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正法眼蔵 供養諸仏

 仏は、「もし過去の世が無ければ、過去の仏は存在しないはずである。

もし過去の仏が存在しなければ、出家や戒を受ける事は存在しないはずである」と言った。

 (出家や戒を受ける事は存在するので、過去の仏は存在するし、過去の世は存在する。)


 明らかに知るべきである。

 過去、現在、未来に必ず諸仏が存在する。

 過去の諸仏について、「『最初』の仏がいる」と言う事なかれ。「『最初』の仏はいない」と言う事なかれ。

 「最初」の仏の有無や「最後」の仏の有無を誤って計る人は、仏法を習って学んでいない。


 過去の諸仏に捧げものを捧げて、出家して、従う人は、必ず、仏に成るのである。

 仏に捧げものを捧げた功徳によって、仏に成るのである。

 未だかつて一人の仏にも捧げものを捧げていない生者は、仏に成る事は無い!

 (供養や修行といった)原因が無いのに仏に成る事は無い。



 「仏本行集経」の「第一供養品」で、次のように、釈迦牟尼仏は、目犍連(モッガラーナ)に告げた。


 私(、釈迦牟尼仏)は、昔(の前世)を思い出すと、無数の諸仏の下で、善の種を植えるように諸々の善行を(おこな)って無上普遍正覚を求めた。

 目犍連(モッガラーナ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、昔(の前世)を思い出すと、転輪聖王に成って、三十億人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、同一の称号、「釈迦(牟尼仏)」という称号で呼ばれていた。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、)仏達と、仏の声聞達を、尊重して、(つつし)んで聴いて、(うやうや)しく敬い、捧げものを捧げて「四事」を十分に備えさせた。

 「四事」とは、衣服、飲食物、寝具、薬である。

 その時、その仏達は、私に、「あなたは無上普遍正覚を得て『世間解』、『天人師』、『仏世尊』として未来の世で無上普遍正覚を成就でき得る」という「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 目犍連(モッガラーナ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、昔(の前世)を思い出すと、転輪聖王に成って、八億人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、同一の称号、「燃燈(仏)」という称号で呼ばれていた。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、)仏達と、仏の声聞達を、尊重して、(うやうや)しく敬い、「四事」などの捧げものを捧げた。

 「『四事』などの捧げ物」とは、衣服、飲食物、寝具、薬と、幡蓋と、華と香である。

 その時、その仏達は、私に、「あなたは無上普遍正覚を得て『世間解』、『天人師』、『仏世尊』に成る」という「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 目犍連(モッガラーナ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、昔(の前世)を思い出すと、転輪聖王に成って、三億人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、同一の称号、「弗沙(仏)」という称号で呼ばれていた。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、)仏達と、仏の声聞達に、「四事」を捧げて、皆に、(ことごと)く、十分に備えさせた。

 その時、その仏達は、私に、「あなたは仏に成る」という「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。



 釈迦牟尼仏は、前世で、この他にも多数の仏達に捧げものを捧げた。


 転輪聖王は、必ず「四天下」、「四大洲」を統治するので、仏達に捧げた捧げものは実に豊富であっただろう。

 大いなる転輪聖王であれば、三千界を統治する。

 大いなる転輪聖王の時の仏への捧げものは、今の凡人の思慮では測る事ができない。釈迦牟尼仏が説明しても了解でき難いであろう。



 次のように、「仏蔵経」の浄見品第八で、釈迦牟尼仏は、舎利弗(シャーリプトラ)に告げた。


 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、無上普遍正覚を求めて、三十億人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「釈迦牟尼(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、無上普遍正覚を求めて、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、衣服、飲食物、寝具、医薬品を捧げた。

 しかし、仏達は、私に、「あなたは未来の世で仏に成る」と言って「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 なぜなら、(私、釈迦牟尼仏は、前世で、)自分と、自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、八千人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「定光(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、無上普遍正覚を求めて、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、衣服、飲食物、寝具、医薬品を捧げた。

 しかし、仏達は、私に、「あなたは未来の世で仏に成る」という「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 なぜなら、(私、釈迦牟尼仏は、前世で、)自分と、自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、六万人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「光明(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、無上普遍正覚を求めて、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、衣服、飲食物、寝具、医薬品を捧げた。

 しかし、仏達は、私に、「あなたは未来の世で仏に成る」という「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 なぜなら、(私、釈迦牟尼仏は、前世で、)自分と、自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、三億人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「弗沙(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、(仏達と、仏の諸々の弟子に、)「衣服、飲食物、寝具、医薬品」という「四事」を捧げた。

 (しかし、)仏達は皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、一万八千人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「山王(仏)」という称号で呼ばれていた。

 「山王仏」の時代は「上八」と名づけられていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの前世の時は全て、仏達の下で、髪を()って法衣を着て、無上普遍正覚を習って修行した。

 (しかし、)仏達は皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、五百人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「華上(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、仏達と、仏の諸々の弟子に、一切の(ことごと)くを捧げた。

 (しかし、)仏達は皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、五百人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「威徳(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(それらの前世の時は全て、仏達と、仏の諸々の弟子に、)(ことごと)く、捧げものを捧げた。

 (しかし、仏達は)皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、二千人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「憍陳如(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、仏達(と、仏の諸々の弟子)に、一切の(ことごと)くの捧げものを捧げた。

 (しかし、仏達は)皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、九千人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「迦葉(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(それらの前世の時は全て、)仏達と、仏の諸々の弟子に、「衣服、飲食物、寝具、医薬品」という「四事」を捧げた。

 (しかし、仏達は)皆、私に「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、一万劫の間、仏が「この世」へ出現しなかった。

 その一万劫の間の、最初の五百劫の間に、九万人の独覚達がいた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、姿形、寿命が尽きるまで、(九万人の独覚達に、)(ことごと)く皆に、衣服、飲食物、寝具、医薬品を捧げて、尊重し、たたえた。

 次の五百劫の間に、(私、釈迦牟尼仏は、)八万四千億人の独覚達に、「衣服、飲食物、寝具、医薬品」という「四事」を捧げて、尊重し、たたえた。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 この千劫が過ぎ終わると、(仏も)独覚も存在しなかった。

 私(、釈迦牟尼仏)は、この時、「南閻浮提」、「この世」で死んで、「大梵天」の中に生まれて、大梵天王に成った。

 このように転々として、五百劫の間、常に「大梵天」に生まれて、大梵天王に成って、「南閻浮提」、「この世」に生まれなかった。

 この五百劫が過ぎ終わると、「南閻浮提」、「この世」に降下して生まれて、「南閻浮提」、「この世」を統治して化して導いて、命が終わると、「四天王天」に生まれた。

 「四天王天」での命が終わると、「忉利天」、「三十三天」に生まれて、帝釈天に成った。

 このように転々として、五百劫の後、「南閻浮提」、「この世」に生まれた。

 五百劫の後、「大梵天」に生まれて、大梵天王に成った。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、九千劫の間、一回だけ「南閻浮提」、「この世」に生まれた以外は、天上にだけ生まれた。

 劫が尽きて(劫火で)焼かれた時、「光音天」、「極光浄天」に生まれた。

 世界が形成され終わると、「大梵天」に生まれた。

 九千劫の間、全く人の中に生まれなかった。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 この九千劫の間、諸仏と独覚がいなかったため、多くの生者が地獄などの「三悪道」に堕ちてしまった。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 この一万劫が過ぎ終わると、仏が「この世」へ出現した。

 (この仏は、)「普守(仏)」という称号で呼ばれた。

 (普守仏は、)「如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊」という仏の「十号」という称号で呼ばれた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、その時、「大梵天」での命が終わって「南閻浮提」、「この世」に生まれて、転輪聖王と成った。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、)「共天」という称号で呼ばれた。

 人の寿命は九万歳であった。

 私(、釈迦牟尼仏)は、無上普遍正覚を求めて、九万歳の間、姿形、寿命が尽きるまで、普守仏と、九十億人の出家者達に、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げた。

 (しかし、)普守仏も、私に、「あなたは未来の世で仏に成る」と言って「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 なぜなら、私(、釈迦牟尼仏)は、その(前世の)時に、「諸法実相」、「全てのものの実の相」に通達できなかったため、自分と、自分の所有物に貪欲に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 この(普守仏の)劫の間に、百人の仏達が「この世」へ出現した。

 (仏達は、)各々異なる称号で呼ばれた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王と成って、無上普遍正覚を求めて、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、捧げものを捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「あなたは未来の世で仏に成る」と言って「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、第七百阿僧祇劫の間に、千人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「閻浮檀(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(それらの前世の時は全て、)姿形、寿命が尽きるまで、(仏達と、仏の諸々の弟子に、)「衣服、飲食物、寝具、医薬品」という「四事」を捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、第七百阿僧祇劫の間に、六百二十万人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「一切儀(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、第七百阿僧祇劫の間に、八十四人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「帝相(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、第七百阿僧祇劫の間に、十五人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「日明(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 舎利弗(シャーリプトラ)よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世を思い出すと、第七百阿僧祇劫の間に、六十二人の仏達に出会った。

 (仏達は)皆、「善寂(仏)」という称号で呼ばれていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、それらの(前世の)時は全て、転輪聖王に成って、姿形(、寿命)が尽きるまで、仏達と、仏の諸々の弟子に、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げた。

 (しかし、)仏達も、私に、「授記」、「仏に成る予言」を授けなかった。

 (私、釈迦牟尼仏は、前世で、自分と、)自分の所有物に執着していたからである。

 このように転々として、「定光仏」(、「燃燈仏」)に(まみ)えて、「無生法忍」、「生じる事を超越している真理の法の認知」を得た。

 「定光仏」(、「燃燈仏」)は、私に、「あなたは未来の世で阿僧祇劫を過ぎて仏に成る。『釈迦牟尼(仏)』という称号で呼ばれる。『如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊』という仏の『十号』という称号で呼ばれる」と言って「授記」、「仏に成る予言」を授けてくれた。



 釈迦牟尼仏は、前世で、最初に三十億人の(同名の)釈迦牟尼仏に出会って姿形、寿命が尽きるまで捧げものを捧げてから、(最後に)「定光仏」(、「燃燈仏」)に出会うまで、(前世の時は)全て常に、転輪聖王に成って姿形、寿命が尽きるまで捧げものを捧げた。

 転輪聖王の寿命は八万歳以上である。

 例えば、ある転輪聖王の寿命は九万歳であった。

 釈迦牟尼仏は、前世で、転輪聖王の八万歳以上の寿命の間、一切の「楽具」、「安楽にさせる物」を捧げたのである。

 「定光仏」とは「燃燈仏」である。

 釈迦牟尼仏が、前世で、三十億人の(同名の)釈迦牟尼仏に出会ったのは、「仏本行集経」と「仏蔵経」で同じである。



 釈迦牟尼仏は、(前世で、)仏に成るまでの「三阿僧祇劫」のうち第一阿僧祇劫の間に、七万五千人の仏達に出会って仕えて捧げものを捧げたが、最初の仏の名称は(同名の)「釈迦牟尼(仏)」であり、最後の仏の名称は「宝髻(仏)」である。

 (仏に成るには「三阿僧祇劫」と「百大劫」という長い年月がかかると言う場合が有る。)

 (釈迦牟尼仏は、前世で、)仏に成るまでの「三阿僧祇劫」のうち第二阿僧祇劫の間に、七万六千人の仏達に出会って仕えて捧げものを捧げたが、最初の仏の名称は「宝髻(仏)」であり、最後の仏の名称は「燃燈(仏)」である。

 (釈迦牟尼仏は、前世で、)仏に成るまでの「三阿僧祇劫」のうち第三阿僧祇劫の間に、七万七千人の仏達に出会って仕えて捧げものを捧げたが、最初の仏の名称は「燃燈(仏)」であり、最後の仏の名称は「勝観(仏)」である。

 (釈迦牟尼仏は、前世で、)「相異熟業」を修行した九十一劫の間に、六人の仏達に出会って仕えて捧げものを捧げたが、最初の仏の名称は「勝観(仏)」であり、最後の仏の名称は「迦葉(仏)」である。



 釈迦牟尼仏は、(前世で、)仏に成るまでの「三阿僧祇劫」の間、諸仏に捧げものを捧げたが、自身の身の命から国や城や妻子(による奉仕)や「七宝」、「七種類の宝」や(他人である)男女(による奉仕)などまで惜しまなかった。

 釈迦牟尼仏による諸仏への捧げものは、凡人の思慮は及ぶ事ができない。

 釈迦牟尼仏は、(前世で、)(あわ)のように黄金の粒を白銀の器に盛って満たしたり、(あわ)のように「七宝」、「七種類の宝」の粒を金銀の器に盛って満たしたりして仏に捧げた。

 釈迦牟尼仏は、(前世で、)小豆や、水上や陸上の華や、「栴檀」という香や、沈香などを仏に捧げた。

 釈迦牟尼仏は、(前世で、)五本の青蓮華を五百の金銀で買い取って燃燈仏に捧げた。

 釈迦牟尼仏は、(前世で、)鹿の皮の衣を仏に捧げた。


 仏への捧げものは、仏が重要とするものを捧げるわけではない(、と言える)。


 急いで、自身の命が存在する時間を虚しく過ごさず、仏に捧げものを捧げるのである。


 たとえ金銀を仏に捧げても、仏にとっては何の役にも立たない(、と言える)。

 たとえ香や華を仏に捧げても、仏にとっては何の役にも立たない(、と言える)。


 けれども、仏が捧げものを受け取ってくれるのは、生者の功徳を増上、成長させるためである、大いなる思いやりによる物なのである。



 次のように、「大般涅槃経」の第二十二で、釈迦牟尼仏は言った。


 ()い男子よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、無量無辺那由他劫の過去を思い出すと、その時の世界の名称は「娑婆」と言った。

 (同名の)「釈迦牟尼仏」という称号の仏がいた。

 (同名の釈迦牟尼仏は、)「如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊」という仏の「十号」という称号で呼ばれていた。

 (同名の釈迦牟尼仏は、)諸々の生者の(ため)に、このような大般涅槃経を説いていた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(前世で、)その時、「善友」、「善知識を持つ人」から、「(同名の)釈迦牟尼仏が生者の(ため)に大いなる涅槃について説いている」と聞いて、心に喜びが生じて、捧げものを捧げたいと思った。

 (しかし、私、釈迦牟尼仏は、前世で、)家が貧しくて無一物であったため、自身を売ろうとしたが、薄幸で売れなかったので、家に帰ろうとしたら、途中で一人の人に出会った。

 (私、釈迦牟尼仏は、出会った人に、)「私は自身を売りたいのですが、あなたは買う事ができませんか?」と言った。

 出会った人は、「私の家の仕事は耐えられる人がいませんが、もし、あなたが耐えられるならば、私が、あなたを買いましょう」と答えた。

 (私、釈迦牟尼仏は、)「どういった作業で耐えられる人がいないのでしょうか?」と質問した。

 出会った人は、「私は悪い病気で、名医から『薬として一日に三両の人肉を服用しなさい』と言われているのです。もし、あなたが身の肉、三両を日々くれるならば、あなたに五枚の金銭を与えましょう」と答えた。

 (三両は約百グラムから約百二十グラム。)

 私(、釈迦牟尼仏)は、その時、聞き終わって、心の中で喜んだ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、「あなた、私に金銭を与えてください。私に七日間の猶予を与えてください。私の用事が終わったら、仕事に就きます」と言った。

 出会った病人は、「七日間は駄目です。(『用事が終わったら、仕事に就く』という、あなたの言葉が)真実ならば、一日間の猶予を与えましょう」と答えた。

 ()い男子よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(前世の、)その時、金銭を受け取って、(同名の)釈迦牟尼仏の所へ行って、頭を(同名の釈迦牟尼仏の)足につけて礼拝して、持っている金銭を(ことごと)く捧げた。

 そうした後、誠心誠意、この大般涅槃経を聴いた。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(前世の、)その時、愚鈍で、大般涅槃経を聴いても、一つの詩しか受け取って保持できなかった。

「如来は、涅槃を証して、永遠に生死を断じている。もし誠心誠意、聴けば、常に無数の安楽を得る」

 この詩を受け取って保持し終わると、出会った病人の家へ行った。

 ()い男子よ。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(前世の、)その時、日々三両の身の肉を与えたが、大般涅槃経の詩を思い出していたら痛くなかった。

 日々、怠らず、満一か月が経った。

 ()い男子よ。

 こうして、出会った病人の病気は癒えたし、私(、釈迦牟尼仏)の身も回復して傷跡が残らなかった。

 私(、釈迦牟尼仏)は、(前世の、)その時、傷跡が残らなかったのを見て、発心した。

 大般涅槃経のうち一つの詩の力ですら、このようなのである。

 まして、大般涅槃経の全てを十分に備えて受け取って保持し読む力は、測り知れないのである。

 私(、釈迦牟尼仏)は、この大般涅槃経に、このような利益が有るのを見て、ますます発心して、「未来に仏道を成就して『釈迦牟尼仏』という称号を得たい」と願った。

 ()い男子よ。

 大般涅槃経の一つの詩の因縁の力によって、私(、釈迦牟尼仏)は、今日、集まっている者達の中で、諸々の天人や人の(ため)に、大般涅槃経の全てを十分に備えて説いているのである。

 ()い男子よ。

 このため、この大般涅槃経は不可思議であり、無数の無限の功徳を成就できる。

 この大般涅槃経は、諸仏、如来の、とても深い秘密の蔵なのである。



 過去の自身を売った修行者は、釈迦牟尼仏の前世の話である。

 大般涅槃経と他の経を「会通する」、「共通の意味を発見する」と、釈迦牟尼仏が仏に成るまでの前世の「三阿僧祇劫」のうち第一阿僧祇劫で(同名の)古・釈迦牟尼仏に捧げものを捧げた時の話である。

 (前世の、)この時、釈迦牟尼仏は(かわら)の職人であり、「大光明」という名前であった。

 釈迦牟尼仏は、前世で、(同名の)古・釈迦牟尼仏と、仏の諸々の弟子に、草座といった座具、氷砂糖を溶かした水、ロウソクといった明かりという三種類の捧げ物を捧げた。

 その時、釈迦牟尼仏は、(前世で、)「国土、称号、寿命、弟子が(同名の)釈迦牟尼仏と同様でありますように」と願い、言った。

 (前世の、)この時の釈迦牟尼仏の願いは既に成就している。


 そのため、仏に捧げものを捧げようとする時に、「自身は貧しい」と言う事なかれ。「私の家は貧しい」と言う事なかれ。

 自身を売って諸仏に捧げものを捧げるのが、釈迦牟尼仏の正しい法なのである。

 この善行を見聞きして誰もが喜ぶ!


 この釈迦牟尼仏の前世の話の中で、釈迦牟尼仏は、日々三両の身の肉を裂いて取る買い主に出会った。

 日々三両の身の肉を裂かれるのは、「善知識を持つ人々」でも、人は耐えられない。

 けれども、仏に捧げものを捧げたい深い志に助けられて、この功徳が有ったのである。


 今、私達が如来の正しい仏法を聞けるのは、釈迦牟尼仏の前世の身の肉を分けてもらっているからなのである。

 今、聞ける、経の一つの詩は、五枚の金銭と交換して良い物ではないのである。

 今、聞ける、経の一つの詩は、釈迦牟尼仏が、「三阿僧祇劫」と「百大劫」の間、生を受けてから捨てるまでの間も忘れる事無く、あちこちの諸仏の下で証明してきた物であり、実に不可思議な功徳が有る。

 釈迦牟尼仏が伝えて残してくれた仏教の弟子は、仏教を頭を深く下げて頂戴して受け取って保持するべきである。

 如来、釈迦牟尼仏は「大般涅槃経のうち一つの詩の力ですら、このようなのである」と説いているが、経、仏教の力は、最大で最深なのである。



 次のように、「法華経」の「方便品」には記されている。


 もし人が、華、香、幡蓋を、敬う心で、(仏の、)塔廟、宝像、画像に捧げれば、

他人に音楽を演奏させて、太鼓を打たせたり、角笛を吹かせたり、貝笛を吹かせたり、「簫」という笛、琴、「箜篌」という竪琴、琵琶、「鐃と銅鈸」というシンバルを演奏させたりして、このような色々な妙なる音の(ことごと)くを仏に捧げれば、

喜ぶ心で、歌って仏をたたえれば、わずかな音でも、皆、既に、仏道を成就している。


 もし人が、散乱した心でも、一本の華を仏の画像に捧げれば、徐々に無数の仏を見る。


 もし人が、礼拝したり、合掌だけしたり、片手をかかげたり、わずかに頭を下げたりして、仏の像に捧げものを捧げれば、徐々に無数の仏を見るし、自分で無上の仏道を成就して広く無数の生者を仏土へ渡す。



 「法華経」の「方便品」の、これらが、過去、現在、未来の諸仏の「頂上」なのであるし、「眼睛」、「見る眼」なのである。

 「賢者を見たら、等しくなりたいと思う事」により猛烈に激しく鋭利に精進するべきである。

 いたずらに無駄に、時間を過ごす事なかれ。



 無際大師と呼ばれる三十五祖の石頭希遷は、「時間を虚しく過ごす事なかれ」と言った。



 「法華経」の「方便品」の、これらのような功徳を積んだ人は皆、仏に成る。

 「法華経」の「方便品」の、これらのような功徳を積んだ人は皆、過去、現在、未来で同じく、仏に成る。

 諸仏に捧げものを捧げた原因が、仏に成るという結果を形成するのは、唯一無二、無三なのである!



 十四祖の龍樹は、「仏という結果を求める者は、一つの詩でも仏をたたえたり、一回でも『南無(帰依仏)』と言ったり、一つまみでも(仏に)焼香したり、一本でも華を(仏に)捧げたりするであろう。このような小さな行いでも、必ず、仏に成る事ができ得るであろう」と言った。



 この言葉は、十四祖の龍樹、独りだけの所説であっても、身の命を投じて従うべきである。

 まして、十四祖の龍樹は、釈迦牟尼仏の言葉を正しく伝えられていて、この言葉を挙げているのである!


 私達は今、仏道という宝の山に上り、仏道という宝の海に入って、幸いにも、宝を獲得できたのである。

 最も喜ぶべき事である。

 釈迦牟尼仏などが、広大な長い年月、諸仏に捧げものを捧げた力による物なのである。

 必ず仏に成れる事は、疑問の余地が無いのであるし、決定しているのである。



 次のように、釈迦牟尼仏は説いている。


 また、次に、小さな原因が大いなる結果をもたらす事が有るし、小さな「(えん)」、「つながり」が大いなる報いをもたらす事が有る。

 仏道を探究する者は、一つの詩でも仏をたたえたり、一回でも「南無(帰依仏)」と言ったり、一つまみでも(仏に)焼香したりするが、必ず、仏に成る事ができ得るであろう。

 まして、「諸法実相」、「全てのものの実の相」や「『不生不滅』、『不不生不不滅』」、「生じたり滅んだりする事を超越している真理」を聞いて知って、因縁の(善)業を修行する者は、仏に成る事を失わないのである。



 このように、釈迦牟尼仏が明らかに説いている言葉を、十四祖の龍樹は親しく正しく伝えているのである。

 真実の黄金の言葉は、正しく伝承されるのである。


 たとえ十四祖の龍樹、独りだけの所説であっても、他の「師」を自称する凡人の所説とは比べ物に成らないのである。


 十四祖の龍樹が正しく伝えて広めている、釈迦牟尼仏が示した言葉に出会えたのは、最も喜ぶべき事なのである。


 これらの釈迦牟尼仏の教えを、(みだ)りに東の地の中国の「師」を自称する凡人の虚偽の説と比べる事なかれ。



 次のように、十四祖の龍樹は言った。


 また、次に、諸仏は、仏法を(うやうや)しく敬うので、仏法に捧げものを捧げて、仏法を師と()す。

 なぜなら、過去、現在、未来の諸仏は皆、「諸法実相」、「全てのものの実の相」を師と()すからである。


 Q.

 どうして自身の中の仏法に捧げものを捧げず、他の仏法に捧げものを捧げるのか?


 A.

 世間の法に従うからである。

 (社会という法に従うからである。)

 もし出家者が「三宝」のうちの「法宝」、「仏法」に捧げものを捧げたいのであれば、自身の中の仏法に捧げものを捧げず、他の仏法を保持して知って理解している者に捧げものを捧げるべきである。

 仏もまた同様なのである。

 仏も自身の中に仏法は有るが、他の仏の仏法に捧げものを捧げるのである。


 Q.

 仏は功徳による幸福を求めない。

 どうして仏は他の仏に捧げものを捧げるのか?


 A.

 仏は、無量の阿僧祇劫の昔から、諸々の功徳を修行しているし、諸々の善行を(おこな)っているが、報いを求めず、ただ功徳を敬っているので、他の仏に捧げものを捧げているのである。



 釈迦牟尼仏が存命中の時に、ある盲目の出家者がいた。

 (ある盲目の出家者は、)眼が見えなかったので、手(の感触)で衣服を()っている時に、針の穴から糸が抜けてしまったので、「誰か、幸福をもたらす功徳を愛好して、私の(ため)に、糸を針の穴に通してくれませんか?」と言った。

 この時、釈迦牟尼仏は、そこに行って、ある盲目の出家者に、「私は幸福をもたらす功徳を愛する人である。あなたのために糸を針の穴に通しましょう」と言った。

 ある盲目の出家者は、釈迦牟尼仏の声であると識別すると、素早く立って衣服を着て、釈迦牟尼仏の足に頭をつけて礼拝して、釈迦牟尼仏に「釈迦牟尼仏は功徳を既に満たしています。どうして『幸福をもたらす功徳を愛する』と言ったのでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、知らせて、「私(、釈迦牟尼仏)は功徳を既に満たしているが、私(、釈迦牟尼仏)は、功徳の原因、功徳の果報、功徳の力を深く知っている。

今、私(、釈迦牟尼仏)が一切の全ての生者の中で最高の第一の位を得ているのは功徳による物なのである。

このため、私(、釈迦牟尼仏)は、功徳を愛するのである」と言った。

 釈迦牟尼仏は、ある盲目の出家者の(ため)に、功徳をたたえ終わると、次に随意に法を説いた。

 そうしたら、ある盲目の出家者は、菩薩の「浄法眼」、「法眼」を得て、更に肉眼、眼も明らかに見えるように成った。



 私、道元は、この話を、昔、亡き師である五十祖の如浄の部屋で夜話に聞き、後に、「大智度論」の文章に向かって調べた。

 仏法を伝えている祖師である如浄が示してくれた教えは、明らかで、忘れて欠落した部分は無かった。

 この話の文章は、「大智度論」の第十に存在する。


 諸仏が、必ず、「諸法実相」、「全てのものの実の相」を師とする事は、明らかである。

 釈迦牟尼仏もまた諸仏の不変の法則を証している。


 「『諸法実相』、『全てのものの実の相』を師とする」とは、「仏、法、僧」という「三宝」に捧げものを捧げて(うやうや)しく敬う事なのである。


 諸仏は、無量の阿僧祇劫の昔から、多数の功徳、善の種である善行を積み重ねて集めて、報いを求めず、ただ功徳を(うやうや)しく敬って捧げものを捧げているのである。


 釈迦牟尼仏は、仏という結果をもたらす悟りの位に至ってもなお、小さな功徳を愛し、盲目の出家者のために糸を針の穴に通したのである。


 仏という結果をもたらす功徳を明らめようと思うならば、この話は、正しく、功徳を明らめている時の様子なのである。


 そのため、仏という結果をもたらす悟りの功徳や、「諸法実相」、「全てのものの実の相」という道理は、今の俗世の凡人が想像している通りではないのである。

 今の凡人の想像では、誤って「悪業を造っても構わない事が『諸法実相』、『全てのものの実の相』なのであろう」と思ってしまっているし、

誤って「(神通力などを)所有している事が『仏という結果をもたらす悟り』なのであろう」と思ってしまっている。

 このような邪悪な見解は、たとえ八万劫を知っても、「過去についての外道の邪悪な見解である『本劫本見』と未来についての外道の邪悪な見解である『末劫末見』」、「外道の邪悪な見解を六十二種類に分類した『六十二見』」を未だ逃れられていないのである。

 邪悪な見解を(いだ)いている凡人は、「仏と仏だけが究め尽せる『諸法実相』、『全てのものの実の相』」を究め尽くせない!

 なぜなら、「仏と仏だけが究め尽せる」物が(真の)「諸法実相」、「全てのものの実の相」であるので。



 供養には十種類、有る。


 (一)身供養(仏の肉体に捧げものを捧げる)

 (二)支提供養(墓といった仏の施設で捧げものを捧げる)

 (三)現前供養(目の前のものに捧げものを捧げる)

 (四)不現前供養(目の前には無いものに捧げものを捧げる)

 (五)自作供養(自身で捧げものを捧げる)

 (六)他作供養(他者に捧げものを捧げさせる)

 (七)財物供養(物を捧げる)

 (八)勝供養(心からの優れた捧げ方)

 (九)無染供養(汚れが無い捧げ方)

 (十)至処道供養(至るべき所、至るべき境地である悟りへの道と成る、修行を捧げる)



 (一)身供養


 仏の「色身」、「肉体」に捧げものを捧げる事を「身供養」と名づける。



 (二)支提供養


 仏の霊廟に捧げものを捧げる事を「支提供養」と名づける。



 次のように、「摩訶僧祇律」には記されている。


 「舎利」、「仏の遺骨」が有る建物を「塔婆(ストゥーパ)」と名づける。

 「舎利」、「仏の遺骨」が無い建物を「支提」と名づける。

 または、「塔婆(ストゥーパ)」も「支提」も共通して「支提」と名づける。

 また、中国では「塔婆」または「偸婆」と書くが、サンスクリット語では「ストゥーパ」と読む。

 中国では、「方墳」または「霊廟」と訳す。

 阿含経では、「支徴(シチャ)」と書く(が、「知荷反」、「シチャ」と読む)。



 「支提」と呼んだり、「塔婆(ストゥーパ)」と呼んだりする。

 「支提」と「塔婆(ストゥーパ)」は同じようであるが、「法華懺法」で、南嶽の慧思は、「十方世界の、舎利、尊像、支提、妙塔、多宝如来の全身の宝塔に一心に敬礼する」と言っているので、「支提」と「妙塔」、「塔婆(ストゥーパ)」は明らかに別である。

 尊像と「舎利」、「仏の遺骨」が別であるように。



 次のように、「摩訶僧祇律」の第三十三には記されている。


 塔の法について。



 釈迦牟尼仏が拘薩羅(コーサラ)国に住んでいて巡り歩いていた時、あるバラモンが地を耕していた。

 あるバラモンは、釈迦牟尼仏が通り過ぎるのを見て、牛用の杖を地に突き立てて釈迦牟尼仏に敬礼した。

 釈迦牟尼仏は、これを見て微笑(ほほえ)んだ。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「どういった理由で微笑(ほほえ)んだのですか? 願わくば、理由を聞かせてください」と言った。

 釈迦牟尼仏は、諸々の出家者に告げて、「あのバラモンは、今、二人の仏に敬礼したからである」と言った。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「二人の仏とは誰でしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、諸々の出家者に告げて、「私を敬礼したし、あの杖の下に迦葉仏の塔が有(り、迦葉仏も敬礼したのであ)る」と言った。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「願わくば、迦葉仏の塔を見たいです」と言った。

 釈迦牟尼仏は、諸々の出家者に告げて、「あなた達、あのバラモンから土の(かたまり)と、この地を求めなさい」と言った。

 諸々の出家者は、土の(かたまり)と、この地をあるバラモンに求めた。

 この時、あるバラモンは、これらを与えてくれた。

 土の(かたまり)と、この地を得ると、その時、釈迦牟尼仏は、迦葉仏の「七宝」、「七種類の宝」による塔を出現させた。

 迦葉仏の塔は、高さが一由延、広さが半由延であった。

 あるバラモンは、迦葉仏の塔を見ると、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、私の性は『迦葉』です。これは、私の先祖の迦葉の塔です」と言った。

 その時、釈迦牟尼仏は、バラモンの迦葉の家に、迦葉仏の塔を作った。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、私達も泥と土で迦葉仏の塔を作ってよろしいでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、「作ってよろしい」と言った。

 この時、釈迦牟尼仏は、詩で、「百、千の無数の純金を、(かつ)いで、布施を行うのに用いる事は、一つの泥の(かたまり)で、仏を敬う心で、仏塔を作る事に及ばない」と説いた。

 その時、釈迦牟尼仏は、自ら、迦葉仏の塔を建てた。

 釈迦牟尼仏による迦葉仏の塔は、下の基礎が正方形に石垣で包囲されていて、円形の二重の塔で、角材が四つ出ていて、上には(はた)と天蓋を施してあり、尖塔で先端は長く「輪相」、「円を九つ重ねたような形」に成っていた。

 釈迦牟尼仏は、「仏塔を作る法は、このようである」と言った。

 釈迦牟尼仏は、仏塔を作り終わると、過去の仏を敬っているので、仏塔を礼拝した。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、私達も仏塔を礼拝してよろしいでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、「よろしい」と言った。

 釈迦牟尼仏は、詩で、「人々が、百、千の無数の金を、布施を行うのに用いる事は、一つの()い心で、(うやうや)しく敬って、仏塔を礼拝する事に及ばない」と説いた。

 この時、俗世の人々は、釈迦牟尼仏が仏塔を作ったと聞いて、華と香を持って来て釈迦牟尼仏に捧げた。

 釈迦牟尼仏は、過去の仏を敬っているので、華と香を受け取ると仏塔に捧げた。

 諸々の出家者は、釈迦牟尼仏に、「私達も仏塔に捧げものを捧げてよろしいでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、「よろしい」と言った。

 釈迦牟尼仏は、詩で、「車で百、千の無数台分の純金を、布施を行うのに用いる事は、一つの()い心で、華と香を仏塔に捧げる事に及ばない」と説いた。

 その時、俗世の人々が雲のように集まった。

 釈迦牟尼仏は、舎利弗(シャーリプトラ)に、「あなた、舎利弗(シャーリプトラ)よ、諸々の人々の(ため)に法を説きなさい」と告げた。

 釈迦牟尼仏は、詩で、「百、千の無数の世界大分の純金を施す事は、一つの仏法の教えを施して、仏法に従って修行させる事には及ばない」と説いた。

 この時、一座の中に仏道を会得した者がいた。

 釈迦牟尼仏は、詩で、「百、千の無数の世界大分の純金を施す事は、一つの仏法の教えを施して、仏法に従って修行して真理を見る事には及ばない」と説いた。

 その時、バラモンの迦葉は、不壊の信心を会得して、仏塔の前で、仏と僧に食事を捧げた。

 この時、波斯匿(プラセーナジット)王は、釈迦牟尼仏が迦葉仏の塔を作ったと聞いて、部下に命令して七百台の車に(かわら)を載せて、釈迦牟尼仏の所に来て、頭を釈迦牟尼仏の足につけて礼拝して、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、私(、波斯匿)は、仏塔を拡大して作りたいのですが、よろしいでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、「よろしい」と言った。

 釈迦牟尼仏は、波斯匿(プラセーナジット)王に、「過去の世の時、迦葉仏が『般涅槃した』、『肉体が死んだ』時、『吉利』という名前の王がいて、『七宝』、『七種類の宝』による迦葉仏の塔を作りたいと思った。

この時、ある家臣が、吉利王に、『未来の世には、非法な悪人が出現して、(仏塔を七種類の宝で作ってしまうと、宝を盗むために、)仏塔を破壊して、重罪を得るでしょう。

願わくば、吉利王様、(かわら)で仏塔を作り、金銀で覆いましょう。

もし仏塔から金銀を盗んで取る者がいても、仏塔はなお完全に健在であるでしょう』と言った。

吉利王は、家臣の言葉通りに、(かわら)で仏塔を作り、金銀で覆った。

仏塔は、高さが一由延であり、広さが半由延であった。

銅で仏塔の基礎の石垣を作った。

仏塔は、七年間と七か月間と七日間が経って完成した。

仏塔が完成し終わると、華と香を、迦葉仏と、迦葉仏の下にいた出家者に捧げた」と告げた。

 波斯匿(プラセーナジット)王は、釈迦牟尼仏に、「吉利王は、功徳がもたらす幸福によって珍しい宝を多数、所有していました。私(、波斯匿)も仏塔を作りますが、吉利王の仏塔には及ばないでしょう」と言った。

 波斯匿(プラセーナジット)王は、仏塔を作った。

 仏塔は、七か月間と七日間が経って完成した。

 波斯匿(プラセーナジット)王は、仏塔が完成し終わると、釈迦牟尼仏と、出家者に捧げものを捧げた。



 塔を作る法について。


 仏塔の下の基礎を正方形にし石垣で包囲し、円形の二重の塔にし、角材を四つ出し、上には(はた)と天蓋を施し、尖塔の先端は長くし「輪相」、「円を九つ重ねたような形」にする。


 もし、「仏は貪欲、瞋恚、愚痴を既に除去しているのに、こんな(立派な)塔を用いる」と言ってしまったら、戒律を破ってしまった罪を得てしまい、戒律を破ってしまった悪業への報いは重いであろう。

 これを「塔法」と名づける。



 「塔事」について。


 寺院を建てる時は、先に、あらかじめ、好い土地を計らって、仏塔を建てる場所とする。

 仏塔は、寺院の南に在るのは駄目であるし、西に在るのも駄目である。東に在るか、北に在るべきである。

 寺院の土地の土が仏塔の土地に侵入するのは駄目であるし、仏塔の土地の土が寺院の土地に侵入するのは駄目である。

 仏塔が「死尸林」、「土葬の墓地」に近くて、犬が食べ残して持って来て仏塔の土地を汚すならば、仏塔の土地に垣根を作りなさい。

 仏塔の西か南に僧房を作りなさい。

 寺院の土地の水を仏塔の土地に流し入れるのは駄目である。

 仏塔の土地の水を寺院の土地に流し入れるのはかまわない。

 仏塔は高く明るい場所に在るべきであるし、作るべきである。

 仏塔の垣根の中にいて、衣服を洗って日干ししたり、履物をはいたり、頭や肩を覆ったり、涙や鼻水や唾を地に落としたりするのは駄目である。

 もし、「仏は貪欲、瞋恚、愚痴を既に除去しているのに、こんな(立派な)塔を用いる」と言ってしまったら、戒律を破ってしまった罪を得てしまい、戒律を破ってしまった悪業への報いは重いであろう。

 これを「塔事」と名づける。



 塔の、仏の物を収める「龕」、「厨子」について。


 波斯匿(プラセーナジット)王は、ある時、釈迦牟尼仏の所へ行って、頭を釈迦牟尼仏の足につけて礼拝し、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、私達は迦葉仏の(ため)に塔を作りましたが、『龕』、『厨子』を作ってもよろしいでしょうか?」と言った。

 釈迦牟尼仏は、「よろしい。過去の世の時、迦葉仏が『般涅槃した』、『肉体が死んだ』後、吉利王は、仏の(ため)に塔を建てた。吉利王は、四面に『龕』、『厨子』を作った。『龕』、『厨子』の上に、獅子の像と、多様な色彩の絵を置いた。『龕』、『厨子』の前に、石垣を作り、華を置く所を用意した。『龕』、『厨子』の内側に、(はた)と天蓋を懸けた」と言った。

 もし、「仏は貪欲、瞋恚、愚痴を既に除去しているのに、自ら荘厳して楽しみを享受する」と言ってしまったら、戒律を破ってしまった罪を得てしまい、戒律を破ってしまった悪業への報いは重いであろう。

 これを「塔龕」と名づける。



 明らかに知る事ができる。

 仏は、仏という結果、悟りの上にいても、古代の仏のために塔を建てて、仏塔を礼拝し捧げものを捧げるのである。

 これは、諸仏の不変の法則なのである。

 このような事例は多いが、(しばら)く、前述の事例を挙げた。


 仏法では「有部」が優れているが、その中で、「摩訶僧祇律」が最も根本なのである。

 「摩訶僧祇律」は、法顕が、初めて、(イバラ)の道をかき分けて、西のインドに行き、霊山に上って、中国へ持って来た物なのである。

 祖師から祖師へ正しく伝えられて来ている法は、「有部」の法と同じである。



 (三)現前供養


 仏の身や「支提」と対面して捧げものを捧げる。



 (四)不現前供養


 目の前にはいない仏や「支提」に広く捧げものを捧げる。

 現前供養と不現前供養は共に、仏と「支提」と、目の前にはいない仏と「支提」に捧げものを捧げている、と言える。(しかし、)

 現前供養は大功徳を得るが、不現前供養は大大功徳を得る。対象が広いので。(ただし、)

 現前供養と不現前供養は最大の大功徳を得る。



 (五)自作供養


 自身で仏や「支提」に捧げものを捧げる。



 (六)他作供養


 他者に仏や「支提」に捧げものを捧げさせる。

 少しでも物が有れば、(おこた)らず、他者に捧げさせるのである。

 自作供養と他作供養は同じである、と言える。

 自作供養は大功徳を得るが、他作供養は大大功徳を得る。

 (他作供養は、他者にも供養の功徳を積ませるので。)

 自作供養と他作供養は最大の大功徳を得る。



 (七)財物供養


 物を仏や「支提」に捧げる。


 財物供養には三種類、有る、と言える。


 (一)資具供養。衣服や食事などである。

 (二)敬具供養。華や香などである。

 (三)厳具供養。他の一切の、宝や装飾などである。



 (八)勝供養


 勝供養には三種類、有る。


 (一)種々の捧げものを捧げる事に専念する。

 (二)清純な清浄な信心で、仏の徳の重さを信じれば、理が供養に(かな)う。

 (三)「回向心」、「ある相手に布施などの功徳を分け与える心」で、心中で仏に求めて、捧げものを捧げる。



 (九)無染供養


 無染供養には二種類、有る。


 (一)心無染。(心について、)一切の過ちを離れる。

 (二)財物無染。(物について、)法から外れる過ちを離れる。



 (十)至処道供養


 修行の結果を捧げる事を「至処道供養」と名づける。

 「仏果」、「悟り」は至るべき所(、至るべき境地)なのである。

 捧げものを捧げる行いは、悟りという所(、境地)に至る事ができるので、「至処道」と名づける。

 「至処道供養」を「法供養」と名づけたり、「行供養」と名づけたりする。


 至処道供養には三種類、有る。


 (一)「財物供養」を「至処道供養」とする。

 (二)「随喜供養」(、「善を喜んで捧げものを捧げる事」)を「至処道供養」とする。

 (三)「修行供養」(、「修行を捧げる事」)を「至処道供養」とする。



 仏への供養には、これら「十(種)供養」が有るが、法への供養でも、僧への供養でもまた同様である。


 法への供養とは、仏が説いた理、教え、修行と、経典に捧げものを捧げるのである。


 僧への供養とは、一切の三乗の聖者達、聖者の「支提」、聖者の姿形をかたどった絵や像など、聖者の塔廟と、聖者ではない凡人の僧に捧げものを捧げるのである。



 次に、供養の心には六種類、有る。


 (一)福田無上心(「仏、法、僧」という「三宝」は、「福田」、「幸福を生じる源である田畑」の中で無上であると思う心)


 (「仏、法、僧」という「三宝」は、)「福田」、「幸福を生じる源である田畑」の中で最も優れている幸福を生じる(と思う心)。


 (二)恩徳無上心(「仏、法、僧」という「三宝」の恩、徳は、無上であると思う心)


 一切の全ての善と楽しみは、「仏、法、僧」という「三宝」によって生み出されている(と思う心)。


 (三)生一切衆生最勝心(「仏、法、僧」という「三宝」は、一切の全ての生者に、最も優れている心を生じさせると思う心)


 (四)如優曇鉢華難遇心(仏には、優曇華のように出会い難いと思う心)


 (五)三千大千世界殊独一心(仏は、三千大千世界で特別であり単独であると思う心)


 (六)一切世間出世間具足依義心(仏は、「世間の法」、「社会という法」と「出世間の法」、「世間を超越している法」を十分に備えていて、全ての生者のための依り所と成る事ができると思う心)


 如来、仏は、「世間の法」(、「社会という法」)と「出世間の法」、「世間を超越している法」を十分に備えていて、全ての生者のための依り所と成る事ができる事を「具足依義」と名づける。



 これらの六つの心で、少しの物でも、「仏、法、僧」という「三宝」に捧げれば、無数の功徳を獲得できる。

 まして、多くの物を、これらの六つの心で、「仏、法、僧」という「三宝」に捧げれば、無数の功徳を獲得できる!



 このように、必ず誠心誠意で、(諸仏などに)捧げものを捧げるべきである。


 諸仏は、必ず、(諸仏などに)捧げものを捧げて来ているのである。


 (諸仏などに)捧げものを捧げる理由は、(あまね)く、経や律で明らかであるが、なお、仏祖は目の当たりに正しく伝えて来ている。


 師の僧のそばに仕えて修行して労に服した月日は、(諸仏などに)捧げものを捧げた時に成っているのである。


 仏の姿形をかたどった絵や像や、「舎利」、「仏の遺骨」を安置して、捧げものを捧げて礼拝し、塔廟を建て、「支提」を建てる規則は、唯一、仏祖の家の中に正しく伝えられている。

 仏祖の法の子孫でなければ正しく伝えてもらえない。


 また、もし法の通りに正しく伝えてもらえなければ、規則を間違えてしまう。

 規則を間違えてしまえば、供養は真実の供養ではなく成ってしまう。

 供養が真実の供養ではなく成ってしまえば、功徳が(おろそ)かに成ってしまう。


 必ず、法の通りの供養の法を習って正しく伝えるべきである。


 三十三祖の大鑑禅師の弟子である令韜禅師は、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師の塔の近くで仕えて年月を過ごしたし、三十三祖の大鑑禅師は、昼夜、休まず、米をついて僧達に捧げたが、皆、供養の法の通りなのである。

 これらの例は、供養の例の少しに過ぎず、例を一通り挙げようとすると時間が足りなく成ってしまう。



 このように、(諸仏などに)捧げものを捧げるべきである。



 正法眼蔵 供養諸仏

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