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正法眼蔵 他心通

 「西京」、「長安」の光宅寺の南陽慧忠は、越州の諸曁の人である。

 南陽慧忠の姓は「冉」である。


 南陽慧忠は、心の印を受けてから、南陽の白崖山の党子谷に住んで四十年余り山を下りなかった。

 南陽慧忠の仏道修行は、長安にまで聞こえた。


 七百六十一年、唐の時代の中国の皇帝の粛宗は、宮中からの使者として孫朝進に命令して、命令書を持たせて、南陽慧忠に長安に来るよう求めた。

 粛宗は、南陽慧忠を師として礼を持って待ち受けて、千福寺の西禅院に住まわせた。

 (七百六十二年、)代宗が、皇帝に成ると、南陽慧忠を光宅寺に住まわせた。


 南陽慧忠は、十六年、聞く人の素質に応じて、法を説いた。


 (七百六十一年の、)ある時、西のインドの大耳三蔵という人が、長安に来て、「他心の慧眼」、「他心通」を会得していると言った。

 粛宗は、南陽慧忠に大耳三蔵を試験してもらった。

 大耳三蔵は、南陽慧忠に会うと、(すみ)やかに、南陽慧忠を礼拝して右に立った。

 南陽慧忠は、「あなたは他心通を会得していますか? どうですか?」と質問した。

 大耳三蔵は、「あえて言うまでも無く、他心通を会得している」と言った。

 南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と言った。

 大耳三蔵は、「和尚様は一国の師であるのに、西川へ行って、競って渡っている船を見ている」と言った。

 南陽慧忠は、少ししてから、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と再び質問した。

 大耳三蔵は、「和尚様は一国の師であるのに、天津橋の上へ行って、猿の芸を見ている」と言った。

 南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と再び質問した。

 大耳三蔵は、少ししても、知る事ができず、何も見えなかった。

 南陽慧忠は、「この『野狐の精霊』め、あなたの他心通は、どこに存在するのか?」と(しか)った。

 大耳三蔵は、また、答える事ができなかった。



 ある僧が、趙州真際大師に「大耳三蔵は、なぜ、三度目で、南陽慧忠(の心)が、どこに存在するのか見る事ができなかったのか? 一体、南陽慧忠(の心)は、どこに存在するのか?」と質問した。

 趙州真際大師は、「南陽慧忠が大耳三蔵の鼻の(あな)の上にいたので、大耳三蔵は南陽慧忠(の心)を見る事ができなかった」と言った。


 ある僧が、玄沙師備に「南陽慧忠が大耳三蔵の鼻の(あな)の上にいたのに、なぜ大耳三蔵は南陽慧忠(の心)を見る事ができなかったのか?」と質問した。

 玄沙師備は、「近過ぎたからである」と言った。


 ある僧が、仰山慧寂に「なぜ、大耳三蔵は、三度目は、少ししても、南陽慧忠(の心)が、どこに存在するのか見る事ができなかったのか?」と質問した。

 仰山慧寂は、「大耳三蔵は、一度目と二度目は『渉境心』を見た。三度目は南陽慧忠(の心)が『自受用三昧』に入ったので見る事ができなかった」と言った。


 海会寺の白雲守端は、「もし南陽慧忠が大耳三蔵の鼻の(あな)の上にいたならば、どうして見難い事が有るだろうか? いいえ! ただ、大耳三蔵は南陽慧忠(の心)が大耳三蔵の『見る眼』の中にいる事を知らなかったのである」と言った。


 また、玄沙師備は、大耳三蔵を非難して、「大耳三蔵は、一度目と二度目も南陽慧忠(の心)を見る事ができていたのか? いいえ!」と言った。


 雪竇重顕は、「(大耳三蔵は、一度目も南陽慧忠に)(やぶ)れているし、(二度目も南陽慧忠に)(やぶ)れている」と言った。



 大証国師と呼ばれる南陽慧忠が大耳三蔵を試験した話は、古くから、批評し言い表す、臭い拳である人が多いが、特に五人の老いた拳である長老がいる。

 けれども、この五人の高徳の長老は、各々、「諦当甚諦当」、「当たっている事は(はなは)だ当たっている」事は無いわけではないが、南陽慧忠の()()いが「見えていない」、「理解できていない」所が多い。

 なぜなら、古今の諸々の人々は皆、誤って「一度目と二度目は、大耳三蔵は、誤らず、南陽慧忠(の心)が、どこに存在するのか知る事ができた」と思ってしまっている。

 これは、古代の先人の大きな誤りであり、後進の者は知る必要が有る。



 五人の高徳の長老への疑問は二種類、有る。

 (一)南陽慧忠が大耳三蔵を試験した本当の意図を知らない。

 (二)南陽慧忠の身心を知らない。



 (一)南陽慧忠が大耳三蔵を試験した本当の意図を知らない。


 一度目に、南陽慧忠が、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と言った本当の意図は、「大耳三蔵は、仏法を見聞きする見る眼が有るのか?」と試しに質問しているのであるし、

「大耳三蔵は、仏法の他心通が有るのか?」と試しに質問しているのである。


 当時、もし大耳三蔵に仏法が有れば、「今、私(、南陽慧忠の心)が、どこに存在するのか?」と示された時、身を出る道が有ったであろうし、親しむ機会を存在させる事ができたであろう。


 南陽慧忠が「今、私(の心)が、どこに存在するのか?」と言ったのは、「私(の心)とは、どういった物であるのか?」と質問したような物なのである。

 「今、私(の心)が、どこに存在するのか?」と言うのは、「今とは、どういった時であるのか?」と質問しているのである。

 「どこに存在するのか?」と言うのは、「ここが、どこだと思っているのか?」と言い表しているのである。

 「何ものを『私』と呼んで『私』と()すのか?」という道理も有る。

 南陽慧忠は、必ずしも「私」ではない。

 「私」は必ず拳なのである。


 大耳三蔵は、遥か西のインドから来たが、南陽慧忠の本当の意図を知らなかったのは、仏道を学んでいない事による物なのであるし、いたずらに無駄に外道や「二つの乗り物」の段階の道だけを学んでいる事による物なのである。


 二度目に、南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と、くり返し質問した。

 ここでも、大耳三蔵は、更に、いたずらな無駄な言葉を言った。


 三度目に、南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と、くり返し質問した。

 その時、大耳三蔵は、少ししても、呆然として答える事ができなかった。

 この時、南陽慧忠は、「この『野狐の精霊』め、あなたの他心通は、どこに存在するのか?」と大耳三蔵を(しか)った。

 大耳三蔵は、このように(しか)られてもなお、何か言う事ができなかったし、答える事ができなかったし、どこかへ通じる道が無かった。


 それなのに、古代の先人は皆、誤って「大耳三蔵が一度目と二度目は南陽慧忠の存在する場所を知る事ができたが、三度目だけは知る事ができなかったし、見る事ができなかったので、南陽慧忠は大耳三蔵を(しか)った」と思ってしまっている。

 これは、大きな誤りなのである。


 大耳三蔵が最初から仏法を夢にも未だ見ていないので、南陽慧忠は大耳三蔵を(しか)ったのである。

 大耳三蔵が一度目と二度目は南陽慧忠の存在する場所を知る事ができたが、三度目は知る事ができなかったので、南陽慧忠は大耳三蔵を(しか)ったわけではないのである。


 大耳三蔵が「他心通を会得している」と自称しながら他心通を知らないので、南陽慧忠は大耳三蔵を(しか)ったのである。


 まず、南陽慧忠は、「仏法に他心通は有るのか?」という意図で質問して試験しているのである。

 大耳三蔵は、「あえて言うまでも無く、他心通を会得している」と言ったので、「仏法に他心通は有る」と言っているように聞こえる。

 そのため、南陽慧忠は、「たとえ『仏法に他心通は有る』と言えても、『他心通を仏法に存在させれば、何々である』と言えた上で理由を挙げる事ができなければ、仏法ではない」と思った(のであろう)。


 たとえ大耳三蔵が三度目に何かを言ったとしても、一度目と二度目と同様であれば、何も言えていない事に成るので、南陽慧忠は大耳三蔵の三度の言葉を全て(しか)るべきなのである。


 南陽慧忠は、「もしかしたら大耳三蔵は、南陽慧忠の質問を『聞く』、『理解する』事ができ得るかもしれない」と思い、くり返し三度も試しに質問したのである。



 (二)南陽慧忠の身心を知らない。


 南陽慧忠の身心を知っている古代の先人はいない。


 南陽慧忠の身心は、経典の学者が「見る」、「理解する」のは困難であるし、知るのは困難であるし、

十聖三賢が及ぶ事はできないし、

(一生)補処、等覚が明らめる事はできない。


 凡人の経典の学者は、南陽慧忠の渾身を知らない!


 これらの道理を必ず確信するべきである。


 「経典の学者は南陽慧忠の身心を知る事ができる。『見る』、『理解する』事ができる」と言う事は、仏法の悪口を言う事に成るのである。

 「経典の学者は南陽慧忠と肩を並べる事ができる」と認める人は、(心が)転倒した、ひどい狂人なのである。


 「(偽の)他心通を会得している輩は、南陽慧忠(の心)が存在する所を知る事ができる」と学ぶ事なかれ。


 西のインドという土地の風俗として、(偽の)他心通を修得する輩が時々いる。


 (偽の)他心通は、「発菩提心」、「発心」、「悟りを求める事を思い立って心する事」による物ではないし、

大乗による「正しくものを見る眼」による物ではない。


 (偽の)他心通を会得した輩が(偽の)他心通の力によって仏法を証し究めた行跡なんて未だかつて聞いた事が無い。


 (偽の)他心通を修得した後も、更に、(他心通の力が無い)凡人のように、発心し修行すれば、自然に悟って仏道に入る事ができる。


 (偽の)他心通の力だけで仏道を知見する事ができ得るならば、先人の聖者は皆、先に(偽の)他心通を修得してから、(偽の)他心通の力で「仏果」、「悟り」を知ったであろう。

 しかし、千、万の無数の仏祖が「この世」に出現したが、(偽の)他心通の力で悟った人は未だいないのである。


 (偽の)他心通では、仏祖の仏道を知る事ができないのでは、(偽の)他心通を得て、どうするのか? どうしようもない!


 (偽の)他心通は、仏道の役には立たない、と言える。


 (偽の)他心通を得ている人も、他心通を得ていない凡人も、仏道では同等である、と言える。


 (偽の)他心通を得ている人も、他心通を得ていない凡人も、仏に成れる性質を保持し任せられている事は同じなのである。


 仏を学んでいる仲間は、「外道や『二つの乗り物』の段階の者の(偽の)五神通や(偽の)六神通は、凡人よりも優れている」と思う事なかれ。


 道心だけが有り、仏法を学んでいる凡人は、外道や「二つの乗り物」の段階の者の(偽の)五神通や(偽の)六神通よりも優れている。

 卵の殻の中にいる時から美しい声で鳴く迦陵頻伽の声は、他の鳥の声よりも優れているような物なのである。


 まして、西のインドで「他心通」と呼ばれている代物は、「他念通」、「雑念を読む神通力」と呼ぶべきである。


 (偽の)他心通を得ている人は、雑念が起こると少し(つな)がる事はできるが、雑念が未だ無い時は呆然と成ってしまうのである。笑うべきである。


 まして、心は、必ずしも、思いではない。

 思いは、必ずしも、心ではない。

 心が思いに成る時を(偽の)他心通では知る事ができない。

 思いが心に成る時を(偽の)他心通では知る事ができない。


 そのため、西のインド人の「(偽の)五神通」や「(偽の)六神通」は、日本人が雑草を除去して田畑を正しい状態へ修復する事にも及ばない。

 (正しい心が有れば、雑草を除去して田畑を正しい状態へ修復する行いから、雑念を除去して心を正しい心へ修復する事ができる。)

 西のインド人の「(偽の)五神通」や「(偽の)六神通」は、全く無用なのである。

 このため、中国以東では、先人の高徳の僧は皆、「(偽の)五神通」や「(偽の)六神通」を好んで修得しないのは、必要が無いからなのである。

 一尺、三十センチの直径の宝石ですら必要が有るかもしれないが、「(偽の)五神通」や「(偽の)六神通」は不要なのである。

 一尺、三十センチの直径の宝石ですら宝ではない。わずかな時間が「枢要」、「最重要」なのである。

 わずかな時間を重んじる人は誰も「(偽の)五神通」や「(偽の)六神通」を習って修得しない!


 「(偽の)他心通の力は、仏の知の境地に及ぶ事ができない」という道理をよくよく確信するべきである。


 それなのに、五人の高徳の長老は共に、誤って「大耳三蔵は、一度目と二度目は、南陽慧忠(の心)が存在する所を知る事ができた」と思ってしまっているが、最大の誤りなのである。


 南陽慧忠は、仏祖である。

 大耳三蔵は、凡人である。

 大耳三蔵は南陽慧忠の身心を「見る」、「理解する」事ができた、できない、と論じるまでも無い! 大耳三蔵は南陽慧忠の身心を「見る」、「理解する」事ができるはずが無い!


 まず、南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか、言ってください」と言った。

 この質問は、隠された意味は無いし、現された意味が有る。

 大耳三蔵が知る事ができなかったのは(とが)には成らないが、五人の高徳の長老が「見聞きできなかった」、「理解できなかった」のは誤りなのである。

 南陽慧忠は、「今、私(の心)が、どこに存在するのか?」と言った。

 さらに、南陽慧忠は、「(他心通によって、)今、私の心が、どこに存在するのか、言ってください」と言わなかったし、

「(他心通によって、)今、私の思いが、どこに存在するのか?( 言ってください)」と言わなかった。

 最も聞いて知るべき、見て注目するべき言葉なのである。

 それなのに、南陽慧忠の言葉を知る事ができていないし、見聞きできていない。

 このため、「南陽慧忠の身心を知らない」と成るのである。


 言い得る人を「国師」、「国の師」としている。

 言い得ない人は「国師」、「国の師」に成るべきではない。


 南陽慧忠の身心は、「大小」、「優劣」ではないし、自分だけの物ではないし、他者の物ではない事は知る事ができない。

 南陽慧忠は、「頂上」が有る事や、「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」が有る事を忘れている者のような者なのである。

 南陽慧忠は、たとえ修行で(ひま)が無くても、仏に成る事を意図しない!

 このため、仏をひねって(南陽慧忠を)待ち(かま)えるべきではない。


 南陽慧忠は既に仏法の身心である。

 (偽の)神通についての修行と証で南陽慧忠の身心を測るべきではない。

 思慮を(ぜっ)して(えん)を忘れる事を挙げて南陽慧忠の身心について考えるべきではない。

 南陽慧忠の身心は、推測して、または、考えないで、当てる事ができる物ではない。

 南陽慧忠の身心は、(仏であるので)仏に成れる性質が有るわけではないし、仏の性質が無いわけではないし、仏の「虚空身」ではない。

 これらのような、南陽慧忠の身心は、全く知る事ができない物なのである。

 曹谿山の、三十三祖の大鑑禅師の会では、三十四祖の青原の行思、三十四祖の南嶽の懐譲、南陽慧忠だけが仏祖なのである。



 五人の高徳の長老を見破ろう。


 趙州真際大師は、「南陽慧忠が大耳三蔵の鼻の(あな)の上にいたので、大耳三蔵は南陽慧忠(の心)を見る事ができなかった」と言った。

 この言葉は根拠が無い。

 南陽慧忠は、大耳三蔵の「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」にいない!

 大耳三蔵は未だ「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」が無いからである。

 もし大耳三蔵に「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」が有れば、南陽慧忠を見る事ができたであろうし、逆に南陽慧忠も大耳三蔵を見る事ができたであろう。

 ただし、たとえ南陽慧忠が大耳三蔵を見たとしても、「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」が「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」と相対(あいたい)しただけであり、さらに大耳三蔵が南陽慧忠を見る事はできなかったであろう。


 玄沙師備は、「近過ぎたからである」と言った。

 実に、たとえ「とても近く」ても、近くには未だ当たっていないのである。

 「近過ぎた」、「とても近い」とは、どういった事であるのか?

 思うに、玄沙師備は未だ「近過ぎた」、「とても近い」という事を知らないし、参入していない。

 なぜなら、「近過ぎて見えない事が有る」としか知らず、「見える事は、とても近い事である」と知らない。

 玄沙師備の言葉は、仏法では遠過ぎるのである、と言える。

 もし三度目だけが「近過ぎた」と言うのであれば、一度目と二度目は「遠過ぎたが存在している」事に成ってしまうであろう。

 次のように、(しばら)く玄沙師備に質問する。

「あなたは、何を『近過ぎた』と言っているのか? 何を『近過ぎた』としているのか? 『拳』を『近過ぎた』と言っているのか? 『眼睛』、『見る眼』を『近過ぎた』と言っているのか?」

 今後、「近過ぎて見えない」と言う事なかれ。


 仰山慧寂は、「大耳三蔵は、一度目と二度目は『渉境心』を見た。三度目は南陽慧忠(の心)が『自受用三昧』に入ったので見る事ができなかった」と言った。

 仰山慧寂よ、あなたは、東の地の中国にいながら「小釈迦」という名誉な称号を西のインドにまで及ぼしているが、この言葉は大きな誤りである。

 「渉境心」と「自受用三昧」は、異なるわけではない。

 このため、「『渉境心』と『自受用三昧』は異なるので、見る事ができなかった」と言う事はできないのである。

 そのため、「『渉境心』と『自受用三昧』は異なる」という理論を立てていても、仰山慧寂の言葉は未だ(正しく)言い得ていないのである。

 「『自受用三昧』に入れば、他人は私を見る事ができない」と言ってしまえば、「自受用三昧」は更なる「自受用三昧」を証する事ができなく成ってしまうであろうし、修行と証が存在できなく成ってしまうであろう。

 仰山慧寂よ、あなたは、誤って「大耳三蔵は、一度目と二度目は『渉境心』を見た。知った」と思ってしまったり、学んでしまったりしたのであれば、未だ仏を学んだ人ではない。

 大耳三蔵は、三度目だけではなく、一度目も二度目も、南陽慧忠(の心)が存在する所を知る事ができなかったし、見る事ができなかった。

 仰山慧寂の言葉からすると、大耳三蔵は南陽慧忠(の心)が存在する所を知る事ができなかっただけではなく、仰山慧寂も未だ南陽慧忠(の心)が存在する所を知る事ができなかった、と言える。

 (しばら)く、仰山慧寂に「今、南陽慧忠(の心)が、どこに存在するのか?」と質問する。

 この時、もし仰山慧寂が(くち)を開こうとしたら、一喝するべきである。


 玄沙師備は、大耳三蔵を非難して、「大耳三蔵は、一度目と二度目も南陽慧忠(の心)を見る事ができていたのか? いいえ!」と言った。

 「大耳三蔵は、一度目と二度目も南陽慧忠(の心)を見る事ができていたのか? いいえ!」という一言は、言うべき事を言っているように聞こえる。

 玄沙師備は、自ら、自己の言葉を学ぶべきである。

 この一言は、良いことは良い。

 けれども、「見る事はできたが、見る事ができなかったような物なのである」と言っているようである。

 そのため、正しくない。


 玄沙師備の言葉を聞いて、雪竇重顕は、「(大耳三蔵は、一度目も南陽慧忠に)(やぶ)れているし、(二度目も南陽慧忠に)(やぶ)れている」と言った。

 玄沙師備の言葉の意味を「一度目と二度目も見る事ができなかった」とする時は、こう言えるが、玄沙師備の言葉の意味を「一度目と二度目も見る事はできたが、見る事ができなかったような物なのである」とする時は、こう言うべきではない。


 海会寺の白雲守端は、「もし南陽慧忠が大耳三蔵の鼻の(あな)の上にいたならば、どうして見難い事が有るだろうか? いいえ! ただ、大耳三蔵は南陽慧忠(の心)が大耳三蔵の『見る眼』の中にいる事を知らなかったのである」と言った。

 この言葉もまた、「三度目だけ見る事ができなかった」と論じているのみなのである。

 一度目と二度目も見る事ができていない事を(しか)るべきなのに(しか)っていない。

 南陽慧忠は、大耳三蔵の「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」の上や「見る眼」の中にいない!

 もし、このように言ってしまうのであれば、南陽慧忠の言葉を未だ「聞く」、「理解する」事ができていない、と言える。

 大耳三蔵には未だ「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」や「見る眼」は無い。

 たとえ大耳三蔵が自分なりの「嗅ぎ分ける鼻の(あな)」や「見る眼」を保持し任せられていても、もし南陽慧忠が来て大耳三蔵の「嗅ぎ分ける鼻の(あな)」や「見る眼」の中に入ったならば、その時、大耳三蔵の「嗅ぎ分ける鼻の(あな)」と「見る眼」は共に破裂する。

 破裂したら、南陽慧忠は入っている事ができない。



 五人の高徳の長老は共に、南陽慧忠を知る事ができなかったのである。



 南陽慧忠は、一代の、古代の仏と等しい人なのであるし、一世界の如来なのである。

 南陽慧忠は、釈迦牟尼仏の「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を明らめて、正しく伝えている。

 南陽慧忠は、(他人によって換えられた)「木槵子」の「見る眼」を確かに保持し任せられている。

 南陽慧忠は、自分という仏へ正しく伝えているし、他の仏へ正しく伝えている。

 南陽慧忠は、釈迦牟尼仏と同じく参入して来ているが、過去七仏と同時に参入して究めている、と同時に、過去、現在、未来の諸仏と同じく参入して来ている。

 南陽慧忠は、空王仏の前に仏道を成就しているし、空王仏の後に仏道を成就しているし、空王仏と同時に同じく参入して仏道を成就している。


 南陽慧忠は、(もと)から「娑婆(しゃば)」、「苦しみを耐え忍ぶ場所」である「この世」を国土としているが、「この世」は必ずしも法界の中には無いし、尽十方界の中には無い。

 釈迦牟尼仏が「この世」の「国王」、「主」である事は、南陽慧忠の国土を奪わないし、(さえぎ)らない。

 例えば、前後の諸々の仏祖は各々、仏道の多数の成就が有るが、奪わないし、(さえぎ)らないような物なのである。

 なぜなら、前後の諸々の仏祖の仏道の成就は共に、仏道の成就によって(さえぎ)られないからである。



 大耳三蔵が南陽慧忠を知る事ができなかった事を証拠として、声聞や独覚の段階の人、「小乗」、「矮小な乗り物」、「劣悪な段階」の輩は仏祖の境地を知る事ができない、という道理を明らかに確信するべきである。



 南陽慧忠が大耳三蔵を(しか)った主旨を明らめて学ぶべきである。



 たとえ南陽慧忠が「国師」、「国の師」であっても、大耳三蔵が一度目と二度目は存在する所を知る事ができたのであれば、大耳三蔵が三度目は知る事ができなかった事を南陽慧忠が(しか)る根拠は無い。

 三分の二を知る事ができたのであれば、全部を知る事ができるのである。

 このようであれば、(しか)るべきではない。たとえ(しか)ったとしても、全部を知る事ができなかったわけではなく成ってしまう。大耳三蔵も、そう思うであろうし、南陽慧忠は恥ずかしい人に成ってしまうであろう。

 大耳三蔵が三度目は知る事ができなかった事を南陽慧忠が(しか)ったら、誰も南陽慧忠を信頼しなく成ってしまうであろう! それに、大耳三蔵は、一度目と二度目は知る事ができた力によって、南陽慧忠を(しか)る事ができてしまうであろう。



 南陽慧忠が大耳三蔵を(しか)った主旨とは、大耳三蔵が三度も、最初から、全く、南陽慧忠が存在する所、南陽慧忠の思い、南陽慧忠の身心を知る事ができなかったので、南陽慧忠は(しか)ったのである。

 かつて大耳三蔵が仏法を見聞きして習って学んでいなかった事を、南陽慧忠は(しか)ったのである。

 この主旨のため、一度目から三度目まで、同じ言葉で質問しているのである。


 一度目に、大耳三蔵は、「和尚様は一国の師であるのに、西川へ行って、競って渡っている船を見ている」と言った。

 このように大耳三蔵が言ったが、南陽慧忠は、何も言わず、「実に私の存在する所を知る事ができた」と認めず、ただ、くり返して、二度目、三度目と、しきりに質問しただけだったのである。



 この道理を知らないし、明らめていないのに、南陽慧忠の時代から数百年間、諸方の長老は(みだ)りに批評して道理を説いているのである。

 前述の長老の言葉は全て、南陽慧忠の本当の意図ではないし、仏法の主旨に(かな)わない。

 諸々の、(きり)の先が使い古されて丸く成る様に円熟した長老が、誤った事を憐れむべきである。



 もし仏法の中に他心通が有ると言うならば、他身通も有るし、他拳通も有るし、「他眼睛通」、「他『見る眼』通」も有る。

 このようであれば、自心通も有るし、自身通も有る。

 そのようであれば、自己の心を自己でひねる事が自心通に成る。

 このような言葉が形成されて現されれば、自心通とは、自然に、心自体への他心通に成る。


 次のように、(しばら)く質問しよう。

「他心通をひねるのは、正しいのか? 自心通をひねるのは、正しいのか? (すみ)やかに言いなさい。(すみ)やかに言いなさい」


 正しいかどうかは(しばら)く置いておく。



 「あなたは私の髄を会得した」とは他心通なのである。



 正法眼蔵 他心通


 その時、千二百四十五年、越宇の大仏寺にいて僧達に示した。

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