第12話◆ 形だけの装備
魔道具店《星読みの小箱》を出たダンは、大通りを西へ進んだ。
目指しているのは、エマに教えてもらった《赤熊の武具店》だ。
店の前には、赤く塗られた熊の頭が飾られている。大きく開いた口から牙が覗き、初めて訪れる客を威嚇しているように見えた。
扉を開けると、金属と油の匂いが鼻へ届いた。
壁には剣や槍、斧が隙間なく並び、棚には何種類もの短剣が置かれている。どれも今使っている短剣より頑丈そうだった。
「いらっしゃい。武器を探しているのか?」
店の奥から、太い腕をした店主が現れた。
「はい。冒険者になったばかりなので、初心者でも使える物を探しています」
「使っている武器は?」
「今はこれです」
ダンが腰の短剣を差し出すと、店主は鞘から抜いて刃を確かめた。
「銀貨1枚くらいの安物だな。刃も薄いし、何度も打ち合えば折れる。森で薬草を採るくらいなら使えるが、ダンジョンへ潜るなら勧めない」
値段まで正確に当てられ、ダンは素直に感心した。
「青石の迷宮の3階へ行こうと思っています」
「3階ならゴブリンか。短剣を使う個体もいるから、こいつでは心許ないな」
店主は棚から黒い革鞘に収められた短剣を取り出した。
今使っている物より刃が厚く、握りには革が巻かれている。長さは腰に差しても動きを邪魔しない程度だった。
「鉄製の短剣だ。特別な品じゃないが、手入れをすれば長く使える。銀貨2枚と銅貨50枚」
「持ってみてもいいですか?」
「ああ」
受け取った短剣を軽く振ってみる。
前世では包丁より重い物を振る機会などなかったが、今のダンには驚くほど軽く感じられた。刃先を止めようと思った位置で止められ、手首を返す動きも滑らかにできる。
《短剣術Lv1》と高い器用の影響だろう。
「これにします」
「決めるのが早いな」
「持ちやすかったので」
「まあ、お前の手には合っている。今使っている安物も捨てるなよ。予備の刃物が必要になることは多い」
「分かりました」
古い短剣は、触手を作るために腕へ傷をつける道具として使える。新しい短剣まで自分の血で汚さずに済むため、ダンにとっても都合がよかった。
代金を支払い、新しい短剣を腰へ差す。
続いて向かった《岩亀の防具店》では、焦げ茶色の革製胸当てを勧められた。胸と腹を厚い革で覆いながら、肩や腕の動きは妨げない作りになっている。
価格は銀貨3枚と銅貨50枚だった。
さらに革の腕当ても購入した。
前腕の外側を中心に覆う作りで、内側までは塞がれていない。これなら腕を守りながら、必要なときに血を出す邪魔にもならない。
短剣を固定するための丈夫な腰帯も購入する。腕当てが銀貨1枚、腰帯が銅貨50枚だった。
武器と防具の合計は銀貨7枚と銅貨50枚。
残った所持金は、銀貨3枚と銅貨49枚になった。
「また減ってしまった……」
店を出たダンは、軽くなった革袋を手の中で確かめた。
しかも、そのうち銀貨1枚はガルドからもらったものだ。できることなら、あの銀貨には手をつけたくない。
《隠蔽》のスキル書は金貨5枚。必要なのは銀貨500枚だというのに、自分で自由に使えると思える金は銀貨2枚と銅貨49枚しか残っていない。
それでも、身につけた装備を見ると、少しだけ冒険者らしくなった気がした。
濃い色の服に革の胸当てと腕当てを重ね、腰には新しい短剣を差している。青白い肌は変わらないが、教会から出てきたときのみすぼらしい姿とは大きく違っていた。
「形だけでも、これなら怪しまれにくいかな」
《超再生》を持つダンにとって、防具の優先順位はそれほど高くない。
しかし、大量の素材を持ち帰る冒険者が、安物の短剣と普段着だけでは不自然に見える。能力を隠すための出費だと思えば、無駄ではなかった。
宿へ戻らず、ダンはそのまま青石の迷宮へ向かった。
入口の門番へ登録証を見せ、迷宮へ入る。
1階では《嗅覚強化Lv4》を使い、ホーンラビットや他の冒険者がいる場所を避けて進んだ。2階のケイブマウスも匂いで位置を察知できるため、戦う必要はない。
魔物から逃げているのではない。
今欲しいのは、3階にいるゴブリンのスキルだった。
ほとんど足を止めることなく2階を抜け、ダンは3階へ続く階段を下りた。
3階は、これまでの階より通路が広かった。
壁に埋まった青い石の光は弱く、場所によっては先が見えないほど暗い。人間なら松明が必要になるかもしれないが、《夜目Lv1》を持つダンには問題なかった。
壁や床には刃物で傷つけたような跡があり、乾いた黒い染みも残っている。
鼻を使うと、土や苔に混じって獣臭が漂ってきた。
森で遭遇したゴブリンと同じ匂いだ。
「近くにいる」
ダンは新しい短剣へ手を添え、足音を抑えて進んだ。
通路の先から、何かを引きずる音が聞こえてくる。
角から様子を窺うと、腰にぼろ布を巻いたゴブリンが歩いていた。手には錆びた短剣を持っている。
まだこちらには気づいていない。
ダンは触手を使わず、短剣を抜いた。
《短剣術》を育てるには、吸血すればいい。しかし、せっかく武器を買ったのだから、自分でも使ってみたかった。
背後から近づき、振り返ったゴブリンの短剣を受け流す。
金属同士がぶつかり、甲高い音が通路へ響いた。
森で初めてゴブリンと戦ったときは、振り下ろされる刃を前に身体が動かなかった。今は相手の肩や肘の動きから、短剣がどこへ来るのか分かる。
横へ踏み込み、ゴブリンの右脚を斬りつけた。
「ギャッ!」
ゴブリンが体勢を崩す。
殺してはいけない。
ダンは短剣を握った腕へ蹴りを入れ、武器を落とさせた。そのまま左腕へ古い短剣で小さな傷をつけ、流れた血から触手を作る。
黒みがかった赤い触手がゴブリンの胴体へ巻きついた。
逃げられないことを確認してから、先端を心臓から離れた腿へ突き刺す。
吸い上げた血が、触手を通じてダンの身体へ流れ込んできた。
ゴブリンへ止めを刺すと、その身体が光の粒となって消えた。床には小さな魔石と、錆びた短剣が残る。
「武器も落とすんだ」
錆びているため高くは売れそうにない。それでも置いていく理由はなく、ダンは魔石と短剣を麻袋へ入れた。
《嗅覚強化》で次のゴブリンを探す。
しばらく進むと、今度は2体の匂いが重なっていた。
ダンは壁を蹴って頭上へ跳び、2体の背後へ着地した。振り向くより先に触手を伸ばし、それぞれの脚を打ち据える。
骨が砕け、ゴブリンたちが床へ倒れた。
最初の1体から吸血する。
【《短剣術》を重複強奪しました】
【《短剣術Lv2》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/4】
続けてもう1体からも血を吸い、止めを刺して魔石と錆びた短剣を回収する。
さらに匂いを追うと、単独で歩いていたゴブリンを見つけた。短剣で脚を傷つけてから触手で動きを封じ、吸血して止めを刺す。
その先の横穴には、2体のゴブリンが潜んでいた。
ダンはわざと通路の中央を歩き、飛び出してきた2体の攻撃を《跳躍Lv5》で避ける。頭上を越えながら触手を振るい、着地するより先に2体の脚を砕いた。
すでに、ゴブリンの動きは遅く感じられる。
倒れた2体から順番に吸血する。
2体目の血を吸い終えた瞬間、再び文字が浮かんだ。
【《短剣術》を重複強奪しました】
【《短剣術Lv3》へ上昇しました】
【強奪数がリセットされました】
【次のレベルまで:0/8】
「上がった」
ダンは新しい短剣を軽く振った。
刃先の動きが、先ほどまでより滑らかになっている。どう振れば相手の攻撃を受け流し、どこへ刃を向ければ効率よく動きを止められるのか、考えなくても身体が理解していた。
スキルを重ねるほど、自分の技術として馴染んでいく。
もっとゴブリンを狩れば、《短剣術》をさらに上げられる。
ダンは周囲の匂いを探った。
通路の奥からゴブリンの獣臭が漂ってくる。そこへ向かおうとして、足を止めた。
別の匂いが混じっている。
鉄に似た、生臭い匂いだった。
「血……?」
ゴブリンの血ではない。ホーンラビットやケイブマウスとも違う。
ダンは自分の腕へ鼻を近づけ、触手を作るために流した血の匂いと比べた。
よく似ている。
しかし、まったく同じではない。
通路に残された血には、ダンの血が持つ独特の匂いが混じっていなかった。それでも、これまで吸ってきた魔物の血より、自分の血に遥かに近い。
「人間の血……なのかな」
しかも、1人分ではない。
古く乾いた血に、比較的新しい血が重なっている。少なくとも数人が、同じ場所で血を流したらしい。
ゴブリンの匂いを無視し、その血を追う。
進んだ先にあったのは、本道から外れた狭い通路だった。壁の青い石も少なく、普通の人間なら松明がなければ何も見えないほど暗い。
床には、何か重い物を引きずった跡が残っていた。
その近くで、小さな金属片が青い光を反射している。
拾い上げると、半分に割れた冒険者登録証だった。
表面には乾いた血が付着している。
登録証を見たことで、先ほどの推測が確信へ変わっていく。
「魔物に襲われたのかな……」
口にしてみたが、違和感が残った。
血の匂いは通路の奥へ続いている。それなのに、ゴブリンやケイブマウスの匂いはほとんどしない。
代わりに、人間が使う革製品や油、金属の匂いが残っている。
さらに進むと、壁際の窪みに古い背負い袋が押し込まれていた。
中に入っていたのは、血の付いた衣服、空になった革袋、折れた短剣。そして、持ち主の違う冒険者登録証が3枚。
どれも端が欠け、血で汚れている。
魔物が人間の荷物だけを集め、見つからないように隠すとは思えない。
「これを隠したのは、人間だ」
ダンは登録証を見つめた。
もし持ち主たちが死んでいるなら、誰かがここで冒険者を襲っていることになる。
鼻へ意識を集中させる。
古い血の匂いに混じって、まだ新しい血が感じられた。乾き切っていない。つい最近、誰かが傷つけられた血だ。
そして、わずかではあるが、生きている人間の汗と革鎧の匂いも漂っている。
人数までは分からない。
しかし、1人ではなかった。
ダンは半分に割れた登録証を麻袋へ入れ、短剣の柄を握った。
通路のさらに奥から、誰かがゆっくりと近づいてきていた。
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