20 妹が生まれた日
妹が生まれた日のことを、誠は今でも鮮明に覚えている。
春の光がやわらかくて、
風が少しだけ冷たい、そんな朝だった。
誠は保育園にいた。
いつも通りの時間。
いつも通りの遊び。
でも、その日は少しだけ空気が違った。
先生が誠の名前を呼んだ。
「誠くん、お父さんが迎えに来てるよ」
「……え?」
父が迎えに来るなんて珍しかった。
いつもは母だ。
玄関に行くと、父が少し息を切らしていた。
「マコ、行くぞ」
「どこに?」
「病院だ。母さん、急に入院した」
誠の胸がきゅっと縮んだ。
「……母さん、だいじょうぶ?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと早く生まれそうなんだよ〜」
父はそう言って笑ったけれど、
その笑顔の奥に、少しだけ緊張が混じっていた。
* * *
母は社畜という種類らしい。
出産予定日まであと1か月でも、
普通に仕事に行っていた。
「ギリギリまで働くわよ。だって引き継ぎが終わらないもの」
そう言って、毎朝バタバタと家を出ていった。
その日も、母は仕事の合間に定期健診へ行っただけだった。
でも――
産婦人科で、急に言われたらしい。
「へその緒が首に絡まってます。今日、入院です」
そしてその日のうちに、帝王切開が決まった。
父は会社を飛び出し、
誠を迎えに来て、
そのまま病院へ向かった。
人生で初めて乗るタクシーに少し興奮しながら、
誠は窓の外をじっと見つめていた。
春の光がまぶしくて、
胸の奥がざわざわした。
(……母さん……だいじょうぶ……?)
父は誠の頭を軽く撫でた。
「大丈夫だよ〜。母さん強いからな」
その言葉に、誠は少しだけ息がしやすくなった。
* * *
病院に着くと、母はすでに手術室に入っていた。
誠は祖父母と一緒に待合室で待った。
時計の針の音がやけに大きく聞こえた。
「誠、お兄ちゃんになるんだぞ」
祖父が静かに言った。
「……お兄ちゃん……」
その響きが、誠の胸の奥にじんわり広がった。
* * *
しばらくして、父が戻ってきた。
顔は疲れていたけれど、笑っていた。
「マコ、妹が生まれたぞ〜!」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと。小さいけど、元気だぞ」
誠は胸が跳ねるほど嬉しくなった。
手術室の前の廊下で、父がそっと誠を抱き上げた。
「母さんも頑張ったぞ。妹も頑張った」
誠は父の胸に顔をうずめた。
(……頑張ったんだ……)
まだ会ってもいないのに、
誠は妹のことが愛おしく思えた。
* * *
初めて妹を見たとき、
誠は息をのんだ。
父の両手にすっぽり収まるほど小さかった。
生まれるはずだった最後の1か月を、
お腹の外で生きることになった身体。
細くて、
柔らかくて、
泣き声はかすれていて。
でも、その小さな手が誠の指をぎゅっと握った瞬間――
(……こんなに小さいのに……よわいけど力強い……)
(……守らなきゃ……)
胸の奥に、はっきりとした感情が生まれた。
誰に言われたわけでもない。
誰に教わったわけでもない。
ただ、自然に湧き上がった。
(……ぼくはお兄ちゃん……この子を守りたい……)
それが誠が“兄”になった瞬間だった。
* * *
妹は4月生まれ。
予定より1か月早く生まれたのに、
今では標準体型で元気いっぱい。
学年では一番のお姉さんになる。
その成長を見るたびに、
誠は胸の奥が温かくなる。
(……強いな……)
妹の強さは、誠の希望だった。
誠の“守りたい気持ち”の原点は、
あの日、妹の小さな手が誠の指を握った瞬間に生まれた。
その感触は、今でも胸の奥に残っている。




