第11話◆ 金貨5枚の壁
朝の鐘が鳴るまで、ダンは宿の部屋で戦利品の整理をしていた。
ケイブマウスの毛皮を重ね、魔石と前歯を分けて麻袋へ詰め直す。適当に入れていたときより多少は収まりがよくなったが、2つの麻袋が膨らんでいることに変わりはなかった。
窓の外が明るくなると、1階から焼いたパンの匂いが漂ってきた。
《嗅覚強化》の影響で、香ばしい小麦の匂いだけでなく、スープに入っている野菜や燻製肉の匂いまで分かる。
ダンが食堂へ下りると、宿の女将が呆れた顔を向けてきた。
「少しは眠れたのかい?」
「いえ。まったく眠くならなかったので、部屋で素材を整理していました」
「夜通しダンジョンへ潜って、そのまま寝ていないのかい?」
「はい。でも、不思議なくらい元気です」
「若いからって無茶を続けると、いつか倒れるよ」
「気をつけます」
心配してくれていることが嬉しくて、ダンは素直に頭を下げた。
自分が《不眠》を持っていることは言わないほうがいいだろう。異世界のことを何も知らないダンでも、人間が眠らずに活動し続けるのは普通ではないと分かる。
宿代に含まれている朝食を食べ終えると、ダンは麻袋を両手に持った。
女将がその姿を見て、さらに深いため息をつく。
「本当に、それを2つとも持っていくのかい?」
「はい。なるべく早く売りたいので」
「腰を痛めないようにね」
「大丈夫です。そこまで重くありませんから」
ダンにとっては事実だったが、女将は信じていないようだった。
麻袋を抱えて宿を出ると、街はすでに動き始めていた。店の扉が開かれ、荷車が石畳を行き交い、仕事へ向かう人々の声が聞こえてくる。
《嗅覚強化Lv4》になったことで、昨日まで気づかなかった匂いまで感じ取れるようになっていた。
焼きたてのパン、馬、革製品、金属を熱する炭、通りを歩く人々の汗。最初は多すぎる匂いに戸惑ったが、意識を向けなければ少しずつ気にならなくなってきた。
さらに、人の匂いを区別できることにも気づいた。顔を見なくても近くに誰かがいることが分かる。慣れれば、知っている人を匂いだけで見分けられるようになるかもしれない。
新しいスキルの可能性を考えながら歩いているうちに、冒険者ギルドへ到着した。
朝のギルドは、これから依頼へ向かう冒険者たちで混雑していた。
ダンが麻袋を2つ抱えて扉をくぐると、入口の近くにいた何人かが道を空けた。
「何だ、あの荷物」
「両方とも素材か?」
「待て。昨日、ホーンラビットを大量に持ち込んだ新人じゃないか?」
「もう戻ってきたのかよ」
周囲の声を聞きながら、ダンは受付へ向かった。
昨日とは服装が変わり、顔や髪もきれいになっている。それでも特徴的な青白い肌と整った顔立ちで、すぐに同じ人物だと気づかれてしまったらしい。
視線を集めるのは少し嬉しいが、やはり目立ちすぎるのは困る。早く《隠蔽》を手に入れなければならない。
受付にいたエマは、ダンの姿を見るなり目を丸くした。
「ダンさん?」
「おはようございます。買取をお願いします」
「昨日も素材を持ってきましたよね?」
「はい。そのあと、夜にもう1度ダンジョンへ行ってきました」
「夜に?」
「眠れなかったので」
ダンが受付台の前へ麻袋を置くと、重い音が響いた。
エマは袋の中を覗き込み、灰色の毛皮が何枚も詰まっているのを確認する。
「これを、夜だけで?」
「はい。麻袋がいっぱいになったので、途中で帰ってきました」
「途中で……」
エマは何か言いたそうな顔をしたが、先に素材の確認を始めた。
ダンが分けておいた魔石と素材が、受付台へ順番に並べられていく。
「ホーンラビットが3体分。ケイブマウスが……15体分ですね」
「合っています」
「すべてダンさんが1人で倒したんですか?」
「はい」
「ケイブマウスは群れで襲ってきたはずですが、怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫でした」
エマはダンの腕や顔を確認したあと、不思議そうに首を傾げた。
「防具も着けていないのに……本当に無傷なんですね」
「運がよかったんだと思います」
ダンが笑って誤魔化すと、エマは少し疑わしそうにしながらも、買取額の計算へ戻った。
「ホーンラビットは魔石と角を合わせて、1体につき銅貨25枚です。3体で銅貨75枚になります」
続いて、ケイブマウスの素材が示される。
「ケイブマウスは魔石が銅貨12枚、毛皮が銅貨20枚、前歯が銅貨8枚です。1体につき銅貨40枚なので、15体で銀貨6枚ですね」
エマが硬貨を数え、受付台へ並べた。
「合計で、銀貨6枚と銅貨75枚です」
「ありがとうございます」
ダンは硬貨を革袋へ入れた。
これで所持金は銀貨10枚と銅貨99枚になった。
そのうち銀貨1枚は、ガルドからもらったものだ。できることなら、あの銀貨には手をつけたくない。
自分で稼げるようになったとはいえ、《隠蔽》やマジックバッグを買うには、まだまったく足りなかった。
「ダンさん」
「はい?」
「夜にダンジョンへ潜ること自体は禁止されていません。ただ、夜は冒険者が少ないので、何かあっても助けてもらえません。眠れないからといって、無理に潜る必要はありませんよ」
「心配してくれて、ありがとうございます」
「本当に分かっていますか?」
「はい。ただ、ダンジョンへ行くのが楽しくて……」
正直に答えると、エマは困ったように笑った。
「楽しいからこそ、慎重になってください。生きて帰ってこなければ、次はありませんから」
「分かりました。気をつけます」
ダンはもう1度頭を下げ、魔道具店《星読みの小箱》の場所を確認してからギルドを出た。
魔道具店は、冒険者ギルドから大通りを東へ進んだ先にあった。
深い青色の屋根を持つ2階建ての建物で、入口には星と小箱を組み合わせた看板が下がっている。
扉を開けると、小さな鈴が澄んだ音を立てた。
店内には杖や水晶、色の違うポーション、銀色の指輪などが並べられていた。何に使うのか分からない道具も多く、見ているだけで楽しい。
棚の商品へ次々と目を向けていると、奥から女性の店員が出てきた。
「いらっしゃいませ。お探しの物はございますか?」
「あの、《隠蔽》のスキル書はありますか?」
「ございますよ」
店員が案内したのは、鍵付きのガラス棚だった。
中には黒い表紙の本が1冊だけ置かれている。表紙には銀色の文字が刻まれていたが、見慣れない形で、ダンには意味を読み取ることができなかった。
普通の文章なら自然に意味が分かるのに、この文字は別らしい。
「これが《隠蔽》のスキル書ですか?」
「はい。使用すれば《隠蔽Lv1》を習得できます。すでに習得している場合は、レベルが1つ上昇します」
「いくらですか?」
「金貨5枚です」
聞き間違いかと思った。
「金貨……5枚?」
「はい」
「銀貨だと、500枚ですよね?」
「そうなります」
ダンは革袋の中身を思い浮かべた。
持っているのは銀貨10枚と銅貨99枚。それに対して、金貨5枚は銀貨500枚だ。
今の稼ぎでは、あまりにも遠い。
「高いとは聞いていましたけど……」
「《隠蔽》は、商人や貴族からの需要が高いスキルです。入荷数も少ないため、この価格になります」
「これを使えば、どんな《鑑定》でも防げるんですか?」
「いいえ。《隠蔽Lv1》で防げるのは、基本的に同じLv1の《鑑定》までです。高レベルの《鑑定》を防ぐには、《隠蔽》のレベルも上げなければなりません」
つまり、《隠蔽Lv5》まで上げるには、同じスキル書が全部で5冊必要になる。
今と同じ値段なら合計で金貨25枚。金額だけでなく、入荷数が少ないスキル書を5冊も手に入れなければならない。
あまりに遠い話だった。
「取り置きはできますか?」
「申し訳ございません。取り置きは行っておりません」
「そうですか……」
今から金貨5枚を貯めても、その頃には売れているかもしれない。
それでも、諦めるという選択肢はなかった。
ダンピールという種族と、3つの固有スキルを知られる危険を考えれば、どれほど高くても必要だ。
特に《スキル強奪》を知られれば、利用しようとする者や、危険だからと殺そうとする者が現れるかもしれない。
「マジックバッグも見せてもらえますか?」
「こちらです」
案内された棚には、肩から下げられる黒いバッグと、それより少し大きな焦げ茶色のバッグが並んでいた。
「黒いほうが小型です。麻袋10個分を収納でき、価格は金貨2枚になります。焦げ茶色の中型は麻袋30個分で、金貨8枚です」
「小型でも、麻袋10個分……」
「収納した物の重さは、およそ10%になります。ただし、生き物は入れられません。中の時間も止まらないので、食料などは普通に傷みます」
小型があれば、昨夜の5倍は素材を持ち帰れる。
麻袋を両手に抱える必要もなくなり、何日もダンジョンへ籠るための保存食や水も持ち込める。狩りで稼ぐことだけを考えれば、《隠蔽》より先に買ったほうが効率はよい。
価格も《隠蔽》より金貨3枚安い。
それでも、ダンの答えは決まっていた。
「まずは《隠蔽》だ」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ。ありがとうございました。お金を貯めて、また来ます」
店員へ頭を下げ、ダンは店を出た。
正体を見抜かれないようにすることが最優先だ。素材をたくさん持ち帰れても、ダンピールだと知られて街にいられなくなれば意味がない。
まずは金貨5枚を貯め、《隠蔽》を手に入れる。その次が、金貨2枚の小型マジックバッグだ。
大通りを歩きながら、ダンは頭の中で必要な金額を計算した。
1階と2階の魔物だけを狩っていては、金貨5枚までかなりの時間がかかる。もっと価値の高い魔物を倒すには、さらに下の階へ進まなければならない。
青石の迷宮の3階には、武器を使うゴブリンがいる。
森で出会ったゴブリンからは《短剣術》を奪えた。ダンジョンのゴブリンからも同じスキルを奪えるなら、重ねて強化できる。
魔石と素材を売りながら、スキルも手に入る。
考えているうちに、金貨5枚という途方もない金額さえ、新しい目標として楽しく思えてきた。
「まずは3階だ」
ダンは腰の短剣へ触れ、《赤熊の武具店》のある通りへ向かった。




