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15 動く戦局

戦場の天秤が、わずかに傾き始めていた。

メナスは浅く呼吸を整えながら、視界の端で戦況を測る。

ロンは倒れ、ルーシーが治療に入っている。イヴは一人で賊の女を押し止めているが、強化魔法が戻れば分が悪い。

押し切るには、あと一枚足りない。

その事実が、胸の奥に小さな焦りを生む。


対峙する男もまた、同じ計算をしているのだろう。

こちらの焦燥を読むように、攻撃の手を緩めてきた。無理に斬り込まず、間合いの出入りで膠着を引き延ばす。

剣がメナスに迫る。そのたび、魔法の矢で賊の男の足を止め、その隙にリオンが割って入り受ける。

単純な攻防が繰り返される。だが、その単純さこそが焦りを助長する。


「――術者を潰せば、崩れるな。」

賊の男が低く呟いた瞬間、空気が変わった。

地を蹴る。これまでのような一直線ではない。左右に軌道を振り、射線を外しながら詰めてくる。

「我が力。我が想い――」

メナスの詠唱と共に掌が光る。

三本の理の矢。速度をずらし、角度を変え、逃げ道を潰す。

男は刃で矢を払い、身体を沈めてかわす。追い込んだ三発目を踏み込みの勢いで躱し迫る。


――速い。

しかも、足が止まらない。メナスは間を置かず詠唱を重ねる。

「我が力、我が想い。汝惑わす霧となれ。」

足元から霧が噴き上がる。ただの視界遮断ではない。魔力粒子を混ぜ込んだ霧。距離感を歪め、音を散らす。

男の足が一瞬だけ迷う。だが、すぐ踏み込んでくる。

振り下ろされた剣が空を切る。風圧で霧が裂けた。

その裂け目へ、メナスは踏み込んでいた。体重を乗せた短い打撃。

本来なら警戒する必要もない魔術師の拳。だが、攻撃直後の脱力した瞬間を狙った一撃。

男の顔面にあたり、身体が二、三歩後退する。


距離が生まれる。

しかし、霧が裂けたことで視界が開く。

男の目が、はっきりとメナスを捉える。

次の瞬間、男の再度踏み込み、首を狙う迷いのない横薙ぎ。

メナスは後ろへ跳ぶ。だが重心が前に残り、わずかに遅れる。完全には外せない。

刃が頬を掠めた。熱い痛み。血が散る。


後方から、リオンが踏み込む。

剣を差し込み、男のさらなる追撃の軌道を押しとどめる。

男の剣は依然として重い。骨が軋む。

言葉にならない雄叫びが、リオンの喉から漏れた。


今までの攻防であれば、ここで距離をとり態勢を立てなおすのが魔術師だ。

だがメナスは退かなかった。引けば安定する。それは理解している。

しかし相手も今、攻撃に出ている。受けるだけでは足りない。勝機を掴む行動が必要だった。

再びメナスは踏み込み、男の懐へ。

「我が想い――」

詠唱を、あえて途中で断つ。

短い呼気。拳ではなく掌。男の胸元へ、至近距離で魔力を叩き込む。

詠唱を省いた、未完成の放出。威力は低い。だが、男の身体強化魔法を局所的に乱す。

肩、腰、足の連動がわずかに狂う。部分的に無効化が男の動きを阻害する。

リオンが踏み込む。剣を滑らせ、肩口を裂く。浅い。だが確かな鮮血。


男の目が細くなる。

「――なるほど。厄介な男だな。」

声に、初めて温度が宿る。評価が変わったのが分かる。

「名を教えてもらおうか。」

「メナスだ。」

短い返答。

その名を聞いた瞬間、男の瞳がわずかに見開かれる。知っている反応だ。

だが言葉を交わす時間はない。男は一歩退き、呼吸を整える。

全身を覆う強化魔法を再構築しようとしていた。

肩、腰、足――乱れた流れを繋ぎ直していく。


男の小さな動揺を見ながらメナスは、違う視点で状況を理解する。

全体を覆う強化を完全に剥がすのは難しい。

だが、部分的に崩し続ければ、動きは鈍る。そこから勝ち筋を引き寄せられる可能性は高い。

問題は時間だ。遠くで、イヴの刃と賊の女の剣がぶつかる音が響く。今は拮抗しているが、いずれ崩れる。

そうなれば、こちらも崩れる。逆もまた然り。

それでも確実に、どちらかへ傾こうとしている。時間は、残酷なほど平等に流れている。


「リオン。イヴのところへ行け。」

視線を一瞬も逸らさず、メナスは低く告げた。

「お前たちなら倒せるんだろう。務めを果たせ。」

男の肩の動き、重心の揺れ、指先の震え。すべてを拾いながら言葉を続ける。

「ここは任せろ。」

言い切る声に揺らぎはない。

リオンの奥歯が軋む。不安か、それとも信頼か。胸中の葛藤は一瞬。イヴのところに援護に行ける機会は今しかない。


「――死ぬなよ。」

それだけを残し、リオンは踵を返す。駆け出す背を男の目が追った。細められた瞳に計算の色が浮かぶ。

「サシでやろうっていうのか。」

霧はすでに晴れている。互いを遮るものは何もない。距離は十歩。男が踏み込めば、メナスの詠唱が1回間に合う程度。

魔術師としては悪くないが、戦士としては危うい間合い。

メナスは拳を上げ、体を半身に開く。重心は低く落とし、足裏は岩肌を確かめるように踏む。

魔法主体で戦ってきた彼だが、その構えに致命的な隙はない。

男は小さく口笛を吹いた。


「我が想い。我が――」

構えを崩さぬまま、詠唱が始まる。男の身体能力強化が完全に戻る前に決着をつける。メナスは最善の手を取り続ける。

男は強化魔法の修復はしない。魔力出力を意図的に落とし、均衡を取り戻す応急処置を施す。そして、そのまま踏み込む。

次の間を与えれば、再び全身の強化魔法の出力を上げるための布石。


間合いが縮まる。

詠唱が結ばれ、魔法の矢が放たれる。至近距離。避けきれない間合い。

男は左手でそれを受けた。

肉を裂かれる鈍い感触。だが男は止まらない。貫かれた腕を振り抜き、血が弧を描く。温い飛沫がメナスの頬を打つ。

鉄の匂いが鼻腔を満たす。それでもメナスは目を逸らさない。


横薙ぎの斬撃。風を裂く音に、身体が反応する。紙一重でかわす。だが距離は潰れた。完全に剣の間合いだ。

男の目に勝利の確信が宿る。

「終わりだ。」

その瞬間、メナスの袖から魔晶石が滑り落ち、左手に収まる。

同時に放たれる指向性のある閃光。

男の瞳が見開かれる。完全な油断。無防備に視界が奪われる。

メナスは素早く詠唱に入る。だが、この距離での詠唱は致命的な遅延を孕む。


魔法の矢が放たれ、男の腹を穿つ。だが、致命傷には至らない。

次の瞬間。喉元へ剣が伸びる。

視界がなくても、男は音で読んだのだ。声の振動。衣擦れ。呼吸。

メナスは身を捻り、辛うじて躱す。背中が岩肌に擦れる。


男の視界はすぐに戻り始める。身体強化で巡らせた魔力が閃光の残滓を押し流す。

だが、確実に男の動きは鈍っていた。左腕は使い物にならず、腹部の傷からは血が流れ続けている。呼吸も浅い。

この状況の時間はメナスの味方になる。だからこそ、男は詰める。荒い剣線が走る。精細さを欠きながらも勢いで攻める。

メナスは後退しながら回避し続ける。足裏が岩の様相を探る。

――コツ。

わずかな段差。かかとが引っかかり体勢が崩れる。背中から落ちる衝撃。肺の空気が抜ける。


男の口元が歪む。今度はより確実な勝利を信じた笑み。

剣が振り下ろされる刹那、男は確かに見た。メナスが、ニヤリと笑みを浮かべたことを。

喉に衝撃が走る。

長い時間をかけ焦燥を積み重ね、思考を誘導し、勝利の確信を抱かせた末の一撃。

メナスの奥の手。無詠唱で放たれた魔法の矢が男の喉を正確に貫いていた。

血泡が弾ける。剣が手から滑り落ちる。石を打つ乾いた音が広間に響く。

男は膝をつき、そのまま前のめりに崩れ落ちた。

残るのはメナスの荒い呼吸だけだった。横たわったまま天井を見上げる。胸が激しく上下する。指先が震えていた。


やがてゆっくりと起き上がる。自分の身体を確かめる。切り傷、打撲、浅い裂傷。だが致命傷はない。

魔力の消耗は大きい。仕込んでいた術式も奥の手も使い切った。次があれば、同じ手は通じない。

それでも果たすべきことがある。床に落ちた男の剣を拾う。男は動かない。だが生死を確かめる余裕はない。

無言で数度、男を突き刺す。反応はない。


遠くで、リオンの声が響く。イヴと口頭で連携を取りながら戦っているようだ。

これで盤面は傾いた。だが、戦いはまだ終わっていない。

メナスは血の付いた頬を手の甲で拭い、ゆっくりと顔を上げる。

「――次だ」

声は小さく低い。だが揺らがない。まだ、戦いは続いている。

割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。

何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。

→ https://x.com/feally_leaf

あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。



15 レックス・ラグナ

 年齢22歳。リーボルト領出身の男性。戦災孤児を集めて戦闘員として育成する機関の出身であり、その中では中位の実力者に位置付けられている。

 同機関の多くは魔力強化のための薬物投与を受けて育てられる中、レックスは数少ない物理戦闘型として育成された。そのため薬物の影響は受けていない。代わりに訓練は過酷であった。特に、真剣を用いた実戦形式の演習が繰り返され、多くの仲間を自らの手にかけてきている。その経験の影響から、精神面にはどこか歪んだ部分が見られる。

 頭目の女性とは同じ孤児院の出身であり、二人の間には強い信頼関係がある。今回の任務は普段は消極的な彼女が自ら提案したものであったため、その支援役として名乗りを上げ同行することになった。

 戦闘では両刃の片手剣を主武器とする。今回は洞窟内での行動が想定されたため持ち込んでいないが、普段は柄の長い特殊な形状の剣を好み、片手でも両手でも扱える構造によってリーチを自在に変化させながら戦う。

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