第19話◆ 借り物のコート
依頼の並ぶ掲示板の前へ移動しても、周囲から向けられる視線は消えなかった。
顔を上げるたび、近くにいる冒険者と目が合う。
慌てて逸らす者もいれば、隠そうともせずダンを観察している者もいる。離れた場所から聞こえてくる話し声まで、《音響察知Lv3》が拾ってしまう。
「あれが、数日でFランクになった新人か」
「ずいぶん細いな。本当にゴブリンを25匹も倒したのか?」
「装備も大した物じゃないぞ」
悪口を言われているわけではない。
それでも、これだけ多くの人から見られることに、ダンは慣れていなかった。
病院にいた頃は、誰かに注目される機会などほとんどなかった。病室で漫画を読んでいるか、窓の外を眺めているだけの毎日だった。
今は、何をしていても誰かの視線を感じる。
ダンは自分の身体を見下ろした。
濃色の上着に革の胸当て。前腕にも防具をつけ、腰には新しく買った鉄製の短剣を下げている。
装備としては最低限の物が揃ってきた。
それでも、周囲の冒険者と比べれば駆け出しにしか見えないだろう。
「もう少し目立たない格好にした方がいいのかな……」
Fランクへ上がった直後だから注目されているだけかもしれない。
それに、自分の顔が人目を引くらしいことは、これまでにも何となく気づき始めている。
せめて、深く被れるフードでもあれば少しは違うだろうか。
掲示板へ視線を戻す。
5階にいるポイズンフロッグの討伐依頼や、毒袋の納品依頼が貼られていた。
Fランクになったため、どちらも受けられる。
どんな魔物なのか気にはなる。
だが今は、背中に刺さり続ける視線の方が気になった。
ダンは依頼を受けず、掲示板から離れた。
「エマさん。少し聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
「この近くに、服を売っている店はありますか? できれば、あまり高くないところがいいんですが」
以前にも店の並ぶ場所は教えてもらったが、どの店が自分に合っているかまでは分からない。
「普段着ではなく、ダンジョンにも着ていける物ですか?」
「はい。フードがついていて、できれば目立たない物がいいです」
エマはダンの顔を見たあと、何か言いたそうに一瞬だけ間を置いた。
「それでしたら、中央広場から西へ向かったところに《糸車の家》という店があります。冒険者向けの丈夫な服も扱っていますよ。高級店ではないので、値段も手頃だと思います」
「ありがとうございます。行ってみます」
話を終えて出口へ向かう途中も、何人かの冒険者がダンを目で追っていた。
フードの深いコートでも着れば、この視線も少しは減るかもしれない。
そう考えながら、ダンは冒険者ギルドを出た。
エマに教えてもらった《糸車の家》は、中央広場から少し離れた通りにあった。
店先には色違いのシャツやズボンが並べられ、軒下には外套やコートが吊るされている。華やかな飾りのついた服は少なく、丈夫で動きやすそうな物が多かった。
「いらっしゃい」
店へ入ると、眼鏡を掛けた中年の女性が声をかけてきた。
ダンの顔を見て一瞬動きを止めたが、すぐに商売人らしい笑顔へ戻る。
「何を探しているんだい?」
「フードのついたコートが欲しいんです。ダンジョンでも使えて、できるだけ目立たない物はありますか?」
「目立たない物ねえ」
女性はダンの顔を改めて見ると、少し困ったように首を傾げた。
「色や形なら目立たなくできるけど、あんたの場合は服だけが原因じゃなさそうだね」
「服以外にも、何かおかしいところがありますか?」
本気で尋ねると、女性は数秒黙ったあと、堪えきれないように笑った。
「おかしいわけじゃないよ。鏡を見たことはあるだろう?」
「あります」
「なら、もう少し自覚した方がいいね。まあ、深めのフードがあれば多少は隠せるか」
女性は店の奥へ入り、数着のコートを抱えて戻ってきた。
明るい茶色、暗い緑、濃い灰色。
どれも派手な装飾はなく、厚手の布で作られている。
「冒険者がよく買っていく旅装用のコートだよ。布に油を染み込ませてあるから、小雨程度なら弾いてくれる。肩や肘も補強してあるし、内側には小物を入れるポケットもある」
ダンは濃い灰色のコートを手に取った。
見た目より軽い。
袖を通してみると、肩や腕を動かしても引っかかる感じがなく、腰の短剣へ手を伸ばしても邪魔にならなかった。
「着てみてもいいですか?」
「もちろん。そっちに鏡があるよ」
胸元を留め、フードを被って鏡を見る。
顔の上半分に影が落ち、青白い肌もあまり目立たなくなった。完全に顔を隠せるわけではないが、今までよりは人目を避けられそうだ。
「これにします」
「決めるのが早いね。銀貨3枚だよ」
ダンは代金を支払い、そのまま新しいコートを着ていくことにした。
店を出ようとして、ふと足を止める。
「あの、もう1つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「古い革のコートを持っているんですが、泥や汚れがかなりついているんです。普通に洗っても大丈夫なんでしょうか?」
「革は普通の洗濯物と同じようには洗えないよ。泥を落としてから油を入れ直さないと、硬くなったりひび割れたりする」
「そうなんですね」
「自分でやったことがないなら、革を扱える職人に任せた方がいい。大きな宿なら、そういう職人と付き合いがあるところも多いよ」
「分かりました。ありがとうございます」
女性に頭を下げ、店を出た。
新しいコートのフードを被って通りを歩いてみる。
先ほどより、周囲の視線が気にならなくなったような気がした。
少なくとも、顔の大部分は影に隠れている。
これなら少しは目立たなくなるかもしれない。
そう思った直後、すれ違った女性の足音が背後で一度止まった。
衣擦れの音がして、少し遅れて再び足音が遠ざかっていく。
《音響察知Lv3》を覚える前なら気づかなかったかもしれない。
「……やっぱり、全部服のせいじゃないのか」
ダンはさらに深くフードを被った。
宿屋《銀の止まり木》へ戻ると、そのまま自分の部屋へ向かった。
壁際には、教会から借りた革のコートが置いてある。
墓の下から這い出した夜に身につけ、その後も森や街を歩くときに使っていた物だ。泥や汚れが残り、細かな傷も増えている。
新しい濃灰色のコートの裾を見下ろしてから、古い革のコートへ視線を戻す。
もう、これを借り続ける必要はない。
自分で稼いだ金で服を買った。
短剣も、防具も、今着ているコートも、自分で手に入れた物だ。
「そろそろ、返さないとな」
ダンは革のコートを抱え、再び1階へ下りた。
受付にいた女将へ声をかける。
「あの、お願いしたい物があるんですが」
「何だい?」
「革のコートなんです。泥がついていて、少し傷もあります。きれいにしてもらうことはできますか?」
「革か。それなら、いつもの洗濯場じゃ扱えないね」
女将はコートを受け取り、表面の状態を確かめた。
「付き合いのある革職人へ回せば、泥落としと油の入れ直しくらいはできる。破れてはいないから、大きな修理も必要なさそうだね」
「お願いできますか?」
「ああ。ただし、仕上がるまで3日はかかるよ。料金は銅貨50枚だ」
「大丈夫です。お願いします」
ダンは銅貨50枚を支払った。
女将は代金を受け取ると、革のコートを畳んで脇へ置く。
「随分古そうなコートだけど、そんなに大事な物なのかい?」
「僕の物ではないんです」
「借り物かい?」
「はい。こちらへ来たばかりのとき、森の中にあった教会から借りました。誰もいなかったので、勝手に持ってきてしまったんですが……」
「それなら、持ち主がいなくても元の場所へ戻した方がいいだろうね」
「僕も、そう思っています」
あの夜、ダンは墓の下から這い出した。
満月の光を頼りに森を歩き、古い教会を見つけた。
そこで鏡を見て、自分の顔も身体も以前とはまるで違うものになっていることを知った。
靴もコートも、あの教会に残されていた物だ。
何も持っていなかった自分には必要だった。
だが今は、宿に泊まり、自分で買った服を着て、武器も防具も持っている。
いつまでも借り物に頼る必要はない。
「きれいになったら、教会へ返しに行きます」
「分かったよ。3日後には渡せるようにしておく」
「ありがとうございます」
女将に頭を下げ、ダンは自分の部屋へ戻った。
新しいコートは動きやすくて温かい。深いフードも、今のダンにはありがたかった。
それでも、古い革のコートを預けたことで、胸の奥に小さな寂しさが残っている。
あのコートは、この世界で初めて身につけた物だった。
自分が何者なのかも、ここがどこなのかも分からないまま、何も持たない身体に羽織った物だ。
3日後、あの教会へ戻る。
そして、コートを返す。
そこまで考えたところで、もう1つ確かめたいことが頭に浮かんだ。
自分が這い出した墓だ。
あのときは、土の中から出られたことだけで精一杯だった。
墓石には文字が刻まれていたが、泥に埋もれ、欠けた部分もあって読むことができなかった。
もう1度きちんと調べれば、この身体がかつて何という名前で呼ばれていたのか分かるかもしれない。
そして、あのとき蘇った記憶。
銀色の髪と赤い目を持つ、父親らしき男。
自分の胸へ銀の剣を突き立てながら、赤い涙を流していた。
『すまない……他の者の手にかかるくらいなら、せめて私が――』
あの言葉の続きは、まだ思い出せない。
あの男は何者なのか。
なぜ、自分の胸へ剣を突き立てたのか。
そして、この身体は一体何者だったのか。
今なら、あの墓や教会をもう1度きちんと調べれば、何か分かるかもしれない。
ダンは窓に映る自分の姿を見ながら、新しいコートのフードを静かに外した。




