呪いを解く
慟哭は一度で終わった。腕の中には動かないフェルディ。背中に手を回して、ただぎゅっと抱きしめる。魂を失った重いだけの体なのに、失いたくなくてしがみついた。
思い出したのは、肩。
眠くて、眠れなくて、疲れ果てて、何も考えられなかった日に、貸してもらった肩は、すべてを忘れて眠ることを許してくれた。
魔法騎士団にあこがれたのは、迷子になった時。
家を抜け出て魔物に出くわし、助けてくれたのがフェルディの父と兄だった。
迷子の自分を自宅で預かってくれ、少し近所の子供たちとも遊んだ。
フェルディもいた。おぼろげにしか覚えていないけど、昨日熱があったので、あまり遊べない、と言っていたのに、気が付いたら一緒に遊んでいた。
怪我をした足を、誰かが舐めた。怒ったのはラファエレさん。
「それくらいの怪我、なめときゃ治るよ」
その言葉通り、傷は本当に治っていた。
…あれは、誰?
子供だけで森に行った。
魔物に狙われ、一番後ろにいた誰かに襲い掛かってきた。自分と、もう一人の誰か、二人がかりでも止められなかった。緑の魔法がはじけ、レオナルディさんが魔法で防御し、その父が剣で断ち切った。
かっこいいと思った。
「あんな風に強くなれたら」
そうつぶやくと、一緒にいた誰かが同じ思いを打ち明け、「君も魔法騎士団員になりたいんだね」と言った。
「きっとなれるよ」そう言って笑った瞳は淋し気だった。
あれは、誰だった?
レオナール家の子供たちが通う学校に行きたい。先に試験を受け、父に合格通知を見せ、無理を通した。
学校での生活は、四聖の仕事と折り合わないことも多く、決して成績もよくなかった。
仲が良かったレオナール家の長兄・次兄はすでに卒業していて、末の弟のフェルディは同じクラスだったけれど、話すことはほとんどなかった。二人の兄たちのように名前で呼ぶことも慣れてなくて、家名の「レオナール」で呼んだ。
あの兄弟たちと同じように、名前で呼びたかった気持ちは消し去った。
フェルディだけでなく、クラスのほとんどの人とあまり話さなかった。
自分が常識に欠け、愛想もない人間だとわかりすぎていて、それを非難されるのが恐くて、構えてしまっていた。
寄宿舎の部屋に戻っても一人だった。
討伐先でも、「アリシア様」を同等に扱うのはせいぜい四聖の3人。昔のように誰かと一緒に技を競うことも、注意されることもなくなっていた。
王の前でのみ姿を現す「アリシア様」は、姉の美しさで神々しく、神格化されていく。
どこに行っても、自分ではないような気がした。
魔物を倒す以外に、自分は必要とされていないのではないか、と思うことがあった。
不安を隠すと、表情が作れなくなった。
嫌なことは、忘れてしまうしかない。心から消し去るしか…。
「テレンス」として町の討伐に加わってみた。
仕事が増えて、疲ればかりが残った。自分への戻り方がわからない。
1年前から、日中も傀儡を操って務めを果たすことになった。
はじめは月に1回あるかないかだったのが、少しづつ増え、自分の仕事ばかりが増えているのは明らかだった。
学校の茂みの向こうの木の下が、昼寝場所になった。
時々、優しい風が吹いて、少し楽になった。
誰かが横を通りすぎる。
誰かが隣の席になる。
誰かが落としたノートを拾ってくれる。受け取った指の先がわずかに当たる。
それは、誰?
先生に当てられて、寝ている背中を指でつつかれる。
休んだ日の課題を教えられる。
誰かの謂われない中傷を叱る。
それは、誰?
呪いをかけられても、護衛はいらないとあれほど断ったのに、レオナール家の者と言われて、承知した。
守ってもらえると期待したわけじゃなかった。でも、そばにいても信頼できる、と思った。
肩を借りて眠ると、熟睡できた。
枯れた力がいつもより早く満ちた。
目覚めたい心を起こしてくれた。
それは、
誰…
それは
答えは腕の中にあった。
その人は、いつも自分の力のなさを受け止めて、それでも剣を振り続けていた。
「強くない」
そう言いながら、あきらめない強さが好きだった。
連れて帰る。
どんなに重くても、もう二度と瞳を開けなくても、あの暖かい家族のもとに帰さなければいけない。
腕に力を込めると、頬と頬が重なった。
ドキっとしてバランスを崩したとき、背中の指が動いたように思えた。
しかし、力なく倒れる体は「もの」でしかなかった。受け身を取ることもなく、ただ、ばたりと崩れる「もの」。
抱きしめていた手をほどかなかったので、一緒に倒れ、胸の上に頭が乗っかった。
刺されて、血が出て、穴が開いた服。その下は、傷はもうない。そして鼓動も・・・
トクッ
聞こえ、た?
聞こえるはずのない音が?
フェルディの首に手を当てる。
不確かながら、かすかに、脈が指に伝わる。
唇に手の甲を当てるが、あまりにかすかで、息遣いがわからない。
体の中に残っている光を求めて、魔力を体に流す。
何も感じない。何も。
目を閉じて、力を巡らせてかすかな気配をたどる。
魔法で治したはずの傷が光る。刃物の刺し口の形で、何かが残っている。虹色の、何か。
その奥に、…ほんの一滴。
息を吹きかけただけで蒸発しそうな、最後に残された魔力の一滴を感じた。
そこへ向けて、魔法を注ぎ込む。
何も起こらない。
時間がない。落ち着いて考えろ。
これは、呪い。魔法より複雑で、ねちっこく、醜悪な呪い。
合わせ心の呪い、と魔女は言った。
心…
合わせる、心。
まだ自分の中に残る「5つの心なき口づけ」の呪い。
心には…心の呪いを、「合わせる」。達成しない術の名残を切る。
深く深呼吸をし、肺を息で満たす。
息に、魔法を込める。
届けるのは、あの、1滴の魔力。
目を閉じ、心に感じながらも目には見えない傷を手繰り寄せ、胸の傷のあった位置にそっと口づける。
吐き出す息に水竜の魔法を乗せると、魔刃の傷跡が砕け散り、今にも尽きようとする命に、溢れんばかりの魔力を届けた。
行先は水竜が知っている。
最後の息まで、雫に滴る最後の1滴も残すことなく、深く、深く。
川のように流れ、時に速く、時に緩やかに。
無限を感じるその先の果てに、当たった水が跳ね返った。
ゆっくりと満ちてくる波のように、懐かしく、柔らかな魔法がよみがえりの力を発動した。
自分の力を10注いでも、1にもならない。決して大きくはない器の筈なのに、魔力が満ちない。傀儡と魔女を砕いた魔力の残りは、思った以上に少なかったのか。
少し考えれば、先に自分の魔力を増しておくべきだったのかもしれない。そんなこと、思いつきもしなかった。
ただ、戻ってきてほしい。今は力が尽きるまで、自分のある限りの魔力を捧げる。自分の願いのために…。
そして、願いが通じたかを知ることもなく、意識は遠のいていった。
■
遠く、見えないところで魔王が持っていた玉は、割られていないにもかかわらず、その中の光を失い、空になった。




