第29話◆ 矢を聞くために
ゴブリンアーチャーが、短弓へ次の矢をつがえる。
正面に2体、通路の奥に1体。互いに少しずつ位置をずらし、こちらを囲むように立っていた。
ダンは新しく買った片手剣を正眼に構えながら、3体の動きを注意深く観察する。ゴブリンよりも細身だが、腕や肩の筋肉は明らかに発達していた。弓を引き続けるための身体なのだろう。
中央の1体が弦を引き絞る。
――ギリッ。
わずかに遅れて、左右からも似た音が重なった。
《音響察知Lv6》によって、3本の弓がそれぞれ軋む音は聞き分けられている。
だが、聞こえることと、射る瞬間まで分かることは違う。
どの個体が先に弦を離すのか。その僅かな違いまでは、まだ捉えられなかった。
ダンは床を蹴り、横へ跳んだ。
直後、2本の矢が先ほどまで立っていた場所を通過し、背後の壁へ突き刺さる。だが、通路の奥にいた1体は、ダンが回避する方向を予測していた。
「しまっ――」
遅れて放たれた矢が、ダンの脇腹をかすめる。
乾いた音とともに鏃が革鎧の表面を滑り、ダンは弾かれるように体勢を崩した。痛みはほとんどない。補強された革鎧が矢を受け流してくれたようだ。
それでも背中に冷たいものが走る。
もし鎧を買っていなければ、今の矢は身体へ食い込んでいたかもしれない。《超再生》があるとはいえ、矢が刺さったまま次を撃たれれば動きは鈍る。目や喉を射抜かれた場合、どうなるかも分からない。
「離れて戦う相手って、こんなに怖いんだ……」
感心している余裕はない。
ゴブリンアーチャーたちは、すでに次の矢をつがえている。ダンは3体の足元へ視線を走らせ、最も近い1体を狙った。
「《跳躍》」
一気に床を蹴る。
景色が後方へ流れ、驚いたゴブリンアーチャーの顔が目前に迫った。放たれた矢はダンの肩越しを通過し、奥の壁へぶつかる。
ダンは片手剣を横へ振り、ゴブリンアーチャーの太腿を切り裂いた。
「ギャアッ!」
倒れた1体にはとどめを刺さず、すぐに残る2体へ目を向ける。
短弓を持ったままでは接近戦に対応できないらしく、片方は慌てて後退し、もう片方は弓を捨てて腰の錆びた短剣へ手を伸ばした。
ダンは短剣を抜こうとした腕を剣の腹で打ち、そのまま足を払う。倒れたゴブリンアーチャーの膝へ刃を突き立て、立ち上がれないようにしてから最後の1体を追った。
逃げながら振り返ったゴブリンアーチャーが、至近距離で弓を引く。
弦が張り詰める音を聞いた瞬間、ダンは身体を沈めた。頭上を矢が通り過ぎるのと同時に踏み込み、片手剣で弓を跳ね上げる。
「すみません。でも、そのスキルはいただきます」
返す刃で足を斬ると、最後の1体も床へ崩れ落ちた。
3体とも戦闘不能になっているが、まだ生きている。
ダンは《嗅覚強化》《音響察知》《気配察知》で周囲を確認し、ほかの魔物が近くにいないことを確かめてから、左腕を剣先で浅く切った。
傷口から流れた血が持ち上がり、細い触手へ形を変える。
最初のゴブリンアーチャーの肩へ触手を突き刺し、吸血を始めた。《吸血Lv3》では、相手の血を約40%取り込まなければスキルを奪えない。
やがて、必要な量の血が身体へ流れ込む。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《弓術Lv1》を獲得しました】
【次のレベルまで:0/2】
続けて、もう1つの表示が浮かぶ。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《視力強化Lv1》を獲得しました】
【次のレベルまで:0/2】
頭の中へ、これまで知らなかった感覚が刻まれていく。
弓を持つ手の位置。矢のつがえ方。弦を引くときの姿勢。
そして、遠くの物へ意識を向けたとき、視界の輪郭が僅かに鮮明になる感覚。
「《弓術》と《視力強化》……」
どちらも初めて手に入れたスキルだ。
必要なものを奪ったところで触手を抜き、片手剣でとどめを刺す。ゴブリンアーチャーの身体が淡い光へ変わり、魔石と弓弦、それに数本の矢を残して消えた。
続いて2体目へ触手を突き刺す。
《弓術》と《視力強化》を重ねて奪った感覚だけが残る。
途中の表示は出ない。
触手を抜き、剣でとどめを刺した。
最後の1体からも必要な量の血を吸い上げる。
【《弓術》を重複強奪しました】
【《弓術Lv2》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/4】
【《視力強化》を重複強奪しました】
【《視力強化Lv2》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/4】
触手を抜き、最後の1体にもとどめを刺す。
消えていく身体の跡へ目を向けると、魔石や弓弦、矢に混じって、使い込まれた短弓が1つ残されていた。
ダンは3体分のドロップ品をマジックバッグへ収め、その短弓だけを手に取った。
《弓術》を獲得したおかげか、持ち方や矢のつがえ方は自然と理解できる。だが、理解できることと上手く扱えることは別らしい。矢をつがえて弦を引いてみると、腕の角度も力の入れ方もまだ安定しなかった。
「人に見られているときのために、これも練習した方がいいかな」
短剣だけでなく、剣と弓まで扱えれば戦い方の選択肢は増える。
ただし、今はそれよりも優先すべきことがあった。
先ほどの戦闘を思い返す。
《音響察知Lv6》でも、3体分の弦音そのものは聞き分けられた。だが、弦を離す直前の僅かな変化までは捉えられず、3体目が射る瞬間を読み違えた。
このまま7階で乱獲を始めるのは危険だ。
遭遇する数が4体になれば、回避しきれない可能性はさらに高くなる。
「先に《音響察知》を上げよう。できれば、矢を放つ前に分かるくらいまで」
ダンは7階を離れ、迷宮の階段を引き返した。
向かった先は4階。
薄暗い天井から、甲高い鳴き声が聞こえてくる。獲物は以前にも大量に狩ったケイブバットだ。
ケイブバットは《音響察知》のスキルを持っている。
現在は《音響察知Lv6》で、次のレベルまで0/64。
Lv7へ上げるには64体。
そこからLv8へ上げるには、さらに128体。
合計192体から《音響察知》を奪えばいい。
普通なら気が遠くなりそうな数だ。
だが、ダンには眠る必要がない。身体が疲れれば休む必要はあるものの、睡眠のために迷宮を出る必要がないことは大きな利点だった。
「よし。やろう」
天井に張りついていたケイブバットが鳴き声を上げ、翼を広げる。
ダンはその羽ばたきを耳で追い、《跳躍》で壁を蹴った。すれ違いざまに片手剣を振り、翼だけを切り裂く。
飛べなくなったケイブバットが床へ落ちたところで、血の触手を突き刺す。
必要な量の血を吸い、《音響察知》を強奪してから触手を抜き、剣でとどめを刺す。
消えた身体の代わりに魔石、翼膜、牙が残された。
それらをマジックバッグへ収め、次の鳴き声を探す。
1体、2体と狩り続け、やがて数を頭の中だけで数えるのが億劫になる。そこでダンは、回収した魔石の数を定期的に確かめながら進むことにした。
ケイブバットは数体の群れで現れることもあったが、以前とは違い、今のダンには《剣術Lv6》と《跳躍Lv6》がある。さらに《音響察知Lv6》によって、死角から迫る羽音も聞き逃さない。
それでも一撃で殺さないように翼だけを狙い、落下した個体から順番に吸血する作業には神経を使った。
先に命を奪ってしまえば魔物は消え、《スキル強奪》は使えない。
ダンは焦らず、1体ずつ確実に処理していった。
しばらく狩り続けると、身体に疲れが溜まってくる。
ダンは安全を確認して壁際へ座り、持ってきた水を飲んだ。少し身体を休めてから立ち上がり、再びケイブバットを探す。
眠気はない。
それでも身体が疲れないわけではない。
休息を挟みながら狩りを続け、64体目から《音響察知》を奪った瞬間、耳の奥で何かが弾けるような感覚が広がった。
【《音響察知》を重複強奪しました】
【《音響察知Lv7》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/128】
途端に、迷宮の音がさらに鮮明になった。
遠くにいるケイブバットの羽ばたきだけでなく、曲がり角の先で翼が空気を押す音まで分かる。複数の音が重なっていても、それぞれがどちらへ動いているのか、以前より明確に追えるようになっていた。
「これなら、もっと早く狩れそうだ」
ダンは先へ進んだ。
迷宮の中では昼も夜も分からない。
狩りを続ければ身体には疲れが溜まる。そのたびに安全な場所を探して座り、水を飲み、ときには持ってきた食料を口にした。
吸血だけでも身体は維持できる。
それでも食事をすれば、人間だった頃から残っている心が少し満たされる。
そして休めば、また動ける。
眠る必要がない分、休息を終えればすぐに狩りへ戻ることができた。
「戻ったら、温かい物が食べたいな……」
《銀の止まり木》で食べた煮込みを思い出しながら、ダンは再び立ち上がった。
《音響察知》がLv7になってから、狩りの速度は目に見えて上がった。
ケイブバットを目で確認する前に居場所を把握できるため、不意を突かれることがない。複数の羽音が重なっても、それぞれの位置や飛ぶ方向を以前より正確に追える。
翼を斬り、吸血し、《音響察知》を奪い、触手を抜いてからとどめを刺す。
ドロップ品を回収し、次の獲物を探す。
同じ動きを何度も繰り返した。
そしてLv7になってから128体目。
必要な量の血を吸い上げた瞬間、再び感覚が変化する。
【《音響察知》を重複強奪しました】
【《音響察知Lv8》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/256】
その瞬間、世界の輪郭が音によって塗り替えられた。
見えていない通路の先にケイブバットが3体いる。
1体は天井に張りつき、残る2体は低い位置を飛んでいる。それぞれの翼が空気を叩く間隔だけでなく、僅かな動きの変化まで、音としてはっきり伝わってくる。
ダンは試しに目を閉じた。
遠くで魔石が床を転がる微かな音。
壁の向こうを何かが這う音。
自分が身につけている革鎧が呼吸に合わせて擦れる音まで聞こえる。
「すごい……」
今までとは、聞こえてくる音の細かさが違う。
「これなら、弓を引く音だけじゃなくて、放つ直前の変化も分かるかもしれない」
距離と方向を意識して耳を澄ませる。
複数の音が重なっていても、それぞれを別々に追うことができる。音の強弱や反響から、どちらに何がいるのかも以前よりずっと正確に捉えられた。
これなら複数のゴブリンアーチャーが同時に弓を引いても、1体ずつ音を追えるかもしれない。
ダンは満足しながら、マジックバッグの中身を確認した。
ケイブバット192体分の魔石、翼膜、牙。
それに7階で倒したゴブリンアーチャー3体分のドロップ品まで入っている。
魔石と牙はまとめ、翼膜もできるだけ重ねて詰めているが、小型マジックバッグの中はほとんど埋まっていた。
「欲張って入らなくなったら困るよね。1度、換金してこよう」
狩りを続けたい気持ちは残っている。
《音響察知Lv8》が、ゴブリンアーチャーを相手にどれほど通用するのか、今すぐ試してみたかった。
しかし、7階で乱獲を始めれば、さらに多くのドロップ品が手に入る。先にマジックバッグを空にしておいた方が効率はいい。
ダンは地上へ続く階段へ向かいながら、先ほど矢がかすめた脇腹へ手を当てた。
革鎧には浅い傷が残っているが、矢は貫通していない。
装備を買った判断は正しかった。
そして、自分の弱点に気づいてすぐに引き返した判断も、きっと間違ってはいない。
「次は避けます。全部、音で聞き分けて」
誰もいない通路で小さく宣言し、ダンは笑みを浮かべた。
192体のケイブバットから奪った音が、今度こそ飛んでくる矢のすべてを教えてくれるはずだった。




