18 母の強さと、言えなかったこと
夏の記憶の中で、母はいつも忙しそうに動いていた。
祖父の家に行くときも、
荷物を手際よくまとめ、
忘れ物がないかを一つひとつ確認していた。
「誠、水筒持った? 帽子は?」
「……うん」
母は実務的で、迷いがない。
幼い誠にとって、その姿は“安心そのもの”だった。
いとこたちと遊びに行くときも、
母は必ず玄関まで見送ってくれた。
「危ないところには近づかないのよ」
「はーい」
その声は強くて、まっすぐで、
誠はその言葉に守られている気がした。
でも――
その“強さ”が、時々こわかった。
* * *
ある夏の日。
いとこたちと川の近くで遊んでいたとき、
誠はふと、水面の揺れに足が止まった。
胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
ただ、近づきたくなかった。
「誠ー! こっち来いよ!」
いとこたちの声が響く。
でも誠は動けなかった。
その日の帰り道、
母が誠の顔を見て言った。
「どうしたの? 元気ないわね」
「……なんでもない」
本当は言いたかった。
(……水が……こわかった……)
でも言えなかった。
言ったら、笑われる気がした。
言ったら、母に「大げさね」と言われる気がした。
母は優しい。
でも、強い。
その強さの前で、
幼い誠は言葉を飲み込んだ。
* * *
別の日。
祖父の家の縁側で遊んでいたとき、
誠はふと、風の中に“声”のようなものを感じた。
言葉じゃない。
でも、確かに何かが触れた気がした。
(……だれ……?)
胸の奥がざわつく。
でも、母に言うと――
「変なこと言わないの」
そう言われる未来が、なぜか分かってしまった。
母は“境界”の話を信じないタイプだ。
見えないものより、
目の前の現実を大事にする。
だから誠は言えなかった。
言ったら、否定される気がした。
* * *
幼い誠は、母に守られていた。
でも同時に――
母の強さの前で、
“言えないこと”が少しずつ増えていった。
その積み重ねが、
胸の奥のどこかに沈んでいった。
今の誠の“言えなさ”の原点は、
きっとあの夏の匂いの中にあった。




