第64話◆ 黒鉄の洗礼
翌朝、ダンとエルナは2つの中型マジックバッグを持って冒険者ギルドへ向かった。
初級ダンジョン《青石の迷宮》で残る4回の階層主討伐を終えたため、中には11階と12階で集めた戦利品が大量に入っている。
オークウォリアーの斧やインプメイジの魔石、シャドウパンサーの黒い毛皮。それに4体分の大型魔石や《将軍の紋章》、黒鉄製の装備もあった。
朝の冒険者ギルドは、依頼へ向かう冒険者たちで混み合っていた。
ダンたちが入ると、近くにいた何人かが視線を向けてくる。以前のようにダンの容姿だけを見ている者もいたが、今は腰に提げたDランクの登録証や、隣を歩くエルナを見て囁き合う者の方が多い。
新人殺しの報告から急速にランクを上げ、2人だけで初級ダンジョンの階層主を何度も倒した《月影》の名前は、少しずつ知られ始めていた。
「おはようございます、ダンさん、エルナさん」
受付にいたエマが、2人に気づいて声をかけた。
「おはようございます。昨日、階層主をさらに4回倒してきました」
「……4回ですか?」
「はい。これで合計7回です」
ダンが答えると、エマは笑顔のまま固まった。
「それを1日で?」
「はい。復活を待っている間は11階で狩りをしていました」
ダンが2つの中型マジックバッグへ目を向けると、エマは額へ手を当てた。
「相変わらず、ダンさんたちの狩り方はおかしいです」
「そうでしょうか」
「普通のパーティーは、階層主を1回倒したら地上へ戻って休みます。復活を待って、同じ日に何度も倒そうとは考えません」
ダンには眠る必要がなく、眷属になったエルナにも《不眠》が備わっている。疲労そのものが消えるわけではないが、食事や短い休憩を取れば長時間の活動が可能だった。
しかし、それを受付で説明するわけにはいかない。
「途中で交代しながら休みました」
「……そういうことにしておきます」
エマは何か言いたそうな顔をしていたが、それ以上は追及しなかった。
買取用のカウンターへ移動し、マジックバッグから戦利品を取り出していく。山のように積まれる魔石や素材を見て、担当職員だけでなく、近くにいた冒険者たちまで足を止めた。
「かなり量が多いので、査定には時間がかかります。階層主の装備もありますから、結果は午後になると思います」
「分かりました。では、あとで戻ってきます」
「今日はどうされるのですか?」
「中級ダンジョンへ行ってみようと思っています」
エマの表情から、先ほどまでの呆れが消えた。
「《黒鉄の迷宮》ですね」
「はい。初めてなので、まずは1階の様子を確認します」
「それがいいと思います。中級ダンジョンは、初級ダンジョンとは造りそのものが違います。魔物の強さだけを見て進むと、思わぬところで足をすくわれますから、慎重に行動してください」
「分かりました」
ダンは素直に頷いた。
エマがわざわざ注意する以上、初級ダンジョンにはなかった危険があるのだろう。
それでも今のダンには《鑑定》Lv5があり、エルナには《危険察知》Lv3がある。魔物の情報を調べながら慎重に進めば、浅い階層で苦戦することはないと思っていた。
冒険者ギルドを出た2人は、グランベルの北側へ向かった。
中級ダンジョン《黒鉄の迷宮》は、初級ダンジョンから街を挟んだ反対側にある。近づくにつれて装備の整った冒険者が増え、道沿いには武器や防具、ポーションを扱う店が並んでいた。
やがて見えてきたのは、地面へ突き刺さるように建てられた黒い石造りの建物だった。
初級ダンジョンの入口よりも遥かに大きく、正面には黒鉄で作られた両開きの扉がある。その前には複数の冒険者パーティーが集まり、装備の確認や役割の相談をしていた。
「人が多いですね」
「初級ダンジョンとは雰囲気も違います」
エルナの声にも僅かな緊張が混じっている。
入口の受付で登録証を提示すると、係員は2人がDランクであることを確認し、簡単な説明を始めた。
「《黒鉄の迷宮》は全25階層。5階ごとに階層主がいる。途中で帰還する場合は、階層内にある帰還陣を使え。ただし、どこにでもあるわけではない」
「罠もあると聞きました」
「ああ。浅い階層でも油断するな。壁や床へ不自然に触れたり、怪しい物を拾ったりしない方がいい。行方不明になっても、必ず捜索隊が出るとは限らないからな」
最後の言葉に、ダンは僅かに息を呑んだ。
初級ダンジョンでは、基本的に魔物にさえ気をつけていればよかった。
だが、ここでは通路そのものが冒険者を殺す可能性がある。
「気をつけます。行きましょう、エルナ」
「はい、ダン様」
黒鉄の扉を抜け、地下へ続く階段を下りる。
1階の通路は、黒みを帯びた石で造られていた。壁には一定の間隔で青白い魔石灯が埋め込まれているものの、その光は弱く、少し先までしか照らしていない。
空気は冷たく、初級ダンジョンよりも湿っている。
床や壁は一見すると平らだが、長い年月を経たような傷や継ぎ目が無数に残っていた。どれが自然にできたもので、どれが罠に関係しているのか、ダンには見分けられない。
「エルナ、何か感じますか?」
「今のところ、《危険察知》には反応がありません」
「《超嗅覚》でも魔物の匂いはしません。《音響探査》にも、僕たち以外の足音は入っていません」
2人は左右だけでなく、天井や足元にも注意しながら進んだ。
ダンは怪しい場所を見つけるたびに《鑑定》を試したが、何も表示されない。
《鑑定》は、認識した対象の情報を調べるスキルだ。何かが存在すると気づくことさえできなければ、調べる対象として捉えることもできない。
それでも、入口に近い1階でいきなり致命的な罠に遭うことはないだろう。
どこかで、そう考えていた。
通路を進んで間もなく、前方が左右へ分かれている場所へ出た。
床には他の冒険者が歩いた跡が残っており、どちらの道も使われているように見える。
「どちらへ行きましょうか」
「まずは右を調べてみましょう。行き止まりだったら戻ればいいですから」
ダンが右側の通路へ足を踏み出す。
靴底が床へ触れた瞬間、黒い石の下を紫色の光が走った。
「ダン様!」
エルナが叫ぶ。
《危険察知》が反応したのだろう。伸ばされた手がダンのコートを掴もうとする。
しかし、遅かった。
足元に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、一瞬で紫色の光が視界を埋め尽くす。
身体が下へ引きずり込まれるような感覚とともに、ダンの姿は通路から消えた。
◇
上下の感覚が戻ったとき、ダンの身体は暗闇へ投げ出されていた。
「えっ――」
何が起きたのか理解するより先に、背中へ冷たい風が当たる。
落ちている。
そう気づいた直後、右脚へ凄まじい痛みが走った。
「ぐっ……!」
硬いものが太腿を貫き、身体が強引に止められる。
続いて背中と左肩にも鋭い衝撃が加わり、肺の中の空気が一気に押し出された。
痛みに耐えながら周囲を確認し、ようやく自分の置かれた状況を理解する。
そこは石造りの縦穴だった。
底には無数の鉄杭が突き立てられ、その1本が右の太腿を貫いている。別の杭は防具を破り、左肩へ食い込んでいた。
人間だった頃なら、助からなかったかもしれない。
ダンは痛みに耐えながら腕へ爪を立てた。
流れ出した血から触手を伸ばし、穴の壁と近くの鉄杭へ巻きつける。
4本の触手で身体を支えながら少しずつ持ち上げると、太腿を貫いていた鉄杭がゆっくりと抜けた。
「っ……!」
傷口から血が溢れ出す。
だが、《超再生》が働き、裂けた肉はすぐに塞がり始めた。肩へ食い込んでいた杭から身体を外す頃には、太腿の傷もほとんど閉じている。
「エルナ!」
ダンは《音響探査》へ意識を集中させた。
近くに魔物の動く音はない。
しかし、石壁の向こうから、微かに自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ダン様! ダン様、どちらにいらっしゃいますか!」
エルナだ。
「僕は無事です! 今から戻ります!」
こちらの声が届いたかは分からない。
それでもエルナが無事だと分かっただけで、胸の奥にあった緊張が少しだけ和らいだ。
ダンは触手を縦穴の上へ伸ばした。
壁には僅かな凹凸や石の継ぎ目がある。その一つ一つへ触手を引っかけ、4本を交互に使いながら身体を持ち上げていく。
やがて鉄杭の並ぶ縦穴から抜け出すと、その先には人ひとりが通れるほどの狭い石造りの通路が続いていた。
転移先として作られた罠のための空間なのか、それとも古い通路が残っているだけなのかは分からない。
ダンは《超嗅覚》でエルナの匂いを探し、《音響探査》で声の方向を確かめながら進んだ。
何度か角を曲がった先で、正面の壁の一部が崩れている場所を見つける。
その隙間から、見覚えのある青白い魔石灯の光が漏れていた。
崩れかけた石を触手で退かし、隙間を広げる。
外へ出ると、元の通路を必死に調べていたエルナが振り返った。
「ダン様!」
エルナは駆け寄ると、そのままダンの身体へ抱きついた。
「よかった……本当に、よかったです」
「心配をかけてすみません。怪我はしましたが、もう治っています」
ダンが背中を軽く叩いても、エルナはしばらく離れなかった。
「私が先に歩くべきでした。《危険察知》も持っているのに、ダン様を罠へ……」
「エルナが悪いわけではありません。反応したときには、もう魔法陣が動いていました。それに、もしエルナが踏んでいたら、今頃どうなっていたか分かりません」
ダンの防具は、太腿と肩の部分が破れている。
《超再生》がなければ、今もあの穴の底で動けずにいた可能性が高い。
同じ罠へエルナが落ちていたら、助けに行く方法さえ分からなかった。
「戻りましょう」
「ですが、まだ魔物を1体も倒しておりません」
「だからこそです」
ダンは迷わず答えた。
「魔物と戦う前に、今のままでは足りないと分かりました。僕が無事だったからといって、このまま進む理由にはなりません」
紫色の魔法陣が現れた床へ視線を向ける。
すでに光は消え、周囲の床と区別がつかない。
罠があると分かった今、《鑑定》を使ってみても何も表示されなかった。
知っているだけでは足りない。
罠そのものを見つけるための力が必要だった。
◇
地上へ戻った2人が冒険者ギルドへ着く頃には、預けていた戦利品の査定が終わっていた。
買取額は金貨50枚を大きく超えた。
初級ダンジョンで得た最後の報酬としては十分すぎる金額だったが、今のダンは喜ぶより先に、エマへ尋ねた。
「罠を見つけるためのスキル書は売っていますか?」
「もしかして、罠にかかったのですか?」
「1階で転移させられて、鉄杭のある穴へ落ちました」
「怪我は?」
「防具が少し破れただけです」
嘘ではない。
ダンの身体には、すでに傷跡さえ残っていなかった。
エマは安心したように息を吐いたあと、少し険しい表情になる。
「だから言ったでしょう。中級ダンジョンは、魔物だけを見ていればいい場所ではないんです」
「はい。よく分かりました」
「分かったなら何よりです。《罠察知》なら、アイテム屋でスキル書を扱っているはずですよ」
「ありがとうございます」
2人はその足で店へ向かい、店主へ在庫を確認した。
「《罠察知》なら3冊ある。1冊金貨3枚だ」
「3冊すべてください」
ダンは迷わず金貨9枚を支払った。
店を出ると、エルナは受け取ったスキル書を胸へ抱いたまま、申し訳なさそうにダンを見る。
「すべて私が使ってもよろしいのですか?」
「はい。エルナには《危険察知》もあります。2つを一緒に使えば、僕より早く罠を見つけられるはずです」
「分かりました。次は必ず、ダン様をお守りします」
「僕もエルナを守ります。どちらか片方だけではありませんよ」
「……はい」
エルナが少し嬉しそうに頷き、1冊目のスキル書を開いた。
本に記された文字が光となって身体へ吸い込まれる。続けて、残る2冊も使用した。
【《罠察知》Lv1を習得しました】
【《罠察知》がLv2へ上昇しました】
【《罠察知》がLv3へ上昇しました】
エルナは目を閉じ、新しく得た感覚を確かめる。
「近くに罠があれば、何となく分かります。位置も……さっきの《危険察知》より、もっとはっきり感じられそうです」
「種類までは分かりますか?」
「Lv3なら、ある程度は分かるようです。何をきっかけに動くのかも」
それなら十分だ。
「次はエルナが前を歩いてください。僕は《超嗅覚》と《音響探査》で魔物を探し、《鑑定》で情報を確認します」
「お任せください」
初級ダンジョンでは、魔物を倒せる強さがあれば先へ進めた。
しかし、中級ダンジョンではそれだけでは足りない。
魔物を1体も倒さないまま戻ることになったが、ダンは失敗したとは思わなかった。
エルナを危険へ晒す前に、自分たちに足りないものを知ることができた。
装備を修理したら、もう1度《黒鉄の迷宮》へ挑む。
次はエルナが罠を探し、ダンが魔物を探る。
2人だけでは見つけられない危険があるなら、そのための力を手に入れればいい。
ダンはエルナのステータスに新しく加わった《罠察知》Lv3を確認しながら、中級ダンジョンの本当の攻略が、ようやく始まったのだと感じていた。




