↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/10

6.銅貨一枚の賭け

お屋敷の門をくぐったとき、アデルは玄関の石段に座っていた。 膝を抱えて門のほうをにらんでいた。


荷馬車が止まる。 アデルが顔を上げた。


荷台のリーネを見てまばたきを二回した。


「……忘れ物?」


「ううん」


リーネは荷台から飛び降りた。 なんて言えばいいのか、門をくぐるまでずっと考えていた。考えたのに、出てきたのは一言だけだった。


「入学、だって」


アデルは動かなかった。 それから石段を駆け下りてきた。室内履きのままだ。片方が脱げても止まらなかった。


両肩をつかまれる。


「本当に? あのお祖父さまが?」


「うん。春まで、ここにいていいって」


アデルの口がへの字に曲がった。 目のふちにみるみる水がたまっていく。


「なによ、それ。だったら最初から……ゆうべ三回も……」


最後まで言えなかった。 アデルはリーネの肩に額を押しつけた。しゃくりあげていた。


リーネはあわてて背中をさすった。


アデルの肩ごしに玄関の前が見えた。 いつの間にかグレゴールが立っていて、脱げた室内履きを拾い上げていた。


馬を下りたバルトロがその横に並んだ。 肘でグレゴールの脇を小突く。


「俺の勝ちだな?」


グレゴールは室内履きの砂を静かに払った。


「……お嬢様は、泣いておられませんな。では、わたくしの勝ちということで」


「おい」


バルトロは天を仰いだ。それから腰の小袋から銅貨を一枚はじいた。 グレゴールは室内履きを持ったまま、片手でそれを受け止めた。


リーネはぽかんと口を開けた。 賭けてもいいって、あたしに言ったのに。 いつの間に、グレゴールと賭けてたんだろう。


アデルがぱっと顔を上げた。


「泣いてないから!」


頬はびしょびしょだった。


次の朝。学園の門の前で、リーネは馬車を降りた。 アデルはいなかった。今日は礼儀作法の先生が来る日で、グレゴールに捕まったのだ。


門の内側に黒い上着の男の人が立っていた。


見上げるほど背が高い。 目の下には、やっぱりくまがあった。


試しの日に笑わなかった試験官だ。 城門まで馬で追いかけてきた人でもある。


付き添いのバルトロが片手を上げた。


「よう、馬の兄ちゃん」


「フォンテーヌだ」


男の人は表情を変えずに言った。


「詠唱を教えている。春からは、お前たちの学年の担当になる」


「フォンテーヌ、先生」


リーネが言い直すと、フォンテーヌ先生はうなずいた。 それからバルトロを見た。


「あの日は、急いでいた」


「見りゃわかる。襟が曲がってたぞ」


フォンテーヌ先生は返事をしなかった。黙って自分の襟を指でなぞった。 今日はまっすぐだった。


書庫は学園のいちばん奥の建物にあった。


扉を開けた瞬間、リーネは息をのんだ。


本だった。 壁という壁が本で、その壁が天井まで続いていた。梯子が何本も立てかけてある。棚の端ごとに、色の違う紐が一本ずつ下がっていた。古い紙と乾いた革の匂いがした。


村には本が三冊しかなかった。 三冊とも、粉屋の親父さんの家にあった。


「決まりを言う」


フォンテーヌ先生が指を一本立てた。


「本は持ち出さない」


二本目。


「わたしの目の届く席に座る。学園長の言いつけだ。わかったか」


「はい」


「では、何を探す」


「霊薬です」


フォンテーヌ先生のまぶたがほんの少しだけ動いた。


「……霊薬」


「どんな病気も治って、なくした手足も戻るっていう薬です。お婆ちゃんの指を治したくて」


フォンテーヌ先生はしばらく黙っていた。 それから壁の一角を指さした。


「薬草の棚は、あそこだ」


フォンテーヌ先生は指をおろして、手もとの本の角をそろえた。 笑いもしなかったし、聞き返しもしなかった。


リーネは薬草の棚の前に座りこんだ。


一行ずつ指でなぞって読む。 傷に貼る葉。熱を下げる根。 霊薬は、どこにもなかった。


窓の光が机の上を少しずつ動いていった。


昼を過ぎて書庫が薄暗くなった。 フォンテーヌ先生が席を立って、壁のランプの前に行った。


上着の内側から真鍮の小箱を出す。 燐寸(マッチ)を一本つまんで箱の横で擦った。


しゅっ、と小さな火がついた。


リーネはまばたきをした。 魔法師なのに、燐寸を使うんだ。村のみんなと同じやり方で。


フォンテーヌ先生はランプに火を移すと、燐寸を振って消した。 それから何も言わずに席に戻った。


棚のいちばん端に薄い本が一冊はさまっていた。 表紙に羊を連れた女の子の絵がある。


『霊薬をさがした羊飼いのむすめ』


リーネは息を止めて開いた。 光る泉の水をひとしずく垂らすと、父親のなくした腕が元に戻る。おしまい。


絵本だった。


リーネはしばらくそのページから目を離せなかった。 泉の場所は、どこにも描いてなかった。


「それは子ども向けの昔話だ」


すぐ後ろで声がした。 フォンテーヌ先生がいつの間にか立っていた。


「この書庫に、霊薬の作り方を書いた本はない。あれば、とうに誰かが作っている」


リーネは絵本を閉じた。 表紙の女の子は羊の首に手を回して笑っていた。


「まだ、ぜんぶ読んでないです」


フォンテーヌ先生は書庫を見回した。 壁という壁の本を、端から端まで。


「……ぜんぶ、か」


「はい」


フォンテーヌ先生は何も言わなかった。 ただ上着の内側から小さなものを取り出した。鎖のついた、小指ほどの砂時計だった。


「ひとつ、頼みがある」


「頼み?」


「試しの日の祈りを、ここで唱えてみてくれ。糸は結ばなくていい。声だけでいい」


フォンテーヌ先生は砂時計を逆さにした。 細い砂がさらさらと落ちはじめる。


リーネは手を合わせて目を閉じた。 お婆ちゃんに習った文句を最初から順にたどっていく。


唱え終わって目を開けた。


砂は、とっくに落ちきっていた。


フォンテーヌ先生の唇が小さく動いていた。 数を数えていたらしい。


「十五秒」


リーネはまばたきをした。 祈りを数で言われたのは、はじめてだった。


「……みんな、長いって言います」


「魔物の前では、一秒で人が死ぬ。詠唱はこの砂が落ちきる前に終えるものだ」


フォンテーヌ先生は砂時計をもう一度逆さにした。


リーネは思わず心の中で数えた。 いち。に。さん。し。ご。


砂は、それで落ちきった。


「責めてはいない。測っただけだ」


フォンテーヌ先生は砂時計を鎖ごと握りこんだ。 指先に黒い煤がついていた。


リーネは中庭に散らばっていた何十本もの燃えさしを思い出した。 あの晩ひと晩じゅう燐寸を擦っていたのは、この先生だったんだ。


「わたしにも、ひとつわからないことがある」


「先生にも?」


「学園長の風では、あの糸は切れなかった。なのに、学園長の火は通らなかった。風は通して、火は通さない」


灰色の目がリーネの手首を見た。


リーネは手首の糸に触れた。


あの風を覚えている。 髪がぐしゃぐしゃになって、目も開けていられなかった。杭は傾いたのに、結び目だけはそのままだった。 火のほうは、灯芯に届く前にじゅっと消えた。


「お婆ちゃんが言ってました。杭に結べば、災いは入ってこないって」


「では、あの風は災いではなかったのか」


リーネは口を開けた。 それから思いついたことをそのまま言った。


「……風は、杭を倒そうとしてなかったから?」


「風に、そのつもりがあるのか」


リーネは黙った。


「……わかりません」


「そうか」


フォンテーヌ先生はうなずいた。 がっかりした顔ではなかった。


「わたしもだ」


フォンテーヌ先生は砂時計を上着にしまった。 それから薬草の棚の前に立って迷わずに一冊抜いた。リーネの机に置く。


「冬の手当ての本だ。指のことが、少し書いてある」


先生はもう自分の席に向かっていた。


リーネは表紙を見て、先生の背中を見た。 お婆ちゃんの指の話をしたのは、来たときの一回きりだった。


その本の真ん中あたりに、黄色い花の絵が載っていた。


冬に指のこわばる者には、こがね草の軟膏をすりこむべし。


リーネは絵を指でなぞった。 花びらが五枚。茎に細い毛。


知っている花だった。 村の川べりに、夏になると咲く。村ではただ「黄色いの」と呼んで、花だけ摘んで風邪のお茶にしていた。 でも本によると、効くのは花じゃなくて葉のほうらしい。


お婆ちゃんの軟膏は、切り傷に塗るものばかりだった。 指にすりこむなんて、お婆ちゃんも知らなかったんだ。


帝都の本には、村の知らないことが書いてある。


リーネは本を胸に抱えそうになって、あわてて机に戻した。 本は持ち出さない。決まりだ。


代わりに、作り方を何度も読んで覚えた。


その晩、リーネはアデルの部屋で手紙を書いた。


アデルがくれた紙は真っ白で、手でなでるとつるつるした。 隅にサン=クレール家の紋が小さく押してある。


お婆ちゃんは字を読むのがゆっくりだ。 だから、大きく書く。


おばあちゃんへ。 がくえんに、はいれることになりました。 はるまで、かえれません。 でも、しょこにはいれます。 ゆびは、いたくないですか。


そこで、ペンが止まった。 いたくないわけがない。


「こがね草なら、知ってるわ」


寝台の上から、アデルが手紙をのぞきこんでいた。


「お屋敷に来る薬屋が持ってくるの。練った軟膏が小さい壺ひとつで、銀貨一枚」


「銀貨……」


リーネは村から持ってきた着替えを見た。


帝都に着いた晩、その襟の裏に固いものが縫いこんであるのに気づいた。ほどくと、銅貨が四枚出てきた。 こわばった指でお婆ちゃんがいつ縫ったのか。リーネは知らない。


四枚。銀貨には、ぜんぜん足りない。


「それくらい、わたしが買ってあげる」


リーネは首を横に振った。


「ううん。葉っぱだけなら、あたしにも練れる。脂と、鍋があれば」


お婆ちゃんの銅貨で、自分の手で作りたかった。


アデルが目を丸くした。


「本当?」


「お婆ちゃんの軟膏、いつも一緒に作ってたもん」


リーネは椅子ごとアデルのほうを向いた。


「ねえ、干した葉っぱって、どこで売ってる? 安いところ」


アデルは膝を抱えて少し考えた。 それから声をひそめた。


「下町の市なら、量り売りしてるって。厨房の子が言ってたの。運河のこっち側の、いちばん外れ」


「下町?」


「グレゴールが絶対に連れていってくれない場所よ」


アデルの目が光っていた。


「だから、こっそり行くの。明日」


「こっそりって……」


アデルは寝台の上で背筋を伸ばしてもっともらしく咳払いをした。


「春になったら、わたしたちは帝都を守る側になるのよ。守る街を表通りしか知らないなんて、嫌だわ」


リーネはアデルの顔をじっと見た。


「……行ってみたいだけでしょ」


「半分はね」


「わたしは厨房の子の帽子を借りる。それでサン=クレールの娘だなんて誰も思わないわ。裏口は朝のうちは誰もいないの」


リーネは一瞬グレゴールの咳払いを思い出した。 入学が決まったばかりなのに、怒られたらどうしよう。


でも、手紙を見下ろした。 軟膏が作れたら、この手紙と一緒に送れる。


「……行く」


「決まりね」


アデルは小さく拳を握った。


部屋に戻る前にリーネは厨房へ下りた。 脂を少しわけてもらえないか、聞いてみようと思ったのだ。


厨房の火はもう落ちていた。 引き返そうとして裏庭を見ると、厩の前にランプがひとつ灯っていた。 バルトロがしゃがんで馬の蹄をのぞきこんでいる。


足もとに大きな革の鞄が置いてあった。 口が開いていて、丸めた毛布が詰めてある。


「バルトロ」


「なんだ。こんな時間に」


リーネは鞄を見た。


「どこか行くの?」


「さあな」


バルトロは蹄から目を上げなかった。


リーネは手首の糸に触れた。 峠の向こうの村の話を聞いた日も、バルトロはこんな声だった。


「……春までに、帰ってくる?」


バルトロは答えずに、鞄の口を締めた。 それから立ち上がって、ランプを持ち上げた。


「早く寝ろ」


厩の戸に手をかけて、バルトロは振り返らずに言った。


「それと、裏口の閂な。朝は霜で固えぞ」


ランプが消えた。


リーネの顔が暗がりでかっと熱くなった。 ばれてる。


でも、やめろとは言われなかった。


リーネは胸を押さえて、階段を駆け上がった。

【6話あとがき】

その夜、厩の戸を叩く音がした。


バルトロが顔を上げると、ランプを提げたグレゴールが立っていた。 寝間着の上にきちんと上着を羽織っている。


「なんだ。銅貨を返しに来たか」


「いいえ」


グレゴールは鞄の口から覗く毛布に目をやった。 それから何も言わずに目を戻した。


「明朝、裏口の閂が開きます」


「知ってる。霜で固えぞって言っといた」


「止めなかったのですな」


「止めて止まるお嬢様かよ」


グレゴールは小さく咳払いをした。


「試しの前の晩、厨房で申し上げたことを覚えておいでですか」


「お嬢様が泣くか泣かないか、だろ」


「あなたは泣くほうに一枚。わたくしは泣かないほうに一枚」


「で、泣いた」


「泣いておられませんな」


バルトロは鼻を鳴らした。


グレゴールは上着の隠しから銅貨を一枚出した。 昼間、バルトロがはじいた一枚だった。


それを鞄の上にそっと置いた。


「手間賃です」


「……なんのだ」


「明朝の」


バルトロは銅貨を見下ろした。 しばらくして指でつまみ上げた。


「旅支度で忙しいんだがな」


「存じております」


グレゴールはランプを持ち直した。


「下町は、お嬢様がご存じの帝都ではございませんから」


「知ってるよ」


バルトロは銅貨を腰の小袋に落とした。


「誰よりな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。