09 四度の崩落
崩れた天井。舞い落ちる粉塵。岩壁に埋め込まれた魔晶石。
崩落の轟音はすでに止んでいる。だが、耳の奥ではまだ低い震えが残っていた。
リオンは剣の柄に体重を預け、ゆっくりと息を吸う。冷えた洞窟の空気が肺に満ちる。
膝をついたまま目を開いた。
――戻った。
視界に入るものを順に確かめる。壁のひびの走り方。転がる岩塊の形。右奥の魔晶石に刻まれた細い亀裂。
すべてが記憶と一致している。
「リオン様。」
イヴが膝をついたリオンの顔を覗き込む。その瞳には、不安と確信が同時に宿っていた。
「四度目の崩落だな。」
囁くような声。それでイヴには十分だった。彼女の表情が、わずかにほどける。
「――はい。」
間違いない。彼女も覚えている。
だが、おかしい。先の瞬間では、自分とイヴは生き延びたはずだ。それなのに、またここに戻っている。
なぜ――思考が広がりかけた、その瞬間。
「あの杯の男。ロシュフォードが死んだことが、きっかけです。」
イヴは迷いなく言い切った。
考えている時間はない。まもなく霧が満ち、視界を奪い、あの正体不明の敵が現れる。
「前回の立ち回りを再現する。いいな。」
リオンは声を落とし、イヴの耳元で告げた。
辿り着いた最善の結果。それは完全な勝利ではない。ラルの盾を失うが、誰も致命傷を負わず敵を退ける。
盾は痛い損失だが、命は失われない。
「ロンには悟られるな。いつも通りだ。」
ロンは鋭い。ほんのわずかな違和感でも見逃さない。
行動が変われば、彼も動きを変える。その結果、未来がずれる可能性がある。
重要なのは盤面を崩さず、確実に時間を一歩進めることだ。
やがて隊列を整え、ルーシーの浄化魔法で体勢を立て直す。
深い霧の中で会敵する。
ラルが前衛で攻撃を受け流す。イヴが魔晶石を破壊する。
視界が開き、ロンが押し込む。
リオンが隙を作り、ラルの盾が砕ける。
そして――
銀髪の女は指笛とともに撤退した。
まるで定められた型をなぞるような戦闘だった。
「若。お見事ですな。」
砕けた盾の残骸を踏みながら、ラルが息を整える。
肩で呼吸をしながらも、その視線はまっすぐリオンを見ている。
ラルから見れば、リオンは戦況を一歩先から読んで動いていたように映った。
盾は失ったが、信頼は増している。
「ありがとう。ここまでの事態は、想定の範囲内だね。」
――すでに経験した未来だから。その言葉は、喉元で止めた。
「想定できる時点で普通じゃないわ。」
イヴが小さく笑う。張り詰めた空気の中で、ほんの一瞬だけ悪戯っぽい表情を見せた。
リオンはその横顔を視界の端で捉える。
そのとき、ロンがわずかに怪訝な顔をしたのに気が付く。遅れて自身の言葉の危うさに気づく。
「ロン。この状況からの提案はあるか。」
あえて、先に問いを投げた。言葉尻からの疑念を向けられる前に、主導権を分け与える。
ロンは理詰めの男だ。現状から取れる選択肢は限られている。
調査隊との合流を提案する――そう予測していた。
しかし、ロンからの返答はリオンの予想外であった。
「リオン様。現状、賊が複数侵入している可能性があります。」
落ち着いた口調。
「盾を失った以上、調査隊との合流は一案です――が。」
一拍、空ける。まるで自身の言葉が従うべき最良の言葉であるような自身。
「崩落のタイミング、霧の発生、賊の襲撃。すべてが我々の近くで発生しています。」
視線が鋭くなる。
「特に霧は魔法的要因の可能性が高い。つまり――調査隊そのものが賊である可能性も否定できませぬ。」
論理は通っている。
崩落は出来すぎている。霧も、敵の出現も。まるで誘導だ。
だが――事情を知るリオンは焦りを覚える。
メナスたちと合流し、ロシュフォードを守る。彼の生存こそが、今必要な変化点となる可能性が高い。
しかしロンの案に従えば、調査隊は警戒対象になる。
小さな齟齬が、無用な緊張を生むかもしれない。最悪、戦闘に発展しかねない。
「イヴはどう思う。」
ラルが静かに口を挟んだ。リオンの迷いを見て取ったのだろう。
イヴは一瞬目を閉じ、整理するように息を吐く。
「――私はロンとは反対ね。」
ロンとは違う論理で戦わなければならない。だが、腹は決めている。
「もちろん調査隊を無条件に信じる必要はない。でも、もし敵じゃなかった場合――疑って敵対したら、賊と調査隊の両方を敵に回す可能性があるわ。」
リスクから見た別の結論。冷静で合理的だ。答えを知る者同士、リオンの判断を助けるための最善手であろう。
ロンは目を細める。
「では、無警戒で合流する、と?」
「違うわ。」
即答。
「警戒は続ける。情報交換をしながら、不自然な点があればその時判断すればいい。」
静かな提案。疑うことと敵視することは違う。
ラルが低く唸る。
「確かに――賊が複数いるなら、内輪揉めは避けたいですな。」
視線が自然とリオンに戻る。判断が求められる瞬間。
リオンはゆっくりと周囲を見渡す。
ルーシーは変わらず祈るようなしぐさをしている。その表情は荒事を避けたいと考えているのが読み取れる。
「イヴの案を採る。」
静かに告げる。
「ただし、ロンの懸念ももっともだ。」
全員が耳を傾ける。
「調査隊と合流する。だが最初は距離を取る。交渉役はラルだ。」
全員が頷く。
ロンの表情から疑念は消えている。懸念が受け止められたことで、納得したのだろう。
方針は決まった。リオンたちは歩き出す。
成人の儀の祭壇へ続く通路。
その手前で――二つの人影が現れた。
メナスとリディア。前回の記憶が、リオンの脳裏に静かに重なる。
――あの時も、彼らは二人でこちらに向かってきた。
「リオン様、ご無事で。」
メナスが一歩進み、静かに拝礼する。落ち着いた声音。呼吸も姿勢も乱れていない。
だが、その一言が場の空気をわずかに軋ませた。
――ご無事で。
それは、危険があったことを前提にした言葉だった。
リオンは横目でロンを見る。案の定、ロンの目が細くなっていた。
疑念は小さな火種のようなものだ。今はまだ火花でも、放っておけば燃え上がる。
「メナス殿。」
ラルが一歩前に出た。この老騎士は主人から任された交渉役としての務めを果たそうとする。
「確かに我々は襲撃を受けましたが――それをどこでお知りに?」
言葉は丁寧だが、問いは真っ直ぐだ。ロンの警戒を、そのまま言語にした形だった。
メナスの眉が、わずかに動く。
「失礼しました。配慮が足りませんでしたね。」
即座に頭を下げる。動揺は見えない。
「崩落の音が聞こえました。その直後、魔力行使の残響と――鉄が焼ける匂いがしたものですから。」
淡々と続ける。
「戦闘があったと判断しました。そこで私とリディアの二人で確認に来た次第です。」
理屈としては通る。だが、納得と信用は別の話だ。
「ほう。」
ロンが口元だけで笑った。
「随分と鋭敏ですな。」
声音は柔らかい。だが、その奥に棘がある。
「崩落の直後となれば、魔晶石も崩れて魔力は乱れる。匂いも瓦礫の粉塵で紛れましょう。」
わずかに首を傾ける。
「それを戦闘と断じるとは――少々、早計では?」
静かな問いだった。
しかし、浅い嘘は通さないという圧がはっきりと含まれている。
「あら。つまらない疑いね。」
リディアが肩をすくめた。言葉は軽いが、声音は冷たい。
「崩落は自然でしょ。補強もされていない洞窟の天井が落ちただけ。」
一歩、わずかに前へ出る。
「ただ、鉄が溶けた匂いは確かにしたわ。」
語尾が少し鋭い。挑発と受け取ったのだろう。
リオンは内心で小さく息を吐いた。記憶の中のリディアは、いつも冷静で理知的だった。
だが今の彼女は、立場を侵されることを拒むように、強さを前面に出している。
それは、彼女の誇りをにじられた反応なのだろう。
距離を測る沈黙が続く。
疑うなら手は貸さない。自分たちは対等だという意思をリディアは明確に示している。
一方で、ロンは譲らない。主人の安全が確信できるまでは、一歩も。
このままでは、空気はさらに張り詰める。
「メナスさん。リディアさん。」
リオンが沈黙を破った。声は穏やかに。だが、場を断ち切る強さを込めて。
「失礼した。」
二人へ向けて、軽く頭を下げる。
「こちらも戦闘直後で、少し気が立っていた。」
それだけで十分だった。
「――失礼いたしました。」
ロンが、続いて頭を下げる。主が非を認めた以上、部下が逆らう余地はない。
「ロン。」
リオンが静かに名を呼ぶ。
「もし彼らが敵なら、通路ではなく祭壇のある空間で待つはずだ。」
一歩前に出る。
「攻撃方向が限られる通路で待つより、開けた場所で包囲した方が有利だからね。ここで姿を見せる理由は薄い。」
完全な論理ではない。だが、否定するにも足りない。
ロンの眉がわずかに動いた。しかし、数秒だけ沈黙し――
「――承知、致しました。」
短く言い、頭を垂れる。そして一歩下がり、リオンの背後へ戻った。
主従の秩序が、場の緊張を静かに収めていく。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
09 ルーシー・トーン
年齢23歳。ピシア領出身の女性。ピシア教の敬虔な信者であり、司祭の一人として活動している。
一般家庭の生まれだが、領間の争いが続いていた時代に戦災孤児となり、教会に引き取られて育った。幼い頃から神の奇跡と救済を信じ、祈りと魔法によって人を助ける道を選ぶ。治癒の奇跡を多くの人々に施してきた実績が認められ、若くして司祭の位を与えられた。
現在はピシア領の領都で孤児院を運営している。今回の成人の儀への参加は、その孤児院の運営資金の支援を受けることを条件として引き受けたものである。
戦闘を目的とした人物ではないが、祈心魔法による精神状態の変化やその回復、体感時間を操作して短い時間を長く感じさせる術、そして傷を癒やす術を高い水準で扱うことができる。大きな怪我であっても一箇所につき三十分ほどで回復させることが可能で、その能力は熟練した司教にも匹敵するほどと評されている。




