19 父の軽さと、背中に隠れたもの
幼い頃の誠にとって、父・守は不思議な存在だった。
近いようで、遠い。
優しいのに、どこか掴めない。
寄り添ってくれるのに、深いところには踏み込んでこない。
母のように強く引っ張ってくれるわけでもなく、
祖父のように静かに見守るわけでもない。
守はいつも、どこか“ゆるい”。
「おー、マコ。今日も元気か〜?」
仕事から帰ってくると、
守は決まってそんな調子だった。
誠の頭をぽんと軽く叩き、
靴下を脱ぎ捨て、
ソファに倒れ込む。
その姿は、どこか子どもみたいだった。
でも、誠はその“軽さ”が嫌いではなかった。
ただ――
どう扱えばいいのか、よく分からなかった。
* * *
守はシステムエンジニアだ。
家でも仕事の話をすることは少ないが、
たまに母が愚痴をこぼすと、守は笑って言う。
「いや〜、人間関係はめんどくさいからね〜。
システム化できるところは全部システム化するのが一番なんだよ〜」
誠には意味が分からなかった。
でも、守の“めんどくさがり”は本物だった。
誠が宿題で困って相談すると、
「ん〜、それはこうしてこうして……はい終わり〜」
説明は最短。
必要最低限。
誠が理解できていなくても、守は気にしない。
「どうして?」と誠が聞くと、
「父さん12周目だからさ〜、同じ説明はつらいんだよ〜」
「……12周目?」
「気にしない気にしない〜」
誠はますます分からなくなる。
(……12周目って何……?)
でも、守はもうテレビをつけていた。
誠はその言葉を胸の奥にしまい込んだ。
* * *
ある夏の日。
祖父の家で遊んだ帰り道、
誠は川の近くで足がすくんだことを思い出していた。
(……なんで、あんなに怖かったんだろ……)
母には言えなかった。
でも、父なら――と思って、
誠は勇気を出して口を開いた。
「父さん……今日、川……ちょっと怖かった……」
守は誠の頭をぽんと軽く叩いた。
「そっか〜。まあ、怖いときは怖いでいいんだよ」
「……いいの?」
「いいのいいの。怖いときは怖いでいいの〜」
その軽さに、誠は少しだけ救われた。
でも同時に、胸の奥に小さな疑問が残った。
(……なんでそんなに軽く言えるの……?)
守は誠の不安を深掘りしない。
理由を聞かない。
原因を探らない。
ただ、軽く受け止める。
その軽さが、誠には不思議だった。
* * *
別の日。
祖父の家の縁側で遊んでいたとき、
誠はふと、風の中に“声”のようなものを感じた。
言葉じゃない。
でも、確かに何かが触れた気がした。
(……だれ……?)
胸の奥がざわつく。
誠は、今度は父に言ってみた。
「父さん……なんか、声みたいなのが……」
守は笑った。
「あるある〜。父さん13周目だからね〜、いろいろ経験してるんだよ〜」
「……13周目?」
誠は混乱した。
(……12周目じゃなかった……?)
誠は聞き返したかったけれど、
守はもう麦茶を飲みながらテレビを見ていた。
誠はその言葉をまた胸の奥にしまい込んだ。
* * *
守は、祖父・聡の人生を知っている。
知っているのに――
語らない。
語らないのではなく、
語ると長くなるし、
感情の話は苦手だし、
何より“めんどくさい”。
だから守は、誠にこう言う。
「じぃじは強いんだよ〜。以上!」
「……以上?」
「以上!」
誠は拍子抜けした。
(……もっと教えてほしいのに……)
でも、守はそれ以上語らない。
誠はまた、言葉を飲み込んだ。
* * *
守は、誠のことを信じている。
誠が泣いて帰ってきた日も、
誠が転んで膝をすりむいた日も、
誠が何かに怯えていた日も。
守は誠の頭をぽんと叩いて言う。
「大丈夫だよ〜。マコはじぃじの孫だからね〜」
守にとっては、それが“最大限の励まし”だった。
(……なんで大丈夫なの……?)
でも、守はそれ以上説明しない。
説明しない理由はただ一つ。
めんどくさいからだ。
* * *
でも――
その言葉は、消えなかった。
怖いとき。
不安なとき。
胸の奥がざわつくとき。
(……マコはじぃじの孫だから、大丈夫なんだ〜)
守の軽い声が、ふっと浮かぶ。
意味は分からない。
根拠も分からない。
でも、なぜか少しだけ息がしやすくなる。
守の“お気楽さ”は、
誠には理解できなかった。
でもその軽さの裏には、
守が知らずに受け継いだ“強さ”があった。
守は、聡の人生を語らない。
でも、信じている。
父は強い人だ。
だから自分も大丈夫だった。
だから誠も大丈夫だ。
守の中では、それで十分だった。
誠はまだ、そのことを知らない。
ただ胸の奥に残った父の言葉だけが、
静かに誠を支えていた。
軽くて、
雑で、
説明不足で、
でも――
確かに温かい言葉だった。




