第38話◆ 空けてある席
青石の迷宮を出たとき、空はすでに茜色へ染まり始めていた。
ダンは街へ戻る冒険者たちに混じりながら、グランベルの大通りを冒険者ギルドへ向かって歩いた。
眠気はないが、長時間狩りを続けた身体には疲れが残っている。それでも、夕食を作る店から漂ってくる肉の焼ける匂いは、ひどく魅力的に感じられた。
ポイズンリザードの血を大量に吸ったため、空腹ではない。それでも人間だった頃の感覚が残っているダンには、温かい料理を食べたいという欲求までなくなったわけではなかった。
「換金が終わったら、何か食べましょう」
そう呟き、ダンは冒険者ギルドの扉を開けた。
夕方のギルド内は、依頼から戻った冒険者たちで混雑していた。受付前には報告を待つ列ができ、併設された酒場からは食器の触れ合う音や賑やかな笑い声が聞こえてくる。
入口近くにいた冒険者たちが、ダンが肩から下げた中型と、腰につけた小型のマジックバッグへ目を向けた。
片方は金貨8枚もする中型で、もう片方も金貨2枚の小型だ。駆け出しにしか見えない少年が2つも持っていれば、目立たない方がおかしい。
以前のように古びたコートを着ていたときとは、視線の意味が違っている。今は装備だけでなく、短期間に何度も大量の素材を持ち込んでいることを知っている者も増えていた。
ダンは少し居心地の悪さを覚えながら列へ並び、自分の順番が来るのを待った。
「お待たせしました。次の方――あっ、ダンさん」
受付に座っていたエマが、ダンの顔を見て目を丸くする。
「戻られたんですね。今回は少し長かったので、またダンジョンに籠もっているのだろうとは思っていましたけど……ちゃんと休みましたか?」
「はい。途中で座って休みながら狩っていました」
嘘ではない。
何度か壁際へ座り、水を飲んで身体を休めている。眠ってはいないが、そこまで説明すれば、また心配されるだけだろう。
「そうですか。それならいいのですが、身体に異変を感じたら無理をせず戻ってきてくださいね。今回は何階へ?」
「8階です。ポイズンリザードの素材を買い取っていただきたいのですが」
ダンが答えた途端、エマの表情が固まった。
「8階……ですか?」
「はい」
「お1人で?」
「はい」
エマは何か言おうとして口を開き、ダンが肩から下げた中型と腰の小型マジックバッグを見て、言葉を飲み込んだ。
「とりあえず、奥の倉庫へ行きましょう。ここで出せる量ではなさそうですから」
「まだ何も言っていませんけど……」
「ダンさんの場合、少量ならマジックバッグを2つとも膨らませて帰ってきません」
すっかり行動を読まれていた。
ダンは苦笑しながらエマの後ろについていき、買い取り用の倉庫へ入った。広い作業台がいくつも並んだ室内では、職員たちが持ち込まれた素材の確認と仕分けを行っている。
「そういえば、7階で集めていた素材もまだ残っています」
「7階の分も?」
「はい。8階へ行く前に狩ったゴブリンアーチャー96体分です」
エマが足を止めた。
「……先にそれを聞いておいてよかったです」
「どうしてですか?」
「心の準備ができますから」
冗談なのか本気なのか分からない口調でそう答えると、エマは近くの職員へ声をかけ、空いている作業台を2つ用意してもらった。
ダンはまず、7階で集めたゴブリンアーチャーの素材から取り出していく。
魔石、丈夫な弓弦、鉄製の鏃。
それらが96体分。
さらに、低確率でドロップした使い込まれた短弓が15張り。
作業台の上へ並べ終えた時点で、近くにいた職員たちが何人か手を止めていた。
「これで7階の分です」
「……まだ8階の分があるんですよね?」
「はい」
エマは小さく息を吐き、もう片方の作業台を指した。
「では、そちらへお願いします」
今度は中型マジックバッグから、ポイズンリザードの素材を取り出していく。
魔石、毒腺、鱗皮を種類ごとに分けて並べても、まだ終わらない。小型マジックバッグから残りの素材を取り出し、最後に数の少ない毒牙を別に置くと、作業台の上はほとんど埋まっていた。
「以上です」
エマは2つの作業台を見比べたあと、ゆっくりとダンへ顔を向けた。
「8階では何体倒したんですか?」
「最初に倒した3体と合わせて、127体です」
「……聞き間違いではありませんよね?」
「127体です」
確認するように繰り返すと、エマは片手で額を押さえた。
「少々お待ちください。私だけでは確認に時間がかかりますので、職員を呼んできます」
その言葉どおり、すぐに数人の職員が集められた。
ゴブリンアーチャーの素材は数ごとにまとめられ、短弓は状態を確認しながら壁際へ並べられる。
ポイズンリザードの魔石は大きさと欠けの有無を確認し、毒腺は液漏れがないかを調べる。鱗皮は枚数ごとに束ねられ、数の少ない毒牙は別の小箱へ収められていった。
ダンジョンの魔物が残す素材は、倒し方によって状態が変わるわけではない。どれも一定以上の品質を保っているが、まれに通常より大きな魔石や、純度の高い毒を含んだ毒腺が混ざることがあるため、買い取り前の確認は必要らしい。
すべてを数え終えるまでには、かなりの時間がかかった。
「お待たせしました」
エマは確認の終わった書類を2枚持ち、ダンの前へ戻ってきた。
「まず、7階で集めたゴブリンアーチャー96体分です」
「はい」
「魔石、丈夫な弓弦、鉄製の鏃を合わせて、1体分が銀貨2枚。96体分で銀貨192枚です」
エマが次の欄へ指を滑らせる。
「短弓は15張り。1張り銀貨2枚なので、銀貨30枚」
「はい」
「常設討伐依頼は5体につき銀貨4枚ですから、19口分で銀貨76枚。端数の1体は素材買取のみになります」
合計は銀貨298枚。
金貨2枚と銀貨98枚だ。
「続いて、ポイズンリザード127体分です」
エマはもう1枚の書類へ目を落とした。
「魔石が127個で銀貨76枚と銅貨20枚。毒腺が127個で銀貨152枚と銅貨40枚。鱗皮が127枚で銀貨127枚です」
続けて、小箱へ入れられた毒牙へ目を向ける。
「毒牙は11本ありました。こちらは錬金術師や薬師からの需要が高いため、1本につき銀貨3枚で、銀貨33枚になります」
「やっぱり、毒牙は珍しいんですね」
「はい。毎回落ちる物ではありませんし、毒腺とは違った薬の材料になります」
エマは最後の欄を確認する。
「常設依頼の討伐報酬は10体につき銀貨4枚です。今回は12口分として、銀貨48枚が支払われます。端数の7体は討伐数として記録されますが、次回へ持ち越すことはできません」
森の魔物と違い、討伐証明部位を持ち帰る必要はなく、魔石と素材の数から判断されるため、誤魔化すこともできないらしい。
「ポイズンリザード分が金貨4枚、銀貨36枚、銅貨60枚。ゴブリンアーチャー分と合わせると、今回の買取と討伐報酬は全部で金貨7枚、銀貨34枚、銅貨60枚です」
「そんなに……」
数字で聞くと、ダン自身も驚いた。
中型マジックバッグを買った直後には、銀貨41枚と銅貨54枚しか残っていなかった。
そこへ今回の金額を加えると――
金貨7枚、銀貨76枚、銅貨14枚。
少し前まで金貨5枚の《隠蔽》のスキル書を買うために、何度も財布の中身を気にしていたのが嘘のようだった。
「これなら《隠蔽》を買えます」
「何か欲しい物があったんですか?」
「はい。スキル書を1冊」
「金貨5枚もする物を買うんですか?」
「必要なんです」
今の《隠蔽》はLv2。
名前と種族は偽装できるようになったものの、《吸血》や《不眠》といったダンピール特有のスキルまでは隠せていない。
誰かに高位の《鑑定》を使われれば、そこから正体を疑われる可能性もある。
スキル書を買えば《隠蔽Lv3》になる。
何をもう1つ隠せるようになるのかは、実際に使ってみなければ分からない。それでも、正体を守るためなら金貨5枚を惜しむつもりはなかった。
「次に9階へ向かうとしても、無理はしないでくださいね」
考え込んでいたダンへ、エマが念を押す。
「8階まで1人で進める時点で、一般的なFランク冒険者の実力ではありません。ですが、階層が変われば魔物の種類も戦い方も変わります」
「分かりました。最初は様子を見ながら戦います」
「本当にお願いしますよ」
心配そうなエマへ頭を下げ、ダンは買い取り倉庫を出た。
今から《星読みの小箱》へ向かえば、まだ開いているかもしれない。
そう考えながら酒場の前を通りかかったとき、焼いた肉と香草の匂いが一層強くなった。
宿へ戻って食事を頼んでもよかったが、すでに料理を前にして楽しそうに話している冒険者たちを見ていると、ここで食べていきたくなる。
少しくらいなら遅くなっても大丈夫だろう。
スキル書は逃げない。
空いている席を探して酒場を見回していると、奥のテーブルから聞き覚えのある声が飛んできた。
「ダン、こっち」
声のした方を見ると、エルナが片手を上げていた。
同じテーブルにはカイルとリナも座っており、4つある椅子のうち1つだけが空いている。
ダンが近づくと、エルナは空席を軽く叩いた。
「これから食事でしょう? よかったら一緒に食べない?」
「いいんですか?」
「もちろん。そのつもりで呼んだのよ」
「では、ご一緒させてください」
ダンは嬉しさを隠しきれないまま、空いている椅子へ腰を下ろした。
エルナはすでに革鎧を脱いでおり、身体に沿った濃紺の上着を着ていた。肩の上で切り揃えられた赤みの強い髪から、細い首筋が覗いている。
整った顔立ちは綺麗というより可愛らしい印象だったが、背筋を伸ばして座る姿勢や、すらりと伸びた手足が年齢以上に大人びて見せていた。
「ダンが誰かと食事をするなんて珍しいな」
向かい側に座るカイルが笑う。
「いつも1人でさっさとダンジョンへ行くだろ?」
「すみません。人と話すのは好きなんですが、狩りを始めると楽しくなってしまって」
「楽しくなって8階まで1人で行く奴は、たぶんお前くらいだ」
「もう8階まで行ったことが広まっているんですか?」
「さっき職員が何人も倉庫へ入っていったでしょう」
リナが困ったように笑った。
「何かあったのかと思って見ていたら、素材が山ほど運ばれていくんだもの。酒場でも話題になっているわ」
「今回は何体だったの?」
エルナに尋ねられ、ダンは少し迷ってから正直に答えた。
「8階では127体です。その前に、7階でも96体狩りました」
カイルが口に運びかけていた肉を皿へ落とし、リナは目を見開いた。
「合わせて223体!?」
「はい」
「それを全部1人で?」
「はい。8階の魔物に慣れておきたかったのと、7階ではスキルを……」
そこまで言いかけて、ダンは慌てて口を閉じた。
「……戦い方を練習したかったので」
「今、何か別のことを言いかけなかった?」
「気のせいです」
エルナが少しだけ目を細めたものの、それ以上は追及しなかった。
「マジックバッグを買ったら、たくさん入るのが嬉しくて……」
思ったままを口にすると、カイルが声を上げて笑い、リナもつられるように微笑んだ。エルナだけは呆れたように息を吐いたものの、その口元にも笑みが浮かんでいる。
「今日は私が奢るわ。8階到達のお祝いよ」
「そんな、悪いです」
「私たちが8階へ初めて着いたときも、ギルドの先輩に奢ってもらったの。こういうものは順番だから、遠慮しなくていいわ」
断ろうとするダンを制し、エルナは酒場の店員を呼んだ。
注文したのは、厚く切った豚肉を香草と一緒に焼いた料理と、豆や根菜の入ったスープ、それに黒パンだった。
エルナはダンの分を頼んだあと、カイルとリナの皿が空きかけていることにも気づき、追加の料理を注文する。
「そういえば、明日の保存食は買ったの?」
エルナがカイルへ尋ねた。
「ああ、3日分買ってある」
「矢は?」
「残りが少なかったから補充した。予備の弦もある」
「リナはポーションを確認した?」
「回復用が5本と、解毒用が2本。包帯も新しい物に替えたわ」
装備だけでなく、消耗品や明日の予定まで、エルナがすべて把握しているらしい。
「エルナが財布を握っているから、俺たちは無駄遣いできないんだ」
カイルが冗談めかして言うと、リナがすぐに首を振った。
「エルナが管理してくれなかったら、カイルが毎晩お酒を飲んで使い切るでしょう?」
「毎晩は飲まないぞ」
「昨日も飲んだでしょう」
「昨日は依頼が終わった日だからいいんだよ」
2人のやり取りを聞きながら、ダンは自然と笑っていた。
誰かと同じテーブルを囲み、他愛のない会話をしながら温かい料理を食べる。
病院にいた頃には、母が来る日以外ほとんど経験できなかった時間だった。
やがて料理が運ばれてくると、エルナが焼きたての黒パンをダンの前へ置いた。
「私たちは、次に10階を目指すつもりなの」
「10階ですか?」
「9階には何度か入っているし、今の私たちなら戦えると思う。ただし、いきなり奥へは行かないわ。最初は入口付近で魔物の動きを確かめて、危険だと思ったら戻る」
言葉だけを聞けば慎重だが、その瞳には強い光が宿っている。
エルナは頼れるリーダーだ。仲間の装備や消耗品を確認し、無理だと判断すれば撤退も選べるのだろう。
それでも、第36話でダンが8階まで来たと知ったとき、一瞬だけ表情を硬くしたことが頭に残っていた。
「でも、この調子だとダンに追いつかれるのも時間の問題だな」
カイルが何気なく言う。
「もう同じ8階まで来ているんだから、次に会うときは9階にいるかもしれないぞ」
「追いつかせないわよ」
エルナは即座に答えた。
その声が思ったより強く響き、カイルとリナが僅かに目を見開く。
エルナ自身も気づいたのか、誤魔化すようにパンをちぎった。
「私たちの方が先に冒険者になったんだから、簡単に追い越されたら格好がつかないでしょう?」
「それはそうだけどな。ダンの狩り方を普通と比べない方がいいぞ」
「僕は先へ進むことより、魔物をたくさん狩る方が好きなだけです」
ダンが答えると、エルナは少しだけ肩の力を抜いた。
「それなら、当分は大丈夫そうね」
冗談めかして笑ったあと、エルナは真っすぐダンを見る。
「でも、1人で戦うのが嫌になったら、いつでも声をかけなさい。私たちのパーティーには、まだ1人分の席を空けてあるから」
初めて誘われたときと同じ言葉だった。
ダンはテーブルを囲む3人を見回した。
こんな仲間たちと一緒にダンジョンへ行けたなら、きっと楽しいだろう。1人ではできない戦い方も覚えられ、食事のたびに今日の出来事を話すこともできる。
それでも、自分がダンピールであることを知られるわけにはいかない。
「ありがとうございます。もう少しだけ、1人でやってみたいです」
「そう」
エルナは残念そうにしながらも、それ以上は勧めなかった。
「気が変わったら言って。席は取っておくから」
「はい。そのときはお願いします」
ダンはそう答え、温かいスープへ口をつけた。
食事が終わる頃には、《星読みの小箱》へ向かうには少し遅い時間になっていた。
金貨5枚は、もう持っている。
明日買えばいい。
そんな軽い気持ちで後回しにしたことが、このあと何度も同じ店の閉ざされた扉を見ることになるとは、まだダン自身も思っていなかった。
そして、今目の前に空けられている1つの席が、別の形で埋まる日が来ることも、このときの4人はまだ誰も知らなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




