉しい。自分の心をわからせてもらえたことが、嬉しくて仕方がない。
父への答えが決まった。
もう一度、街の、西の塔の学校に行きたい。
今度は、ちゃんと成績もそこそこになるよう、心がけよう。
将来、なにをするかは、もう少し後で考えよう。
時々森に行って、伯父を師匠と呼ぼう。
魔物討伐は控えて、でも時々こっそり参加しよう。
あのおいしいパンを売っている店を教えてもらおう。
フェルディと一緒に、ラファエレさんに剣を教えてもらおう。
そして私は、フェルディを守って、時々守ってもらって、生きていこう。
力で暴れるだけでなく、ちゃんと守れる人に、なりたい。
「送るよ」
と言われて、手を引かれ、立ち上がろうとしたとき、ちょっと見えた私の足先に、フェルディは顔をしかめた。
「まさか、靴…履いてない?」
見ると、白かったストッキングは真っ黒で、ところどころ穴が開き、かかとには乾いた血が染みついていた。でも少しも痛みはなかった。
フェルディは呆れた目で一瞥した後、背中を向けてしゃがんだ。
「悪いけど、僕じゃ横抱きで長く歩くのは無理だから。ほら、肩を持って」
せかされるまま、後ろから肩に手を置くと、ひょいと背負われた。
3歩ほど歩いたところで足が止まった。
「…どこに送ればいいんだっけ」
「…」
行きたくない。
「晩餐会?」
「多分…、そんなところ…。」
「僕じゃ近くにも行けないな。テリィもその格好じゃ…まずいよね」
靴はなく、ストッキングは汚れ、ドレスも2回の転倒で裾が黒ずんでいる。つけ毛は外れかけて髪は乱れ、イヤリングも片方落としてきた。服が服なだけに、あまりにも残念な恰好で背負われていて、背負ってくれている人に申し訳ない、という気持ちが芽生えた。
「うち近いから、うちにしようか」
くるりと、来た方向とは逆の方向へ足を進め、ごもごもするドレスの裾に、よいしょ、と軽く小さく飛び上がって背負い直された。
落ちないように肩に置いた手を少し強めに握った。
後ろから見たフェルディの耳は、少し赤くなっていた。重くて、滑りやすくて、力が入っているのかもしれない。
「重い?」
「いや」
「ごめん、なんか、こんなボロボロな姿で」
「いや…、…。…きれいだ」
「えええええ…」
不釣り合いなお世辞をどう受け止めればいいのか。
きれい、という言葉が思い出させるのは、今日の姉上。
フェルディもこの辺りにいたということは、姉を見に来ていたのだろう。
四聖アリシア様を最後まで美しく、気高く演じてくれた、自慢の姉。
できるだけ早めに結婚式を挙げることを勧めておくのを忘れていた。私が言うまでもないけれど。
「姉上、…今日のアリシア様、きれいだった」
「…うん」
「見に来てくれて、ありがとう」
「いや…」
家族に黙ってでも見に来る価値はあったはず、と、身内ながら思う。
「行けば、見られるかな、と思って。…無事な姿が見たくて」
無事な、姿?
「心配だったんだ。…自分の引退式だから、きっと来るだろうって。いつもと全然違う格好なのに、すぐに見つかった。あの人にエスコートされて歩いてる姿を見てたら、なんか、すごく遠い人に感じて…」
それは、私のことだろうか?
「でも、同じ姿ですっ転んでるのを見たら、やっぱりテリィだなって」
思い出し笑いに傷つく。
「昔は、時々こういうのも着てたのだけど…。もう歩き方も、作法も忘れてしまった。もう着ない」
「時々着て練習したら?」
「着ない」
「似合ってる。…きれいだ」
二度も言われて、言葉に詰まってしまった。
いくら拗ねた人のご機嫌を取るためとはいえ、からかうにもほどがある。度が過ぎたお世辞を澄まし顔で受け入れられるほど、洗練されてはいない。
「やっぱりドレスだと、横抱きできればいいんだろうけど。」
「そうなの?」
「そうじゃないの?」
どうだろう。よくわからない。
「ラファエレさんだったら、どっちも軽々なのだろうけど」
ピタリ、と凍り付いたみたいにフェルディの足が止まった。
ああ、このチクチクする思いを、自分も知っている。比較するつもりで言ったのではないんだけど。
立ち止まったフェルディの口から出たのは、
「テリィは、…兄さんのことが好きだよね」
思いもよらない決めつけだった。
言葉が止まり、変に間があいて気まずくなった。
「…憧れてる」
固まってしまったフェルディに、うまく自分の気持ちを言葉にできるのか、自信がない。
でも、言葉にしなければ、きっと伝わらない。
「フェルディは…憧れの人じゃない」
自分の言葉が、フェルディに突き刺さってしまう。そんなつもりではないんだけど。
言葉が足りない。ちゃんと、言葉にしなければ。
「憧れて、目指して、乗り越えたい人じゃない」
え、と小さく驚く声がした。
「ラファエレさんは、昔助けてもらったし、いい人で、憧れる騎士団員。私が乗り越えたい目標。目下の目標は、対戦でぶっ潰したい。」
ふと、卑怯な提案を思いついた。
「今度、一緒に倒してみる?」
少し、考えを巡らせるだけの時間を置いて、フェルディは再び足を前に踏み出した。
「…あいつなら、2対1でも、ハンデのうちだよな」
言葉が返ってきた。なんだか安心した。
音が意味を持ち、言の葉が生まれる。音は声となり、意味はつながり、紡がれる。
呪術の基本であり、魔法の基本でもある。つい先日、伯父から学んだ。
憧れる、倒したいリストを声にしてみる。
「その次は、ジェラルドさんに挑戦したい」
「父さんか。2対1でも無理かも。レオ兄は?」
「レオナルディさんは、ごめん、魔法騎士団の対抗戦で2年前に目標達成済…」
「まじか…」
「でも、剣だけだったら勝てない。魔法なしで勝ってみたい。」
「僕もだ」
フェルディが笑ってる。
「その次はシェスタ。防御では負ける。いつかあの防御を1撃で破りたい。エリアスもぶっ潰そう。持久戦になるともたないから、一撃必殺の技を編み出す」
「四聖は、僕には無理だな…」
「リュートは、本当に強い。でも姉上の前でコテンパンにしてみたい」
「そ、それは男のプライドとして、やめてあげてほしい。でも、リュート様までやっつけたら、四聖第1席だ」
四聖になりたいわけじゃない。一度、ぶっ倒してみたいだけ。
「次は兄上。あと、父上も。二人とも頭脳派だから分が悪い。」
「武器よりスマイルで勝てるんじゃないかな」
「あと、魔王」
「それは…」
「最後に、フェルディ…も…」
すらすらと出てきた言葉が、急に出なくなった。
「僕がラスボス? 一番ちょろそうだ」
ちょうどおふざけも終わる頃、と思ったのか、フェルディも黙って歩く。いつもの穏やかな魔法が背中越しににじんできて、倒したいリストが心の中で倒される。
「絶対勝てない…」
震えるくらい、小さな声しか出なかった。
「ん?」
勝てる気がしない。
ずっと負けていてもいい。
音は、言葉となり、意味を持ち、意志を持つ。
フェルディは、憧れて、目指して、乗り越えたい人じゃない。
そばに、いてほしい人。卒業まで、あと3年間。できるなら、できるだけ…。
音にしなくても、呪いの理の破片でチクンと心が痛むのを実感した。
フェルディの家につくと、フェルディのお母さんが心配そうに待っていた。
「私のせいで、フェルディを危険な目に合わせて、すみませんでした」
雇われていたとはいえ、何度も危ない目に合わせてしまったことを詫びた。
自分の子供に害をなす存在は、追い払いたいんじゃないか、そう思うと少し怖かった。今までだって、何度もそう言われてきた。
でも、マリエラさんはいつもと変わらない笑みを見せて、歓迎してくれた。
「この子ったら、小さい時から誰かさんを守りたいって言ってたから。夢がかなって嬉しくて張り切りすぎちゃったんだと思うわ」
「か、母さん、それは…」
フェルディが焦る。
小さい時から?? 「騎士団員になりたい」と言っていたあの頃から? 誰かを守りたかった?
「騎士としてはまだ未熟だけど、ちゃんと守り切れたんだもの。誉めてあげなくちゃね。それに、あなたも」
マリエラさんは、私の手を取った。
「あなたに助けられたって、言っていたわ。この子が、大変な目にあっても無事に帰ってこられたのはあなたのおかげだって。ありがとう、テレンスちゃん」
思いもかけない、お礼の言葉だった。でも、礼を言われるようなことなんて、何もしていない。
恨まれていない、それだけで充分だったのに。
涙がにじむ私を見て、慌ててハンカチを出してくれた。
フェルディの家に私の家の者が来た時の呆れ顔は、昔と変わらなかった。
2度も転んだ残念な姫君もどきは、即晩餐会辞退が決定した。私が動くといつもこうなる。
迎えが来る前に、久々に食べたマリエラさんお手製のクッキーはおいしかった。
機会があれば、作り方を教わって自分で作ってみるのも悪くない。きっと黒焦げになってしまうだろうけど。
帰りにフェルディにお礼を言い、少し皮肉を込めて、できるだけきれいに、正式で、上等なお辞儀をした。
フェルディは私のらしくないしぐさを妙な表情で見つめた後、少し笑みを浮かべて、
「じゃ、またね」
と手を振った。
またね。それは、再会の約束だった。
家に戻ると、今日は呪術の勉強はお休みだったはずなのに、呼び出された。
伯父が手を出せ、という。
両掌を上に向けて差し出し、その上に伯父が手をかざすと、小さくパリン、という音がして、見ると腕輪にひびが入っていた。
「薄まっていた封印を書き足すつもりだったんだが…。」
いない間私が誰に会っていたのか、すぐに察した魔王は愉快そうに笑った。
「こんなにも守られているとは。愛されているね」
そんな冗談を言いながら、さらにもう少し、解かれた封印に手を加えようとすると、腕輪の亀裂はじわじわと広がってほぐれるように砕け、二度と魔具としての役割を果たすことはなかった。
魔具が吸い取った魔力が、自分に戻ってくるのがわかった。
私のラスボスは、本当に最強かもしれない。




