第67話◆ もう少しの結果
《黒鉄の迷宮》を出たダンとエルナは、そのまま《銀の止まり木》へ戻った。
眠気はなくても、身体に疲労は残っている。宿へ着く頃には、ダンの腕や脚にも重さがあり、エルナの歩幅も普段より僅かに狭くなっていた。
部屋へ戻った2人は、まず装備を外して傷みを確認した。
ダンの防具は前日に修理したばかりなので、大きな損傷はない。エルナの剣も刃こぼれこそしていなかったが、255体ものアイアンラットを斬ったため、刃には脂と神経毒が残っている。
「神経毒が残ったままでは危ないですね」
「はい。念入りに落としておきます」
エルナは専用の布と油を使い、剣の手入れを始めた。ダンも短剣を磨きながら、昨夜の戦いを振り返る。
アイアンラットはLv28だった。
人間の冒険者であれば、複数人のパーティーで挑む強さなのだろう。しかし、今のダンとエルナにとって、1体ずつの能力は脅威にならなかった。
問題は群れで動くことと、背中の硬い体毛だったが、《鑑定》で弱点を確認し、《神経毒》を使う方法を見つけてからは、狩りの速度が一気に上がった。
「次に狩るときは、最初から神経毒を使えますね」
ダンがそう言うと、エルナは手入れしていた剣を止めた。
「また255体狩るおつもりですか?」
「《瞬発力強化》をLv10へ上げるには、あと86体必要ですから」
「今日は休みます」
「今日とは言っていません」
「明日も休みます」
「エルナは少し心配しすぎではありませんか?」
「ダン様は、少し目を離すと朝まで狩り続けます」
反論しようとしたダンだったが、昨日の自分を思い出して口を閉じた。
武器の手入れを終えたあと、2人は順番に湯浴みを済ませた。食堂で温かいスープとパン、焼いた卵を頼み、普段よりもゆっくり食べる。
血を吸えば空腹を抑えられるダンも、長時間動いたあとの温かい食事は美味しく感じた。エルナも同じなのか、いつもより量の多い朝食をきれいに食べきっている。
その後は部屋へ戻り、2時間ほど身体を休めた。
ダンは眠らずにベッドへ横になり、目を閉じる。エルナも隣のベッドで静かに休んでいたが、眠ってはいないらしい。
窓の外から聞こえる人々の声が増え、街が完全に動き始めた頃、2人は大量のドロップ品を持って冒険者ギルドへ向かった。
◇
午前の混雑が落ち着き始めた冒険者ギルドへ入ると、酒場の一角から聞き覚えのある声がした。
「本当に帰ってきた!」
赤毛のフィナが、椅子から身を乗り出している。
同じテーブルには、ネリア、オルナ、セシルも座っていた。昨夜は宿へ戻って休み、今日は遅めの朝食を取りながら、次の探索について話していたらしい。
「おはようございます」
ダンが挨拶すると、ネリアは安心したように息を吐いた。
「無事に帰ったんだね。少し心配してたよ」
「約束しましたから。疲れを感じたところで、きちんと切り上げました」
「それならいいけど……結局、何時まで狩ってたの?」
「外へ出たら、朝になっていました」
「やっぱり夜通しじゃないか」
ネリアは額へ手を当てた。
「それで、アイアンラットは何体倒したの?」
「合計255体です」
今度は、4人全員の動きが止まった。
眠そうにスープを飲んでいたオルナまで、カップを口元へ運んだ姿勢のままダンを見ている。
「……ごめん。聞き間違えたかもしれない」
ネリアがゆっくりと聞き返した。
「何体?」
「255体です。最初の6体を含めてですが」
「最初の6体は、今どうでもいいよ」
「もう少し狩るって言ってなかった?」
フィナが目を丸くする。
「はい。あの時点からは、223体追加で狩りました」
「それを、もう少しとは言わないんじゃないかな」
「僕にとっては、もう少しだったのですが……」
ダンがエルナを見ると、彼女は首を横へ振った。
「私も多いと思います」
「エルナまで」
セシルが口元を押さえて笑い、ネリアは椅子の背もたれへ身体を預けた。
「2人とも元気そうだから、無茶をしたと怒るべきか迷うね」
「休憩は何度も取りました。それに途中から、アイアンラットの動きを止める方法を変えたので、狩りが早くなったんです」
「どんな方法?」
「それは……」
ダンは答えかけてから、口を閉じた。
神経毒を使ったこと自体は話しても問題ない。しかし、それを自分の触手から分泌し、エルナの剣へ塗ったとは説明できなかった。
「ダン様が神経毒を用意してくださったので、私の剣へ塗って戦いました」
エルナが代わりに答える。
「なるほど。脚へ傷をつけて、神経毒が回るのを待ったのね」
「はい。殺さずに動きを止める必要がありましたから」
「どうして殺さずに?」
フィナの疑問に、ダンとエルナの視線が一瞬だけ重なった。
「新しい戦い方を試したかったんです」
ダンが答えると、ネリアは何かを考えるように目を細めた。しかし、それ以上は聞かなかった。
「冒険者には、それぞれ他人へ話したくない戦い方がある。無理に聞くことじゃないね」
「ありがとうございます」
「ただし、神経毒を塗った武器の扱いには気をつけな。仲間へ当てれば大事故になる」
「はい。宿へ戻ってすぐ、きれいに落としました」
ネリアはそれならいいと頷いた。
ダンは4人ともう少し話したかったが、先にドロップ品を納品する必要がある。再び会話をする約束をしてから、エルナとともに買取カウンターへ向かった。
「おはようございます。買取をお願いします」
担当職員はダンたちの顔を覚えていたらしく、2つの中型マジックバッグを見た瞬間、表情を引き締めた。
「今回は、何を持ってきたんだ?」
「アイアンラット255体分です」
「……奥の広い台を使おう」
細かい話を聞く前に、担当職員が査定用の広い台へ案内した。
ダンがマジックバッグから魔石を取り出し、エルナが鉄牙と灰色の毛皮を並べていく。初級ダンジョンの小型魔物と比べて毛皮はかさばるが、すべて合わせても2つの中型マジックバッグには十分な空きが残っていた。
しかし、買取台へ並べれば話は別だった。
255個の魔石と、対になった鉄牙、折り畳まれた灰色の毛皮が次々と積み上がり、途中から別の職員まで数を確認しに来た。
少し離れた場所で見ていた冒険者たちも、何事かと集まり始める。
「これ、本当に全部1階で集めたのか?」
「はい。群れで現れるので、見つけるのは難しくありませんでした」
「普通は、見つけても全部は狩らないんだよ」
担当職員は呆れながらも、1つずつ状態を確認していった。
ダンジョンのドロップ品なので、毛皮や鉄牙に傷はない。エルナが戦闘でどこを斬ったかに関係なく、すべて一定の品質を保っている。
査定には時間がかかったが、状態による減額はなかった。
「魔石255個、鉄牙255組、灰色の毛皮255枚。それと、アイアンラットの常設討伐依頼を25口分だ。合計で金貨11枚と銀貨81枚になる」
「お願いします」
金貨と銀貨を受け取り、エルナと分けてマジックバッグへ収める。
初級ダンジョンの階層主を繰り返し倒したときほどではないものの、1階だけで得た金額としては十分だった。何より、今回は金貨だけでなく、《瞬発力強化》をLv9、《振動察知》と《集団攻撃》をLv8まで上げられている。
「次も同じ数を持ってくるつもりか?」
「まだ決めていません」
「決めていない顔には見えないんだが」
担当職員に見送られ、ダンとエルナは酒場へ戻った。
《翡翠の風》の4人はまだ同じテーブルにいる。ダンたちが戻ってくると、フィナが空いている椅子を2つ引いた。
「ほら、座りなよ。昨日、一緒に食事をする約束をしたでしょう」
「よろしいんですか?」
「そのために待ってたんだよ。255体分の査定が終わるとは思ってなかったけどね」
ダンは嬉しくなり、エルナと並んで席へ座った。
6人で同じテーブルを囲み、それぞれ飲み物と軽い料理を頼む。
ネリアたちは、この街へ来てから1年以上になるという。《翡翠の風》を結成したのは半年前で、それ以前は別々のパーティーに所属していたらしい。
斥候のネリアが罠と進路を調べ、フィナが前衛で敵を引きつける。オルナが風魔法で援護し、セシルが怪我の治療と身体能力の補助を担当する。
「役割がはっきりしているんですね」
「中級ダンジョンは、1人で全部やろうとすると見落としが増えるからね」
ネリアはパンを千切りながら答えた。
「戦える、罠も見つけられる、魔法も使える、怪我も治せる。全部できるなら1人でもいいだろうけど、普通はそんな奴いないよ」
「ダン様なら、いずれすべてできるようになると思います」
「エルナ。今は僕たちの話ではありません」
「事実を申し上げただけです」
エルナが真顔で答えると、セシルが楽しそうに笑った。
「本当にダン君を信頼しているのね」
「信頼だけではありません。尊敬し、敬愛し、崇拝しています」
「最後の1つは言わなくていいです」
慌てるダンを見て、フィナが声を上げて笑う。眠そうだったオルナまで、僅かに口元を緩めていた。
ダンは恥ずかしかったが、不快ではなかった。
誰かと食事をしながら、くだらないことで笑う。
前世では想像することしかできなかった時間が、今は目の前にある。病室で異世界漫画を読みながら憧れていた冒険は、魔物と戦うことだけではなかったのかもしれない。
「明日はどうするんだい?」
ネリアに尋ねられ、ダンはエルナを見る。
「今日は休むと約束しました」
「今日は?」
「明日は2階へ進みたいと思っています」
「それがいい。1階の魔物を255体倒したなら、もう十分だよ」
ネリアは苦笑したあと、表情を少し真剣なものへ変えた。
「ただし、2階からは罠の種類が増える。床や壁だけじゃなく、宝箱に仕掛けられていることもある。見つけても、すぐには触らないことだね」
「分かりました」
「魔物もアイアンラットだけじゃない。油断せず、《鑑定》で確かめてから戦いな」
ダンは頷きながら、新しい魔物がどんなスキルを持っているのかを想像した。
それに気づいたエルナが、隣で小さく息を吐く。
「ダン様。明日は狩りすぎないでください」
「まだ何も言っていません」
「顔を見れば分かります」
「私にも分かるよ」
ネリアまで同意し、再びテーブルに笑い声が広がった。
中級ダンジョンへ挑み始めて、まだ2日しか経っていない。
それでもダンの周りには、以前よりも多くの声が聞こえるようになっていた。




