第六十七話:赤い招待状
招待状は、翌朝まで返事を待たなかった。
昼前には、赤炉会から支援相談会の担当者がもう一度来た。礼儀は整っている。言葉も柔らかい。だが、返答の期限だけは短かった。
午後の席で、ライオネル皇子の名代から外縁支援への謝辞が述べられる。
帝国青年協賛会の代表も集まる。
セリナが出席すれば、グランツベルク家の若い世代も外縁防衛を重く見ていると示せる。
欠席すれば、理由を聞かれる。
使者は、そうは言わなかった。
ただ、招待状の二枚目に、席順が添えられていた。
セリナの席は、帝国青年協賛会の前列に近い。
その隣には、聖都からの同行者の席もあった。
エアリスは紙を見た。
自分の名は書かれていない。だが、席はある。誰かが、彼女の存在を数えている。
オスカーは使者を帰した後、紙を机に置いた。
「断れば、逃げたと読まれる」
セリナは何も言わない。
「出れば、同じ火に加わったと読まれる」
「どちらにしても読まれるのですね」
「そうだ」
オスカーは紙の赤い縁取りから目を離さなかった。
セリナは紙の端を見た。赤い縁取りの下に、ライオネルの名がある。
何度か顔を合わせただけの第二皇子。
だが、ここ数日で、その名は何度も彼女の周りに置かれていた。見学許可、添えられた紙、帝国青年協賛会、赤炉会の支援相談会。どれも直接ではない。けれど、避けて歩けば別の場所で前に出てくる。
「お父様は、どうすべきだと思いますか」
セリナが尋ねる。
オスカーはすぐには答えなかった。
「家としてなら、使者を立てる」
「私ではなく?」
「お前を守るなら、それが一番楽だ」
セリナの指が止まる。
「でも、そうしないのですね」
「私が決めれば、お前は守れる。だが、向こうは次に、私ではなくお前の口から聞こうとする」
オスカーは娘を見る。
「行くなら、グランツベルク家の娘として行け。ライオネル殿下の席に添えられる娘としてでも、ユリウス殿下の紙に動かされる駒としてでもない」
セリナは顔を上げた。
「はい」
「ヴァレン嬢」
呼ばれ、エアリスは姿勢を正した。
「君は断ってもよい」
セリナがこちらを見る。
エアリスは静かに首を横に振った。
「行きます」
「理由は」
「セリナさんが行くからです」
オスカーの指が、招待状の赤い縁を押さえた。
「それだけか」
「昨日、箱を見ました。今朝、招待状を見ました。席も用意されています。私がいないことも、いることも、どちらも使われると思います」
オスカーはしばらく黙った。
「分かった」
それ以上は止めなかった。
護衛と記録係が決められた。昨日の夜とは違い、今回は隠れて行くのではない。正面から出席する。だから、護衛も礼装に近い姿になる。
エアリスは濃紺の外套を受け取った。白い髪を隠すためではない。聖都の学生として目立ちすぎないための色だ。
セリナは赤みのある礼服を選ばなかった。
深い灰色に、細い金の縁取り。グランツベルク家の紋章は胸元に小さくあるだけだった。セリナは袖口を指で押さえ、赤い飾りのない布地を確かめている。
「地味かな」
セリナが袖を見ながら言う。
「きれいです」
「そういう返しじゃなくて」
「では、強そうです」
セリナは目を瞬かせ、それから少し笑った。
「それは、帝国だと褒め言葉ね」
「はい」
カバンの中からアキが声を出す。
「僕も何か着替えた方がいい?」
「魔導書に礼服はありません」
「ひどい」
「必要なら、布で包みます」
「もっとひどい」
セリナが口元を押さえた。
「今日は本当に、冗談を少なめにして」
「はいはい。少なめで」
「二回目よ」
「覚えてる」
そのやり取りで、セリナの肩がわずかに下がった。
赤炉会の支援相談会の会場は、帝都中心の支援会館ではなかった。そこより少し広い、軍属向けの集会場を借りている。
建物の正面には赤炉会の紋章がかかっていた。
炉の形をした赤い印。
その横に、帝国青年協賛会の旗と、ライオネル皇子の名代を示す小さな紋章旗が並ぶ。
セリナは馬車を降りた瞬間、その旗を見た。
表情は崩さない。
だが、横に立つエアリスには、彼女の息が一つ遅れたのが分かった。
中へ入ると、まず熱が来た。
暖房ではない。集まった人の熱だ。
支援を受けた傷病騎士、家族、若い貴族、赤炉会職員、軍属の受付、義肢魔導具の調整師。広い会場のあちこちで、違う声が重なっている。
壁際では、義肢の調整が行われていた。赤炉会の職員が膝をつき、年配の騎士の足具を直している。騎士は何度も礼を言い、職員はそのたびに首を横に振った。
別の卓では、戦死者の子どもたちへ学用品が渡されている。
小さな女の子が、新しい筆記板を胸に抱えた。
母親らしい女性が赤炉会の職員へ深く頭を下げる。
職員は、その女性の事情を覚えていた。
「弟さんの咳は、その後どうですか」
女性は驚いたように顔を上げ、すぐに笑った。
「少し落ち着きました。薬を、ありがとうございます」
セリナも見ていた。
見てしまった、という顔だった。
赤炉会の職員は、義肢の金具をもう一度締め直した。
昨日の夜に見た旧炉区下の通路とは、同じ手で別のものを支えているように見えた。
エアリスは会場の音を聞いた。
拍手、礼、子どもの声、義肢の小さな金属音。
その奥で、受付の机だけは、筆記板と札が端まで揃えられていた。
名前。
所属。
外縁勤務経験。
家族連絡先。
支援品の種類。
受付係は、笑顔でそれを記入していく。
セリナの名が呼ばれた。
入口のそばにいた若い男が近づいてくる。
マティアス・エーレンフェルト。
以前、ラウグラから帝都へ入る頃に顔を合わせた青年だった。上皇派寄りの若い貴族。軽い笑顔はそのままだが、今日は襟元の飾緒までずれがない。
「セリナ嬢。ご出席、嬉しく思います」
「招待を受けましたので」
セリナは礼を返した。
マティアスはその返しを笑って受け流す。
「ライオネル殿下の名代も、後ほどお言葉を述べられます。若い世代が外縁を支える姿を示す、良い席になるでしょう」
「良い席になるかは、支えられる人たちにとって良いかで決まります」
セリナの声は明るくない。
マティアスは一瞬だけ笑みを止めた。
すぐに戻す。
「もちろんです。だからこそ、皆で見える形にする必要がある」
彼の視線が、エアリスへ移った。
「聖都からのお友だちも、今日はご一緒に?」
「はい」
エアリスは礼を崩さずに返した。
「帝国の支援活動は、聖都とはまた違うでしょう」
「違います」
「驚かれましたか」
「はい」
エアリスは会場の奥を見た。
義肢魔導具を直されている騎士が、ゆっくり立ち上がる。足元はまだ不安定だが、彼は笑っていた。
「支えられている人がいることに、驚きました」
マティアスは返す言葉を探した。
セリナの指が外套の袖を離れた。
その時、会場の奥から別の令嬢が近づいてきた。
クラリッサ・ブランシュタット。
整った礼をする。声は柔らかいが、目はよく動く。
「セリナ様。支援品の仕分けに、若い方々も参加しております。よろしければ、後ほど一言いただけませんか」
「一言?」
「外縁へ向かう方々への励ましです。皆、セリナ様のお言葉を喜ぶと思います」
そう言って、クラリッサは会場の中央を示した。
そこには、大きな布が張られていた。
赤い布。
若い貴族や軍属の子弟たちが、短い励ましの言葉を書いている。
帝国のために。
火を絶やさず。
家族の誇りを胸に。
見覚えのある言葉が、いくつも並んでいた。
セリナの目が、その布の前で止まる。
「……後ほど、拝見します」
クラリッサは微笑んだ。
「お待ちしております」
彼女が去ると、セリナは小さく言った。
「また、言葉」
「はい」
エアリスも、赤い布を見ていた。
義肢の金具が鳴る音と、筆が布を擦る音が、同じ部屋で重なっていた。
セリナは背筋を伸ばした。
「見に行くわ」
「はい」
赤い布の前には、すでに何人もの若者がいた。
拍手が起こる。
ライオネル皇子の名代が、壇上へ上がろうとしていた。




