07 察知
遠くで、低く鈍い音が響いた。岩と岩が擦れ合うような、腹の底に残る震動。
粉塵がわずかに舞い、洞窟の空気がわずかに揺れる。
メナスは立ち止まり、静かに耳を澄ます。
「――崩れた?」
隣を歩く護衛の女性。――リディアが小さく呟く。
声に過度な動揺はないが、注意を払っているのがわかる。
「手入れはされても、補強はされてないからな。自然崩落だろう。」
メナスは淡々と答え、再び歩き出す。興味を示す様子も、焦る気配もない。
祭祀の場として最低限の整備はなされているが、構造は古い。
保守はあっても、補強工事の形跡はない。あの音は、あくまで自然の範囲。
そう判断している。
それでも、胸の奥がわずかにざわつく。
この洞窟は、成人の儀のために解放された場所。
今日ここにいるのは、次期領主とその随行。
偶然にしては、妙に間が悪い。
メナスは思考を切り替える。遺物調査とは、彼にとって歴史の紐解きだ。
信仰という名で包まれ、長らく深掘りされてこなかった洞窟。
そこで得られる遺物の情報を一枚ずつ剥がし、当時の思想や背景を読み解く。
彼が興味を持つのは宗教的な“奇跡”でも、古代の魔具そのものでもない。
芽理の宮は、現代魔法を体系化し、再現可能な理論へと落とし込む研究機関だ。
遺跡から古代の技法や魔具を無秩序に掘り起こすことは、制御不能の要素を持ち込むことに等しい。
宗教的奇跡と信じられているものがあるならば、それは奇跡のままでよい。
そう考える彼は、遺物研究を積極的に推し進めたい一派から煙たがられている。
技術に蓋をする男。臆病な保守派。陰でそう呼ばれていることも知っている。
リディアが側にいるのは、護衛であると同時に監視だ。
彼女の実力は確かだ。剣も魔法の腕も、判断力も申し分ない。
だが、その視線の一部が常に自分を測っているとメナスは認識している。
彼はそれが事実かを確かめたりはしない。それが芽理の宮の均衡を守るからだ。
後方で、小石を踏む音がする。振り返らずともわかる。
壮年の男ロシュフォード。
メナスは内心で舌打ちする。まるで腰が曲がり、濡れネズミのような風貌。
だが、遺物や魔具の研究に本気で取り組んでいる。理論も腕も確かだ。だが情熱が統制を軽視する。
メナスが厳命したはずの、予備調査における遺物持ち出し禁止。
それを、いとも容易く破った。
例の杯。祭祀壇の脇、隠れるように作られた空洞。いや、部屋ともいえるその空間に落ちていた。
それを、研究の名目で持ち出した。いや、彼の立場を考えれば、間違いとは言い切れない。
しかし、物事には順序がある。ここにあるものは、あくまでピシア領の所有物。芽理の宮のものではない。
集団で調査をしているはずだ。なのに、ここには纏まりがない。
そう頭によぎるたび、舌打ちしそうになる。
対照的に、成人の儀を終えたばかりの次期領主の姿が脳裏をよぎる。
――リオン。年は自分とそんなに変わらないであろう。いや、未熟さすら感じる。
だが、随行する騎士たちとの間に、確かな連携があった。
指示が自然に通り、視線が交わるだけで意図が共有される。統率とは、肩書きではない。確固たる空気だ。彼には、それがあった。
対して自分たちはどうだ。名目上は同じ目的を持つ調査団。しかし、内側に温度差を抱えている。
ロシュフォードが持ち出した杯を、元の場所へ戻すと交わした約束。
それを守らねば、研究者――以前に人としての信用を失う。
洞窟の奥から、ひやりとした風が流れてくる。
メナスは歩みを緩めない。
崩落は自然か。杯の影響はあるのか。ロシュフォードは何を考えているのか。どんなに悩んでも答えはでない。
だが一つだけ確かなことがある。
この洞窟は、静かすぎる。本来あるべき、生物の気配が希薄だ。まるで、空間そのものが息を潜めているように。
リディアが、周囲へ視線を巡らせた。剣の柄に添えた指先が、わずかに力を帯びる。
「ねえ。正体不明の人間が数名入り込んでるっぽいって、リオン様には伝えなかったの?」
軽い調子に聞こえるが、その目は笑っていない。
メナスは一拍だけ間を置いた。
「確定していないことを伝えて不安を煽る趣味はない。」
声音は平坦。だがその奥に、わずかな迷いがあった。
「だけど、気が付いてる?私たちの動きを遠巻きにして観察している気配があるわ。」
その言葉に、後方の調査員が反射的に振り向く。
アレンだ。年季の入った研究者で、現場作業と解析に長ける魔具使いの男だ。
「――本当か?」
声に混じるのは、理屈ではなく本能的な不安。
「リディアが言うのは事実だ。だが、あわてる必要はないさ。多少の敵が攻めてきても俺とリディアがいれば何とかなるさ。」
メナスが静かに言う。理性で場を押さえる役割は、自分だと理解している。
「いや――」
アレンは足元を見つめたまま続ける。
「なにか、空気が変わっている。そんな気がするんだ。」
メナスは視線だけで続きを促す。
「これだけの魔晶石が配置されているんだ。自然と石同士を繋ぐ魔力の経路が形成される。が、――どうやら、少し前につながり方が変わったみたいだ。」
洞窟内の光が、ほんのわずかに揺らぐ。
なるほど。指摘されて初めて、メナスも流れの変化を感じ取る。
「道中に術式のトラップがいくつかあったわね。それと連動してるのかしら。」
リディアの声は、こういう状況でも明るい。
ここの術式は罠というより制御機構。触れなくても近くに人の気配がすれば発動するタイプであった。
おそらく、誰かが術式を調査して作動させたのだろう。と、メナスは確信していたが、あえて口にすることはなった。
そのとき。ロシュフォードが、唐突に足を止めた。
視線は、自身の持つ杯へと落ちている。
「――待て、待て。こいつは、魔具なんじゃねぇか。」
声がわずかに震えている。恐怖や驚きではなく興奮しているのであろう。
「なに?」
メナスが一歩近づく。
杯は、ただの古びた器だったはずだ。印はあれど魔具特有の回路紋も見当たらなかった。
だが今、その側面に刻まれた文様の溝に、淡い光が走っては消える。
ごく微弱。だが確かに、魔力を帯びている。
「さっきまでは、ただの遺物だったな。」
もう一人のベテランの調査員が確認するように言い、全員が頷く。
「起動条件が外部要因なら――崩落、あるいは魔力経路の再編と連動している可能性があるな。」
ロシュフォードの声は、隠しきれない熱を帯びる。
未知の反応。未解明の術式。彼にとっては垂涎ものだ。
困った、とメナスは胸の奥で静かに呟いた。
本来ならば、約した通りに元の石座へ戻し、余計な波紋を立てずに立ち去る。それが最も賢明で、最も“正しい”選択だった。
だが今や、それは起動した魔具の可能性がある物だ。
無力化できないまま放置すれば、洞窟内で何が起こるかわからない。
逆に、外へ持ち出せば領都で何が起こるかも読めない。
制御不能のまま移動させる。それは研究者として、最も避けるべき判断だ。
「これは戻せんな。」
メナスの迷いを読み取ったかのように、ロシュフォードが杯を胸元へ引き寄せる。
その仕草は自然で、しかし決定的だった。所有を主張するような、守り込むような動き。
「起動反応が出ている。持ち帰って分析だ。」
強い意志を帯びた声。揺らぎはない。己の仮説と知的欲求に忠実な研究者の声だ。
「順序を違えるな。持ち出しは許されない。人様のものだからな。」
メナスの声は低く、怒気はない。だが温度が下がる。理屈ではない。倫理の線引きだ。
ロシュフォードの瞳が鋭く光る。
「状況が変わった。魔具でありながら魔具とわからぬ偽装をする技術――これを捨て置くことなどできない。」
メナスは一歩、ロシュフォードの間合いを詰めた。洞窟の湿った地面が、わずかに軋む。
「貸せ。お前に持たせられるか。」
差し出した手は揺れない。だが内心は穏やかではなかった。
この男は優秀だ。だが優秀であるがゆえに、深入りする。危険を測るより先に、解明し技術を再現する。
ロシュフォードは動かない。
「私が持つ。」
短く、断定的に。
「だめだ。」
静かな押し返し。
洞窟の奥から吹き出す風が、二人の外套を揺らした。
短い沈黙。その間に、互いの視線は幾度も交錯する。譲らぬという意志と、譲れぬという責任。
リディアが、わずかに肩をすくめて苦笑した。
「子供みたいよ、二人とも。それにメナスも持ち出すべきか悩んでるでしょ。結論を急がないで。」
軽やかな声音。
ロシュフォードは視線を外さない。
「――何度も言わせるな。」
その声音は低く、重い。岩壁に吸われるはずの声が、妙に耳に残る。
「魔具とわかったなら不用意に触るなと、俺は“何度も”言ったはずだ。」
メナスの眉がわずかに動く。
「何度も?」
問いは短い。
ロシュフォードは顔を背けた。
「口癖だ。」
それ以上踏み込ませぬための、固い声音。
ロシュフォードとは親交があるわけではない。今回の任務で顔を合わせた、ただそれだけの間柄だ。
初めてのはずの状況。それなのに、あの言い方は――既に経験したかの言い方。
だが今は、そこへ思考を割くべきではない。疑念に引っ張られれば、もっと重大な何かを見落とす。
その瞬間、杯がふたたび淡く明滅した。刻まれた紋様の溝を、微かな光が走る。
洞窟の奥から、ひやりとした風が強まった。湿った石の匂いに混じり、わずかに焦げたような臭気が漂う。
リディアとメナスは、ほぼ同時に杯から視線を外した。
そして、臭気の流れてくる方角へと目を向ける。
戦闘のにおい。魔法と金属が衝突したときにだけ立ち上る、あの独特の刺激臭。
瞬時に、リオン達の姿が脳裏をよぎる。後方に控えていた騎士たちは、いずれも金属製の装備をしていた。
事態ははっきりしない。だが、件の不審者と遭遇した可能性はある。
ロシュフォードは杯に意識を集中させたまま、臭気には気づいていない。他の調査員も同様だ。
彼らの関心は、光る器に釘付けになっている。
メナスは短く息を吐いた。
“戻す”も“持ち出す”も――決断するには情報が足りない。
だが一つ確かなのは、この魔具だけが異変の源とは限らぬということだ。
周囲に、まだ拾い上げるべき手がかりが転がっている可能性がある。
「ロシュフォード。」
声は静かだが、場の空気を切り替える力を帯びる。
「魔具を持ち出すことには、俺は反対だ。だが事態の情報が足りない。」
視線だけで洞窟の奥を示す。
「みんな。少し周囲を探してくれ。」
命令というより、判断の共有。
メナスは自らの外套を整える。
本来であれば、彼は調査を監督する立場にある。危険地帯に自ら踏み込む役ではない。
だが――。胸の奥に、明確な不吉な警鐘が鳴る。
「俺は哨戒に出る。」
短く告げる。
リディアは一瞬だけ杯を見やり、それから小さく頷いた。
「私も行くわ。」
彼女もまた、同じ違和を感じ取っているのだろう。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
07 メナス・リドル
年齢32歳。リテイア領出身の男性。芽理の宮に属する知識閥の修士であり、理学魔法と呼ばれる魔法体系の研究に従事している。
メナスはその研究者の一人として活動しており、非戦闘時にあらかじめ魔力を蓄積し、戦闘時に詠唱を行わずに魔法を放つというものだ。再現性は低いが高く評価され、知識閥を統べる賢人の直属機関である「五本指」の一人へと抜擢されている。
思考は極めて合理的で、特定の集団の利益のみを追求する目的主義よりも、全体の均衡を重視する全体主義的な価値観を持つ。物事を一方的な視点で判断することを好まず、対立する双方にとって利益となる選択を探ることを信条としている。
戦闘では、理学魔法を用いた堅実な戦法を取る。「一魔法一効果」の原則に則り、複雑な効果を詰め込むことはしない。同一魔法の反復運用と精密な制御によって戦場を支配していく。密度の高い連続使用によって相手を徐々に追い詰めていく、理論派の魔術師である。




