第58話◆ 初級ダンジョンの主
《青石の迷宮》12階へ続く階段の前で、ダンとエルナは最後の確認をしていた。
上級治癒ポーションと魔力回復ポーションは、それぞれ取り出しやすい場所へ入れてある。予備の短剣も用意し、武器と防具の手入れも済ませた。
ギルドで借りた資料によれば、12階の階層主はホブゴブリンジェネラル。その周囲を2体のゴブリンファイターと、2体のゴブリンメイジが守っている。
最初に後衛のゴブリンメイジを無力化し、次にゴブリンファイターを倒す。護衛を片づけてから、2人でホブゴブリンジェネラルと戦う予定だった。
「準備は大丈夫ですか?」
ダンが尋ねると、エルナは剣を抜き、刃の状態を確かめてから鞘へ戻した。
「はい。いつでも行けます」
「階層主の部屋へ入ったら、倒すまで扉は開かないそうです。危ないと思ったら、僕の後ろへ下がってください」
「ダン様も、私を守ろうとして無茶をなさらないでください」
「僕には《超再生》がありますから、多少の怪我なら大丈夫です」
「怪我をしても治ることと、怪我をしても構わないことは違います」
エルナに真っ直ぐ見つめられ、ダンは返す言葉を失った。
「分かりました。僕も気をつけます」
「約束ですよ」
互いにうなずき、2人は並んで階段を下りた。
12階には通路がなく、階段の先には大きな扉だけがあった。黒い金属で補強された石造りの扉には、剣を掲げたゴブリンの姿が刻まれている。
ダンが扉へ近づくと、左右の壁に埋め込まれた魔石が青く光った。それに反応するように重い扉が音を立て、ゆっくりと奥へ開いていく。
扉の先は、これまでの階層よりも広い空間になっていた。
円形の部屋を支える太い石柱が等間隔に並び、中央には鉄製の椅子が置かれている。その前に、4体のゴブリンが立っていた。
剣と盾を構えたゴブリンファイターが2体。その後ろには、杖を持ったゴブリンメイジが2体いる。
そして、鉄製の椅子から一際大きな影が立ち上がった。
通常のゴブリンよりも頭2つ分ほど背が高く、厚い胸板を黒鉄の鎧で覆っている。腰には幅の広い長剣を下げ、肩から暗い赤色の外套をまとっていた。
ダンは扉を越える前に《鑑定》を使う。
――――――――――
種族 ホブゴブリンジェネラル
レベル 35
スキル
《剣術》Lv6
《身体強化》Lv5
《受け流し》Lv4
《統率》Lv5
《威圧》Lv3
《号令》Lv3
《激昂》Lv2
――――――――――
「レベル35……」
表示された情報を見て、ダンは小さく呟いた。
自分より20も高いレベルだが、不思議と勝てないとは思わなかった。レベルでは大きく上回られていても、ダンの能力は人間を基準にしたものではない。これまで奪ってきたスキルもある。
隣にいるエルナも、レベル14とは思えないほど高い能力を持っていた。
2人が部屋へ入ると、背後で扉が閉まった。
ホブゴブリンジェネラルが長剣を抜き、その切っ先をダンたちへ向ける。
次の瞬間、部屋全体を震わせるほどの声が響いた。
「グオオオオオッ!」
空気が重くなり、身体へ見えない圧力がのしかかる。エルナの足が一瞬止まり、剣を抜く動きが遅れた。
《威圧》だ。
さらにホブゴブリンジェネラルが剣を振り上げると、4体の護衛を赤い光が包んだ。ゴブリンファイターが盾を打ち鳴らし、ゴブリンメイジの杖に先ほどまでよりも大きな炎が集まっていく。
「《号令》です! 護衛の動きが速くなっています!」
ダンが叫ぶと、エルナも剣を抜いた。
「予定通り、前衛を引きつけます!」
エルナが前へ出ると、2体のゴブリンファイターが左右から襲いかかった。
強化された剣を正面から受けず、1体目の攻撃を斜めに逸らし、その反動を利用して2体目の盾を蹴る。
ダンはその間に、後方のゴブリンメイジへ向かって床を蹴った。
2つの火球が同時に放たれる。
1つ目を身体を沈めて避け、2つ目の前へ自分の火球を撃ち出した。空中で炎同士が衝突し、弾けた熱気が部屋へ広がる。
炎で視界が遮られた瞬間、ダンは空中を蹴って進行方向を変えた。石柱を回り込むようにゴブリンメイジの背後へ降り立ち、杖を持つ腕を斬る。
もう1体が杖を向けたが、その手首へ血の触手が巻きついた。引き寄せながら脚を斬り、2体とも立てない状態にする。
ダンは腕へ入れた切り傷からさらに触手を伸ばし、倒れた2体のゴブリンメイジへそれぞれ突き刺した。必要な量の血を順番に吸い終えると、触手を引き抜いてエルナへ声をかける。
「こちらは終わりました!」
エルナはゴブリンファイターの剣を受け流し、そのまま身体を回転させて首を斬った。間を置かず、床へ倒れているゴブリンメイジの急所も剣で貫いていく。
残ったゴブリンファイターがダンへ向かおうとしたが、エルナがその進路へ割り込んだ。
「ダン様の邪魔はさせません!」
振り下ろされた剣を受け流し、がら空きになった脚へ刃を走らせる。膝をついた相手の腕をダンが触手で拘束し、吸血を終えてからエルナがとどめを刺した。
護衛をすべて失っても、ホブゴブリンジェネラルは動揺しなかった。
むしろ、最初からダンたちの動きを観察していたように、長剣を両手で構えている。
「来ます!」
ホブゴブリンジェネラルが床を蹴った。
巨体からは想像できない速さでダンとの距離を詰め、黒鉄の長剣を斜めに振り下ろす。
ダンは片手剣で受け流そうとしたが、刃が触れた瞬間、腕へ凄まじい重さが伝わった。軌道を逸らし切れず、長剣が肩の防具を掠める。
革と金属を重ねた肩当てに、深い傷が刻まれた。
「ダン様!」
エルナが側面から斬りかかるが、ホブゴブリンジェネラルは長剣を返し、その刃を受け流した。続く蹴りをエルナは腕で防いだものの、身体ごと後方へ押し戻される。
力だけではない。
ダンとエルナが左右へ分かれても、ホブゴブリンジェネラルは常に2人の位置を捉えている。《剣術》と《受け流し》に、《統率》で培った広い視野が合わさっていた。
「強いですね」
「はい。ですが、動きは見えます」
エルナはすぐに体勢を整え、再び剣を構えた。
ダンが正面から斬り込み、ホブゴブリンジェネラルに長剣を使わせる。その隙にエルナが側面から脚を狙うが、階層主はわずかに身体を引いて刃を避けた。
今度はエルナが正面から攻め、ダンが背後へ回る。
2人の剣が交互に襲いかかり、黒鉄の鎧へ少しずつ傷を増やしていく。ホブゴブリンジェネラルの剣もダンの脇腹を掠めたが、傷は《超再生》によってすぐに塞がった。
エルナの剣が、ついに階層主の太腿を捉える。
浅い傷だったが、そこから黒い血が流れた。
ホブゴブリンジェネラルが大きく後ろへ跳び、傷口へ目を落とす。その瞳が赤く染まり、全身の筋肉がさらに膨れ上がる。
《激昂》が発動した。
先ほどまでよりも速く、重い一撃がエルナへ迫る。エルナは受け流そうとしたが、軌道を逸らし切れず、長剣が胸当てを掠めた。
金属板に深い亀裂が走り、その下の服にも刃が届いた。赤い血がじわりと滲む。
「エルナ!」
傷は深くない。それでもエルナが傷つけられた瞬間、ダンの中で何かが冷たく切り替わった。
片手剣を持たない左腕へ、刃を滑らせる。
流れ出した血が一気に増え、複数の触手へ形を変えた。床を這った触手がホブゴブリンジェネラルの両脚へ絡みつき、さらに2本が長剣を握る腕へ巻きつく。
階層主は触手を引き千切ろうと力を込めたが、その瞬間にダンが懐へ踏み込んだ。
片手剣で右脚の腱を斬り、続けて左腕にも深い傷を負わせる。巨体が体勢を崩したところへ、エルナが剣の柄を叩き込み、長剣を手から弾き飛ばした。
ホブゴブリンジェネラルが片膝をつく。
まだ戦意を失ってはいないが、両脚と片腕を傷つけられ、複数の触手に拘束された状態では立ち上がれなかった。
「エルナ、傷を見せてください」
「この程度なら大丈夫です。それよりも、吸血を」
ダンは胸当てに残った傷を確認し、血が止まり始めていることに安堵した。それからホブゴブリンジェネラルの太腿へ触手を突き刺す。
階層主の身体が大きい分、必要な血の量も多かった。
吸い上げる血が触手を通り、ダンの中へ流れ込んでくる。
これまでの魔物とは明らかに違う。
剣の扱い方、身体へ力を通す感覚、攻撃を受け流す技術。そして、周囲を従わせるような力まで、複数の感覚が一気に身体へ刻まれていった。
【《威圧》Lv1を習得しました】
【《威圧》がLv2へ上昇しました】
【《号令》Lv1を習得しました】
【《号令》がLv2へ上昇しました】
【《激昂》Lv1を習得しました】
さらに、既に持っている《剣術》《身体強化》《受け流し》《統率》にも、ホブゴブリンジェネラルが持つスキルレベルに応じた強奪値が加算される。
【《身体強化》がLv2へ上昇しました】
「一気に上がった……」
ダンは思わず呟いた。
これまでは同じスキルを持つ魔物を何体も狩り、少しずつ強奪を重ねてきた。
だが、ホブゴブリンジェネラルが持つスキルはどれもレベルが高い。1体から奪っただけでも、これまでの魔物を何体も吸血したのと同じだけの力が加わっている。
強い相手ほど、奪える力も大きい。
ダンは初めて、その違いをはっきりと実感した。
「終わりました」
ダンが触手を引き抜くと、エルナはホブゴブリンジェネラルの前へ立った。
「私たちの勝ちです」
剣が急所を貫く。
ホブゴブリンジェネラルの巨体が光の粒子へ変わり、部屋の中へ散っていった。
《エルナのレベルが14から15へ上昇しました》
表示を確認した直後、部屋の中央へ複数のドロップ品が現れた。
大型魔石が1個、黒鉄の長剣が1本、将軍の胸当てと暗い赤色の外套。そして、剣を掲げたゴブリンが刻まれている将軍の紋章。
ダンがそれらをマジックバッグへ収めると、鉄製の椅子があった場所から石が動く音が響いた。
床が開き、銀色の装飾が施された宝箱がゆっくりとせり上がってくる。
ギルドの資料には、階層主を初めて倒した者には、ランダムなスキル書が必ず与えられると書かれていた。2回目以降も宝箱は出現するが、スキル書が入っている確率は低いらしい。
罠がないことを確認してから、ダンが蓋を開ける。
中には、淡い青色の表紙を持つスキル書が1冊入っていた。
「何のスキルでしょう」
ダンが手に取り、《鑑定》を使う。
――――――――――
スキル書《魔力障壁》
魔力によって障壁を作り、物理攻撃や魔法を防ぐ。
――――――――――
「守るためのスキルですね」
「高く売れると思います。階層主を倒すためにかなりお金を使いましたから、売却してもよいのではありませんか?」
エルナの提案に、ダンは首を横に振った。
「お金はまた稼げます。でも、エルナを守れるスキルは今使った方がいいです」
「また、そのようなことを……」
エルナの頬が僅かに赤くなる。
「受け取っていただけませんか?」
「ダン様が望まれるのでしたら、喜んで使わせていただきます」
エルナがスキル書を開くと、書かれていた文字が青い光へ変わり、その身体へ吸い込まれた。
《魔力障壁》Lv1を習得しました。
試しにエルナが右手を前へ出し、魔力を流す。手の前へ半透明の青い板が現れたが、大きさは上半身を隠せる程度だった。
ダンが指先で触れると、硬い壁のような感触が返ってくる。
「これなら、さっきの攻撃も防げたかもしれません」
「まだLv1ですので、階層主の攻撃を完全に止められるかは分かりません。ですが、次は必ず使います」
宝箱が消えると、部屋の奥に新たな2つの出口が現れた。
1つは迷宮の入口へ戻る転移陣。もう1つは11階へ戻る階段だった。
ダンは階段を見ながら、しばらく考える。
「階層主は、どのくらいで復活するのでしょうか」
「続けて挑むおつもりですか?」
「せっかく新しいスキルを持っていましたから、重ねればもっと上げられます。それに、2回目から宝箱に何が入っているのかも気になります」
エルナは呆れることなく、楽しそうに微笑んだ。
「それでは、復活するまで11階で狩りをしましょう。私は《魔力障壁》の使い方を覚えたいです」
「はい。1時間ほど狩ったら、1度様子を見に戻りましょう」
「1時間で復活するのでしょうか?」
「分かりません。だから確かめます」
初級ダンジョンを制覇したばかりだというのに、ダンの関心は既に次の戦いへ向いている。
2人は入口へ戻る転移陣を使わず、11階へ続く階段へ向かった。
《青石の迷宮》での狩りは、まだ終わっていなかった。




