第68話◆ 見えない狩人
翌朝、ダンとエルナは再び《黒鉄の迷宮》を訪れた。
前日は宿で食事を取り、武器と防具の手入れを済ませたあと、ほとんど外へ出ずに身体を休めている。眠る必要はなくても、長時間の戦闘で溜まった疲労が消えるまでには時間が必要だった。
身体の重さが抜けたことを確認してから、2人は1階を進んだ。
先頭を歩くエルナが《罠察知》で床や壁を調べ、ダンが《超嗅覚》《音響探査》《振動察知》で周囲の気配を探る。前回より役割に慣れたことで、罠を避けながら進む速度も上がっていた。
しばらく進んだところで、《超嗅覚》がアイアンラットの匂いを捉えた。
同時に、《音響探査》へ複数の爪音が届く。
ダンの足が止まった。
「ダン様」
「……分かっています」
「まだ何も言っていません」
エルナが僅かに笑う。
前回の狩りを終えた時点で、《振動察知》と《集団攻撃》はLv8・255/256。どちらも次のレベルまで、あと1だった。
「1体だけ吸血してもいいですか?」
「本当に1体だけですね?」
「はい。その後は2階へ進みます」
エルナは少しだけ考えたあと、頷いた。
「では、1体だけです」
「ありがとうございます」
曲がり角の先には、6体のアイアンラットがいた。
以前なら群れごと狩っていたところだが、今日は目的が違う。ダンとエルナは先頭の1体だけを群れから引き離し、エルナが神経毒を塗った剣で前脚へ浅い傷をつけた。
数秒後、アイアンラットの身体が崩れる。
残る5体はダンが《威圧》で牽制し、その隙に倒れた1体へ触手を伸ばして吸血した。
力が身体へ流れ込んだ直後、2つの通知が現れる。
【《振動察知》を重複強奪しました】
【《振動察知Lv9》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:1/512】
【《集団攻撃》を重複強奪しました】
【《集団攻撃Lv9》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:1/512】
《瞬発力強化》も、Lv9・257/512まで進んでいる。
「上がりました」
「満足されましたか?」
「はい」
「では、2階へ行きます」
「もちろんです」
エルナがとどめを刺し、残された魔石や鉄牙、灰色の毛皮を回収する。
残るアイアンラットたちを追うことなく、2人は2階へ続く階段へ向かった。
◇
2階の通路は、1階よりも狭かった。
左右の壁には黒い岩が不規則に露出し、天井も場所によって高さが違う。埋め込まれた魔石灯の間隔が広いため、通路の半分以上が暗闇に沈んでいた。
「足元だけでなく、岩の隙間にも注意した方がよさそうですね」
ダンはそう言いながら、《夜目》で周囲を見回した。
暗闇でも通路を見ることはできる。しかし、黒い岩と影の境目は分かりにくく、その中へ何かが潜んでいても、目だけで発見するのは難しそうだった。
「前方の床に罠があります」
エルナが足を止め、通路の中央を指差した。
「細い糸が張られています。触れると、左右の岩から刃が出るようです」
ダンが目を凝らすと、膝より少し低い位置に細い糸があった。魔石灯の光が届きにくい場所へ張られており、注意して見なければ気づけない。
「跳び越えられそうですか?」
「はい。ただし、その先にも何かあります」
エルナは罠へ近づかないように身体を傾け、その先の床を調べた。
「糸を越えた直後の床が沈む仕掛けです。着地すると、今度は天井から槍が落ちてきます」
「罠を避けようとした人が、次の罠へかかるようになっているんですね」
「おそらく、そうだと思います」
1つ目だけを見つけて安心していれば、そのまま次の罠へ飛び込んでいた。
中級ダンジョンでは、罠が単独で仕掛けられているとは限らないらしい。
2人は壁際に残された僅かな隙間を通り、連続した罠を避けた。
さらに進んだところで、ダンの足裏へ微かな振動が伝わってきた。
「何かいます」
ダンが立ち止まる。
「前ですか?」
「いえ……前だけではありません」
床から伝わる振動は小さく、アイアンラットの足音とは違っていた。何かが細長い身体を引きずり、岩の上をゆっくり動いている。
1つは前方の壁。
もう1つは左側の岩陰。
さらに、頭上にも同じ振動がある。
「3体です。壁と天井にいます」
エルナが剣を抜き、ダンも短剣へ手をかけた。
《夜目》で見ても、すぐには姿を捉えられない。黒い岩に見えていた場所を注意深く観察すると、僅かに曲線を描く影があった。
それは、岩へ身体を巻きつけた巨大な蛇だった。
全長は3メートルを超えている。全身を覆う黒い鱗は周囲の岩と同じ色をしており、動きを止めている間は完全に景色へ溶け込んでいた。
ダンは1体へ意識を集中させ、《鑑定》を使った。
【シャドウスネーク】
【Lv30】
【状態:潜伏】
【スキル:《熱感知Lv3》《気配遮断Lv3》《柔軟強化Lv2》】
【耐性:神経毒耐性・小/闇属性耐性・小】
【弱点:冷気属性/頭部】
「シャドウスネーク、Lv30です。《熱感知》《気配遮断》《柔軟強化》を持っています。神経毒への耐性が少しあります」
「こちらの体温で、位置を知られている可能性がありますね」
「はい。気づいていないふりをして、近づくのを待っているのかもしれません」
ダンたちが見つけたあとも、シャドウスネークは動かなかった。
だが、細く縦に割れた瞳は、こちらへ向けられている。自分の姿が見破られていないと考え、獲物が間合いへ入るのを待っているようだった。
「こちらから仕掛けましょう」
「私が左を引き受けます」
「では、僕は前と上を」
ダンは腕へ小さな傷をつけ、血から2本の触手を伸ばした。
同時に、前方の壁へ張りついていたシャドウスネークが動いた。
長い身体を岩から離し、勢いよくダンへ飛びかかってくる。口を大きく開き、頭部だけでなく身体ごと巻きつこうとしていた。
ダンはその場で跳び上がり、空中でもう1度足を踏み込んだ。
《空歩》によって軌道を変え、シャドウスネークの頭上を越える。そのまま短剣を振り下ろし、首の後ろへ傷をつけた。
普通の魔物なら深く刃が入るはずだったが、シャドウスネークは身体を大きく捻り、斬撃の力を逃がした。
「これが《柔軟強化》……!」
傷は浅い。
着地したダンの背後から、天井に潜んでいた2体目が落ちてくる。
しかし、その動きは《振動察知》で捉えていた。岩を離れた瞬間に天井から伝わる振動が消え、代わりに風を切る音が《音響探査》へ届いている。
ダンは振り返らず、触手を頭上へ伸ばした。
落下してきたシャドウスネークの胴体へ触手が巻きつき、床へ着く直前で動きを止める。もう1本の触手を鱗の隙間へ突き刺し、《神経毒》を流し込んだ。
相手には神経毒への耐性がある。すぐには麻痺せず、長い身体が激しく暴れた。
それでも、進化した《神経毒》を完全に防げるわけではない。
触手で締め上げながら毒を流し続けると、次第に動きが鈍くなり、やがて力を失って床へ落ちた。
左側では、エルナが3体目と戦っている。
シャドウスネークが足元を狙って飛びかかると、エルナは剣を斜めへ構えて牙を受け流した。長い身体が横を通り過ぎる瞬間に、神経毒を塗った刃で鱗の隙間を浅く斬る。
1度では止まらない。
エルナは巻きつこうとする身体を避けながら、同じ傷をもう1度斬った。神経毒が重ねて入ると、シャドウスネークの動きが目に見えて鈍くなった。
「ダン様!」
エルナの声に合わせ、ダンは触手を伸ばす。
2本の触手がシャドウスネークの胴体を押さえ込み、エルナが頭部のすぐ後ろへ剣を突き立てた。殺さない程度に筋肉を傷つけ、動きを封じる。
最初にダンが斬った個体も再び襲ってきたが、《瞬発力強化Lv9》によって高められた速度についてくることはできなかった。
ダンが短剣で頭部を逸らし、エルナが胴体へ2度斬りつける。神経毒が回るまでの間を触手で押さえれば、3体すべてを生きたまま戦闘不能にできた。
「神経毒が効くまで、アイアンラットより時間がかかりましたね」
「はい。ですが、効かないわけではありません」
ダンは倒れているシャドウスネークへ触手を刺し、順番に吸血していった。
最初の1体から血を吸った瞬間、これまで持っていなかった感覚が身体へ流れ込んでくる。
【《熱感知Lv1》を習得しました】
【《気配遮断Lv1》を習得しました】
【《柔軟強化Lv1》を習得しました】
さらに残る2体から吸血すると、高いレベルで持っていたスキルが一気に積み重なった。
【《熱感知Lv3》へ上昇しました】
【次のレベルまで:2/8】
【《気配遮断Lv3》へ上昇しました】
【次のレベルまで:2/8】
【《柔軟強化Lv2》へ上昇しました】
【次のレベルまで:3/4】
「高いレベルで持っているだけあって、上がるのも早いですね」
「《気配遮断》は、ダン様の正体を隠すときにも役立ちそうです」
「はい。《隠蔽》とは使い方が違いますが、普段から目立たなくすることはできそうですね」
吸血を終えた3体へエルナがとどめを刺すと、身体が光の粒となって消えた。
床には魔石と黒い鱗、シャドウスネークの感熱器官が残されている。
「感熱器官……これが《熱感知》に関係する素材でしょうか」
「ギルドへ持ち帰れば、使い道が分かると思います」
ドロップ品を回収し、さらに2階を進む。
《熱感知》を得たことで、暗闇に潜むシャドウスネークを見つけやすくなった。視界では黒い岩と区別できなくても、周囲より温度の高い場所へ意識を向ければ、細長い輪郭が浮かぶ。
《振動察知》で数を調べ、《熱感知》で位置を確かめる。
シャドウスネークが持つ《気配遮断》は厄介だったが、複数の感知能力を組み合わせれば、不意打ちを受けることはなかった。
◇
数度の戦闘を終えたあと、エルナが通路脇の小部屋で足を止めた。
「宝箱があります。ただし、罠もあります」
部屋の奥には、黒い金属で補強された木箱が置かれていた。一見すると普通の宝箱だが、エルナの《罠察知》は蓋の周囲へ反応している。
「どんな罠ですか?」
「蓋を開けると、正面から複数の針が飛び出します。針には毒が塗られているようです」
「解除はできますか?」
「今の《罠察知》では、解除方法までは分かりません」
エルナは悔しそうに答えた。
見つけることはできても、開けられなければ中身を手に入れられない。しかし、ダンには離れた場所から物へ触れる方法がある。
「僕が触手で開けます。エルナは部屋の外へ下がってください」
「危険ではありませんか?」
「触手なら、針が刺さっても戻せばいいです。それに、正面へ立たなければ大丈夫だと思います」
ダンは新たに作った触手を宝箱の横へ回し、先端を蓋へ引っかけた。
2人が岩壁の陰へ隠れてから、ゆっくりと蓋を持ち上げる。
小さな音がした直後、宝箱の正面から細い針が何本も飛び出した。針は向かい側の壁へ突き刺さり、その先端から紫色の液体が滴り落ちる。
「罠は作動しました。ほかには反応しません」
エルナの確認を受け、ダンは触手で宝箱の中身を取り出した。
入っていたのは銀貨10枚と、緑色の液体が入った小瓶が2本だった。
ダンが《鑑定》を使う。
【中級解毒薬】
【効果:一定以下の毒状態を解除する】
「解毒薬です。使わずに済むのが1番ですが、持っておきましょう」
「はい。中級では、何が起こるか分かりませんから」
解毒薬と銀貨をマジックバッグへ収め、2人は探索を再開した。
その後もシャドウスネークを見つけるたびに戦い、吸血ととどめを繰り返す。
5体目から吸血したところで、《熱感知》と《気配遮断》がLv4へ上がった。
8体目では《柔軟強化》がLv4。
11体目で《熱感知》と《気配遮断》がLv5へ上昇し、16体目で《柔軟強化》もLv5へ到達した。
戦うほど、シャドウスネークの潜伏も脅威ではなくなっていく。
《振動察知》で岩を伝わる動きを捉え、《熱感知》で位置を絞り、《音響探査》で飛びかかる瞬間を確認する。最初は見つけることさえ難しかった魔物が、少しずつ狩りやすい相手へ変わっていった。
21体目から吸血したところで、《熱感知》と《気配遮断》がLv6へ上がる。
それからも2階を探索し、最終的に31体のシャドウスネークを狩った。
現在のスキルは、《熱感知》Lv6・30/64、《気配遮断》Lv6・30/64、《柔軟強化》Lv5・31/32。
「今日は、ここまでにしましょう」
エルナが言った。
ダンは周囲を見回してから頷く。
「そうですね。2階の奥まで確認してから戻りましょう」
「確認するだけです」
「はい」
昨日のように、次のレベルまでの数字を見て狩りを続けるつもりはなかった。
今日は2階を調べ、新しい魔物と罠を知ることが目的だ。十分な成果は得ている。
2人は残る通路を進み、やがて3階へ続く階段を見つけた。
階段の手前には罠がない。周囲にもシャドウスネークの気配はなかった。
「次は3階ですね」
「今日は下りません」
「分かっています」
ダンが階段の先を覗こうとしたとき、下の方から複数の足音と話し声が聞こえてきた。
誰かが3階から上がってくる。
やがて暗い階段の奥に、長い槍の穂先が現れた。
その後ろから、青い装備を身につけた若い冒険者たちが姿を見せる。
先頭にいた槍使いの青年は、階段の上に立つダンとエルナを見上げると、僅かに目を細めた。




