第3話 闇の中の鼓動
暗黒が救護所全体を飲み込んだ。
非常用電源の途絶。医療機器のアラームが一斉に途絶え、残されたのは呼吸器の減気音と、暗闇の中で増幅される人々の悲鳴だけだった。
「慌てるな! スマホのライトをつけろ! 小型懐中電灯を持っている者はすべて差し出せ!」
神谷の怒号が暗闇を貫く。長年の修羅場で培われた危機管理能力が、即座に現場のパニックを食い止める。
「黒田、発電機の状況を確認しに行け! 現地の設備班と連携して、最優先で手術室の電源を復旧させるんだ!」
「了解っ!」
黒田は暗闇の中、胸ポケットのペンライトだけを頼りに駆け出した。暗がりの中で足を取られそうになりながらも、迷いはない。自分に今できる最大限の貢献――それは、医師たちが命を繋ぐための「舞台」を維持することだ。
一方、簡易手術室の中は異様な緊張感に包まれていた。
「クソッ、よりによって冠動脈のバイパス縫合に差し掛かったところで……!」
西園寺美咲の手が止まっていた。術野(手術を行う部位)は血の海であり、光がなければ一筋の血管すら判別できない。一ミリのズレが、15歳の少女の死を意味する。
「美咲先生、焦らないで。心拍数はまだ保たれている」
三浦弦の声が、驚くほど静かに響いた。三浦は手探りで手動式のアンビューバッグ(人工呼吸器具)を掴むと、手押しで少女に酸素を送り続けていた。
「僕の手元に一拍の狂いもない。君の腕を信用しているよ」
「三浦先生……」
「お待たせしました!」
扉が勢いよく開かれ、白石奈緒が駆け込んできた。その腕には、救護所中の看護師やスタッフから集められるだけ集めたスマートフォンと小型ライト、あわせて十数台が抱えられていた。
「みなさん! 手術台を照らしてください! 角度を均等に!」
白石の指揮のもと、看護師たちが術野をぐるりと取り囲むようにライトをかざす。幾重もの小さな光の筋が重なり合い、影を消し去る――簡易的な「無影灯」がそこに完成した。
「よし……見えた!」
美咲の瞳に宿るプロの光が、一段と強く輝く。
「白石、糸! 5-0プロリン!」
「はい!」
「三浦先生、麻酔の追加は?」
「手動投与で維持してる。あと十分なら持ちこたえさせてみせるよ」
美咲の指先が動き始めた。ピンセットと持針器が、スマートフォンの灯りの中でまるで舞うように交差する。血に染まる細小な血管を、寸分の狂いもなく縫い合わせていく。男勝りな性格とは裏腹の、神業とも言える精密な外科技術。
「絶対に、あなたを死なせない……親御さんの元へ返すと決めたんだから!」
美咲の額から大きな汗の粒が滴り落ちる。白石がすばやくそれを拭う。
「……最後の一針。結びます」
美咲が糸を引き絞った瞬間、少女の胸動脈から漏れ出ていた出血がピタリと止まった。
「血管形成、完了! 鉗子を外します」
三浦がモニターの代わりに少女の脈拍を直接確認する。
「……血圧、持ち直してきた。自発呼吸の兆候あり。西園寺先生、成功だ」
「よっしゃあっ!」
手術室の中に、短くも力強い歓声が上がった。美咲は脱力しそうになる膝を必死にこらえ、少女の濡れた前髪をそっと撫でた。
「よく頑張ったね……」
その時、廊下から激しい足音が近づいてきた。
「電源、復旧させました!」
黒田が息を切らしながら飛び込んできた。その直後、バチバチッと音を立てて天井の非常灯が点灯し、医療機器が再び機械的な電子音を奏で始める。黒田の顔は油と煤でまみれ、両手は配線を強引につないだ際の擦り傷だらけだった。
「黒田くん……ありがとう」白石が微笑む。
「いえ! 俺はただ、配線繋ぎ直すのを手伝っただけで……」
照れくさそうに頭をかく黒田に、美咲が歩み寄り、ポンと力強く肩を叩いた。
「何言ってるのよ。あなたが灯りを戻してくれなきゃ、この子は助からなかった。見事な連携だったわ、救命士さん」
「……っ! はい!」
黒田の目に、滲むものがあった。自分もまた、このチームの一員として命を繋ぐギアになれている。確かな実感が、胸の奥で熱く燃え上がった。
だが、安らぎの時間は一瞬も続かない。
救護所の入口から、神谷の怒号が再び響き渡ったからだ。
「全員、持ち場に戻れ! 第二波の搬送が始まるぞ! 今度は倒壊した高速道路からの多重事故患者だ!」
神谷は血に汚れたガウンを脱ぎ捨て、新たな手袋をはめながら振り返った。その眼差しは、過酷な現実を見つめながらも、決して希望を捨てていない男のそれだった。
「西園寺、三浦、次のオペの準備だ。白石はICU管理の割り振りを。黒田は搬入口の指揮を続けろ」
「了解!!」
5人の声が、一つに重なった。




