第37話◆ 奪い尽くすまで
エルナたちの足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなったところで、ダンは通路の天井へ視線を戻した。
中型のマジックバッグには、先ほど倒したポイズンリザード3体分の魔石と毒腺、鱗皮、それに珍しい毒牙が入っている。初めて戦った相手ではあったが、動き方も弱点もおおよそ理解できた。
このまま9階へ進むこともできるだろう。
エルナたちが向かった先には、まだ見たことのない魔物がいる。どのような姿をしていて、どんなスキルを持っているのか。そう考えるだけで胸が躍ったが、すぐに階段へ向かう気にはなれなかった。
「まだ、この階で手に入れられるものが残っていますからね」
小さく呟き、ダンは右手の指先を曲げ伸ばしする。
先ほど手に入れた《防御強化Lv2》《反射神経強化Lv2》《毒耐性Lv2》は、いずれも0/4となっている。特に《毒耐性》は、これから先にどのような毒を持つ魔物が現れるか分からない以上、可能な限り上げておきたい。
それに、スキルを手に入れた瞬間だけでなく、同じ魔物を何体も狩り、少しずつレベルが上がっていく感覚がダンは好きだった。
病院のベッドにいた頃は、身体が昨日より少し悪くなることはあっても、良くなったと実感できる日はほとんどなかった。歩ける距離が伸びることも、持ち上げられる物が重くなることもない。何かを積み重ねたところで、身体だけは応えてくれなかった。
だが、今は違う。
戦えば戦い方が身につき、吸血すれば新しい力が増える。自分が前へ進んでいることを、身体がはっきりと教えてくれる。
「先へ進むのは、ここで奪えるものを全部奪ってからにしましょう」
そう決めると、ダンは《嗅覚強化》と《音響察知》へ意識を集中させ、薄暗い通路を歩き始めた。
湿った苔の匂いに混じり、先ほど覚えたばかりの血の匂いが鼻へ届く。それは自分の血とどこか似ていながら、土と青臭い草を混ぜたような癖があった。
同時に、天井の奥から硬い爪が石を引っかく音が聞こえてくる。
位置は正面で、数は2体。
ダンは剣を抜いたものの、すぐには上を見なかった。何も気づいていないように歩きながら、音だけで相手との距離を測る。
わずかに爪音が速くなった直後、頭上の空気が動いた。
横へ踏み出すと、先ほどまで首があった場所を鋭い牙が通り過ぎる。床へ落ちたポイズンリザードが身体を捻り、太い尾を振り回してきたが、ダンは剣の腹で受け流し、その勢いを利用して壁へ叩きつけた。
もう1体は天井に張りついたまま、口の端から紫色の液体を垂らしている。
毒液が吐き出される寸前に、ダンは床を蹴った。《跳躍》で一気に天井近くまで上がり、ポイズンリザードの前脚を斬り裂く。体勢を崩して落下したところへ着地と同時に近づき、後ろ脚へ剣を走らせた。
立ち上がれなくなった2体の前で腕に小さな傷をつけると、流れ出した血が赤い触手へ変わる。
触手の先端を心臓から離れた後ろ脚へ突き刺し、ダンは順番に血を吸い上げた。《吸血》がLv4へ上がったことで、必要な血の量は以前より減っている。それでも決して少なくはなく、スキルへ触れられるところまで血を吸い続ける必要があった。
2体から《防御強化》《反射神経強化》《毒耐性》を奪ったことで、現在の3つのスキルはそれぞれ2/4となった。
血の触手を抜いてとどめを刺すと、身体が光の粒となって消え、魔石と毒腺、鱗皮が残った。
まだ表示は出ない。
「あと2体ですね」
ダンはドロップ品をマジックバッグへ収め、再び爪音を探した。
ほどなくして見つけた2体も、先ほどと同じように脚を狙って動きを封じる。順番に吸血して3つのスキルを奪うと、それぞれの強奪数が必要値へ到達し、待っていた表示が現れた。
【《防御強化》を重複強奪しました】
【《防御強化Lv2》が《防御強化Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/8】
【《反射神経強化》を重複強奪しました】
【《反射神経強化Lv2》が《反射神経強化Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/8】
【《毒耐性》を重複強奪しました】
【《毒耐性Lv2》が《毒耐性Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/8】
「やっぱり、3つとも上がりますね」
思わず頬が緩む。
動けなくなった2体へとどめを刺すと、その身体は光の粒となって消え、代わりに魔石と毒腺、鱗皮が残った。
手早くマジックバッグへ収めたダンは、次の獲物を探して通路の奥へ向かった。
それからの狩りは、時間が経つほど速くなっていった。
最初は鱗に弾かれることの多かった剣も、何度も戦ううちに刃を入れるべき場所が分かってくる。
首の側面、前脚の付け根、腹部へ続く鱗の境目。致命傷を与えず、立てなくするために狙う場所も自然と定まっていった。
壁から飛びかかってくる個体には横から剣を当て、天井から落ちてくる個体には《音響察知》で位置を読み、着地する瞬間に脚を斬る。
複数に囲まれたときは《麻痺毒》を剣へまとわせてみたが、毒に強いポイズンリザードには効き目が薄かった。
それでも、まったく効果がないわけではない。傷口から多めに毒を入れれば、動きがわずかに鈍くなる。その小さな変化を《反射神経強化》で捉え、次の攻撃へつなげていく。
狩った数が12体に達し、3つのスキルを奪い終えたところで、再び表示が現れた。
【《防御強化》を重複強奪しました】
【《防御強化Lv3》が《防御強化Lv4》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/16】
【《反射神経強化》を重複強奪しました】
【《反射神経強化Lv3》が《反射神経強化Lv4》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/16】
【《毒耐性》を重複強奪しました】
【《毒耐性Lv3》が《毒耐性Lv4》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/16】
さらに数を重ね、20体を超えた頃には、不意に振るわれた尾を腕で受けても以前ほどの痛みを感じなくなっていた。
鱗に覆われた太い尾が革の腕当てを叩いたにもかかわらず、骨へ響くような衝撃が残らない。《防御強化》によって革鎧が硬くなったのではなく、自分の身体そのものが攻撃に耐えられるようになっているらしい。
20体目まで吸血を終えた時点で、《防御強化Lv4》《反射神経強化Lv4》《毒耐性Lv4》は、それぞれ8/16となっていた。
そして28体目からスキルを奪ったところで、再び表示が並んだ。
【《防御強化》を重複強奪しました】
【《防御強化Lv4》が《防御強化Lv5》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/32】
【《反射神経強化》を重複強奪しました】
【《反射神経強化Lv4》が《反射神経強化Lv5》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/32】
【《毒耐性》を重複強奪しました】
【《毒耐性Lv4》が《毒耐性Lv5》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/32】
40体を超える頃には、紫色の毒液が手の甲へ付着しても、軽い痺れを感じるだけになっていた。
初めて毒を受けたときは腕全体へ広がっていた痺れが、今では手首へ届く前に消えていく。《状態異常耐性》も働いているのだろうが、《毒耐性》の上昇による変化は明らかだった。
40体目までの吸血を終えた時点で、《防御強化Lv5》《反射神経強化Lv5》《毒耐性Lv5》は、それぞれ12/32となっている。
ダンは傷ひとつ残っていない手の甲を見つめた。
「これなら、多少毒を浴びても大丈夫そうですね。でも、平気だからって受けていいわけではありませんけど」
異世界の物語なら、毒への耐性を得た主人公が毒の沼を平然と歩く場面もあった。
しかし、自分の耐性がどんな毒にまで通用するかは分からない。ポイズンリザードの毒が効きにくくなったからといって、すべての毒を防げると思い込むのは危険だった。
そんなことを考えながら歩いていると、天井の前後から複数の爪音が聞こえてきた。
前方に3体、後方に2体。
ダンは足を止めることなく剣を握り直した。姿を確認する前から、それぞれがどの方向から近づいているのか、音の変化でおおよそ把握できる。
最初の1体が飛びかかる直前、身体が考えるより先に動いた。
振り返りながら身を沈め、頭上を通過した腹部へ剣の峰を叩き込む。床へ落ちた個体を踏み越え、そのまま横から迫った2体目の尾をかわすと、前脚の付け根へ浅く刃を滑らせた。
左右から同時に飛びかかってきた2体の間を紙一重で抜け、着地する前に後ろ脚を斬る。
最後の1体が吐き出した毒液は身体を半歩ずらすだけで避け、壁へ着弾した音を背後に聞きながら、その懐へ潜り込んだ。
気づけば、5体すべてが床の上でもがいていた。
「今のは……かなり動きやすかったですね」
息はほとんど乱れていない。
相手の動きが遅くなったわけではない。見てから考える時間が短くなり、身体が滑らかに反応するようになっていた。
《反射神経強化》は、俊敏の数値を上げるだけでは得られない種類の力なのかもしれない。
ダンは5体から順番に血を吸い、スキルを奪う。血の触手を抜いてからとどめを刺し、残されたドロップ品を回収すると、再び次の獲物を探した。
狩りを続けているうちに、さすがに身体へ疲れが溜まり始めた。
眠気はない。
それでも、何度も剣を振り、走り、跳び続ければ腕や脚は重くなる。
ダンは魔物や冒険者の気配がない場所を探し、壁へ背中を預けて身体を休ませた。マジックバッグから携帯食と水を取り出し、ゆっくり口へ運ぶ。
眠る必要はないからこそ、身体を休ませる時間は自分で意識して作らなければならない。
しばらく休むと腕や脚の重さも薄れ、再び動けるようになった。
時間を確認できる物は持っていなかったが、ダンジョンへ入ってからの体感では、すでに外で夜が明けていてもおかしくない。
それからも、疲れを感じれば安全な場所で休み、携帯食と水を口にしながら狩りを続けた。
魔物を探し、戦い、血を吸ってスキルを奪う。ドロップ品を回収したら、また次の獲物を探す。
単調な繰り返しのはずなのに、ダンは少しも退屈しなかった。戦うたびに剣の使い方が上手くなり、音や匂いから読み取れるものが増え、自分の身体が思いどおりに動くようになっていく。
病室で異世界漫画を読んでいた頃、自分もこんなふうに魔物を狩ってみたいと何度想像しただろう。
実際の戦いには痛みも恐怖もあり、血の匂いは想像していたより生々しい。それでも今のダンにとっては、そのすべてが楽しくて仕方がなかった。
かなりの数を狩った頃、新しい表示が現れた。
【レベルが13から14へ上昇しました】
「ようやく上がりました」
ダンはその場でステータスを開き、レベルの数字が14へ変わっていることを確認した。
ポイズンリザードは、自分よりレベルが高い個体だった。それでも、次のレベルへ上がるまでにはかなりの数を倒している。
「レベルの上がり方は、まだよく分かりませんね」
5階や6階の魔物を狩っていたときとは違うようにも感じるが、何を基準にレベルが上がるのかまでは分からない。
分からないことを考え続けても答えは出ない。
ダンは表示を閉じ、再び狩りへ戻った。
その後もポイズンリザードを倒し続けたが、レベルが再び上がることはなかった。
一方、強奪したスキルは確実に成長を続けている。
今回の狩りで60体目となるポイズンリザードからスキルを奪ったところで、次の表示が現れた。
【《防御強化》を重複強奪しました】
【《防御強化Lv5》が《防御強化Lv6》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/64】
【《反射神経強化》を重複強奪しました】
【《反射神経強化Lv5》が《反射神経強化Lv6》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/64】
【《毒耐性》を重複強奪しました】
【《毒耐性Lv5》が《毒耐性Lv6》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/64】
必要となる数が増えるたび、次の表示までの時間は長くなった。
それでもダンは焦らず、8階の通路を何度も巡った。
中型のマジックバッグが素材で埋まり始めると、小型のマジックバッグも使い、魔石、毒腺、鱗皮、時折落ちる毒牙を順番に収めていく。
疲れれば休み、携帯食と水を口にする。
休み終えれば、また狩る。
そして、8階で最初に倒した3体を除き、今回124体目となるポイズンリザードから血を吸い終えた。
《スキル強奪》が発動した瞬間、3つのスキルの強奪数が必要値へ到達し、待ち望んでいた表示が続けて現れる。
【《防御強化》を重複強奪しました】
【《防御強化Lv6》が《防御強化Lv7》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/128】
【《反射神経強化》を重複強奪しました】
【《反射神経強化Lv6》が《反射神経強化Lv7》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/128】
【《毒耐性》を重複強奪しました】
【《毒耐性Lv6》が《毒耐性Lv7》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/128】
「よし」
ダンは血の触手を抜き、小さく拳を握った。
試しに、まだ動けずにいるポイズンリザードが吐いた毒液へ腕当ての端を触れさせる。
跳ねた雫が皮膚へ付着したものの、今度は痺れさえほとんど感じなかった。
もちろん、これでどんな毒も無効にできるわけではない。
それでも、8階にいるポイズンリザードの毒なら、多少浴びても戦闘を続けられるだろう。
最後の1体へとどめを刺し、残されたドロップ品を回収する。
中型と小型、2つのマジックバッグは大量の素材で埋まり、残された容量も少なくなっていた。
レベルは14で止まったままだった。
これだけ狩っても上がったのは1つだけだったが、不満はない。レベルとは別に、奪ったスキルによって確実に強くなっている。
その実感があれば、狩りを続ける理由としては十分だった。
先へ進むだけなら、今の自分でもこの迷宮を攻略できるのかもしれない。
それでも、急いで最下層を目指す気にはなれなかった。
見たことのない魔物と出会い、持っているスキルを奪い、それを自分の力へ変えていく。その過程を飛ばしてしまう方が、ダンにはもったいなく思えた。
「次は9階ですね。でも、その前にこれを換金しないと」
素材の詰まった2つのマジックバッグへ触れ、ダンは来た道を引き返した。
どれほどの金額になるのか考えると、それだけでも足取りが軽くなる。
8階で奪える力は、もう十分に奪った。
次に待っているのは、まだ姿も知らない9階の魔物だった。




