第65話◆ 翡翠の風
防具の修理を終えた翌朝、ダンとエルナは再び中級ダンジョン《黒鉄の迷宮》を訪れた。
前回は魔物と出会う前に転移罠へかかり、鉄杭が並ぶ穴へ落とされた。ダンは《超再生》によって助かったものの、同じ罠へエルナが落ちていたら無傷では済まなかっただろう。
そのため、今回はエルナが前を歩いている。
「何か感じますか?」
「いいえ。今のところは何も」
エルナはそう答えたものの、僅かに困ったような顔をしていた。
「《罠察知》を覚えたのは昨日ですから、どう感じるものなのか、まだ私にも分かりません。何かが見えるのか、それとも《危険察知》のように身体が反応するのか……」
「実際に罠へ近づいてみないと分からないということですね」
「はい。ですが、必ず見つけます」
エルナの声には、自分がダンを守るのだという強い決意が込められていた。
ダンはエルナから少し距離を空けて歩いている。近づきすぎれば、エルナが罠を踏んだときに2人とも巻き込まれるかもしれない。一方で、離れすぎれば何かあったときに助けられないため、触手が届く範囲は保っていた。
エルナが罠に注意し、ダンが《超嗅覚》と《音響探査》で魔物や他の冒険者の気配を調べる。昨日よりも進む速度は遅いが、焦る必要はない。
やがて、前回ダンが転移させられた分かれ道が見えてきた。
床に刻まれていた紫色の魔法陣は消え、周囲と同じ黒い石へ戻っている。場所を覚えていなければ、そこに罠があるとは思えないだろう。
ダンが昨日踏んだ床を指差そうとした瞬間、エルナの足が止まった。
「……これですね」
「分かるんですか?」
「はい。あそこへ近づいてはいけないと、頭の中へ直接伝わってきます」
エルナは床を見つめたまま、確かめるようにゆっくりと右へ動いた。罠へ近づくと表情が僅かに強張り、離れると緊張が弱まっていく。
「3歩ほど先の床です。踏むと作動する魔法式の罠で、触れた者を別の場所へ転移させます」
「そこまで分かるんですね」
「《危険察知》とは違います」
罠を実際に捉えたことで、エルナにも2つのスキルの違いが分かったらしい。
「《危険察知》は、危険が迫った瞬間に身体が反応します。昨日、ダン様の足元に魔法陣が現れたときも、考えるより先に手を伸ばしていました」
エルナは罠を避けるように、通路の端を指差した。
「ですが、《罠察知》は作動する前から、近づいてはいけない場所を教えてくれます。見えない棘が、頭の中へ触れてくるような感覚です」
「それなら、昨日のように踏んでから気づくことはなくなりそうですね」
「はい。ただ、今の私では解除する方法までは分かりません」
「解除できなくても、場所が分かれば避けられます」
エルナの指示に従って壁際を進むと、罠は作動しなかった。
ダンは何事もなく通り過ぎた床を振り返る。昨日は何も分からないまま踏み込み、気づいたときには鉄杭へ身体を貫かれていた。
スキルを手に入れただけで、それほど危険な場所を簡単に通過できる。改めて、スキルの重要性を感じた。
「よし。これなら進めそうですね」
「待ってください。近くに、もう1つあります」
「えっ?」
エルナは右側の壁へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「この壁へ触れると、向かい側から矢が飛び出すようです。普通に通るだけなら作動しませんが、手をつかない方がよさそうです」
「昨日の僕なら、転移罠を避けたあとで普通に触っていたかもしれません」
1つの罠を越えた直後にも、別の罠が仕掛けられている。魔物だけに注意していればよかった初級ダンジョンとは、明らかに違っていた。
「中級は、魔物だけ見てる奴から死ぬよ」
突然、背後から声をかけられた。
ダンとエルナが振り返ると、4人の女性冒険者が立っていた。
先頭にいるのは、灰褐色の短い髪と同じ色の猫耳を持つ獣人の女性だった。身体に密着する軽装の革鎧を身につけ、腰には細身の短剣を提げている。年齢はエルナより少し上に見えた。
その後ろには、腰に2本の剣を差した赤毛の女性と、長い杖を持つ眠そうな顔の魔術師、白い法衣の上から軽い胸当てを身につけた金髪の女性がいる。
「驚かせたならごめん。罠を調べているのが見えたから、通り過ぎるのを待ってたんだ」
猫の獣人は、悪びれた様子もなく笑った。
「いえ。こちらこそ、通路を塞いでしまってすみません」
ダンが道を空けようとすると、相手は片手を上げて止めた。
「急いでないから平気。それより、その子は《罠察知》を持ってるんだね。あの壁の仕掛けまで見つけたなら、最低でもLv3かな」
「はい。昨日覚えたばかりです」
「昨日?」
獣人の女性が目を丸くする。
「昨日、僕がそこの転移罠を踏んでしまったので、すぐにスキル書を買いました」
「なるほど。それで今日は対策して戻ってきたのか。判断が早いね」
女性は罠のある床へ近づくと、しゃがみ込んで石の継ぎ目を調べた。
「この転移罠は、飛ばされた先が何か所かある。運が悪ければ魔物の群れの中、もっと悪ければ鉄杭の穴だ。あんたはどこだった?」
「鉄杭の穴でした」
「よく無事だったね……」
「運が良かったんです」
ダンが曖昧に笑うと、隣にいたエルナが僅かに眉を寄せた。身体を何本もの鉄杭で貫かれたことを、運が良かったとは思っていないのだろう。
「私はネリア。《翡翠の風》の斥候兼リーダーをしてる」
猫の獣人は立ち上がると、自分の後ろにいる仲間たちを順番に示した。
「二刀剣士のフィナ、風魔法を使うオルナ、治癒術師のセシル。全員Dランクだよ」
「よろしく! その綺麗な顔、本当に冒険者だったんだね」
赤毛のフィナが、ダンを見ながら明るく笑った。
「街で何度か見たことある。でも、どこかの貴族だと思ってた」
「僕は貴族ではありません」
「名前は?」
「ダンです。こちらはエルナ。2人で《月影》というパーティーを組んでいます」
「《月影》……どこかで聞いたような」
ネリアが首を傾げると、治癒術師のセシルが小さく手を叩いた。
「初級ダンジョンの階層主を何度も倒した2人組でしょう? ギルドの酒場で話している人がいたわ」
「そんな話が広まっているんですか?」
ダンが驚くと、フィナが声を上げて笑った。
「そりゃ広まるよ。初級の階層主を繰り返し倒す人なんて、ほとんどいないからね」
「確認したいことがあって、7回倒しました」
「7回も?」
今度は4人全員がダンを見た。
「何を確認してたの?」
「戦い方です。同じ相手と何度も戦えば、スキルの使い方や動きの癖まで分かりますから」
ダンが答えると、エルナも自然に続けた。
「階層主が使うスキルや戦い方を調べていました。ダン様は、興味を持つと納得するまで確かめたくなる方ですから」
「なるほどね。確かに7回も戦えば、嫌でも動きは覚えそう」
フィナは特に疑うことなく頷いた。
ダンは胸の中で息を吐く。初対面の相手と話せることが嬉しくて、余計なことまで口にしないよう気をつけなければならない。
「ダン様って呼んでるのね」
今度はセシルが、興味深そうにエルナを見た。
「パーティーのリーダーだから?」
「私の命を救い、新しい生き方を与えてくださった方だからです」
「まあ」
エルナが迷いなく答えると、セシルの口元に楽しそうな笑みが浮かんだ。
「ずいぶん大切に思っているのね」
「はい。何よりも大切な方です」
「エ、エルナ。その説明は少し重く聞こえます」
「事実です」
ダンが小声で止めようとしても、エルナは真顔で答えた。
ネリアたちが笑い、ダンは恥ずかしくなって視線を逸らす。だが、こうして他の冒険者と立ち話をすること自体が新鮮で、胸の奥には不思議な温かさが広がっていた。
前世では、病室を訪れる看護師や医師と話すことはあっても、同じ目的を持つ仲間と出会い、互いの経験を話す機会などなかった。
「《翡翠の風》は、何階まで行くんですか?」
「今日は3階を中心に回る予定。4階への道も確認したいけど、無理はしないよ」
「1階には、どんな魔物がいるのでしょう」
「アイアンラットが多いね。背中の毛が金属みたいに硬いから、上から剣を振っても弾かれる。腹側か脚を狙うといい。群れで現れるけど、強さ自体は中級の魔物としては低い方だよ」
「ドロップ品は何が出ますか?」
「魔石と鉄牙、あとは灰色の毛皮。鉄牙は武器の素材になるから、数を集めればそこそこ稼げる」
「他には、どんな罠がありますか?」
「ダン様」
次々と尋ねようとしたダンを、エルナが静かに呼んだ。
見ると、《翡翠の風》の4人は困ってはいないものの、ダンの勢いに少し驚いている。
「す、すみません。人と話すのが楽しくて、聞きすぎました」
「別にいいよ」
ネリアは猫耳を揺らしながら笑った。
「今度ギルドの酒場で会ったら、飯でも食べながら話そう。ダンジョンの通路じゃ、他のパーティーの邪魔になるからね」
「はい。ぜひお願いします」
ダンが嬉しくなって答えると、エルナが僅かに頬を膨らませた。
それに気づいたセシルが、エルナの近くへ顔を寄せる。
「大変そうね」
「……何がでしょう」
「色々と」
セシルは意味ありげに微笑むと、仲間たちとともに通路の奥へ歩いていった。
◇
《翡翠の風》と別れてからしばらく進むと、《超嗅覚》が獣の匂いを捉えた。
同時に、《音響探査》へ小さな爪が石床を擦る音が届く。数は6体。右側の曲がり角の先に固まっている。
「魔物がいます。おそらくアイアンラットです」
「周囲に罠はありません。戦えます」
エルナが剣を抜き、ダンも短剣を構える。
曲がり角から姿を現したのは、大型犬ほどの大きさをした灰色の鼠だった。背中の毛は針金のように太く、魔石灯の光を受けて鈍く輝いている。口元からは、黒い鉄のような2本の牙が伸びていた。
ダンは先頭の1体へ《鑑定》を使った。
【アイアンラット】
【Lv28】
【状態:警戒】
【スキル:《瞬発力強化Lv3》《振動察知Lv2》《集団攻撃Lv2》】
【耐性:斬撃耐性・小】
【弱点:腹部/雷属性】
「Lv28です。背中は斬撃に強く、弱点は腹部。全員が《瞬発力強化》《振動察知》《集団攻撃》を持っています」
「使いやすそうなスキルですね」
「はい。できれば全部吸いたいです」
初級ダンジョンでは見なかった、新しいスキルが3つもある。
ダンが喜んだ直後、6体のアイアンラットが一斉に床を蹴った。
低い姿勢のまま左右へ広がり、ダンとエルナを囲もうとする。1体ずつの動きはコボルトやゴブリンファイターよりも速く、互いの進路を邪魔しないように動いていた。
ダンは正面から迫った1体の背中へ短剣を振り下ろした。
甲高い音が響き、刃が硬い体毛に弾かれる。
「本当に硬い!」
姿勢を低くしたアイアンラットが、ダンの脚へ牙を突き立てようとする。しかし、動きが速くても見失うほどではない。
ダンは身を引いて牙を避け、そのまま前脚の関節を斬った。
アイアンラットが床へ転がる。
横から飛びかかった2体目は、エルナが剣の腹で打ち落とした。背中の硬い毛を利用して床へ叩きつけ、腹部を上へ向けたところで後脚を斬って動きを封じる。
残る4体が同時に方向を変え、エルナへ襲いかかる。
「エルナ、押し返してください! 《号令》!」
ダンの声とともに、目に見えない力がエルナへ届いた。
身体能力を押し上げられたエルナは1歩踏み込み、先頭のアイアンラットを蹴り飛ばす。後ろから続いていた2体が巻き込まれ、床の上で重なった。
最後の1体が背後へ回ろうとしたが、ダンは《音響探査》で爪音を捉えていた。振り返らないまま短剣を後ろへ突き出し、前脚を斬る。
6体すべてが立てなくなるまで、それほど時間はかからなかった。
ダンは周囲に他の冒険者がいないことを《超嗅覚》と《音響探査》で確認し、腕へ小さな傷をつけた。
血から伸びた触手を倒れているアイアンラットへ順番に突き刺し、必要な量の血を吸い上げていく。
最初の1体から吸血すると、これまで持っていなかった3つの感覚が身体へ流れ込んできた。
【《瞬発力強化Lv1》を習得しました】
【《瞬発力強化Lv2》へ上昇しました】
【《振動察知Lv1》を習得しました】
【《集団攻撃Lv1》を習得しました】
1体目だけで、《瞬発力強化》はLv2へ上がった。
相手が持っている《瞬発力強化》はLv3。初めて奪う1つ分でスキルを取得し、残る2つ分がそのまま次のレベルへ加算されたためだ。
「1体だけで上がった……」
ダンは驚きながらも、続けて残る5体から血を吸っていく。
高いレベルのスキルが次々と積み重なり、身体の中へ新しい感覚が定着していった。
【《瞬発力強化》を重複強奪しました】
【《瞬発力強化Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/8】
【《瞬発力強化》を重複強奪しました】
【《瞬発力強化Lv4》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:3/16】
【《振動察知》を重複強奪しました】
【《振動察知Lv2》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/4】
【《振動察知》を重複強奪しました】
【《振動察知Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:5/8】
【《集団攻撃》を重複強奪しました】
【《集団攻撃Lv2》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/4】
【《集団攻撃》を重複強奪しました】
【《集団攻撃Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:5/8】
「一気に上がりました」
「6体倒しただけで3つともそこまでですか?」
「はい。《瞬発力強化》はLv4、《振動察知》と《集団攻撃》はLv3です」
「中級ダンジョンは、ダン様にとって宝の山ですね」
「はい。すごく楽しいです」
ダンが素直に答えると、エルナは呆れながらも笑った。
吸血を終えた6体へエルナがとどめを刺す。アイアンラットの身体が消え、それぞれの場所へ魔石や鉄牙、灰色の毛皮が残った。
ダンはドロップ品を拾いながら、先ほど別れた4人の冒険者たちを思い出した。
新しい魔物から、新しいスキルを奪う。それだけでも十分に楽しい。しかし今日は、それとは違う楽しみも見つけた。
ダンジョンで出会った者と話し、知っていることを教えてもらい、次に会ったら一緒に食事をする約束までできた。
「エルナ。アイアンラットをもう少し探しましょう。《瞬発力強化》と《振動察知》は、できるところまで上げたいです」
「《集団攻撃》も使えるのではありませんか?」
「2人でも集団に含まれるなら、上げる価値はありそうですね」
「それなら、今日は1階を回りましょう。罠を見つける練習にもなります」
エルナが先頭へ戻り、ダンはその少し後ろを歩き始める。
初級ダンジョンよりも危険で、必要になる知識も遥かに多い。それでもダンには、《黒鉄の迷宮》が昨日までとはまったく違う場所に見えていた。
ここには、まだ知らないスキルだけでなく、これまで出会うことのなかった人たちもいる。
ダンの新しい冒険は、少しずつ賑やかになり始めていた。




