第5話◆ 血の触手
第5話◆ 血の触手
冒険者ギルドを出た僕は、来たときと同じ西門から街の外へ出た。
門の周辺には木材や石材が積まれ、大勢の職人が城壁の拡張工事を続けている。そこから街道を少し進むと、槌を打つ音や人々の声は徐々に遠ざかっていった。
エマさんから指定された森は、ガルドさんと出会った街道の両側に広がっている。
ただし、薬草を探すのは森の浅い場所だけだ。道から離れすぎず、ゴブリンを見つけたら戦わずに逃げるよう言われている。
僕は借りた麻袋を手に、木々の間へ入った。
柔らかな土を踏み、背の低い草をかき分けながら進む。病室の窓から眺めるだけだった木々が、今は手を伸ばせば触れられる場所にあった。
葉の匂いも、土の感触も、木漏れ日の暖かさも知っている。風が吹けば、何枚もの葉が重なって音を立てた。
ただ歩いているだけなのに楽しい。
「仕事で来てるんだから、ちゃんと探さないと」
誰に言うでもなく呟き、薬草探しへ意識を戻す。
依頼の薬草は細長い葉を持ち、根元に白い線が入っている。似た形の草を見つけるたびにしゃがみ込み、葉を傷つけないように持ち上げて確認した。
1つ目は、白い線がない。
2つ目は、葉の形が少し丸い。
3つ目を見つけたとき、根元に細い白線が入っていた。
「あった……これだ」
エマさんに教わった通り、茎を潰さないよう根元から摘み取る。念のため何度も見本の特徴を思い返したが、間違いなさそうだった。
初めて自分の力で見つけた仕事の成果だ。
慎重に麻袋へ入れ、その周囲を探す。同じ種類の草は近くにまとまって生えることがあると聞いていた。
読み通り、少し離れた木の根元でも2本見つかった。
「これで3本。あと7本ですね」
誰もいないのに、自然と声が出る。
病室では、何かあれば看護師さんや先生に話していた。今は一人だが、黙っているより声にした方が落ち着いた。
四本目を見つけたところで、右手側の茂みが揺れた。
風ではない。
葉の擦れる音に混じって、何かが地面を踏む音がする。
僕は薬草を持ったまま、音のした方へ顔を向けた。
茂みの奥から現れたのは、人間の子どもほどの背丈しかない魔物だった。緑色の肌に、尖った耳。腰には汚れた布を巻き、右手には錆びた刃物を握っている。
異世界漫画で何度も見た姿だった。
「ゴブリン……」
名前を口にすると、ゴブリンが黄色い歯を剥き出しにした。
エマさんからは、見つけたら逃げるように言われている。
僕は薬草を麻袋へ入れ、ゴブリンから目を離さないまま後ろへ下がった。
「僕は帰りますから、来ないでもらえませんか?」
言葉が通じた様子はない。
ゴブリンは錆びた刃物を持ち上げ、地面を蹴った。
「うわっ!」
斜めに振り下ろされた刃物を見て、身体を横へ動かす。
ゴブリンの動きが、ひどく遅く見えた。
刃物はコートの端にも触れず、目の前を通り過ぎる。僕はそのまま数歩離れたが、ゴブリンはすぐに向きを変えた。
再び刃物が振られる。
今度も動きは見えていた。避けられると思い、身体を後ろへ引いたところで、踵が木の根に引っかかった。
「あっ」
体勢を崩した瞬間、刃物の先が左腕を掠めた。
革のコートが裂け、その下の肌に細い傷が走る。
痛みより先に、赤い血が流れ出した。
僕は地面へ片手をつきながら、自分の腕を見る。
傷口が塞がっていく。
切られたばかりの皮膚が動き、何かに引き寄せられるようにつながった。数秒もしないうちに、傷は跡形もなく消えてしまう。
《超再生》。
ステータスに表示されていた固有スキルだ。
しかし、すでに身体の外へ流れ出た血は消えなかった。
腕の表面に残った血が、重力に逆らって持ち上がる。赤黒い液体は空中で集まり、細長く伸び始めた。
それを見た瞬間、使い方が分かった。
「《触手》……」
血が黒紅色の触手へ変わった。
細い先端が空中で揺れ、僕の意思に従うように向きを変える。腕から直接生えているわけではない。それでも、自分の指と同じように感覚が伝わってきた。
ゴブリンが再び迫る。
危ないと思った瞬間、触手は意思に反応して伸びた。
先端が、刃物を持つゴブリンの手首へ巻きつく。
「止まって!」
触手を引くと、ゴブリンの身体が簡単に浮いた。
予想していたよりも軽い。いや、触手の力が強すぎるのかもしれない。
ゴブリンは空中で喚き、空いた手を触手へ伸ばした。僕が遠ざけようと動かすと、その身体は勢いよく横へ振られる。
鈍い音がした。
ゴブリンの頭が木の幹へぶつかり、その手から刃物が落ちる。触手を緩めると、身体は地面へ崩れ落ちた。
もう動かない。
僕は立ち上がり、慎重に近づいた。
「死んでる……?」
胸の動きを確認するが、呼吸はしていなかった。
初めて生き物を殺した。
ゴブリンはこちらを殺そうとしていた。戦わなければ、自分が死んでいたかもしれない。それでも実際に殺せば、吐いたり、身体が震えたりするのではないかと思っていた。
しかし、何も起きなかった。
怖くないわけではない。人間に似た形の生き物が、目の前で死んでいるのだから、気分がいいはずもない。
それでも、胸に湧いてきたのは罪悪感より、生き残れたことへの安堵だった。
「思っていたより、平気なんだ……」
異世界漫画で、主人公たちが魔物を倒す場面を何度も読んできたからだろうか。
それとも、この身体になったことと何か関係があるのだろうか。
答えは分からない。
ただ、ゴブリンは人を襲う魔物で、倒さなければこちらが殺される。その事実だけは理解できた。
動揺している時間は短かった。
それよりも、確かめたいことがある。
僕は腕の周囲に浮かぶ触手へ意識を向けた。自分の血から作られたはずなのに、腕の傷が治ったあとも形を保っている。
右へ動けと考えれば右へ動く。細く伸ばし、近くの枝へ絡ませることもできた。先端だけを曲げるような細かな操作も難しくない。
器用の数値が44もあるからだろうか。
触手をゴブリンへ近づけたとき、鼻に血の匂いが届いた。
突然、喉の奥が焼けるように熱くなった。
「なに、これ……」
空腹とは違う。
目の前にある血を、身体が欲しがっている。
ステータスで見た《吸血》と《スキル強奪》を思い出す。《吸血》によって必要量の血を取り込めば、相手のスキルを獲得できると書かれていた。
死んでいるゴブリンからでも吸えるのだろうか。
試してみたい。
そう思ったことに、自分でも驚いた。ついさっき生き物を殺したばかりなのに、その血を吸うことへの抵抗まで薄い。
それでも、ここで確かめなければ、自分の能力が何なのか分からないままだ。
僕は触手を伸ばし、その先端をゴブリンの肩へ突き刺した。
触手の内側を、温かいものが流れてくる。
【《吸血Lv1》が発動しました】
ゴブリンの血が触手を通り、僕の身体へ取り込まれていく。
喉の渇きが少しずつ消え、それと同時に、身体の奥が満たされていく感覚があった。
しばらく吸い続けても、《スキル強奪》は発動しない。
「まだ足りないのか」
《吸血Lv1》では、強奪のために大量の血が必要だと表示されていた。
途中で止めることもできる。それでも僕は、吸血を続けた。
ゴブリンの緑色の肌から、少しずつ張りが失われていく。腕が細くなり、頬が窪んでも、まだ条件には届かない。
やがて身体のほとんどが干からびたところで、新しい表示が現れた。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《短剣術Lv1》を獲得しました】
【次のレベルまで:0/2】
「本当に、奪えた……」
ステータスを開くと、スキル欄に《短剣術Lv1》が追加されていた。
地面へ落ちているゴブリンの刃物を拾い上げる。
錆びて刃こぼれした粗末な武器だ。それなのに柄を握った瞬間、さっきまでとは持ち方が変わった。
指を置く位置。刃先の向き。相手との距離。
誰かに教わったわけではない知識が、最初から自分の中にあったように浮かんでくる。
これが、スキルを奪うということらしい。
そのとき、頭の奥に見知らぬ光景が浮かんだ。
薄暗い部屋。赤い絨毯。自分を抱き上げる、青白い手。
顔は見えない。
ただ、低く穏やかな声が聞こえた。
『お前だけは、必ず――』
そこで光景が途切れた。
気づけば、僕は錆びた刃物を握ったまま森に立っていた。
「今のは……誰の記憶?」
答える者はいない。
足元には干からびたゴブリンと、採取途中の薬草が残されている。
この身体には、僕の知らない過去があるのかもしれない。
けれど、さっき見えたものがこの身体の記憶なのか、それともゴブリンから流れ込んだ何かなのか、今の僕には分からなかった。
僕はしばらく考えたあと、錆びた刃物を麻袋の脇へ差した。
分からないことは多い。
それでも、1つだけはっきりした。
魔物の血を吸えば、そのスキルを奪える。
森の奥から、別の何かが動く音が聞こえた。
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