第45話◆ 2人を連れて
深紅の光が、ゆっくりと消えていく。
ダンはエルナの手を握ったまま、その変化を見つめていた。先ほどまで血の気を失っていた頬にはわずかに色が戻り、黒く焼けていた右肩にも傷一つ残っていない。
噛み砕かれていた左脚にも傷はなく、大きく裂けていた脇腹も完全に塞がっていた。
流れ続けていた血も止まり、呼吸は安定している。首元へ指を当てると、先ほどまで消えかけていた鼓動が、今ははっきりと伝わってきた。
「エルナ……?」
閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。
「……ダン……」
エルナは一度そう呟き、ダンの顔を見つめた。その瞳がわずかに揺れ、もう一度唇が動く。
「……ダン様」
「え?」
聞き間違いかと思った。
「身体は大丈夫ですか?」
「はい……ダン様」
やはり聞き間違いではない。
どうして急に様付けになったのか聞こうとしたところで、ダンの前へ半透明の文字が現れた。
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《眷属化》が完了しました。
眷属 1/3
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「成功した……」
全身から力が抜けそうになる。
助けられた。
本当に、間に合った。
その安堵を噛み締める間もなく、今度は見慣れない情報が目の前に現れた。
《鑑定》を使ったわけではない。それでも、これまで他人には見ることのできなかった詳しい情報まで表示されている。
どうやら《眷属化》が成立したことで、主人であるダンには眷属の情報を確認できるようになったらしい。
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【名前:エルナ】
【種族:吸血眷属/ヴァレン血族】
【年齢:21】
【レベル:1】
【HP:246/246】
【MP:218/218】
【筋力:43】
【耐久:45】
【俊敏:51】
【器用:46】
【魔力:40】
【精神:42】
【種族スキル】
《暗視Lv1》
《不眠Lv1》
《吸血Lv1》
《再生Lv1》
《状態異常耐性Lv1》
【通常スキル】
《剣術Lv5》
《受け流しLv4》
《身体強化Lv3》
《危険察知Lv3》
《統率Lv3》
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レベルは1まで戻っている。それなのに能力値は、以前見たレベル1の人間とは比較にならないほど高い。
眷属化する前から持っていた通常スキルも、そのまま残っていた。新しく加わったのは、《暗視》《不眠》《吸血》《再生》《状態異常耐性》。ダン自身が持つ種族スキルと似ている。
「エルナ。自分の身体に違和感はありませんか?」
エルナはゆっくりと身体を起こし、砕かれていたはずの左脚を動かしてから、黒く焼けていた右肩を回した。
「ありません。むしろ……以前より身体が軽く感じます」
「立てますか?」
「はい」
差し出したダンの手を取り、エルナが立ち上がる。最初こそ少しふらついたものの、すぐに自分の足で身体を支えた。
あれだけの傷を負っていたとは思えない。
《眷属化》には、対象を吸血眷属へ変えるだけではなく、身体そのものを作り直すような効果があるのかもしれない。少なくとも、死ぬ寸前だったエルナの傷は完全に消えている。
「本当に……助かったんですね」
「はい」
答えたエルナの表情が、すぐに曇った。
視線の先には、カイルとリナがいる。
「……2人は?」
ダンは答えられなかった。
エルナも、それだけで分かったのだろう。カイルの元へ歩いていくと、その場へ膝をついた。
「カイル……」
返事はない。
折れた短剣を握った手に触れ、それからリナへ目を向ける。立ち上がったエルナは、今度はリナの隣へ座り、血に汚れた髪をそっと整えた。
「リナ……ごめん……。私だけが……生き残ってしまった……」
ダンは何も言えなかった。
自分がもう少し早く11階へ来ていれば。エルナたちが階段を下りたとき、一緒についていっていれば。
考えれば、いくらでも別の可能性が浮かんでくる。
だが、今さら何を考えても2人は戻ってこない。
しばらくして、エルナが涙を拭った。
「ダン様」
「はい」
「2人を、街へ連れて帰ります」
「もちろんです」
ここへ置いていくという選択肢は、ダンにもなかった。
エルナがカイルの折れた短剣を拾い、その手元へ戻す。その間にダンは周囲を見回した。
先ほどの戦闘だけでなく、エルナたちがここへ来るまでに倒した魔物のドロップ品も、床のあちこちに残っている。
今は1つずつ《鑑定》している気分ではなかったが、カイルとリナの葬儀や遺族への補償を考えれば、置いていく理由もない。
「落ちている物も回収しておきます」
「お願いします」
ダンは目につくドロップ品を中型マジックバッグへ入れていった。
魔石が8個。オークウォリアーが落とした厚い皮、大きな牙、巨大な戦斧。インプメイジが落とした角と魔法布。そして、シャドウパンサーの黒い毛皮が6枚と爪が4組。
そのほかに、黒い石のような物も1つ落ちていた。何なのかは分からないが、今は確認する気にもなれず、そのままバッグへ入れる。
回収を終えたダンは、カイルとリナへ目を向けた。
マジックバッグに入れられないのは、生きているものだけだ。命を失った2人なら収納できるし、その方が地上まで安全に運べる。
「2人もバッグに――」
「私が背負います」
エルナが静かに言った。
ダンは、その顔を見る。
「リナは、私が背負って帰ります」
「でも……」
「お願いします」
エルナはリナの隣へ膝をつくと、その身体をそっと抱き起こした。
「最後くらい……私が連れて帰りたいんです」
ダンは何も言えなくなった。
「分かりました」
エルナはリナの身体を背負い、血に濡れた腕を自分の肩へ回して、ずり落ちないようにしっかりと支えた。
その姿を見て、ダンはカイルへ目を向ける。
自分だけカイルをバッグへ入れる気にはなれなかった。
「じゃあ、カイルは僕が背負います」
カイルの前へしゃがみ、その身体を背中へ乗せる。人の身体は重いが、今のダンの筋力なら運ぶこと自体は難しくない。
「戻りましょう」
「はい、ダン様」
2人はカイルとリナを背負い、11階を引き返した。
行きとは違い、急ぐ必要はない。それよりも、2人を背負ったまま戦闘になることだけは避けたかった。
ダンは《超嗅覚》で周囲の匂いを探り、《音響探査》で通路の先を確認しながら進む。魔物の気配があれば別の道を選び、多少遠回りになっても戦闘を避けた。
今は新しいスキルを手に入れることより、4人で街へ帰ることの方が大切だった。
10階へ戻ってからも同じだった。ゴブリンファイターやゴブリンメイジのいる場所は可能な限り避け、少しくらい遠回りになっても構わない。
エルナも何も言わず、リナを背負ってダンの後ろを歩き続けた。
しばらく進んだところで、ダンはふと振り返った。
「エルナ」
「はい、ダン様」
「その……やっぱり、僕のことを様付けで呼ぶんですね」
ずっと気になっていた。
エルナは不思議そうに首を傾げる。
「当然です。ダン様は私の主人ですから」
「主人……」
分かっていたことではある。《眷属化》する前に、自分で説明した。
眷属になればダンを主人として認識し、命令に逆らえなくなる。それでも実際に言われると、想像していた以上に重い。
「今までみたいに、ダンでいいですよ」
「申し訳ありません。それはできません」
「命令しても?」
エルナが一瞬だけ黙った。
「命令であれば従います」
「……やめておきます」
呼び方まで命令するのは違う気がした。
エルナの記憶も人格も変わっていない。それでも、ダンに対する認識だけは確実に変化している。
これが《眷属化》なのだ。
「何か変なことを言ったり、無理な命令をしたりしたら教えてください」
「ダン様の命令であれば、私は喜んで従います」
「それが心配なんですけど……」
「?」
エルナは本当に分かっていないようだった。
ダンは小さく息を吐き、再び歩き出した。
これから少しずつ考えるしかない。《眷属化》を使ってエルナを助けたことを後悔はしていないが、助けたからといって、エルナの人生まで自分のものになったとは思いたくなかった。
長い時間をかけ、2人は青石の迷宮を上っていった。
地上へ近づくにつれて冒険者の姿が増えていく。カイルとリナを背負っている2人を見ると、誰もが何かを察したように道を空けたが、声をかけてくる者はいなかった。
やがて迷宮の出口が見え、外へ出ると、すでに日は沈んでいた。
夜の空気が頬に触れる。
ダンにとっては、いつもと変わらない夜だった。それなのに、11階へ下りる前と今では、何もかもが変わってしまったように感じる。
4人で迷宮へ入ったわけではない。
それでも、帰り道は4人だった。
誰も置いてこなかった。
ただ、そのうち2人はもう、自分の足で歩くことができない。
冒険者ギルドへ到着すると、まだ夜の受付には多くの冒険者が残っていた。
扉を開けたダンたちへ、いくつもの視線が集まる。受付の奥にいたエマも顔を上げ、カイルを背負うダンと、リナを背負うエルナを見た。
そして、2人の服に残る大量の血に気づいた瞬間、その表情が変わった。
エルナが受付の前まで歩く。
リナを背負ったまま、震える声で告げた。
「11階で……仲間を2人、失いました」
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