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『スキルを喰らうダンピール ~墓から蘇った少年は、眠らずダンジョンを駆け上がる~』  作者: ミタテ屋


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第34話◆ 金貨8枚の鞄

 銀の止まり木亭へ戻った頃には、空がわずかに明るくなり始めていた。


 入口の扉を開けると、静かな食堂で女将が朝食の仕込みをしている。鍋から立ち上る湯気と、焼き始めたばかりのパンの匂いが漂っていた。


 女将はダンの姿を見ると、手にしていた木べらを止めた。


「あんた、今まで迷宮にいたのかい?」


「はい。ただいま戻りました」


「ただいまじゃないよ。何日籠もっていたんだい?」


 ダンは指を折りながら、迷宮へ入ってからの出来事を思い返した。


 正確な時間は分からない。ダンジョンの中には太陽がなく、眠る必要もないため、昼夜の感覚が曖昧になっていた。


「たぶん、2日か3日くらいです」


「それも分からないのかい?」


「夢中になってしまって……」


 女将は呆れたように息を吐き、ダンが肩へ担いでいる短弓と、汚れた装備へ目を向けた。


 革鎧には魔物の血が付着し、濃灰色のコートにも迷宮の埃が積もっている。片手剣の鞘にも乾いた血が残り、腰のマジックバッグは完全に膨らんでいた。


「その様子じゃ、まともな物も食べていないんだろう?」


「携帯食は食べました」


「それは食事とは言わないよ。もうすぐ朝食を出すけど、それまで待てるかい?」


 鍋から漂う香りを嗅いだ途端、人間だった頃の感覚が刺激された。


 吸血によって身体は満たされているため、本当の意味では空腹ではない。それでも、温かい料理を口にしたいという気持ちは強い。


「できれば、今すぐ何か食べたいです」


「まったく、仕方ないね。昨夜の煮込みでよければ温めるよ」


「お願いします」


 女将は鍋の蓋を開け、残っていた肉と豆の煮込みを小鍋へ移した。そこへ少し水と香草を加え、竈の火へかける。


 ダンは食堂の隅に短弓を立てかけ、席へ座った。


 しばらくすると、湯気を立てる煮込みと黒パンが運ばれてくる。柔らかく煮込まれた肉を口へ入れると、濃い塩味と香草の香りが広がった。


「おいしい……」


「ゆっくり食べな。逃げやしないよ」


「はい」


 携帯食の固いパンや干し肉とは違う。


 温かい煮込みを黒パンへ染み込ませ、少しずつ味わう。食べ物を喉へ通しても胸が痛まず、吐き気も起こらないことが、今でも嬉しかった。


 病院にいた頃は、食事を残さず食べられただけで母が喜んでくれた。


 ふと母の顔を思い出し、胸の奥がわずかに痛む。


 自分が死んだあと、母はどうしているのだろう。


 悲しんでいるかもしれない。長く苦しんでいた息子が、ようやく楽になれたと思っているかもしれない。


 今の自分が元気に歩き、好きなものを食べ、毎日を楽しんでいると伝える方法はない。


「どうしたんだい? 味が濃かったかい?」


 女将に声をかけられ、ダンは我に返った。


「いえ。すごくおいしいです」


「なら、冷めないうちにお食べ」


「はい」


 ダンは煮込みを最後まで食べ、食事代として銅貨15枚を支払った。


 続けて湯浴みを頼み、銅貨5枚を渡す。


 部屋へ戻って少し待っていると、宿の裏手にある湯浴み場へ温かな湯が用意された。ダンは革鎧と衣服を脱ぎ、身体へ付着していた血や埃を丁寧に洗い流していく。


 左腕には、触手を作るためにつけた傷がいくつもあるはずだった。


 しかし、肌には傷跡すら残っていない。《超再生》によって、切ったそばから塞がってしまうためだ。


 青白い腕を眺めながら、ダンは《吸血》がLv4へ上がったときのことを思い返した。


 必要な血の量は約40%から約30%へ減っている。これまでより短い時間でスキルを奪えるようになり、相手を吸血の途中で死なせる危険も下がった。


「次は、もっと速く狩れそうだな」


 思わず笑みが浮かぶ。


 湯浴みを終えたダンは、清潔な服へ着替えて部屋へ戻った。


 次に取りかかったのは、武器の手入れだ。


 机の上へ布を広げ、片手剣を鞘から抜く。刃にはゴブリンアーチャーやコボルトの血が残り、一部はすでに乾いていた。


 濡らした布で汚れを拭き取り、刃こぼれがないかを確かめる。


 安い剣ではないだけあって、何度も魔物を斬ったわりに大きな欠けはない。ただし、細かな傷が増え、切れ味も少し落ちているように見えた。


 ダンは道具屋で買っておいた砥石を取り出し、以前教わった方法を思い出しながら刃を滑らせる。力を入れすぎないように注意し、左右の角度を揃えて数回ずつ研いだ。


 最後に薄く油を塗り、乾いた布で余分な油を拭き取る。


 短剣も同じように手入れをし、革鎧についた汚れも可能な範囲で落とした。


「これで大丈夫かな」


 片手剣を灯りへかざすと、刃が鈍い光を返す。


 武器の扱いについては、まだ知らないことが多い。《剣術》スキルが上がっても、手入れの知識まで増えるわけではなかった。今度武器屋へ行ったとき、正しい研ぎ方を聞いてみようと考える。


 作業を終えても、冒険者ギルドが開くまでには時間があった。


 ダンは寝台へ腰を下ろし、背中を壁へ預ける。


 眠気はない。


 それでも、何日も迷宮で身体を動かし続けた疲労は残っている。


 横になって眠る必要はなくても、身体を休ませることに意味がないわけではない。ダンはそのまま背中を壁へ預け、窓の外が明るくなるまで静かに過ごした。


 病院では、1日のほとんどを寝台の上で過ごしていた。


 あの頃は、窓の外を歩く人を眺めながら、自分も自由に出かけたいと思っていた。今は、休もうと思えば休めるし、外へ出たいと思えば自分の足でどこへでも行ける。


 同じように寝台へ座っていても、気持ちはまるで違った。


 やがて街が動き始める音を聞き、ダンは立ち上がった。


 手入れを終えた装備を身につけ、いっぱいになった小型マジックバッグを腰へ下げる。最後に短弓を肩へ担ぎ、宿を出た。


 朝の冒険者ギルドは、依頼へ向かう冒険者たちで混雑していた。


 ダンが中へ入ると、すぐにエマが気づく。


「おはようございます、ダンさん」


「おはようございます」


 エマは挨拶を返したあと、ダンの腰にあるマジックバッグと肩の短弓を見た。


「まさか、また買取ですか?」


「はい。いっぱいになりました」


「昨日、空にしたばかりですよね?」


「そのあと、また迷宮へ行ったので」


 エマの眉が寄る。


「昨夜は、きちんと眠りましたか?」


「はい。宿で少し眠りました」


 本当は寝台へ座っていただけだ。


 だが、正直に眠っていないと答えれば、また心配されてしまう。自分が眠る必要のない身体だと説明することもできないため、ダンは初めてエマへ小さな嘘をついた。


「少しではなく、しっかり休んでください。冒険者が迷宮で命を落とす理由は、魔物だけではありません。疲労で判断を誤ることもあるんですよ」


「気をつけます」


 ダンは申し訳なさを感じながら頭を下げた。


「それで、今回は何を持ち込んだんですか?」


「ポイズンフロッグが64体、コボルトが37体、ゴブリンアーチャーが32体です。短弓も6張りあります」


 エマが無言になった。


 周囲にいた冒険者たちも、会話を止めてこちらを見ている。


「……少し眠っただけで、迷宮へ戻ったわけではありませんよね?」


「戻っていません。宿で朝まで休みました」


「本当ですね?」


「はい」


 今度は嘘ではない。


 眠ってはいないが、朝まで宿にいたことは事実だった。


 エマはまだ疑うような目を向けていたものの、買取所へ案内してくれた。


 前回と同じ広い作業台へ、まずポイズンフロッグの魔石と毒袋を並べる。続いてコボルトの魔石、牙、毛皮、ドロップした小剣を取り出し、最後にゴブリンアーチャーの魔石、弓弦、鏃、短弓を並べた。


 手に持ってきた1張りも合わせ、短弓は全部で6張りになる。


 職員たちが種類ごとに数え、ドロップ品の状態を確認していく。


 査定が終わるまでには、かなりの時間がかかった。


「お待たせしました」


 エマが帳簿を持って戻ってくる。


「まず、ポイズンフロッグ64体分です。魔石と毒袋の買取が銀貨128枚。常設討伐依頼は5体につき銀貨3枚なので、12回分で銀貨36枚。合わせて銀貨164枚になります」


「はい」


「次に、コボルト37体分です。魔石、牙、毛皮、それに小剣9本の買取と、常設討伐依頼7回分を合わせて銀貨93枚です」


 小剣を持たない個体や、倒してもドロップしない個体がいたため、37体を狩って手に入ったのは9本だけだった。


「最後に、ゴブリンアーチャー32体分。魔石、弓弦、鏃の買取が銀貨64枚、短弓6張りが銀貨12枚、常設討伐依頼6回分が銀貨24枚。合わせて銀貨100枚です」


 エマが計算結果を確認してから、顔を上げる。


「今回の合計は銀貨357枚です」


 金貨3枚と銀貨57枚。


 第32話の買取を終えた時点で、所持金は金貨4枚、銀貨85枚、銅貨9枚だった。


 そのあと迷宮へ戻る前に、携帯食と水の補充、それに昼食で銅貨35枚を使っている。さらに今朝の食事代が銅貨15枚、湯浴み代が銅貨5枚。


 合計で銅貨55枚。


 現在の所持金は、金貨4枚、銀貨84枚、銅貨54枚。


 そこへ今回の報酬を加えると――


 金貨8枚、銀貨41枚、銅貨54枚。


 届いた。


「中型のマジックバッグが買える……」


 ダンが呟くと、エマが納得したように頷いた。


「それが目的だったんですね」


「はい。小型だと、すぐにいっぱいになってしまうので」


「ダンさんの狩り方なら、中型でもすぐに埋まりそうで怖いです」


「今度は小型の3倍なので、しばらく大丈夫だと思います」


「普通の冒険者なら、そうでしょうね」


 硬貨の入った袋を受け取ったダンは、エマへ礼を告げて冒険者ギルドを出た。


 向かったのは、以前に小型マジックバッグを購入した魔道具店だ。


 店へ入ると、棚には大きさや形の違う鞄が並んでいる。小型の隣に置かれていた中型マジックバッグは、丈夫そうな焦げ茶色の革で作られ、肩から斜めに下げられる形をしていた。


「この中型のマジックバッグをください」


 店主が値札を確認し、ダンを見る。


「金貨8枚だぞ」


「用意してきました」


 ダンは袋から金貨8枚を取り出し、カウンターへ1枚ずつ並べた。


 店主は8枚すべてが本物であることを確認すると、中型マジックバッグをダンの前へ置いた。


「容量は麻袋30個分。中へ入れた物の重さは10%になる。生き物は入らず、中の時間も止まらない。別のマジックバッグを中へ入れることもできん。そこは小型と同じだ」


「分かりました」


 ダンは中型マジックバッグを肩へ掛け、内部を意識してみる。


 これまで使っていた小型とは比べものにならないほど広い空間を感じた。


「広い……」


 麻袋30個分。


 これなら何日も迷宮へ籠もり、大量の魔物を狩ることができる。


 小型マジックバッグは売らずに残した。中型の中へ収納することはできないが、腰へ下げておけば予備として使える。素材を種類ごとに分けて入れることもできるため、2つ持っていて困ることはない。


 残った所持金は、銀貨41枚と銅貨54枚。


 これまで貯めた金貨はすべてなくなったが、不思議と惜しいとは思わなかった。


「ありがとうございます。大切に使います」


 ダンは店主へ頭を下げ、中型マジックバッグを肩へ掛けた。


 空の鞄は驚くほど軽い。


 店を出たダンは、通りの端で改めて焦げ茶色の鞄へ触れた。


 《隠蔽》はLv2になった。


 《音響察知》もLv8まで上がっている。


 《吸血》はLv4になり、《跳躍》《嗅覚強化》《剣術》《麻痺毒》《弓術》《視力強化》もLv7へ届いた。


 そして今、麻袋30個分を収納できる中型マジックバッグまで手に入れた。


「次は、8階だ」


 7階のゴブリンアーチャーから、欲しいスキルは十分に奪った。


 《弓術》と《視力強化》をLv8へ上げるには、さらに多くの重複強奪が必要だが、今すぐ上げなければならないわけではない。


 青石の迷宮8階には、まだ戦ったことのない魔物が待っている。


 どんな魔物がいるのか。


 どんなスキルを持っているのか。


 何をドロップするのか。


 それを考えるだけで、ダンの胸は期待で高鳴った。


 中型マジックバッグを肩へ掛けたダンは、その足で青石の迷宮へ向かって歩き出した。

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