第31話◆ 矢の雨
青石の迷宮へ到着したダンは、入口の受付で通行証を差し出した。
つい先ほどまで迷宮に籠もり、ケイブバットを192体も狩っていたとは思えないほど、足取りは軽い。念願だった《隠蔽》もLv2へ上がり、今は名前と種族の両方が偽装されている。
【名前 ダン】
【種族 人間】
受付の職員からは、この表示しか見えないはずだ。
もちろん、《隠蔽》よりも高いレベルの《鑑定》を使われれば見破られる可能性はある。それでも、名前と種族のどちらか1つしか隠せなかったこれまでとは違う。
「また入るのか?」
通行証を確認した職員が、驚いたようにダンを見た。
「はい」
「迷宮から出てきたばかりじゃないのか?」
「朝ご飯は食べました」
「そういう問題なのか……?」
職員は呆れた声を漏らしたが、通行証を返してくれた。
ダンは笑顔で頭を下げ、青石の迷宮へ入る。
目的は7階。
ゴブリンアーチャーとの戦闘で、矢を放つ直前の変化まで捉えきれなかった《音響察知Lv6》を、ケイブバットから奪い続けてLv8まで上げた。
その成果を試したくて仕方がなかった。
1階から6階までの道は、すでに何度も通っている。途中で遭遇した魔物を避けながら進み、以前より短い時間で7階へ到着した。
階段を下りきったところで、ダンは足を止める。
薄暗い石造りの通路に、魔物の姿はない。
それでも《音響察知Lv8》を意識すると、遠くから複数の音が伝わってきた。
革靴が床を擦る音。
木製の弓へ指が触れる音。
矢筒の中で、矢同士が小さくぶつかる音。
ダンは目を閉じ、聞こえてくる音へ意識を集中させた。
右へ2つ通路を曲がった先に、複数の何かがいる。
音の強さや反響、聞こえてくる方向から、おおよその位置まで分かる。
「4体かな」
実際に目で確認したわけではない。
それでも、聞こえてくる足音と装備の擦れる音は、明確に4つへ分かれている。
ダンは片手剣を抜き、慎重に通路を進んだ。
最初の角を曲がろうとしたところで、矢を番える音が聞こえた。
まだ相手の姿は見えない。
だが、弦が引かれていく音と、ゴブリンアーチャーの呼吸がはっきり分かる。
ダンは足を止めた。
直後、通路の先から1本の矢が飛んでくる。
身体を半歩だけ横へずらすと、矢は胸当てへ触れることさえなく、背後へ抜けていった。
「聞こえる」
前回も、3体が鳴らす弦の音そのものは聞き分けられていた。
だが、どの個体が先に放つのか。その直前の僅かな変化までは捉えきれなかった。
今は違う。
矢を番える。
弓を持ち上げる。
弦を引いていく。
そして、放つ直前に僅かに変わる呼吸と弦の張り。
その一連の動きが、音として伝わってくる。
ダンは角から飛び出した。
予想どおり、通路の先には4体のゴブリンアーチャーがいる。
先頭の1体が矢を放った直後で、残る3体はそれぞれ弦を引いていた。
――ギリッ。
重なって聞こえる弦音の中から、最初に限界まで引かれた音を拾う。
右端。
ダンが身体を沈めると、矢が頭上を通り過ぎた。
次は中央。
床を蹴って前へ跳ぶ。
先ほどまで足があった場所を、2本目の矢が横切った。
最後は左奥。
ダンは走る速度を落とさず、上体だけを傾けた。
頬のすぐ横を矢が抜けていったが、恐怖よりも、狙いどおりに避けられた喜びの方が大きかった。
「全部、分かる!」
前回は、それぞれの弦音を聞き分けることはできても、放たれる順番までは正確に判断できなかった。
今は4体が別々の位置から矢を放っても、その直前の変化まで分けて捉えられる。
距離が縮まれば、ゴブリンアーチャーに勝ち目はなかった。
ダンは先頭の1体へ迫り、片手剣で太腿を斬る。
そのまま隣にいた1体の膝裏を斬り、振り返りながら3体目の足を払った。
残る1体が弓を捨て、腰の錆びた短剣へ手を伸ばす。
ダンはその手首を剣の腹で打ち、短剣を弾き飛ばした。
驚いて顔を上げたゴブリンアーチャーの腹へ蹴りを入れると、身体が床を滑って壁へぶつかる。
力を抑えたつもりだったが、かなり強く蹴りすぎたらしい。
それでも息はある。
吸血するには問題なかった。
ダンは《嗅覚強化》《音響察知》《気配察知》で、周囲にほかの魔物がいないことを確認してから、左腕へ浅く刃を入れた。
傷口から流れ出た血が、4本の細い触手へ変わる。
最初のゴブリンアーチャーへ、そのうち1本を伸ばした。
《吸血》
必要な量まで血を吸い上げる。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《弓術》を重複強奪しました】
【次のレベルまで:1/4】
【《視力強化》を重複強奪しました】
【次のレベルまで:1/4】
触手を抜く。
片手剣でとどめを刺すと、ゴブリンアーチャーの身体が光の粒へ変わった。
2体目も同じだった。
必要な量だけ吸血し、スキルを奪ったことを確認してから触手を抜き、とどめを刺す。
3体目。
そして4体目。
【《弓術》を重複強奪しました】
【《弓術Lv2》が《弓術Lv3》へ上昇しました】
【次のレベルまで:0/8】
【《視力強化》を重複強奪しました】
【《視力強化Lv2》が《視力強化Lv3》へ上昇しました】
【次のレベルまで:0/8】
「上がった」
ダンは思わず笑みを浮かべた。
《音響察知》は、ケイブバットからひとまずLv8まで上げた。
今度は、ゴブリンアーチャーが持つ2つのスキルを上げられる。
4体分のドロップ品を回収する。
魔石、丈夫な弓弦、鉄製の鏃。
それに、1体からは使い込まれた短弓もドロップしていた。
素材をマジックバッグへ収め、ダンはさらに7階の奥へ進んだ。
《音響察知Lv8》のおかげで、相手を発見する前に数とおおよその位置を把握できる。
近くに別の集団がいる場合も、戦闘を始める前に分かるため、囲まれる危険は少なかった。
3体の群れを見つければ、放たれる順番を聞き分けながら距離を詰める。
4体の群れなら、壁や曲がり角も利用して矢を避ける。
ゴブリンアーチャーは接近されると短剣を抜くが、《剣術Lv6》を持つダンの相手にはならない。
足を斬って戦闘不能にする。
生きているうちに必要な量だけ吸血する。
《スキル強奪》が発動したことを確認して触手を抜き、最後にとどめを刺してドロップ品を回収する。
同じ手順を繰り返すうちに、《弓術》と《視力強化》がさらに上がった。
【《弓術Lv3》が《弓術Lv4》へ上昇しました】
【《視力強化Lv3》が《視力強化Lv4》へ上昇しました】
《視力強化》が上がると、薄暗い通路の先まで輪郭がはっきり見えるようになった。
矢を番える指の動きや、鏃が向いている方向も、以前より細かく分かる。
音で相手の動きを察知し、目で狙いを確認する。
2つの感覚を組み合わせることで、矢を避けるのはさらに容易になった。
狩りを始めてから、どれほど時間が経ったのかは分からない。
何度か安全な場所で腰を下ろし、身体を休めた。
携帯食を口にし、水も飲む。
身体には少しずつ疲れが溜まっている。
それでも眠気はまったく訪れなかった。
休めば、また動ける。
まだマジックバッグには余裕があり、《弓術》と《視力強化》も上げられる。
何より、自分で見つけた弱点を克服し、できなかったことができるようになっていく感覚が楽しかった。
「もう少し。あと少しだけ」
そう呟きながら狩りを続ける。
やがて、
【《弓術Lv4》が《弓術Lv5》へ上昇しました】
【《視力強化Lv4》が《視力強化Lv5》へ上昇しました】
その少し後、別の通知が現れた。
【レベルが11へ上昇しました】
「上がった」
身体の奥から力が湧き上がる。
ダンは拳を握り、身体の感覚を確かめた。
ここにいるゴブリンアーチャーは、6階のコボルトよりレベルが高い。
狩り続ければ、さらに上へ進めるかもしれない。
「まだいける」
ダンは再び次の獲物を探した。
ゴブリンアーチャーの中には、矢を放つタイミングをわざとずらす個体や、仲間の後ろへ隠れながら狙う個体もいた。
しかし、弓を引く音までは隠せない。
姿が見えなくても、弦を引き始めれば分かる。
矢を番える音。
弦が張られていく音。
放つ直前に変わる呼吸。
それらを聞き分けながら距離を詰める。
もちろん、何度戦っても疲れないわけではない。
身体が重くなれば、安全な場所を探して座る。
水を飲み、携帯食を食べる。
眠る必要はないが、身体を休ませる時間は必要だった。
十分に休んでから、また狩る。
やがて、
【《弓術Lv5》が《弓術Lv6》へ上昇しました】
【《視力強化Lv5》が《視力強化Lv6》へ上昇しました】
「Lv6……」
狩りはさらに続いた。
狩った数が100体を超えた頃、マジックバッグの中には魔石、弓弦、鏃が積み重なり、低確率でドロップする短弓も増えていた。
中身を確認すると、まだわずかに余裕がある。
次のスキル上昇まで、あとどれくらい必要なのかはステータスを確認すれば分かる。
ここまで来て引き返す気にはなれなかった。
「あと少しだ」
残る集団を探し、3体、4体と倒していく。
そして、7階へ戻ってから124体目となるゴブリンアーチャーの血を必要な量まで吸い上げた瞬間、待ち望んでいた表示が現れた。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《弓術》を重複強奪しました】
【《弓術Lv6》が《弓術Lv7》へ上昇しました】
【次のレベルまで:0/128】
【《視力強化》を重複強奪しました】
【《視力強化Lv6》が《視力強化Lv7》へ上昇しました】
【次のレベルまで:0/128】
さらに、もう1つ。
【レベルが12へ上昇しました】
「やった……!」
ダンは喜びの声を上げた。
《弓術Lv7》。
《視力強化Lv7》。
《音響察知Lv8》と合わせれば、弓を使う相手との戦闘で大きな助けになる。
それだけでなく、自分で弓を使うときにも役立つはずだ。
ダンは触手を抜き、最後のゴブリンアーチャーへとどめを刺した。
身体が光の粒へ変わり、ドロップ品が残る。
魔石をマジックバッグへ入れたところで、わずかな抵抗を感じた。
続けて弓弦と鏃を入れる。
入った。
だが、中身を確認すると、ほとんど空きが残っていない。
ゴブリンアーチャー124体分の魔石、弓弦、鏃。
それに19張りの使い込まれた短弓が入っている。
まだ小物なら少し入るが、新しい集団を狩れば収まりきらないだろう。
「やっぱり、小型だとすぐにいっぱいになるな」
以前なら、これほどの量を持ち帰ることなど考えられなかった。
小型でも麻袋10個分を収納できるため、普通の冒険者なら十分なのかもしれない。
しかし、眠る必要がなく、休憩を挟みながら長時間狩りを続けられるダンには足りなかった。
そこで思い出したのが、マジックバッグを買った店で見かけた中型の商品だった。
容量は麻袋30個分。
小型の3倍まで収納できる。
価格は金貨8枚。
今の所持金は銀貨93枚と銅貨9枚。
すぐに買える金額ではない。
それでも、今回持ち帰る大量のドロップ品を売れば、大きく近づけるはずだ。
「次は、中型のマジックバッグを買おう」
新しい目標が決まった。
もっと多くの魔物を狩り、もっと多くのスキルを奪うためにも、容量の大きなマジックバッグは必要になる。
金貨8枚。
決して安くはない。
それでも、自分で稼いだ金で買える日を想像すると、自然と笑みが浮かんだ。
ダンは中身の詰まったマジックバッグを腰へ戻し、地上へ続く階段へ向かう。
今回の獲物を換金すれば、金貨8枚まであとどれほど必要なのかも分かる。
帰りの足取りは、迷宮へ入ったときよりも軽かった。




