番外編:あらしのよる
昼下がりから風が強くなり、夜になった頃には窓がかたかたと揺れるほどだった。
与えられた客室は広く、がらんとしている。風の音が怖いなんて言うほど子どもでもないが、マコトはどうにも寝付けずにベッドの上を転がった。助け出されたときの怪我はだいぶよくなって、痛みもほとんどなくなっている。
うるさいな、と思う。
けれど、家の中はもっとうるさかった。二つ下の妹はマコトにべったりで、姉はにっこりと微笑みながら容赦なく。こんな風にひとりで静かに過ごすことなんてなかった。
「……もう帰れないのかな」
何がどうしてこうなったのか、マコトにはわからない。帰る方法なんて見当もつかない。漫画みたいにマコトが勇者で魔王を倒して……なんて展開なら分かりやすかった。魔王なんて倒せるとは思えないけど。
たぶん、マコトは幸運だった。
ルティアナに出会い、助けられ、居場所を与えられ。そうでなければきっと、マコトはあのろくでもない連中によって、胸糞悪い奴に売り飛ばされていたのだろう。
がたがたと窓枠が音を立てる。
「きゃあ!?」
ひときわ強い風の音のあとで、小さな悲鳴が聞こえた。
「……きゃあ?」
まさか、と思いながらマコトが起き上がると、毛布をかぶったルティアナがいた。
「……何してるの」
呆れたようにマコトが問うと、ルティアナはベッドのそばまで駆け寄った。
「マ、マコトが風が強くて怖がってるんじゃないかって思ったからきてあげたのよ!」
いやどう考えても風の音に怯えているのはルティアナだろう、とマコトは心の中でつっこんだ。
「こういうときはふたりでいたほうが怖くないでしょう?」
「俺はぜんぜん怖くないんだけど……ちょっと、なんでベッドに入ってきてるの」
ルティアナはマコトの許可を得ることもなくもごもごと布団のなかに入り込んでくる。
「いっしょに寝るからよ?」
何がおかしいの? とでも言いたげにルティアナは首を傾げた。
「いやダメでしょ。君、お嬢様なんでしょ。怒られるよ」
こちらの世界の常識はまだ知らないが、おそらく非常識であることは察することができる。
「ならあとでマコトもいっしょに怒られてちょうだい」
どうやらマコトの言うことは聞くつもりがないらしい。ルティアナはマコトの隣にもぐりこんで満足げである。
妹もこんな夜にひとりだったら、心細くて泣いていただろう。気は強いが案外泣き虫なのだ。
そう、ルティアナも、まだ小さな女の子なのだ。
大人を言い負かすくらいに頭の回転が早くて口が達者でも、あんなろくでもない連中相手にさっぱり物怖じしなくても、風の音ひとつに怯える女の子なのだ。
「ねぇマコト、なにか話して?」
「……風の音が気になってしかたないんでしょ」
「そ、そんなことないわ!ただ眠くないから……」
そういえば妹にも絵本を読んでやったなぁ、と思い出す。
「どんな話?」
「マコトのことがいいわ」
「俺の……? おもしろくなくない?」
「いいの」
うーん、と悩みながらとりあえず思いついたことを話した。日本という国のこと、小学校のこと、家族のこと、この世界とは違ういろんなことをぽつぽつと話した。
すると音も気にならなくなり、マコトといっしょにいて安心したのか、すーすーと寝息をたててルティアナは眠りについた。
ルティアナは、特別なんかじゃないのだ。ごく普通の女の子なのだと改めてマコトは思い知る。
助け出されたあのとき、薄れゆく意識のなかで、マコトをしっかり抱きしめて守ろうとした腕は、こんなにも小さい。
「……ルティ」
そっと、壊れ物に触れるようにルティアナの髪を撫でる。青みがかった黒い髪はふわふわとして心地よい。
「ルティアナ」
名前を呼んでも目覚める気配はなかった。ルティアナはたいそうなお嬢様であるのに、マコトがなんと呼ぼうと気にする様子がない。本来ならば気安く愛称で呼ぶことも呼び捨てにすることも許されないのだろうが、マコトにはそれがまだよく理解できなかった。
主と従者。決して対等ではないはずの関係が、まるで対等であるかのように、ルティアナは振る舞うから。
がたがたと強い風が窓を鳴らすと、ルティアナは「うーん」と唸って布団の中に潜っていく。そんな様子に苦笑して、マコトはなだめるようにルティアナの背をぽんぽん、とやさしくあやした。幼い頃、母親にしてもらったみたいに。
マコトには何もない。
けれど、願わくば。
「君のために、何かできたらいいのに」