第39話◆ スキルのその先
エルナたちとの食事を終えたあと、ダンは冒険者ギルドを出た。
外へ出ると、グランベルの通りはすでに夜の色へ変わっている。人通りも昼間ほど多くはなく、店じまいを始めている店も目立った。
本当なら、このまま《星読みの小箱》へ向かい、《隠蔽》のスキル書を買うつもりだった。
金貨5枚なら、もう十分に持っている。
だが、食事を終えるまで思ったより時間がかかった。今から向かったところで、店が開いている可能性は低い。
「明日の朝でいいですね」
ダンはそう呟いた。
《隠蔽》は必要だ。
現在はLv2で、名前と種族を偽装できるようになっている。それでも、《吸血》や《不眠》といったダンピール特有のスキルまでは隠せていない。
いずれ高位の《鑑定》を使える相手と出会えば、そこから正体を疑われる可能性もある。
できるだけ早く上げておきたい。
ただ、今夜買えないのなら、店が開くまで待っている必要はない。
眠る必要のないダンには、まだ使える時間が残っている。
「それなら、先に別のスキルを育てておきましょう」
向かったのは9階ではなかった。
ダンはそのまま青石の迷宮へ入り、ケイブマウスが生息する2階まで降りた。
「まずは《嗅覚強化》を上げてみます」
現在の《嗅覚強化》はLv7。
次の階層へ進むことも楽しみだったが、スキルがどこまで上がるのかも確かめてみたかった。
すでにLv7の成長は少し進んでいる。
次のレベルまで残り113体。
そこからLv9まで256体、さらにLv10まで512体分のスキルが必要になる。
合計881体。
数字だけを考えれば途方もない。
それでも中型と小型、2つのマジックバッグを持っている今なら、以前より長く狩りを続けられる。いっぱいになれば地上へ戻って換金し、また潜ればいい。
ダンは鼻へ意識を集中させた。
湿った石と苔の匂いに混じり、獣特有の体臭が通路の奥から漂ってくる。8階のポイズンリザードと比べれば、ケイブマウスの動きは遅く、気配も隠せていない。
角を曲がった先にいた3体が、ダンへ気づいて一斉に振り返る。
大型の犬ほどもある黒い鼠たちは前歯を剥き出しにして威嚇したが、今のダンにとって脅威になる相手ではなかった。
飛びかかってきた1体の横を抜け、剣の峰で後ろ脚を叩く。続けて2体目の前脚を斬り、最後の1体は蹴り飛ばして壁へ叩きつけた。
3体すべてが立てなくなったことを確認すると、腕へ浅く傷をつける。流れ出した血が赤い触手へ変わり、ケイブマウスの脚へ突き刺さった。
《吸血》はLv4になっているため、相手を干からびさせる必要はない。血を吸いながら《スキル強奪》を使い、《嗅覚強化》を奪い取る。
血の触手を抜いてから、順番にとどめを刺した。
消滅した身体の代わりに残された魔石、灰色の毛皮、鋭い前歯を拾い、中型のマジックバッグへ収める。
「あと878体ですね」
先は長い。
それでも、ダンの声は楽しそうだった。
夜の2階は、昼間ほど冒険者が多くない。ほとんどが駆け出し向けの階層であるため、わざわざ夜まで残って狩る者は少なく、通路の奥へ進めば人影は完全になくなった。
ダンは匂いを頼りにケイブマウスを探し続けた。
1体なら数秒で立てなくし、複数なら剣と蹴りを使ってまとめて無力化する。血を吸ってスキルを奪い、触手を抜いてからとどめを刺す。
ドロップ品を回収したら、次の匂いを追いかける。
同じことを繰り返すうちに、狩りの速度はさらに上がっていった。
そして今回113体目から《嗅覚強化》を奪ったところで、表示が現れた。
【《嗅覚強化》を重複強奪しました】
【《嗅覚強化Lv7》が《嗅覚強化Lv8》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/256】
「まず1つですね」
だが、まだ先は長い。
ダンはそのまま狩りを続けた。
夜が明けて2階へ駆け出しの冒険者が増え始めると、人の少ない奥の通路へ移動する。途中で腰を下ろして水を飲み、残っていた携帯食を口へ運びながら身体も休ませた。
やがて2つのマジックバッグへ素材が入りきらなくなり、ダンは一度地上へ戻った。
冒険者ギルドで素材を換金すると、休む間もなく再び2階へ向かう。
そして狩る。
バッグがいっぱいになれば地上へ戻り、換金して、また迷宮へ入る。
同じことを何度も繰り返した。
冒険者ギルドの職員からは何度か不思議そうな顔をされたが、ダンにとってはスキルを育てることの方が重要だった。
今回の狩りが累計369体へ達したところで、次の表示が現れる。
【《嗅覚強化》を重複強奪しました】
【《嗅覚強化Lv8》が《嗅覚強化Lv9》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/512】
必要な数が増えたことで、次の上昇まではさらに長くなる。
それでも、諦める理由にはならなかった。
昼が過ぎ、夜が訪れ、また朝が来る。
眠気はなくても、身体の疲れは溜まる。
腕や脚が重くなれば人のいない場所で座り、水を飲んで携帯食を食べる。しばらく身体を休ませ、動きが戻れば再び狩りを始める。
魔物を探し、無力化し、吸血してスキルを奪う。
バッグがいっぱいになれば換金し、空になったバッグを持って戻ってくる。
どれほどの時間を繰り返したのか。
そして、今回881体目となるケイブマウスから血を吸い、《嗅覚強化》を奪った瞬間、これまでとは異なる表示が現れた。
【《嗅覚強化》を重複強奪しました】
【《嗅覚強化Lv9》が《嗅覚強化Lv10》へ上昇しました】
【《嗅覚強化》が最大レベルへ到達しました】
【進化条件を満たしました】
続けて、新たな文字が浮かび上がる。
【《嗅覚強化》が《超嗅覚Lv1》へ進化しました】
「進化?」
思わず声が漏れた。
ステータスを開くと、通常スキルの欄から《嗅覚強化》が消え、代わりに《超嗅覚Lv1》が加わっている。
レベルは1へ戻っているが、鼻へ意識を集中させた途端、これまでとは比べものにならないほど多くの匂いが流れ込んできた。
近くにいるケイブマウスの数だけではない。
どの通路から匂いが流れてきているのか。こちらへ近づいているのか、遠ざかっているのか。床や壁に残った匂いを辿れば、そこを通ってからどれほど時間が経っているのかまで、おおよそ判別できる。
さらに離れた場所には冒険者たちがいる。
金属、革、汗、食料。
それぞれの匂いが混ざることなく、別々のものとして感じ取れた。
「Lv1なのに、《嗅覚強化》Lv10より使えることが増えています」
進化によって弱くなったわけではない。
《嗅覚強化》で得た能力を残したまま、その先の力が加わっている。
喜んでいるダンの前に、もう1つ説明が表示された。
【進化前の下位スキルを強奪した場合、スキルレベルに応じた成長値へ変換されます】
【下位スキルLv1につき、成長値0.1を獲得します】
つまり《嗅覚強化Lv1》を奪えば0.1、《嗅覚強化Lv2》なら0.2が《超嗅覚》へ蓄積されるらしい。
同じ進化後のスキルを奪った場合は1として数えられるが、《超嗅覚》を持つ魔物が簡単に見つかるとは思えない。
進化後のスキルを育てるには、これまで以上の数を狩る必要がありそうだった。
「まだ先があるんですね」
大変だと思うより先に、ダンの胸へ期待が広がった。
スキルはLv10で終わりではない。
進化し、さらに強くなる。
他のスキルをLv10まで上げたら、何に進化するのだろう。
確かめたいという気持ちを抑えられず、ダンは最後のドロップ品を回収すると地上へ戻った。
何度かに分けて持ち込んだ分も合わせ、今回狩ったケイブマウスは881体。
魔石が1個につき銅貨12枚、灰色の毛皮が銅貨20枚、鋭い前歯が銅貨8枚。
1体につき銅貨40枚で、合計は銀貨352枚と銅貨40枚――金貨3枚、銀貨52枚、銅貨40枚になった。
第38話でゴブリンアーチャーとポイズンリザードを換金したあと、所持金は金貨7枚、銀貨76枚、銅貨14枚だった。
そこへ今回の換金分を加えると、
金貨11枚、銀貨28枚、銅貨54枚。
金貨5枚の《隠蔽》のスキル書を買っても、まだ十分な余裕が残る。
「これだけあれば、買っても余裕がありますね」
ギルドを出たダンは、そのまま魔道具店《星読みの小箱》へ向かった。
しかし、店のある通りへ入った時点で人通りはほとんどなく、店先の明かりも消えている。入口の扉を引いてみたが、しっかりと鍵がかかっていた。
「閉まっていますね……」
前にも同じことがあった。
金はある。
買うつもりもある。
なのに、狩りに夢中になるたび、店へ来る頃には閉まっている。
「仕方ありません。次に地上へ戻ったときこそ買いましょう」
そう決めたものの、次に店が開くまでにはまだ時間がある。
眠る必要はなく、ケイブマウスの血を大量に吸ったことで空腹も感じていない。
宿へ戻っても、今すぐ眠る必要はない。
ダンは閉ざされた扉をしばらく見つめたあと、青石の迷宮がある方角へ顔を向けた。
「それまで、もう1つだけ試してきましょう」
次に育てるのは《音響察知》だ。
現在のレベルは8。
4階のケイブバットを狩れば、Lv10まで上げられる。
そのまま迷宮へ戻ったダンは、脇目も振らず4階を目指した。
《超嗅覚》を得たことで、ケイブバットが集まっている場所は以前より簡単に見つけられた。洞窟特有の湿った空気に混じる獣臭を追い、天井にぶら下がっている群れへ近づく。
翼を広げたケイブバットが飛び立つより早く、ダンは床を蹴った。
《跳躍》で天井近くまで上がり、剣の腹で翼を叩く。落下した個体を次々に立てなくし、触手で血を吸って《音響察知》を奪っていった。
ケイブバットは群れで行動している。
1度に見つけられる数が多く、《超嗅覚》で群れの居場所も探しやすくなったため、ケイブマウスを狩っていたときよりも速いペースで数を重ねられた。
それでも、256体という数は少なくない。
身体が重くなれば休み、バッグがいっぱいになれば地上へ戻る。
素材を換金したら、また4階へ向かう。
そして今回256体目。
【《音響察知》を重複強奪しました】
【《音響察知Lv8》が《音響察知Lv9》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/512】
「あと512体ですね」
普通なら、ここで十分だと思うのかもしれない。
だが、《超嗅覚》への進化を知ってしまったダンに、ここで止めるという選択肢はなかった。
再び狩りを始める。
群れを探し、無力化し、吸血してスキルを奪う。
何度も休憩を挟み、マジックバッグが満杯になるたびに地上へ戻って素材を換金する。
そして今回768体目となるケイブバットから《音響察知》を奪った瞬間、待ち望んでいた表示が現れた。
【《音響察知》を重複強奪しました】
【《音響察知Lv9》が《音響察知Lv10》へ上昇しました】
【《音響察知》が最大レベルへ到達しました】
【進化条件を満たしました】
【《音響察知》が《音響探査Lv1》へ進化しました】
ダンが意識を集中させると、天井から水滴が落ちる音、羽音、遠くを歩く魔物の足音が、これまでとはまったく違った形で認識された。
音が聞こえるだけではない。
反響した音が、通路の幅や天井の高さ、岩の出っ張りまで伝えてくる。
目を閉じても、周囲の形が頭の中へ立体的に浮かび上がった。
試しに軽く舌を鳴らす。
小さな音が四方へ広がり、壁や天井へぶつかって戻ってくる。
曲がり角の先にいるケイブバットの位置まで、反響の違いとして捉えることができた。
「これなら、暗闇でも戦えそうです」
《夜目》があるため暗闇に困ったことはないが、視界の外や物陰にいる相手まで把握できるのは大きい。
《超嗅覚》と合わせれば、不意打ちを受ける可能性はさらに低くなるだろう。
ダンは最後のドロップ品を回収すると、再び地上へ戻った。
今回狩ったケイブバットは合計768体。
何度かに分けて換金した素材と常設依頼の報酬をすべて合わせると、金貨11枚と銀貨52枚になった。
所持金は、
金貨22枚、銀貨80枚、銅貨54枚。
《隠蔽》のスキル書を買っても、所持金には十分な余裕が残る。
「今度こそ買いましょう」
そう決めて《星読みの小箱》へ向かった。
だが、結果は前回と同じだった。
扉には鍵がかかり、窓から見える店内も暗い。
「……また間に合いませんでした」
ダンはしばらく閉ざされた扉を見つめた。
金が足りないわけではない。
買えないわけでもない。
完全に、自分が狩りを優先しすぎているだけだった。
明日の朝まで待てばいい。
頭では分かっている。
それでも、《超嗅覚》と《音響探査》へ進化したことで、次のスキルも試したいという気持ちはさらに強くなっていた。
5階のポイズンフロッグなら、《跳躍》と《麻痺毒》を同時に育てられる。
閉ざされた店の前で少しだけ迷ったあと、ダンは再び迷宮の方角へ歩き出した。
「次に地上へ戻ったときこそ……たぶん」
自分で言っておきながら、少しだけ自信がなかった。
今度こそ少しだけでは終わらないと、ダン自身も薄々気づいていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




