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鳥籠の令嬢は、神と悪魔を連れて世界の嘘を旅する ~政略結婚の前夜、地下牢で始まった神授物と邪教の巡礼譚~  作者: 0くるみ0
ガイア帝国編

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第七十話:外縁へ向かう朝

 支援相談会から戻ると、グランツベルク邸では扉の前に立つ護衛が増えていた。


 誰かが走り回っているわけではない。声が荒いわけでもない。廊下の灯りも、いつもと同じだ。


 ただ、廊下の端で伝令が封筒を胸に抱え、使用人がセリナの前を横切る前に一度足を止めた。


 使用人たちは、セリナを見ると一礼する。礼は丁寧だ。だが、目を上げるのがわずかに遅い。


 セリナはそれに気づいた。


 何も言わず、父の執務室へ向かう。


 オスカーは机の前にいた。すでに報告は届いているらしい。


 机の上には、支援相談会で見たものと同じ赤い縁取りの封書が置かれていた。


 今度は招待状ではない。


 外縁防衛都市アイゼンロートで行われる起動式への、同行確認書だった。


 宛名は、グランツベルク公爵家。


 その下に、セリナの名がある。


 さらに、聖都からの同行者一名。


 エアリスはその文字を見た。


 名前ではない。


 それでも、席がある。


「早すぎます」


 セリナが言った。


「支援相談会で見た名簿と同じです。まだ返事もしていないのに」


 オスカーは封書を開いたまま、指で端を押さえていた。


「支援相談会への出席を、協力の意思と読んだ形だ」


「そんな」


「そう読まれる席だった」


 セリナは言い返せなかった。


 行けば読まれる。


 出なければ読まれる。


 父は今朝、そう言った。


 実際に、その通りになった。


「お父様」


「今朝の時点で、臨時議会側にも同じ通知が回っている」


 オスカーは別の紙を出した。


 そこには、火環起動式の出席予定者が並んでいる。


 軍務局。


 赤炉会。


 帝国青年協賛会。


 ライオネル皇子の名代。


 四大公爵家の関係者。


 そして、グランツベルク家。


 セリナはその列を見た。


 自分の名が、家の名の下に置かれている。


「私が出ることに、なっているのですね」


「まだ、確定ではない」


「でも、否定しなければ確定する」


 オスカーは返書の端を指で押さえた。


「否定すれば、グランツベルク家は外縁防衛の席から逃げたと書かれる。出れば、ライオネル殿下の名代と同じ場に立つ。どちらも使われる」


 セリナは拳を握った。


「では、どうすれば」


「見る」


 オスカーの答えは短かった。


 セリナが顔を上げる。


「私が?」


「私も行く」


 部屋の中が、静かになった。


 護衛長がわずかに姿勢を変える。


 セリナは父を見た。


「お父様も」


「ここまで来れば、家の娘の見学では済まない。グランツベルク家として見る」


 オスカーは机の上の同行確認書を閉じた。


「ただし、お前は飾りではない。支援相談会で見たもの、窓口で聞いたもの、あの夜の倉庫で見たものを持って行く。感情だけを持って行くな」


「はい」


「怒りも持って行くなとは言わん。だが、怒りだけで立つな」


 セリナは深く息を吸った。


「はい」


 エアリスは、机の上の地図を見た。


 アイゼンロート外縁防衛都市。


 帝都からは直接テレポートできない。軍用中継陣を二つ挟み、最後は魔導馬車で防衛都市へ入る。地図の線は短く描かれている。だが、その脇には中継印が二つ、休止印が一つ、小さく並んでいた。


 オスカーはエアリスへ視線を向けた。


「ヴァレン嬢。君にも同行確認が来ている」


「はい」


「断るなら、今だ」


 セリナがこちらを見た。


 エアリスは首を横に振る。


「行きます」


「理由は、今朝と同じか」


「セリナさんが行くからです」


 オスカーは同行確認書の封を指で押さえた。


 エアリスは続けた。


「それと、マルタさんの包みが外縁へ送られるのを見ました。あの包みがどこへ届くのか、知りたいです」


 エアリスは机の端に置かれた控え紙へ視線を落とした。


「預かった名義、受け取る人、実際に保管される場所。その三つが、同じ線の上にありません」


 セリナの表情が動いた。


 オスカーは答えず、封筒を閉じたまま机へ置いた。


「分かった」


 その時、カバンの中からアキが声を出した。


「僕も行くよ。念のため」


「当然だ」


 オスカーが返した。


 アキが一瞬黙る。


「公爵閣下、慣れてきたね」


「慣れたくはない」


「ですよね」


 セリナの口元がゆるんだ。笑いには届かないが、握っていた手から力が抜けた。


 午後、ユリウスから返書が届いた。


 彼もアイゼンロートへ向かう。


 ただし、公式には別の名目だ。皇室側の外縁防衛確認。ライオネル名代とは別の名目で入り、必要な時までは距離を置く。


 返書の末尾には、短く添えられていた。


 銀箱は持ち出すな。


 欠片ではなく、見た者が必要になる。


 セリナはその一文を読んで、紙を置いた。


「殿下らしい」


「はい」


「信用してないけど、使う気はある」


「はい」


「私たちも、そうするしかないのね」


 エアリスはすぐには答えなかった。


 机の上には、ユリウスの返書、赤炉会の同行確認書、支援相談会で受け取った出席控えが別々に置かれている。


 どれも、今は片づけられない。


「全部を預けないまま、一緒に見ることはできます」


 エアリスが言うと、セリナの指が外套の留め具に触れた。


「それ、難しいね」


「はい」


「でも、今はそれしかないか」


「はい」


 支度はその日のうちに進んだ。


 礼装ではなく、移動と現地視察に耐える服。グランツベルク家の紋章を隠さない外套。記録結晶。護符。緊急帰還用の札。銀箱は屋敷に残され、別の封印室へ移された。


 セリナは最後に、自室の机へ戻った。


 支援相談会で見た番号を書き留めるための紙が置いてある。


 マルタの包みの番号を、彼女は記憶していた。紙に写そうとして、一度手を止める。


 エアリスはそばに立っていた。


「書かないのですか」


「書く」


 セリナは短く答え、番号を書いた。


 その横に、トマス・ベルンの名も書く。


 さらに少し迷ってから、あの男の子の木の火皿の番号も書いた。名前は聞こえなかった。だから、空欄にしておく。


「名前が分からない」


「あとで、分かるかもしれません」


「分からなかったら?」


「空欄のまま、残せます」


 セリナは、空欄の横へそっと指を置いた。


 翌朝、帝都の軍用中継駅はまだ暗かった。


 公共のテレポート駅とは違う。商人の声も、旅人の荷物もない。あるのは軍務局の印、装甲魔導車、短い命令、赤い魔導灯。


 グランツベルク家の馬車が止まると、軍務局の係官が近づいた。


 オスカーが先に降りる。


 その瞬間、係官の姿勢が変わった。


 グランツベルク公爵家当主。


 名を告げる前に、係官は踵をそろえ、後ろの兵も半歩下がった。


 セリナは父の後に降りた。


 エアリスも続く。


 遠くの別区画に、皇室の旗が見えた。


 ユリウスのものではない。


 ライオネル名代の一行だろう。


 セリナはその旗を見て、すぐに目を逸らさなかった。


 向こうも、こちらに気づいている。


 若い貴族たちの姿もあった。マティアス、クラリッサ、ヘルムート。少し離れて、ディーナの姿も見える。


 皆、同じ場所へ向かう。


 外縁防衛都市アイゼンロート。


 係官が通行札を確認する。


 グランツベルク家の印。


 軍務局の印。


 臨時議会の外縁確認印。


 三つの印が、同じ札の上に並んでいた。


 セリナはそれを見た。


 家の中で押されていた圧が、今は公の札になっている。


 オスカーが低く言った。


「行くぞ」


「はい」


 セリナは答えた。


 エアリスもその横へ並んだ。


 カバンの中の魔導書は静かだった。


 軍用中継陣の赤い光が、床に広がる。


 その光の端で、セリナは一度だけ自分の手を見た。旧炉区下の煤で汚れていた指は、もうきれいになっている。


 それでも、彼女は拳を握った。


 光が強くなる。


 帝都の石床が、足元から遠のいた。

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