第66話◆ 夜が明けるまで
《翡翠の風》と別れたあとも、ダンとエルナは1階でアイアンラットを探し続けた。
魔物の数が少ない初級ダンジョンとは違い、アイアンラットは5体から7体ほどの群れで現れる。《超嗅覚》で獣の匂いを追い、《音響探査》で爪音の数を確かめれば、発見することは難しくなかった。
ただし、魔物だけに集中するわけにはいかない。
エルナが《罠察知》で安全な道を選び、その後ろからダンが周囲を探る。床から槍が突き出す罠や、壁へ触れると毒矢が飛んでくる仕掛けを避けながら進むため、群れから群れへ移動するまでには多少の時間がかかった。
それでも、戦闘そのものは順調だった。
前回までに吸血したアイアンラットは6体。
その時点で、《瞬発力強化》はLv4・3/16、《振動察知》と《集団攻撃》はLv3・5/8まで成長している。
さらに2体から吸血したところで、《振動察知》と《集団攻撃》がLv4へ上がった。
【《振動察知Lv4》へ上昇しました】
【《集団攻撃Lv4》へ上昇しました】
累計11体目では《瞬発力強化》がLv5へ到達し、16体目で《振動察知》と《集団攻撃》もLv5へ上がる。
スキルが成長するたび、《瞬発力強化》によって踏み込みは鋭くなり、《振動察知》によって床を走るアイアンラットの位置が、足裏から伝わってくるようになった。
特に《集団攻撃》は、エルナと並んで戦うときに効果を発揮している。
互いの動きが僅かに分かりやすくなり、どちらがどの魔物を狙っているのか、言葉を交わさなくても伝わってくる。ダンが右側の敵を押さえれば、エルナは迷わず左へ踏み込み、エルナが剣を振り抜いた直後にはダンの触手が死角を埋めた。
「このスキル、思っていたより使いやすいですね」
「はい。ダン様が次にどこへ動かれるのか、以前よりも分かる気がします」
「僕もです。エルナが狙っている相手が、何となく伝わってきます」
「もっと上げれば、言葉で指示を出す必要がなくなるかもしれません」
「それなら、できるだけ上げたいですね」
21体目から吸血したところで、《瞬発力強化》がLv6へ上がった。
さらに狩りを続け、累計32体目で《振動察知》と《集団攻撃》もLv6へ到達する。
32体目へとどめを刺したエルナが、床へ残された鉄牙を拾った。
魔石や灰色の毛皮と一緒にマジックバッグへ収め、2人が次の群れを探そうとしたとき、ダンの《音響探査》が複数の足音を捉えた。
「誰か来ます。4人です」
「《翡翠の風》でしょうか」
足音は2階へ続く階段の方から近づいてくる。
ダンは血で作った触手を腕へ戻し、念のため傷口が塞がっていることを確認した。エルナも剣についた血を拭い、鞘へ収める。
しばらくすると、通路の先からネリアたちが姿を現した。
「あれ、まだいたのかい?」
先頭を歩いていたネリアが、ダンとエルナを見て足を止めた。
「はい。アイアンラットを狩っていました」
「私たちが3階まで行って、少し狩りをして戻ってきたのに、ずっと1階にいたの?」
「欲しいスキルがあったので」
「またスキルか」
ネリアは呆れたように笑ったが、その後ろにいたフィナは興味を持ったらしく、ダンの腰にあるマジックバッグへ視線を向けた。
「何体くらい倒したの?」
「32体です」
「もうそんなに?」
「群れで現れるので、思ったより早く集まりました」
「その数を2人で倒して、まだ元気そうなのがすごいよ」
フィナが感心したように言うと、杖を持ったオルナが小さなあくびをした。
ネリアは通路の壁に埋め込まれた魔石灯へ目を向ける。ダンには変化が分からなかったが、外で過ごしている者には時間を判断する目安があるのかもしれない。
「あんたたち、いつまで狩るつもりだい? そろそろ外は暗くなるよ」
「僕たちは、もう少し狩っていきます」
「もう少しって、まさか夜通しじゃないだろうね?」
「休憩は取ります。でも、夜通しの活動には慣れていますから」
ダンとエルナが《不眠》を持っていることは伏せておいた。
眠る必要がないと知られれば、その理由を尋ねられるかもしれない。2人が揃って同じ珍しい種族スキルを持っていると分かれば、余計な疑いを招く可能性もある。
「慣れているって言っても、疲れと眠気は別物だよ」
ネリアの声には、純粋な心配が込められていた。
「夢中になるのは分かるけど、判断が鈍れば罠を見落とす。中級ダンジョンでは、その1度で死ぬこともあるからね」
「ありがとうございます。疲れを感じたら、すぐに休みます」
「絶対だよ。明日、ギルドで行方不明の話なんて聞きたくないからね」
ダンは一瞬、返事を忘れた。
今日出会ったばかりのネリアが、自分たちの帰りを心配してくれている。
前世では母や医師、看護師が体調を気遣ってくれた。しかし、同じ場所で戦う冒険者から、無事に帰ってこいと言われたことは当然ながら1度もない。
ネリアにとっては、年下の冒険者へ向けた何気ない忠告なのだろう。それでも、ダンには嬉しかった。
「はい。必ず無事に戻ります」
「よろしい」
ネリアが満足そうに頷く。
その後ろから、セシルが顔を覗かせた。
「エルナも、ダン君が無茶をしないように見ておいた方がいいわよ」
「承知しています。ダン様に何かあれば、私が止めます」
「逆ではないでしょうか」
「ダン様は放っておけば、欲しいスキルが上がるまで狩り続けます」
「否定できませんけど……」
《翡翠の風》の4人が笑う。
「それじゃ、またね。先に戻ってるよ」
「はい。またギルドで」
ネリアたちの姿が通路の向こうへ消えたあとも、ダンはしばらくその背中を見送っていた。
「嬉しそうですね」
「分かりますか?」
「はい。とても」
「帰りを心配してもらえるのは、いいものですね」
エルナは少しだけ目を細めた。
「私が毎日心配しています」
「もちろん分かっています。エルナには、いつも感謝しています」
「でしたら結構です」
満足した様子のエルナとともに、ダンは1階の探索を再開した。
◇
さらにいくつかの群れを倒したところで、2人は通路から外れた小部屋を見つけた。
エルナが《罠察知》で内部を調べ、安全を確認してから休憩を取る。保存食の干し肉と固いパンを食べ、水を飲みながら、ここまでの戦い方を振り返った。
「倒すこと自体は難しくありませんが、動きを止めるまでに少し時間がかかりますね」
ダンはそう言いながら、短剣の刃を布で拭いた。
アイアンラットを殺すだけなら、一撃で急所を狙えばいい。しかし、スキルを奪うためには、生きているうちに立てない状態へ追い込まなければならない。
硬い背中を避け、脚だけを斬っていくため、どうしても手数が増えていた。
「私が、もう少し正確に関節を狙います」
「エルナの剣が悪いわけではありません。もっと簡単に動きを止める方法があれば……」
そこでダンは、ポイズンリザードから奪い、すでに進化していたスキルを思い出した。
「《神経毒》を使ってみましょうか」
「ダン様の触手で使っている毒ですか?」
「はい。今までは触手を相手の身体へ直接刺して流し込んでいましたが、剣に塗ることもできるかもしれません」
ダンは腕へ小さな傷をつけ、流れ出した血から1本の触手を作った。その先端へ《神経毒》を集めると、透明に近い液体が滲み出す。
「エルナ、剣を貸してください」
「お願いします」
差し出された剣の刃へ触手を滑らせる。
薄く広がった神経毒が魔石灯の光を反射し、僅かに紫色の光沢を帯びた。
「これなら、深く斬らなくても毒が入ると思います。ただ、どれくらい効くか分からないので、最初は1体で試しましょう」
「分かりました」
休憩を終えた2人は、近くにいた6体の群れを探し出した。
エルナは先頭のアイアンラットが飛びかかってくるのを待ち、前脚へ浅く剣を走らせた。傷は小さく、相手はそのまま床へ着地する。
効かなかったのかと思った直後、アイアンラットの足取りが乱れた。
数歩進んだところで前脚が崩れ、床へ転がる。立ち上がろうとしても身体が震えるだけで、まともに力が入っていない。
ダンが《鑑定》すると、状態の欄が変化していた。
【状態:神経毒・中/麻痺】
「効いています。深く斬る必要はありません」
「では、残りも止めます」
エルナが動いた。
左右から迫る2体の前脚へ続けて刃を当て、身体を回転させながら3体目の後脚を斬る。どれも傷自体は浅い。それでも、神経毒が入ったアイアンラットは数秒後に動きを鈍らせ、次々と床へ倒れていった。
ダンが残る2体を短剣で押さえている間に、エルナは最初の3体を完全に戦闘不能へ追い込む。
これまでの半分ほどの時間で、6体すべてが立てなくなった。
「かなり早くなりましたね」
「はい。ただ、何度か斬ると神経毒が薄くなるようです」
「群れを2つか3つ倒すごとに、塗り直しましょう」
ダンは麻痺したアイアンラットへ触手を伸ばし、順番に血を吸った。吸血を終えた個体へエルナがとどめを刺し、残されたドロップ品を回収する。
新しい方法が決まってから、狩りの速度は大きく上がった。
エルナが神経毒を塗った剣で脚へ浅い傷をつけ、麻痺した個体をダンが触手でまとめて引き寄せる。ダンが吸血し、エルナがとどめを刺すと、魔石や鉄牙、灰色の毛皮を拾って次の群れを探した。
累計43体目で、《瞬発力強化》がLv7へ上がった。
64体目では《振動察知》と《集団攻撃》もLv7へ到達する。
Lv7になった《振動察知》は、床だけでなく壁を伝わる微かな揺れまで拾えるようになっていた。曲がり角の向こうにいるアイアンラットの数だけでなく、どちらを向いているのかまで、ある程度分かる。
《瞬発力強化》によって踏み込みもさらに鋭くなり、《集団攻撃》によってエルナとの連携も滑らかになる。そこへ神経毒が加わったことで、狩りは進むほど速くなっていった。
累計85体目で、《瞬発力強化》がLv8へ上昇した。
さらに狩りを続け、128体目から吸血を終えたところで、《振動察知》と《集団攻撃》もLv8へ上がる。
長時間の戦闘で、ダンは1度、エルナは2度、レベルが上がる感覚を覚えた。
ダンはLv17。
エルナもLv17。
人間だった頃よりも遥かに高い能力値を持つ身体へ生まれ変わったことで、エルナもレベルが上がりにくくなっている。それでも、自分より高いLv28の魔物を100体以上倒した経験は大きかった。
しかし、ダンはまだ狩りをやめなかった。
「まだ行きますか?」
「《瞬発力強化》が、もう少しで次へ上がりそうです」
「……やはりそう言うと思いました」
呆れたように答えながらも、エルナは剣を構え直した。
そして、累計171体目。
【《瞬発力強化》がLv9へ上昇しました】
「上がりました」
「では、帰りますか?」
ダンは少し考えてから、《振動察知》と《集団攻撃》の状態を確認した。
「……もう少しだけ」
「ダン様」
「本当に少しだけです」
エルナはため息をついたものの、まだ動きに大きな乱れがないことを確認してから頷いた。
そこからも休憩を挟みながら狩りを続ける。
だが、200体を超えた頃には、さすがに身体の疲労が強くなっていた。
神経毒を塗り直すために何度も触手を作ったダンの腕にも、傷は残っていないものの重さを感じる。エルナの剣筋も、狩りを始めた頃と比べれば僅かに鈍っていた。
そして、アイアンラットを累計255体まで狩ったところで、ダンは足を止めた。
現在のスキルを確認する。
【《瞬発力強化Lv9》 254/512】
【《振動察知Lv8》 255/256】
【《集団攻撃Lv8》 255/256】
「……あと1体」
思わず声が漏れた。
《振動察知》と《集団攻撃》は、あと1ポイントでLv9へ上がる。
アイアンラットをもう1体吸血すれば、2つとも同時に上がるはずだ。
「ダン様」
「あと1体だけなら――」
「帰ります」
エルナが即答した。
「本当にあと1体なんです」
「分かっています」
「2つともLv9になります」
「それも分かりました」
エルナは剣についた血を拭い、鞘へ収める。
「ですが、ネリアさんに疲れたら休むと約束しました。それに、ダン様はすでに《瞬発力強化》をLv9まで上げています」
「《振動察知》と《集団攻撃》は、あと1なのですが……」
「続きは、また来ればよいのです」
迷いのない言葉に、ダンはしばらく黙った。
マジックバッグの容量にはまだ余裕がある。あと1体どころか、もう何群か狩ることもできるだろう。
だが、エルナの言うことが正しい。
今の自分は疲れている。
ここは罠のある中級ダンジョンだ。たった1体のために判断を誤れば、ネリアから受けた忠告を無視することになる。
「……分かりました。今日は戻りましょう」
「はい」
「次に来たら、最初の1体で上げます」
「それでしたら構いません」
満足したように微笑むエルナとともに、ダンは入口へ向かって歩き始めた。
罠を避けながら黒鉄の扉を抜けると、グランベルの空が薄い橙色に染まり始めていた。夜はすでに終わり、街の向こうから朝日が昇ろうとしている。
ダンは眩しそうに目を細めた。
《黒鉄の迷宮》へ入ったとき、空はまだ明るかった。そこから一晩中狩り続け、気づけば新しい朝を迎えている。
「本当に朝まで狩ってしまいましたね」
「ダン様は、放っておけば次の夜まで続けていたと思います」
「さすがに、そこまではしませんよ」
「本当でしょうか」
疑わしそうなエルナの視線に、ダンは答えられなかった。
冒険者ギルドが開くまで、あと少し。
宿で身体を休めてから、大量のドロップ品を納品しに行く。その場に《翡翠の風》がいたら、朝まで狩ると言って本当に255体を倒したことを、どんな顔で聞くだろう。
ダンは少し楽しみにしながら、エルナと並んで朝の街を歩き始めた。




