第28話◆ 飛んできた矢
冒険者ギルドを出たダンは、宿《銀の止まり木》へ戻った。
2日間も迷宮へ籠もっていたため、服やコートには土埃が付着し、袖口には自分の血が乾いて残っている。宿へ入った途端、女将が眉をひそめた。
「あんた、今までどこにいたんだい?」
「青石の迷宮です。少し長く狩りすぎました」
「少しって格好じゃないね。先に身体を洗ってきな。そんな姿で食堂に入れたら、ほかの客の食欲がなくなるよ」
「すみません……」
湯と洗濯を頼み、汚れた装備を外すと、革の胸当てにはコボルトの剣を受けた細い傷が残っていた。表面を掠めただけなので、まだ使えないわけではないが、6階より先へ進むなら少し心許ない。
身体を洗い終え、着替えて食堂へ下りると、女将が焼いた肉と野菜の煮込みを用意してくれた。吸血だけでも身体は維持できる。それでも温かい料理を口へ運ぶと、空腹とは違う満足感が広がり、ダンは思わず呟いた。
「やっぱり、食事は必要だな」
必要としているのは身体ではなく、人間だった頃から残っている心の方なのかもしれない。
食事を終えたダンは部屋へ戻り、眠気はないもののベッドへ横になった。目を閉じながら、今日までの出来事とこれからのことを考える。
レベルは10になり、《剣術》と《嗅覚強化》もLv6まで上がった。新しく《眷属化》も解放されたが、今すぐ使うつもりはない。それよりも、次の階へ進む前に装備を整える必要があった。
ギルドでは、コボルト90体を単独で倒した冒険者として見られている。その本人が、銀貨2枚と銅貨50枚で買った短剣だけを使い続けていれば、不自然に思われるかもしれない。人前では《触手》を使えない以上、武器へ金をかけることも無駄ではなかった。
「できれば《隠蔽》のために残したいけど……仕方ないよね」
目標のスキル書は金貨5枚。現在の所持金は金貨3枚、銀貨39枚、銅貨24枚あるため、多少使ったとしても再び迷宮で稼げばいい。
翌朝、ダンは朝食を済ませると《赤熊の武具店》へ向かった。
扉を開けた瞬間、壁に並べられた剣や槍、斧の金属臭が鼻へ届く。《嗅覚強化Lv6》となった今では、武器へ塗られた油や革の鞘の違いまで嗅ぎ分けられた。
「いらっしゃい。お前は……前に短剣を買っていった奴だな」
大柄な店主はダンの腰へ目を向けた。
「今日は何を探してる?」
「片手で扱える剣をお願いします。短剣より長くて、迷宮でも振り回しやすい物がいいです」
「予算は?」
「銀貨20枚以内で考えています」
店主はダンの腕や肩幅を眺めてから、壁に掛けられた剣を3本選んだ。
「好きなのを振ってみろ。ただし、店の物を壊すなよ」
「はい」
最初の剣を握ったとき、背後から聞き覚えのある声がした。
「あれ、ダン?」
振り返ると、入口にエルナが立っていた。昨日と同じ革の胸当てを身につけ、腰には細身の剣を差している。その後ろには、男女2人の冒険者がいた。
「エルナ。おはようございます」
「おはよう。昨日はあれから休めた?」
「はい。宿でゆっくり休みました」
「ならよかった。2日も潜ってたって聞いたから、少し心配してたのよ」
「ありがとうございます」
エルナは頷くと、後ろにいる2人を手招きした。
「昨日はきちんと紹介できなかったわね。この2人が私の仲間よ」
先に歩み出たのは、短い茶髪の男性だった。年齢は20代前半ほどで、軽い革鎧の上から複数の小袋をつけた腰帯を巻いている。
「カイルだ。斥候をやってる。昨日のコボルト90体、見てたぞ」
「ダンです。よろしくお願いします」
「エルナが気にするわけだ。顔だけじゃなくて、相当強いらしいな」
「ちょっと、カイル!」
エルナが声を上げ、ダンはどう答えればいいか分からず黙ってしまった。
もう1人は、淡い金髪を肩まで伸ばした少女だった。白い上着の上に革製の胸当てをつけ、腰には短い杖を下げている。
「リーナです。治癒術を担当しています。エルナからお話は聞いています」
「どんな話ですか?」
「色が白くて、とても綺麗な男の子をパーティーへ誘ったけど、断られたと」
「リーナまで!」
顔を赤くしたエルナが、「実力がありそうだから誘ったの! 顔は関係ないわよ」と言い返す。リーナは「そういうことにしておきます」と穏やかに笑い、カイルも面白そうに口元を緩めていた。
3人のやり取りを見ていると、長く一緒に活動していることが伝わってくる。ダンはその親しげな雰囲気を、少しだけ羨ましく感じた。
「3人は、今日はどこへ行くんですか?」
「装備を整えたら青石の迷宮よ。今は8階と9階を中心に狩ってるの。もう少し連携が安定したら、10階へ行くつもり」
「もう10階まで進んでいるんですね」
「私たちはEランクだからね。ダンも1人で無茶ばかりしないで、困ったら声をかけなさいよ」
「ありがとうございます」
エルナはダンが持っている剣へ目を向けた。
「片手剣に変えるの?」
「短剣も使いますが、《剣術》を覚えたので試そうと思っています」
「だったら、真ん中の剣がいいんじゃない? ほかの2本より少し短いから、迷宮の狭い通路でも壁に当たりにくいわ」
勧められた剣を構えてみると、刃渡りはコボルトの小剣より長いものの、一般的な長剣よりは短い。重心も手元に近く、片手で振っても刃先が流れなかった。
店主も腕を組んで頷く。
「鋼鉄製だ。刃こぼれした小剣とは比べものにならん。銀貨18枚だ」
「これにします」
「即決か。鞘も込みだが、手入れは怠るなよ」
「はい。大切に使います」
代金を支払い、剣を腰へ下げる。エルナたちも矢や回復薬を買う予定があるらしく、店の奥へ向かう前に、もう1度ダンを振り返った。
「またギルドでね、ダン」
「はい。3人とも、気をつけてください」
「それはこっちの台詞よ」
店を出たダンは、続いて《岩亀の防具店》へ向かった。
今までの革製胸当てを店主へ見せ、6階より先へ進むつもりだと伝えると、店主は表面の傷を指でなぞり、奥から補強された革製の胸当てを持ってきた。
「革を重ねて、急所の部分には薄い鉄板を入れてある。今のお前さんの物より重いが、これから先へ行くなら、このくらいは着けておけ」
価格は銀貨12枚。さらに前腕の外側を守る腕当ても、銀貨4枚の物へ買い替えた。内側は開いているため、触手を出すために腕を切る邪魔にはならない。
装備に使った金額は合計で銀貨34枚となり、所持金は金貨3枚、銀貨5枚、銅貨24枚まで減った。
「また《隠蔽》が遠くなった……」
それでも、鋼鉄の剣と補強された防具を身につけると、以前より冒険者らしく見える。命を守るための出費だと考えれば、決して無駄ではない。
古い胸当てと腕当てをマジックバッグへ入れ、ダンは冒険者ギルドへ向かった。受付にいたエマへ声をかけ、7階について尋ねる。
「今度は7階ですか?」
「はい。6階では問題なく戦えたので、様子だけでも見てこようと思います」
「ダンさんの『様子を見る』は信用できなくなってきました」
「どうしてですか?」
「5階の様子を見に行って、ポイズンフロッグを31体。6階の様子を見に行って、コボルトを90体狩ってきたからです」
「今回は本当に確認だけにします」
ダンが答えると、エマは疑うように見つめた。
「7階に出現するのは、ゴブリンアーチャーです。レベルは12から15程度。2体から4体で行動し、離れた場所から短弓で攻撃してきます」
「接近した場合は?」
「腰に下げた錆びた短剣を使います。ただし、接近されそうになると後退しながら矢を放つので、追いかける際にも注意してください。矢を避けることだけに集中すると、別方向にいる個体から狙われますから、必ず敵の数を確認してください」
「分かりました。ありがとうございます」
必要な情報を聞いたダンは、そのまま青石の迷宮へ向かった。
1階から5階までの魔物を避け、6階でもコボルトの群れがいない道を選ぶ。《嗅覚強化Lv6》と《音響察知Lv6》があれば、戦闘を避けながら進むのは難しくなかった。
6階の最奥にある階段を下り、初めて7階へ足を踏み入れる。
通路の幅は6階よりも広く、壁には小さな窪みや横道が多い。遠くから獲物を狙う魔物にとって、身を隠す場所には困らない構造だった。
ダンは鋼鉄の剣を抜き、足音を抑えながら進む。近くに足音は聞こえず、獣のような体臭も感じない。
そのまま通路の角へ近づいたとき、遠くから乾いた軋みが聞こえた。
キリッ――。
何の音か考えるより先に、ダンは反射的に首を傾けた。
次の瞬間、さっきまで顔があった場所を矢が通過する。
「えっ?」
矢は背後の壁へ当たり、硬い音を立てて床へ落ちた。
ダンは剣を構え、矢が飛んできた方向へ目を凝らす。かなり離れた通路の窪みに、緑色の小さな影が隠れていた。手には短い弓を持ち、すでに次の矢をつがえている。
その左右にも、同じ影が2体いた。
「3体……」
ダンは中央の個体へ《鑑定》を使った。
【種族:ゴブリンアーチャー】
【レベル:13】
【状態:警戒】
「ゴブリンアーチャー……」
当然だが、弓を使っている。
コボルトが《剣術》を持っていたように、この魔物も弓に関係するスキルを持っている可能性は高い。
それ以外にも何か持っているかもしれないが、《鑑定Lv1》ではそこまでは分からない。
2本目の矢が放たれる。
今度は弦が鳴る瞬間をはっきりと捉え、ダンは横へ踏み出して避けた。
矢が通り過ぎた先で、口元が自然と緩む。
「どんなスキルを持ってるんだろう」
確かめる方法なら、もう分かっていた。




