第23話◆ 魔法の袋
青石の迷宮を出た頃には、空が夕暮れの色に染まり始めていた。
ダンは両手に提げた麻袋へ視線を落とす。中に入っているのは、ポイズンフロッグ31体分の魔石と毒袋だ。どちらの袋も大きく膨らみ、持ち手が指へ食い込んでいた。
重さそのものは苦にならない。しかし、これ以上の量になると運ぶ方法の方が問題になる。
「やっぱり、マジックバッグが必要だな……」
目標にしていた《隠蔽》は、新人を狙っていた3人組から手に入れることができた。決して望んだ形ではなかったが、そのおかげで貯めていた金を別のことへ使える。
明日には、手入れを頼んでいたコートも戻ってくる。
教会へ返しに行く前に、荷物の問題を解決しておきたかった。
街へ戻ったダンは、そのまま冒険者ギルドへ向かった。夕方のギルドは依頼を終えた冒険者たちで混み合っており、酒と汗、それに血の匂いが入り交じっている。
以前なら顔をしかめていたかもしれない。だが、《嗅覚強化Lv4》を得た今は、意識を向けなければ強い匂いをある程度流せるようになっていた。
それでも、ダンが2つの麻袋を抱えて入った途端、いくつもの視線が集まった。
「また、あの白いのだ」
「今日は何を持ってきたんだ?」
「朝から潜ってた奴だろ?」
ひそひそと聞こえてくる声を気にしながら、ダンはいつもの受付へ並んだ。
順番が来ると、エマが膨らんだ麻袋を見て、わずかに身を乗り出す。
「お帰りなさい、ダンさん。今日は5階へ行かれたんですよね?」
「はい。ポイズンフロッグを狩ってきました。討伐依頼は、今からでも受けられますか?」
「常設依頼ですので、討伐数を確認できれば大丈夫です。何体ですか?」
「31体です」
「……もう1度お願いします」
「31体です」
エマの視線が、ダンの顔から麻袋へゆっくりと移った。
「今日、初めて5階へ行かれたんですよね?」
「はい。毒を吐くとは知らなかったので、最初は少し驚きました」
「少し、ですか……」
エマは何かを言いかけたが、結局それ以上は尋ねず、買取用の木札を用意した。
「確認しますので、買取窓口へお持ちください。ポイズンフロッグの常設依頼は10体単位ですから、達成数は3口になります。残りの1体分も通常の素材として買い取れます」
「分かりました。ありがとうございます」
買取窓口で麻袋の中身を広げると、担当者の手が止まった。
机の上に、紫がかった魔石と薄緑色の毒袋が次々に並べられていく。担当者はそれぞれを種類ごとに分けながら、手早く数を確認した。
「魔石が31個、毒袋も31個。数は合ってる。それにしても、1日でよくこれだけ狩ったな」
「途中から、戦い方が分かってきたので」
実際には、脚を切って動けなくしてから触手で血を吸っている。そんな説明はできないため、ダンは曖昧に笑った。
「素材の買取が銀貨37枚と銅貨20枚。常設依頼3口の報酬が銀貨15枚。合わせて銀貨52枚と銅貨20枚だ」
受け取った金を革袋へ入れる。
これで所持金は、銀貨210枚と銅貨24枚になった。
金貨に換算すれば、ようやく2枚を超えた。
これだけ稼いでも、《隠蔽》のスキル書には届かない。金貨5枚という価格を改めて考えると、あの3人組から奪えたことがどれほど大きかったのか分かる。
ギルドを出たダンは、以前エマから教えてもらった魔道具店《星読みの小箱》へ向かった。
店は商業区の一角にあり、扉の上には袋から星がこぼれ落ちる絵が描かれていた。中へ入ると、棚には小さな革袋や腰につけるポーチ、金属の留め具がついた箱などが並んでいる。
「いらっしゃい。何を探してる?」
奥から現れた店主は、丸眼鏡をかけた小柄な男性だった。
「小型のマジックバッグを見せていただけますか?」
「小型なら金貨2枚だ。容量は麻袋10個分。中へ入れた物の重さは、およそ10分の1になる」
店主が取り出したのは、肩から提げられる焦げ茶色の鞄だった。見た目は普通の革鞄と変わらない。口も、両手を入れられるほど広くはなかった。
「この大きさで、本当に麻袋10個分も入るんですか?」
「試してみるか?」
「いいんですか?」
「買う気があるならな」
店主は棚の下から空の木箱を取り出した。鞄の口へ近づけると、箱は水へ沈むように形を歪ませ、そのまま吸い込まれていった。
ダンは思わず鞄の中を覗き込む。
中は暗い。
試しに手を入れ、先ほどの木箱を思い浮かべると、指先へ硬い感触が触れた。そのまま引き上げれば、木箱が元の大きさで出てくる。
「すごい……」
異世界漫画では何度も見たことがある。
それでも、実際に自分の手で使うと、自然に笑みが浮かんだ。
「生き物は入らない。中で時間が止まるわけでもないから、肉や薬草は普通に傷む。それから、マジックバッグの中へ別のマジックバッグを入れるのも無理だ」
「普通の麻袋は入れられますか?」
「それは問題ない。荷物を分けたい奴は、袋ごと入れてる」
ダンは迷わず金貨2枚を支払った。
残った所持金は、銀貨10枚と銅貨24枚。
一気に心細くなったが、不思議と後悔はなかった。この鞄があれば、何度も街と迷宮を往復する必要がなくなる。
店を出ると道具屋へ寄り、手持ちの2枚と合わせて10枚になるよう、麻袋を8枚買い足した。
1枚銅貨20枚なので、合計で銀貨1枚と銅貨60枚。
所持金は、銀貨8枚と銅貨64枚になった。
10枚の麻袋を小さく畳み、マジックバッグへ入れてみる。
薄い革鞄は、ほとんど膨らまなかった。
「これなら、もっと狩れる」
思わず漏れた声には、自分でも分かるほど期待が滲んでいた。
翌朝。
宿で朝食を済ませたダンは、マジックバッグを肩へ提げ、青石の迷宮へ向かった。
目標は4階と5階だ。
6階へ進めば、新しい魔物と新しいスキルに出会えるかもしれない。
しかし、今はまだ《音響察知》と《麻痺毒》を伸ばしたかった。それに、新しい鞄がどれほど便利なのかも試してみたい。
1階から3階までは、戦闘を避けながら進んだ。
《気配察知Lv1》で周囲に別の気配がないか確かめ、《音響察知Lv5》で足音や鳴き声の方向を探る。
4階へ到着すると、岩の天井から微かな羽音が聞こえてきた。
ダンは短剣を抜き、音の重なりへ意識を集中させる。
右奥に2体。
少し離れた天井に1体。
足へ力を込め、《跳躍Lv6》で地面を蹴る。
身体が一気に天井近くまで浮かび、最初のケイブバットが反応するより早く、その翼を短剣で切り裂いた。
落下したケイブバットへ近づき、腕に小さな傷をつける。
流れ出した血が細い触手へ変わり、まだ生きているケイブバットの身体へ突き刺さった。
必要な量の血を吸い終えると、ダンは触手を引き抜き、短剣でとどめを刺した。
ケイブバットが光の粒となって消え、魔石と翼膜、牙がその場へ残る。
ダンはそれらを麻袋へ入れ、袋ごとマジックバッグへ収納した。
「本当に、ほとんど重くならない……」
これまでは袋が膨らむたび、帰る時間を考えなければならなかった。
今は、まだ十分な空きがある。
ダンは羽音を追って4階を歩き続けた。
飛びかかってくるケイブバットの軌道を読み、《跳躍》で迎え撃つ。翼を切って落とし、生きている間に吸血する。
最初の頃は空中で身体が流れていたが、繰り返すうちに踏み切る力や短剣を振る角度まで調整できるようになっていった。
そして32体目。
必要な量の血を吸い終えた直後、表示が浮かぶ。
【《音響察知》を重複強奪しました】
【《音響察知Lv6》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/64】
「よし」
意識を広げる。
今までより遠くの羽音が、さらに明瞭に聞こえた。
それだけではない。
複数の音が重なっていても、それぞれを以前より細かく聞き分けられる。離れた通路から聞こえる足音も、1人なのか複数人なのかを区別しやすくなり、音の変化を追えば、どちらへ移動しているのかも以前より掴みやすい。
ただ音が聞こえるのではなく、動いている音を追いやすくなっていた。
「便利になってきたな」
32体分の素材をマジックバッグへ収め、続いて5階へ降りる。
ポイズンフロッグの動きは、すでに把握している。
口の中で液体が動く音へ注意しながら側面へ回り、毒を吐かれる前に後脚を切る。間に合わないときは《跳躍》で射線から逃れた。
前日に得た《麻痺毒Lv5》も試してみる。
自分の血へ麻痺毒の性質を混ぜ、短剣の刃へ薄く塗る。ポイズンフロッグの脚を浅く切るだけで、しばらくすると動きが目に見えて鈍くなった。
「昨日より、効き方が強い」
ポイズンフロッグ自身にも麻痺毒は効いている。
ほかの魔物ならどうなるのか、試してみる価値はありそうだった。
もちろん、誰かに見られている場所では使えない。
自分の血に毒の性質を持たせられることを知られれば、余計な詮索を受けるかもしれない。
《音響察知》で周囲の音を確認し、《気配察知》でも近くに別の気配がないか確かめながら、ダンはポイズンフロッグを狩り続けた。
魔物が消滅するたびに残された魔石と毒袋を拾い、別々の麻袋へ入れていく。袋が満杯になれば、そのままマジックバッグへ収納して新しい袋を取り出した。
そして32体目。
必要な量の血を吸い終えると、待っていた表示が浮かんだ。
【《麻痺毒》を重複強奪しました】
【《麻痺毒Lv6》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/64】
「上がった」
同じポイズンフロッグから得られる《跳躍》も重複強奪しているが、こちらのレベルは上がらなかった。
昨日、《跳躍Lv6》へ上がったあとに2回分を重ね、今日はさらに32回。現在は34/64で、次のレベルまではあと30回だ。
これだけ狩っても、ダン自身のレベルは8のままだった。
人間の何倍ものステータスを持ち、レベルアップ時の伸びも大きい。
その分、次のレベルまでに必要な経験も、人間より多いのかもしれない。
「焦る必要はないよね。スキルは上がってるんだから」
マジックバッグへ意識を向ける。
中にはケイブバット32体分と、ポイズンフロッグ32体分のドロップ品が収まっている。
以前なら、とても1度には運べなかった量だ。
街へ戻ってギルドへドロップ品を持ち込むと、買取担当者は鞄から次々に出てくる麻袋を見て顔を引きつらせた。
「お前、昨日31体持ってきたばかりだよな?」
「はい。今日は鞄を買ったので、たくさん持ち帰れました」
「そういう問題か……?」
ケイブバット32体分のドロップ品と常設依頼で銀貨48枚。
ポイズンフロッグ32体分のドロップ品と常設依頼3口で、銀貨53枚と銅貨40枚。
合わせて、銀貨101枚と銅貨40枚になった。
昨日マジックバッグを買ったことで軽くなっていた革袋が、再びずっしりと重くなる。
所持金は、銀貨110枚と銅貨4枚。
金貨2枚を使った翌日には、すでに半分以上を取り戻していた。
ギルドを出た頃には日が傾いていた。
宿《銀の止まり木》へ戻ると、女将がダンの姿を見つけ、カウンターの下から丁寧に畳まれたコートを取り出した。
「お帰り。頼まれてたコート、仕上がってるよ」
「ありがとうございます」
受け取ったコートからは、土と黴の匂いが消えていた。乾いた革には油が薄く塗られ、拾ったときよりも色が濃く見える。
泥に隠れていた縫い目も、今ははっきりしていた。
胸元には、見覚えのない小さな紋章が刺繍されている。
黒い茨に囲まれた、銀色の三日月。
「こんな模様があったんだ……」
「かなり古い物だけど、作りはいいよ。大事な物なんじゃないのかい?」
「いえ、僕の物ではありません。目を覚ましたときに混乱していて、教会から勝手に持ち出してしまったんです」
女将は呆れたように眉を上げた。
「だったら、きちんと返しておいで」
「はい。そのつもりです」
ダンはコートを抱え、自分の部屋へ戻った。
明日は教会へ行こう。
コートを返し、自分が這い出した墓も、もう1度確かめる。
あのときは暗く、目覚めたばかりで何も考えられなかった。
墓石には文字が刻まれていたが、泥に埋もれ、欠けた部分もあって読むことができなかった。
だが今なら、もう少し何か分かるかもしれない。
胸元に刺繍された、黒い茨に囲まれた銀色の三日月。
ダンがその紋章を指でなぞった瞬間、なぜか心臓の奥が小さく疼いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




