呪いからの目覚め
目が覚めて、まず感じたのは体の痛さ。
このぼんやりとした頭は、寝過ごしたときのもの。
この場所は…、リーヴェ家の自分の部屋。
3年前に寄宿舎に移ってから、数えるほどしか使っていないにもかかわらず、きちんと整えられた部屋。いつ帰ってきてもいいように、母が整えておいてくれたのだろう。
何か忘れているような気がする。うまく思い出せない。確認しないといけない、大事なことを。手からなくなっている何かを。
頭元に置いてあった水差しから、かぶせてあったグラスを横に置き、直接水を口に含む。
ちゃんとグラスに入れ替えて、と叱る声を思い出した。
「ああもう、ちゃんとグラスに入れないか」
思い出したのとは違う声が叱りつける。
部屋にいたのは兄だった。
「どうしてお前はこうがさつなんだ」
いつものようにまずはお小言から始まるが、会うのは2年ぶりだった。
「兄上…。いつ戻ってきた?」
「一昨日。呼び出されて戻れば、一人は離島で男と二人で防御膜の中、一人は魔女を相手に戦ってぶっ倒れてるって、我が家の女たちはいったいどうなってるんだ?」
魔女を相手に…
その言葉に、一気に記憶がよみがえった。
「フェルディ…、フェルディは無事?」
兄は私がつかんだままの水差しを手に取ると、グラスに水を移し替え、手渡してきた。
「ああ、あの男か。昨日家に帰ったよ。お前はそのまま大人しくしておいで。母上たちを呼んでくる」
兄が行くまでもなく、部屋に入ってきた侍女が起き上がっていた私を見て、兄に目礼をして去った。
入れ違いに入ってきたのは、何度か見かけたことのある、父の知り合いだった。
「ずいぶんよく眠っていたね、おはよう」
「おはようって、もう夕方だ」
「人の世界では、目が覚めた時におはようというものだ」
黒づくめと言ってもいい、上から下まで黒衣服に身をまとい、長く銀色に光る髪は「光の王子」とあだ名される兄の隣にいてもその存在感を消すことはない。
存在感というより、圧迫感、に近いかもしれない。この兄の無作法な口調も、気にしていないようだった。
「ほとんど魔力は回復しているね。呪いもすっかり解けたようだ」
見立ての魔法が使える、かなり腕の立つ魔法使いのようだ。
「魔女の呪いの解呪は、なかなか見事だった」
しかも、あの魔女との戦いを知っている。
「弱まっていたとはいえ、北の魔女の呪を解くのは簡単じゃない。君は魔法でがんがん行くだけの単調な人間だと思っていたんだが、そうでもないらしい」
淡々とした口調で、いきなり失礼なことを言ってきた。
「この人誰?」
指さして兄に聞くと、兄は一瞬、言葉に詰まった後、黒づくめの男をじろっと睨んで、はあっ、と溜め息をついた。
「これ、一応、伯父上」
血縁者だった。知らなかった。
「アリシアの引退式を見に来たんだって。お前も出席だからな。家族席だけど、必ず来いって」
「えー。……やだな…」
ぱたぱたと、いつもなら行儀が悪いと叱られる足音を立ててやってきたのは、母と姉だった。
「テレシー!起きたのね。よかったわ」
姉がいつもの花のような笑顔を振りまいて、ぎゅっと抱きしめる。姉も離島での隔離から解放されたらしい。
「姉上、ごめんなさい。いろいろと面倒に巻き込んでしまって」
「あら、リュート様と二人で過ごすの、とっても楽しかったわ。少しも不安ではなかったし、結局何もなかったし」
幸せな隔離生活で、何より。
白くきれいな手がそっと私の髪をなでる。リュートが最初に姉のアリシアと四聖アリシアが違うと見抜いたのは、戦うことを知らないこんな手にも表れていたのだろう。恋する者は目敏すぎて困る。
「今度の引退式が最後ね。きちんと、四聖アリシアを終わらせるから。あなたもおしまいにするのよ、テレシー」
姉の口から出た「おしまい」に疑問が沸く。
自分が四聖から外れることは知っている。
「もう討伐隊に行っちゃだめよ。下町の学校だって、あなたにはふさわしくないわ。家に戻って、リーヴェ家の一員として」
「この家に、この子を引き留める力はあるのかな」
言葉を遮るように発した伯父の言葉に、姉がびくっと身を縮めた。姉はこの伯父が苦手らしい。
一方、伯父を少しも怖がっていない兄の態度はふてぶてしかった。
「そっちが引き取りたいって言ったって駄目だよ。どうせ父上と同じく、閉じ込めて終わるだけなのは目に見えてる。名乗りを上げたらヒヨコみたいにひょいひょいついてくるとでも思ってるなら、大間違いだよ」
兄は伯父と私の間に立ち、なんだか守られてるように感じた。
「こんなばかがやっと少し自分のことを考え出したのに、このまま閉じ込めたら本当のばかになる。せっかく学校に通いながらろくに勉強もできていないなら、できるようにしてやればいいだけだ」
兄が、伯父を説教している?
くるりと向き直ると、兄は私を見た。
「仕事はさせない。討伐にはもう行くな。学生には学生の時間がある。少しでも賢くなりたければ、授業中に寝るな」
兄は、私が学校でどんな風に過ごしてきたのかを調べたのだろう。
「暇な時間を作るんだ。友達と遊んで、一緒に話して、余計なことを覚えるといい。どうせ家から王立学校に通ったところで、お前はまた逃げ出すだけだ。…だが、父上と母上はそれをお望みだ。どこに行ったか分からなくなるくらいなら、番犬をつけて何かあれば知らせてもらえるほうがまだ救いがあるんだが」
「『部下』から『犬』に格上げか。それはいい」
「部下」…この伯父は、フェルディのことを知っている。
思い出した。学校から私とフェルディを連れ出したのは、こいつだ。
自然に沸いた殺気に、兄が私の頭を何度か軽く叩いてなだめた。
「こう見えて、この人はお前のことを心配してる。あの男に何かしようなんてことはないよ、多分ね。…なんせこの人は、これでもお前の父親なんだから」
父?
銀色の髪の男が、鼻で笑った。
「あっけなく暴露したな」
家族全員、たなびくような金色の髪をしながら、自分だけが艶のない灰色。目の前の銀のように輝いてはいないまでも、よほど自分に似ている。表情が見えにくいところも、冷たげな目つきも。
父と言われて、違和感はなかった。
そうなると…まさか、
「あ、今ばかなこと考えただろ。この人は母上の愛人じゃないから」
さすが兄上。自分が思い立った単純で愚かな想像を早々に否定した。
「お前、今までだって自分のことを父上の愛人の子だって思ってただろう。周りのばかどもが言うことは信じるのに、家族の言うことは信じないってのはなしだ。」
確かに、信じたのは、知らない人たちのたくましい創造が生み出した「予想」にすぎない。悪意を持ち、人を貶めるための。
常々否定する兄の言葉は全く信じていなかった。信じられたら、と何度も思いながら。
「この人は、父上の姉上の旦那さん。だから俺やアリシアには伯父。今は父の子になってるお前にとっても、伯父でいい」
なるほど…。そういわれて、自分がこの家にいる意味が分かった。想像していたようなどろどろの人間関係に巻き込まれた悲劇のヒロインではなかった。
「血は引いてても、育てたのはうちの父上だから。手放したものを惜しがっても遅い」
兄は目の前の伯父にはっきりとそう言った。伯父は表情を変えることなく兄を見ていた。そして、続けて私にもはっきりと言った。
「お前はうちの子だから、うちが決める。学校を出るまでは、今の学校でも王立学校でもお前が行きたい方でいい。ちゃんと授業を受けて、卒業しろ。ばかにばかを重ねたあんな成績で、許されると思うなよ」
忘れていたことを思い出させてくれた。
「教師以外でも、教えてくれる奴はいるんだろう?」
「うん…。」
困れば声をかけてくれる人は、何人かいる。
頑張って、次の一言が言えるようになれば、会話が続き、友達に、なれる、だろうか。
兄は、こくりと頷いて、次いで駆け付けた母と場所を入れ替わり、父に知らせるから、と部屋を出た。
兄は、次期リーヴェ家を引き継ぐ者として、こんがらがっている家族を解きほどこうとしているのだ。行き場がないと思い込んでいたばかな妹を追い詰めることなく、「自分の選択」を優先してくれている。
家を出たい、早く独立しなければ。いつも心を焦り立てるものがあった。
そこに騎士団へのあこがれが生まれ、目標が見つかり、あまりにもとんとん拍子に事が運びすぎた。下手に魔力が多いだけに思わぬ高い評価を受け、四聖になどなってしまい、そしてほころびに付け込まれた。
もっと力がなければ、悔しがることを知り、励ましあうことを覚え、独りよがりではない、本当の強さを求めようと思えただろうに。
「僕は強くないから」
そう言って守ってくれた人は、剣が使えるようになっていた。まだまだだ、と言いながら重い剣を受ける剣さばきも、回し蹴りも、かっこよかった。
なぜだろう。どんなに無事だと伝えられても、この目で確かめないと信じられない。
会って、本当に生きているのか、確かめたい。
母は、姉のようにぎゅっと私を抱きしめ、
「目が覚めてくれてよかったわ」
と微笑みながら泣いていた。
「ごめんなさい」
ずっと母に感じていた負い目は偽物だった。自分の世界の狭さを感じていた。
夕食後に客室を訪れ、少し話をしていいか尋ねると、伯父は快く了解してくれた。
伯父は「普通の人」ではない。
凪いでいる魔力が、逆にその奥深さを感じさせる。
かけられた呪いの気配で判った。
「あの、『5つの心ない口づけ』の呪いをかけたのは、あなたですか?」
すると、隠すことなくこくりと頷き、
「5つ目だと思っておまえに呪いをささげたら、まだ4つ目でね。残念なことをした。」
想定外の告白を受けたけれど、ピンとこない。恥ずかしい、と思う気持ちが沸かなかった。
「年頃の娘に、父親が口チューはだめらしいよ。頬にしておけ、と怒られた」
誰に、と聞こうとして、察してやめた。ごめんと言いながら4つ目の呪いを受けたことを教えてくれた人を知っている。それを聞いたら、急に恥ずかしくなった。
「どうしてあの呪いを…?」
「あの魔法は若い二人への餞のつもりでね。リュートという若者にかけ、アリシア嬢が呪いを解くはずだったのだが、かばった愚か者がいてね」
愚か者…私のことだ。
「…いや、私の願いを呪いが導いたのかもしれない」
「私が力をなくすことをお望みでしたか」
「そう、でもあり、そう、でもない。どちらでもよかった」
口元は笑っていたが、目は無表情に近い。
おそらく、この人はあの黒き森の主。解けない呪いを平然とかける、「魔王」と呼ばれる存在。
「おまえの母が死んだとき、私はおまえを連れて行かなかった。フェルナンがおまえを引き取った時点で、おまえはフェルナンの娘だ。フェルナンはおまえに良くしてくれていた。不愛想なのは、私の娘だから仕方がないが、人の世が暮らしにくいなら、我が屋敷で暮らすこともできる。だが無理強いはしない。そういう選択肢もあるのだ、と覚えていればそれでいい」
「私は、…魔族なんですか?」
ずっとそう言われていた。魔族、半魔、化け物。
力だけを見ると、自分の魔力は人にしては目立って多い。
「君は人だろう。人であろうとするならね」
伯父は手にしていた本に、視線を移した。
「おまえの解呪の理は、なかなか見事だった。あの『5つの心なき口づけ』の呪いは北の魔女の術式を応用したものでね。『合わせ心』も同様にそうそう解けるものではない。呪術を学びたいなら、森の奥の屋敷に来るといい。あの面白い子も連れて」
面白い子?
「おまえも、あの犬も、その力からして瘴気にやられることはないだろう。力を得たいなら学ぶのもいい。知らなければ解呪も思い立たない。…はずなんだが。」
おもむろに顎に手を当て、しばらくじっと考え事をする。
「おまえは、犬に守られていたが、これからも飼い続けたいならおまえもまた犬を守らなければいけない。それができるかな?」
犬、はフェルディのことで間違いない、のだろうか??
「あの程度の魔力しかない人間が、なぜ呪いの理屈を跳ね飛ばせるのか。『合わせ心』の呪いを触れただけで砕くのは、魔法使いであっても、魔族であっても難しい。彼の魔力の泉は沸き立つ量は少ないが、とびきり上質な甘露だ。あの力は知られないほうがいい。希少な魔力を無理に引き出されれば、間違いなく死に近づけることになる」
魔王は見ていたのだ、あの戦いを。娘であっても、負けそうだとしても、黙って見ていただけ。フェルディが死んでも、黙って見ていた。
さすがは魔王だ。
自分も、戦いの中でどこか冷めているのを感じることがあった。自分は魔族に近いのだろう。
それでも、あの時はフェルディを助けてほしかった。
もし、あの時伯父が助けに表れ、引き換えに娘としてあの館に来ることを望まれたら…、迷わず行くことを選んだだろう。そこが終の牢獄となったとしても。
「大事なものなら、守れる力を持つことだ。」
力。魔力の強さだけじゃない。知識も、解釈も、理も、身に着けることで何かが変わる。
打ち破った『合わせ心』が、それを示していた。
「きっと、黒い森の館に行きます。できるなら、ここにいる間も時間があれば」
伯父、いや父自身のこと、本当の母のこと、あの呪いのこと、自分が眠っていた屋敷でのこと、聞きたいことはたくさんあったはずなのに、望みは一つになった。
「ご指導、よろしくお願いいたします」
一礼して、部屋を去った。




