第13話◆ 腹を括る
通路の奥から聞こえていた足音が、少しずつ近づいてくる。
ダンは短剣の柄を握ったまま、その場を動かなかった。
逃げることはできる。
《跳躍Lv5》を使えば、少なくとも距離を取ることはできるはずだ。しかし、壁際へ隠されていた冒険者登録証と、複数の人間が流した血の匂いを見つけてしまった。
何も知らないふりをして立ち去る気にはなれなかった。
やがて、暗い通路の奥に松明の光が浮かび上がった。
現れたのは3人の男だった。
先頭を歩いているのは、30歳前後に見える細身の男だ。革鎧の上から灰色の外套を羽織り、腰に長剣を差している。
その後ろには、片手斧を持った大柄な男と、小型の弩を背負った痩せた男がいた。
3人とも冒険者らしい装備を身につけている。
「おい、大丈夫か?」
先頭の男が、心配そうな表情で声をかけてきた。
「こんな場所で1人か? 怪我はしていないか?」
「はい。僕は大丈夫です」
「そうか。それならよかった」
男は穏やかに笑った。
「俺はガレス。こっちの大きいのがボルドで、痩せているのがニックだ。俺たちはこの辺りで、行方不明になった新人を探している」
「行方不明になった新人、ですか?」
「ああ。この辺りにはゴブリンが多いからな。装備の整っていない新人が、何人も戻ってきていないらしい」
ガレスの説明を聞きながら、ダンは3人の匂いを確かめた。
汗、革、武器へ塗られた油。その奥に、人間の血の匂いが混じっている。
特に強いのは、大男のボルドだ。片手斧はきれいに拭われているが、柄と刃の継ぎ目に血の匂いが残っていた。
ニックの革手袋からも同じ匂いがする。
そして、その血は壁際に隠されていた衣服や登録証から漂うものとよく似ていた。
ダンが黙っていると、ガレスの視線が麻袋へ向いた。
「ずいぶん稼いでいるようだな。3階へ来たばかりには見えないが、ランクは?」
「Gランクです」
「Gランクで1人か。それは危ないな」
ガレスは親切そうな笑みを崩さない。
「俺たちと一緒に来ないか? この先に安全な休憩場所がある。そこで、3階の歩き方を教えてやるよ」
「ありがとうございます。でも、その前に聞いてもいいですか?」
「何だ?」
ダンは麻袋から、半分に割れた冒険者登録証を取り出した。
「これは、誰の物ですか?」
ガレスの笑みが、わずかに固まった。
ボルドが片手斧を握り直し、ニックの視線がダンの手元へ向く。
「奥の窪みに、血の付いた服や登録証が隠されていました。あなたたちは行方不明になった人を探しているんですよね?」
「ああ。俺たちも、今そこを調べようとしていたところだ」
「でも、隠されていた血と同じ匂いが、皆さんの武器からします」
沈黙が落ちた。
ガレスの顔から、親切そうな笑みが消えていく。
「血の匂いだと?」
「はい。何人分か分からないくらい、いろいろな匂いが混ざっています」
ボルドが低い声で笑った。
「ガレス。こいつ、ただのガキじゃねえぞ」
「ああ。ニック、見ろ」
名前を呼ばれた痩せた男が、ダンへ目を向ける。
その瞳に淡い光が宿った瞬間、身体の表面を何かが撫でていくような不快な感覚が走った。
《鑑定》を使われている。
そう気づいたが、ダンには防ぐ手段がなかった。
ニックの表情が変わった。
「何だ、こいつ……」
「どうした?」
「種族が人間じゃねえ。《ダンピール》って出てる」
心臓が強く跳ねた。
最も知られたくなかった情報の1つを、あっさり見抜かれてしまった。
「ダンピール?」
「人間とヴァンパイアの混血だ」
ガレスとボルドが、揃ってダンを見る。
「吸血鬼どもは、混血を探しているって話じゃなかったか?」
ボルドが斧を肩へ担ぎ、値踏みするようにダンを見る。
「ああ。生きたまま引き渡せば、金貨どころじゃ済まねえ。魔術師や裏の商人にも売れるだろうな」
「顔も悪くねえ。手足を折っておけば、逃げられもしないだろ」
3人はもう、ダンを人間として見ていなかった。
捕らえ、売り払い、金に換える商品として話している。
ダンは短剣を握ったまま、ガレスへ尋ねた。
「登録証の持ち主たちは、どうしたんですか?」
ガレスは答えなかったが、ボルドが楽しそうに口元を歪めた。
「知ってどうする?」
「皆さんが殺したんですか?」
「ダンジョンへ来る新人なんて、勝手に死んでも不思議じゃねえ。装備も金も、使える奴が使ったほうがいいだろ」
ボルドの言葉を、ガレスは止めようとしなかった。
「売れそうな奴は、裏の奴隷商へ流す。使い道のない奴は殺して魔物のいる場所へ捨てる。簡単な仕事だ」
ニックも笑いながら続けた。
「助けてくださいって泣く奴ばかりだぜ。最初はうるせえけど、喉を潰せば静かになる」
ほんの少し残っていた疑いが消えた。
ここに隠されていた登録証は、彼らが襲った冒険者たちの物だ。
逃げれば、3人はダンがダンピールだと誰かに話すだろう。吸血鬼が混血を探しているという言葉も聞き捨てならない。
正体を知られたからという理由だけで、人を殺してもいいのだろうか。
前世の自分なら、きっと迷い続けた。
しかし、今は違う。
3人を逃がせば自分が狙われる。それだけではなく、これからも新人たちが騙され、殺される。
見逃すという選択肢はなかった。
「確認します」
ダンは3人の顔を順番に見た。
「僕がダンピールだと、3人とも知ってしまったんですね」
「だったら何だ?」
ガレスが長剣を抜く。
「大人しくしろ。殺しはしねえ。高く売るには、生きているほうが都合がいいからな」
「そうですか」
ダンは古い短剣を抜き、左腕へ浅く刃を走らせた。
流れ出した血が肌の上で盛り上がる。黒みがかった赤い触手へ変わり、床へ垂れ下がった。
「それなら僕も、腹を括らなければならないみたいです」
「何だ、それは……!」
ニックが声を上げた瞬間、ボルドが前へ出た。
「面白え! 手足を潰せばいいんだろ!」
大きく振り上げられた斧が、ダンの頭へ向かって落ちてくる。
床を蹴ると、《跳躍Lv5》によって身体が高く跳ね上がった。斧は誰もいない床を叩き、石片を飛び散らせる。
ダンはボルドの頭上を越え、3人の背後へ着地した。
「速いぞ!」
「ニック、脚を狙え!」
ニックが小型の弩を構える。
放たれた矢を避けたつもりだったが、ガレスが退路を塞ぐように長剣を振るった。動きを変えた瞬間、弩の矢が左肩へ突き刺さる。
鋭い痛みが走った。
ボルドが笑う。
「捕まえたら、その白い身体に何本刺さるか試してやるよ!」
ダンは肩から矢を引き抜いた。
穴の開いた服の下で傷口が塞がっていく。数秒もしないうちに出血は止まり、痛みも薄れていった。
「傷が……」
ニックの顔から笑みが消えた。
ダンは短剣でもう1度腕を切り、流れる血の量を増やした。
黒みがかった赤い触手が2本、太さを増しながら床を這う。
1本がニックの弩へ絡みつき、強引に奪い取った。もう1本はボルドの斧を持つ腕へ巻きつく。
「こんなもので!」
ガレスが横から踏み込み、ボルドへ伸びた触手を長剣で斬り払った。
剣筋はゴブリンとは比べものにならないほど鋭い。切られた触手が血へ戻り、床へ飛び散る。
その隙にボルドが、残った触手を掴んでダンを自分のほうへ引っ張った。
人間としては、かなりの力なのだろう。
それでも、ダンの筋力には及ばなかった。
「何だ、この力……!」
逆にボルドの身体を引き寄せ、《跳躍》で一気に踏み込む。勢いを乗せた蹴りが膝へ入り、骨の砕ける音が響いた。
「ぐああっ!」
倒れたボルドの手から斧が落ちる。
ダンは触手を引き戻すと、そのままニックの両脚へ横から叩きつけた。ニックは逃げようとした姿勢のまま床へ転がる。
残るガレスが長剣を突き出した。
《短剣術Lv3》によって軌道を見切り、新しい短剣で刃を受け流す。しかし、ガレスは手首を返し、ダンの脇腹を横へ斬りつけた。
革の胸当てが刃を止めたが、衝撃までは消えない。
装備を買っていなければ、深く斬られていた。
「ガキが、調子に乗るな!」
ガレスが続けて長剣を振り上げる。
ダンは後ろへ下がらず、懐へ踏み込んだ。
短剣の柄をガレスの顎へ打ち込み、体勢を崩したところで触手を足首へ巻きつける。そのまま強く引き、床へ背中から叩きつけた。
落ちた長剣を遠くへ蹴り飛ばす。
気づけば、3人とも床に倒れていた。
戦いが始まってから、まだ数分も経っていない。
ボルドは砕けた膝を押さえ、ニックは両脚を動かせない。ガレスも身体を起こそうとしているが、触手に腕を押さえつけられている。
「待て!」
ガレスが叫んだ。
「分かった、俺たちが悪かった! 金も装備も全部やる!」
ダンは答えず、ニックの前へ移動した。
「おい……何をする気だ」
「あなたが使った《鑑定》をもらいます」
「……何を言ってやがる?」
触手の先端を、ニックの腿へ突き刺した。
「やめろ! 吸うな!」
温かい血が触手を通じて流れ込んでくる。
人間の血は、これまで吸ってきた魔物の血とは明らかに違った。
自分の血に近い。身体へ入った瞬間、失っていたものが戻ってくるような感覚が広がり、喉の奥に残っていた渇きが急速に満たされていく。
美味しい。
そう感じてしまったことに、ダン自身が驚いた。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《鑑定Lv1》を獲得しました】
【《気配察知Lv1》を獲得しました】
「な……何を……」
ニックの顔から血の気が引いていく。
必要な量へ達したところで触手を抜く。ニックは青白い顔で床へ倒れたが、まだ息は残っていた。
続いて、ボルドから吸血する。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《筋力強化Lv1》を獲得しました】
【《斧術Lv1》を獲得しました】
「まさか……スキルを……」
ボルドが掠れた声を漏らす。
ダンは答えず、最後にガレスの前へ立った。
「待ってくれ。俺は誰にも言わない」
先ほどまでの余裕は消え、声が震えている。
「お前がダンピールだってことも、その力のことも黙っている。街からも出ていく。だから助けてくれ」
ダンは壁際に隠されていた登録証へ目を向けた。
「同じことを、今まで殺した人たちにも言われませんでしたか?」
ガレスは答えられなかった。
「助けてほしいと頼まれても、あなたたちは殺したんですよね」
「それは……」
「僕も、自分が殺されるのは嫌です」
触手をガレスの腿へ突き刺す。
ガレスが叫び、身体を捻ったが、押さえつけている触手から逃れることはできなかった。
【吸血量が強奪条件に達しました】
【固有スキル《スキル強奪》が発動しました】
【《隠蔽Lv1》を獲得しました】
【《剣術Lv1》を獲得しました】
ダンはすぐに《隠蔽》を発動した。
薄い膜のようなものが、ステータス全体を覆う感覚がある。これで少なくとも、《鑑定Lv1》に種族を見られることはないはずだ。
金貨5枚を貯めなければ手に入らなかったスキルを、吸血によって奪うことができた。
改めて、《スキル強奪》の異常な力を実感する。
しかし、喜んでいるだけでは終われない。
3人はダンの正体を知っている。
それだけではない。
《触手》も《超再生》も見られた。そして、今の吸血によって《スキル強奪》の存在まで気づかれている可能性が高い。
ダンは短剣を握り直した。
ニック、ボルド、ガレスの順に止めを刺していく。
魔物とは違い、3人の身体は光になって消えなかった。
血の匂いが濃く残る通路の中で、ダンは自分の手を見つめた。
「僕は、人を殺した……」
手が小さく震えている。
それでも、後悔はなかった。
3人を逃がしていれば、自分の正体が広まり、別の新人も殺されていただろう。相手が人間だったとしても、見逃せる理由はなかった。
思っていたより冷静な自分に、少しだけ恐ろしさを感じる。
その瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
目の前の通路が消え、見覚えのない光景が浮かび上がる。
赤い絨毯が敷かれた、薄暗い部屋。
青白い手。
胸へ突き刺さった、銀色の剣。
自分を抱きしめているのは、長い銀髪と赤い瞳を持つ男だった。
男の頬を、赤い涙が伝っている。
『すまない……』
低く震える声が聞こえた。
『他の者の手にかかるくらいなら、せめて私が――』
そこで記憶が途切れた。
ダンは血の匂いが残る通路へ引き戻され、大きく息を吸った。
胸に傷はない。
それなのに、銀色の剣で貫かれた感触だけが、はっきりと残っている。
そして、記憶の中の自分が最後に口にした言葉も聞こえていた。
『父上……』
「今の人が、この身体の父親……?」
なぜ父親が息子の胸へ剣を突き立てたのか。
なぜ泣きながら謝っていたのか。
答えは何も分からない。
ただ、この身体が墓へ埋められる前、父親によって胸を銀色の剣で貫かれたことだけは分かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




