16 老騎士の目
剣戟の激しさを増す、ほんの少し前。
広間の奥、崩れかけた柱を背にして、ラルはじっと息を潜めていた。
背中に伝わる石の冷たさが、妙に現実感を伴っている。わずかな動きが死に直結する距離だ。
視線は動かさない。代わりに、周囲の気配を“感じる”ことへ意識を集中させる。
狙いは頭目の女。主人であるリオンは別の強敵と刃を交えている。ロンもまた、騎士としての力量をぶつけるべき相手に張り付いている。
だから、この相手は自分が引き受ける。
ラルには自覚があった。純粋な体力、反射、瞬発力。どれを取っても、若い連中には及ばない。
口では「まだまだ若いもんには負けん。」と言ってはいる。だが、それが半分虚勢であることを、自分自身が一番よく知っていた。
それでも、ラルはここにいる。彼を支えているのは、数え切れない戦場を生き延びてきた経験だった。
剣の構え、魔法の間、敵の呼吸の変化。勝ち筋だけでなく、負け筋を誰よりも多く見てきたという事実。その積み重ねだけが、今のラルを支えている。
視線の先では、芽理の宮の魔法剣士リディアと、魔具使いの男――確かアレンと名乗っていた――が、頭目の女と距離を保ったまま魔法戦を展開していた。
放たれる魔法は派手ではない。炎が舞うわけでも、雷が走るわけでもない。魔力そのものを矢に変えて放つ。それだけだ。だが、その一つ一つが洗練されている。
――芽理の宮らしい戦い方だ。
ラルはそう感じていた。
彼らは初歩的な術を徹底的に鍛え上げ、同じ術を何度も使い潰す。だからこそ、狙いは正確で、発動は速い。
それでも。頭目の女のほうが、間違いなく格上だ。魔力の密度が遠目で見ても異なっている。
それでも女は派手な反撃に出ない。常に防御と回避を優先している。不意打ちを警戒しているのが、遠目にもわかる。
――今は、均衡している。
ラルは柱の陰から陰へと音を殺して移動を続けていた。呼吸は浅く一定。膝への負担を減らすため歩幅は極端に小さい。
だが。あと十歩ほどのところで足が止まる。これ以上、頼れる遮蔽物がない。床は開けている。瓦礫も少ない。ここから動けば、確実に視界へ入る。
選択肢が脳裏をよぎる。
ひとつは、この距離からの投石。もうひとつは、覚悟を決めて近接に踏み込むこと。
答えはほぼ決まっていた。最初の戦いで盾を失った今、無防備な接近は自殺行為だ。それほどの相手だ。
ラルは、足元の石の欠片を拾い上げる。
重さを確かめ、指に馴染ませる。軽すぎず、重すぎない。形も悪くない。
ここまで近づいても、まだ気づかれていない。その感覚があった。
頭目の女の意識は、完全に魔力の流れに向いている。リディアとアレン、二人分の魔法。その対処だけで、相当な集中を要しているはずだ。
ならば。魔法ではなく、物理で攻めるべきだ。魔力の感知の外から、ただの石を叩き込む。奇襲としては、悪くない。
問題は、タイミングだった。
ラルには魔力が感知できない。いつが“最も集中が削がれる瞬間”なのか、それを正確に測る術がない。
早すぎれば避けられる。遅すぎればこちらが見つかる。
握った石に、わずかに汗がにじむ。指が滑らないよう、握り直す。
一方。アレンもまた状況を理解していた。ラルほど老練ではないが、額にしわが刻まれ白髪が混じっている。
調査隊に身を置き、遺物の発掘と解析を生業としてきた。戦場に立つことは本分ではない。
ただし、遺物を巡る小競り合いは――稀によくある。そのたびに最低限の実戦経験は積んできた。
幸いなことに、魔力は年齢とともに円熟する場合が多い。気力、体力、そして魔力。そのすべてが充実している今が、彼にとっては全盛期と言っていい。
だからこそ、今の状況で分かってしまう。遠距離で魔力を削り合う消耗戦になれば、勝ち目がないことに。
あの頭目の女の魔力の総量も出力も明らかに一段上だ。
だからこそ、アレンは無意識のうちにラルの動きを目で追っていた。
そして、今のラルには“合図”が必要だと理解している。魔力を感知できない彼に意識の揺らぎを知らせる何かが。
アレンは一瞬、リディアを見る。
彼女も同じ結論に至っているようだった。言葉は不要。視線だけで意思が交わる。
――仕掛け時。
リディアの詠唱が短く走る。
まず一本。通常の魔法の矢よりもはるかに強い光を伴う閃光矢。視界を奪うための一手。
続けざまに二本目。一本目の影に隠れるように、軌道をずらして放つ。
頭目の女は、一瞬の眩みをものともせず、身体をわずかに捻るだけでリディアの二本の魔法の矢を避けて見せる。その動きに迷いはない。
だが。二本目が地面に突き刺さった瞬間、轟音が炸裂する。
頭目の女は、その音のした方へ反射的に首を向ける。
確実に意識の何割かを割いた。その瞬間。アレンが瓦礫の陰から飛び出す。叫び声とともに魔具を構え、魔法攻撃を連射する。
彼が持つ筒を模した魔具は、魔法の詠唱をすることなく、魔力を込めるだけで魔法攻撃ができる基礎的なものである。
音と光を使った意識を削ぐ連携攻撃であった。
頭目はまだ、爆音の正確な発生源を特定できていない。視線がアレンへ戻るまでに、わずかな遅延が生まれる。
その“わずか”を、ラルが見逃すはずがなかった。
柱陰から踏み出す。足音は最小限。握りしめていた石を、側頭部へ向けて投じる。完璧だった。
光、音、連射、そして資格からの投石。
現状、彼らが考えうる最高の連携であった。これで削れないはずがない。誰もが、そう確信した。
だが。頭目の女は、ゆっくりと片手を上げた。
そう見えた、次の瞬間。彼女の周囲の地面が爆ぜた。瓦礫と小石が垂直に噴き上がる。無差別の全周囲防御。
ラルの投石は舞い上がった石片に弾かれ、軌道を逸らす。正面からの魔法攻撃も同様だった。石片の密度が盾となり、魔力弾を相殺する。
乱雑。そして、強引。状況認識が遅れたからこそ、細かな対処を捨て、範囲ごと守る。
魔力の消費は大きい。無駄も多い。だが、それが成立するだけの実力差がある。リディアとアレンの足が止まる。
理不尽に近い実力差に一瞬思考が白む。
ラルの目には異なって映る。確かに、実力差の大きさは実感した。
だが、派手な魔法で全周囲を一律で守り、自身の視野すらも不自由にするということは――情報処理を放棄した証でもある。
本来なら、まず距離を取り、最小限の防御で対処するのが魔術師の定石。
若さゆえか、経験の蓄積が足りないのか、彼女は“最善”を選べなかった。
ならば、と。ラルはそのまま距離を詰める。
受け身に回れば、負ける可能性が上がる。
自分の間合いに相手を引き込み、情報量を。選択肢を。判断を。相手を揺さぶり続ける。
戦場を膠着させる。それが今、この場で取れる最善だった。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
16 リザ・ラグナス
年齢25歳。リーボルト領出身の女性。戦災孤児を集めて戦闘員として育成する機関の出身であり、その中でも最上位とされる五名の一人に数えられている。
幼少期から魔力を強制的に成長させるため、多量の薬剤を投与されながら育てられてきた。こうした環境で育った者の多くは情緒が不安定になる傾向があるが、リザは例外的に冷静で理性的な人格を保っている。所属する組織は内乱を起こして政治的主導権を握り、最終的には戦争そのものを根絶することを目的としている。しかし彼女自身は、その理想が現実に達成される可能性について懐疑的な見方を持っている。霧の洞窟に赴いたのは、未来視の力でより現実的な解決策を見出せると考えたためである。
戦闘では魔力を付与した物体を操る魔術を扱う。魔力を発現、注入、操作という段階を踏む必要があるため、突発的な戦闘には弱い面を持つ。しかし、一度魔力を展開できれば、攻撃や防御を同時に制御することが可能となり、戦場では比類ない強さを発揮する。




