06 突破
崩れた天井。舞い落ちる粉塵。岩壁に埋め込まれた魔晶石。
崩落の轟音はすでに止んでいる。だが、耳の奥ではまだ低い震えが残っていた。
リオンは、剣の柄に体重を預けたままゆっくりと息を吸う。
膝をついたまま目を開いた。荒れかけた呼吸を、意識で押さえつける。
――同じだ。視界に映る光景。天井の崩れ方。床に転がる岩片の位置。粉塵の濃さ。漂う匂いまでもが。
腹に手を当てる。
そこには、痛みも、血も、裂けた衣も存在しなかった。
喉がひどく乾いているのに、声が出ない。
脳裏に、先ほどの冷たい感触がよみがえる。
「リオン様。」
イヴの声で、現実に引き戻される。緊張を含んだ鋭い声音。
視線を向けると、彼女はすでに短剣を抜いている。
ラルは盾を構え、足場を確認するように一歩だけ踏み出す。
盾の縁が岩をかすめ、かすかな軋みが鳴る。
ロンは壁面に手を当て、崩落の原因を探るように岩肌を撫でている。
ルーシーは胸元で祈るように両手を組み、青い顔で周囲を見回していた。
――全員、生きている。
胸の奥で、冷たい確信が静かに根を張る。
――間違いない。戻ったのだ。死の直前まで。
鼓動が、遅れて強く打ち始める。
加護の力。そう仮定していたあの現象。
自分はまだ、死ぬ段階ではない。そう告げられているようにも思える。
「――全員、無事だな。」
リオンの声に、わずかに震えが混じる。
「今のところは、な。」
ラルが短く頷く。声に揺らぎはない。
「リオン様。それが、どうされたか。」
ロンが振り向き、怪訝そうに眉を上げる。
いつもとはわずかに異なる口調。想定外の事態にロンの苛立ちがにじみ出る。
リオンは一瞬だけ視線を伏せる。
言えない。戻ったなどと、説明できるはずがない。
「前はラルとイヴ。ルーシーは俺の後ろ。ロンは後方を警戒してくれ。」
リオンの号令に全員が即座に隊列を作る。指示通りの反応。いつも通りの動きに少し表情が締まる。
考えてみれば当然だ。出口に辿り着かない通路。突如の天井崩落。
あまりにも想定していた事態と異なる。原因もはっきりしない。
さらにこの後に訪れる霧。視界を奪い、音を狂わせる白。そして、正体不明の敵。
誰もがいつも通りに判断し、動けていたはずがない。
リオンの思考は、静かに深く沈みながらも、確実に整理を始めていた。
洞窟の空気が、わずかに変わる。
温度ではない。湿度でもない。肌に触れる“重さ”が、わずかに増す。
リオンの記憶していた通りに、岩の隙間や崩れた天井の裂け目から、徐々に霧がにじみ出てくる。
まだ、誰も気づいていない。だが確実に、ゆるやかに、その濃度を増していく。
時間は、そう長くない。
「ルーシー。ラルとロンに“浄化”をかけられるか。」
静かな声で告げる。
――浄化。
魔力を流し、乱れた流れを整え、過剰な干渉を取り除く。本来の状態へと戻す初等の魔法。
司祭である彼女であれば当然使えるであろう。
霧は視界だけでなく、焦燥や微細な違和感を増幅させ、判断を鈍らせる。
平静に見えて、平静ではない。そのわずかなズレの修正が必要である。
ルーシーは一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。
ラルとロンに両手をかざす。掌から淡い光が広がり、二人を包む。整った呼吸のリズムに合わせて、魔力が流れ込む。
ラルの肩から、わずかに力が抜ける。盾を握る手の震えが消える。
ロンの視線が、ぴたりと止まる。先ほどまでの焦点の揺らぎが消え、瞳の奥に集中が宿る。
霧は、徐々に視認できるほど色濃くなる。足元が白く滲み、距離感が曖昧になる。
「何か―います。」
ルーシーの声。不安は含まれているが、身体に強張りはない。二人にかざした手を放し、周囲の確認をする。
浄化を施していた側も、自身の流れが整い冷静さを維持されている。
ラルが盾を構える。半歩前へ。同時に、白い霧の中から、黒い影が走る。
軽い衝撃音。今回は、ラルが盾の角度を微妙に変え、力を横へ逃がす。
影の重心が崩れる。足運びが乱れた気配。
その瞬間、イヴの腕が閃く。ナイフが飛ぶ。
音がしない。弾かれる金属音も、転がる音も、悲鳴もない。
何もない。それが逆に、命中を示していた。
霧が、わずかに震える。影は揺らぎ、そのまま霧の奥へと溶け込む。
今までとは戦況が違う。
リオンは、胸の奥で静かに整理する。
ラルもロンもピシア領で指折りの騎士だ。視界が悪くても、多少不利な状態であっても。本来の状態を保てれば、そう簡単に崩れはしない。
さらに、イヴのナイフが再び空を切る。
岩壁に埋め込まれた魔晶石を、正確に射抜く。
小さな炸裂音。衝撃が波紋のように広がる。空気が震え、霧の流れが乱れる。
分散した霧の隙間を縫うように、影が近づいてくる。
霧の向こう、長い銀髪の女の輪郭がはっきりと見えた。
ロンの斧が、軌道を塞ぐように振り抜かれる。
影の進行方向を、正確に読んだ一撃。金属音とともに伝わる手応え。
直後、洞窟の壁に叩きつけられた鈍い衝突音が響く。
「こいつは、軽いな。」
ロンが低く告げる。斧を握る手は、確かな感触を記憶している。
戦況は優位に進んでいる。このままいけば押し切れる。
その確信が、わずかに胸を緩ませる。
リオンの肩から、ほんの一瞬だけ力が抜けた。呼吸が、浅くなる。
――その瞬間だった。
霧が、揺らぐ。散るのではない。流れるのでもない。一点へ、収束するように。
本能が警鐘を鳴らすよりも早く、誰かの叫びがこだまする。
「リオン様――!」
ラルが盾を構えたまま強引に射線へ滑り込む。
閃光。鈍い爆ぜる音。ラルの身体が、弾丸のように後方へ吹き飛ばされる。
その背がリオンに激突する。肺から空気が抜け、岩壁に叩きつけられる。
盾が砕ける音。焦げた鉄の匂いが漂う。
ロンが前へ出る。斧を構え、身体を盾の代わりにするように。
リオンは、壁に打ちつけられた衝撃が、まだ駆け抜けている。
咳が込み上げる。肺に空気が足りていない。
それでも、素早く立ち上がる。
霧は薄れている。その向こうの影。
はっきりと感情の揺らぎがない冷たい目が見えた。
次の瞬間。鋭い指笛が洞窟内に響く。
第三者への警戒か。それとも、仲間への呼応か。影は、躊躇なく霧の奥へと退いていく。
「――退いたか?」
ロンが低く呟く。
「撤退だ。追うな。」
ラルがゆっくりと立ち上がりながら応える。主君が無事であることに安堵の色が混じる。
霧は、ゆっくりと岩壁の隙間へ吸い込まれていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
やがて、魔晶石の淡い光だけが洞窟を照らす。
リオンは、深く息を吐いた。
(三回目――)
胸の内で、はっきりと数える。
一度目は全滅。二度目も全滅。三度目で初めての生存。
偶然ではない。やるべきことを考え、行動を変えた結果だ。
だが――自分は、油断した。優位に立ったと錯覚した。次の一手を想定しきれていなかった。
首の皮一枚。危機は去ったが、勝ったわけではない。
腰の水筒を取り出し、ひと口含む。冷たい水が喉を通る。その感触が、やけに鮮明だ。
胸の奥に、引っかかりが残る。確かに結果は変わった。
何か大切な鍵を見落としている。果たして自身の指示だけで状況を抜け出したのだろうか。
目を閉じ、天井を仰ぐ。崩れた岩の裂け目。答えは出ない。
皆の視線が集まっていることに気が付く。
主の判断を待っている。やみくもに出口を探すことはできない。
芽理の宮の調査部隊。彼らが何かを施した可能性もある。状況確認が必要だ。
「入ってきたルートはだめだな。ルーシー。他に出口があるか。」
静かな問い。
「はい。正式なものではありませんが、搬入用の通路がいくつかございます。」
ためらいが滲む。
儀式は定められた道を通るもの。彼女の言わんとすることはわからなくはない。
「そうか。なら、いったん祭壇に戻り、メナスさん達を探すこととしよう。」
ロンの声に皆が小さく頷く。
主を守るラルの盾は、すでに失われている。
ならば、頭数を増やす。合理的な判断だ。
霧の消えた通路を、再び進み始める。岩を踏む音が、やけに重い。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
06 ロン
年齢31歳。ピシア領出身の男性。ピシア領騎士団の副団長を務めている。騎士団の幹部としては珍しく農民の出身であり、その出自から家名を持たない。
若い頃にラルに見出され従騎士として取り立てられた。以後はラルを師と仰ぎ、多くの戦場を経験しながら実力を磨いてきた。実戦で培った判断力と戦闘能力は高く評価され、現在では副団長の地位にまで上り詰めている。
しかしその性格は強い猜疑心を持ち、戦い方も隠し武器や奇襲を交えた実戦重視のものだ。名誉や作法を重んじる家名持ちの騎士たちとは価値観が大きく異なり、騎士団内では煙たがられることも少なくない。
戦闘では斧を主武器とし、力と速度を活かした激しい攻撃で敵を圧倒する。一方で戦い方そのものは堅実で、長年の実戦経験に裏打ちされた無駄のない動きを見せる。状況を読み、確実に勝ちを積み重ねていく実戦型の戦士である。




