第六十三話:裏門の車列
倉庫裏の門から出た魔導車は、すぐには走り出さなかった。
門の横で一度止まり、軍務局の男が封印を確認する。赤炉会の職員もそばにいた。手元の灯りで札を照らし、箱の数を小さく数えている。
声は聞こえない。
それでも、手順は見えた。
軍務局が封印を見て、赤炉会が札を見る。
どちらか一方ではない。
セリナは壁の陰で膝をついたまま、じっと見ていた。
「あの車、昼に見たものと同じ型だわ」
「はい」
エアリスも車体の線を追った。
車体の横には軍務局の印がある。赤炉会の印は外側にない。だが、荷台の角に結ばれた赤い紐は同じだった。
護衛長はすぐそばにいる。
「これ以上近づくと、見つかります」
「分かっています」
セリナは壁から目を離さずに答えた。
今の場所は、旧炉区の外壁と、使われていない荷置き場の間だった。正面からは見えにくいが、裏門と車列は斜めに見える。
足元には灰が薄く積もっている。
火を使っていた場所なのだろう。古い灰の匂いが、夜の湿気に混じっていた。
車両の扉が開く。
中から降りてきたのは、兵だった。
若い者が多い。
訓練場で見たような新しい軍服の者。片腕に補助具をつけた傷病騎士。短く刈った髪の男。いずれも足取りは乱れていない。
ただ、静かすぎた。
外縁へ向かう者なら、緊張や苛立ちがあってもいい。小声で愚痴を言う者がいてもおかしくない。
彼らは何も言わなかった。
ひとりの若い兵が、車両の段差で足を引っかけた。転びはしない。すぐに立て直し、列へ戻る。隣の兵は助けなかった。怒りもしない。ただ、前を向いたまま一歩だけ詰めた。
それがかえって目についた。
訓練された兵の動きとも違う。怯えて固まっているようにも見えない。余分なものだけを抜かれたような静けさだった。
セリナの指が、壁の欠けた石を掴む。
「あれ、普通じゃない」
「はい」
「でも、叫んでるわけでも、暴れてるわけでもない」
「だから、止めにくいです」
エアリスがそう言うと、セリナは苦い顔をした。
列の端には、さっき足を引っかけた兵の靴跡が残っていた。灰が乱れている。すぐ横を別の兵が踏み直し、跡は薄くなった。
セリナはそれを見て、何も言わなかった。
昼の訓練場で聞いた若い兵たちの声が、ふいに遠くなる。同じ年頃のはずなのに、彼らの目には若さより先に空白があった。
列に並ぶ。
札を受け取る。
指示された車へ移る。誰も、行き先を口にしない。
セリナの横顔が強張る。
「あの人たち、家族に会えるのかな」
声は小さかった。
「分かりません」
エアリスは正直に答えた。
その時、少し離れた屋根の上で、黒い影が動いた。
護衛長が剣へ手をかけるより早く、エアリスとセリナの頭の奥へアキの声が届いた。
「大丈夫」
「何が」
セリナが聞く。
「向こうは今、僕たちを追えているつもりになってる」
「つもり?」
「うん。あの人には、正門から出た馬車を追っている景色が見えている」
エアリスは屋根の影を見る。
男は確かにこちらを見ていない。だが、目は開いている。身を乗り出し、何かを確認しているように動く。
その視線の先には、誰もいない。
セリナが声を引いて言った。
「それ、やっぱり怖い」
「今回はかなり穏便だよ」
「それを自慢しないで」
「はい」
セリナは返事をしなかった。
エアリスは小さく首を横に振った。
「アキさん。今は」
「はいはい」
アキの声はすぐに引っ込んだ。
魔導車の周囲では、作業が続いていた。
赤炉会の職員が、兵の胸元に小さな札を差し込んでいく。大きな献火札ではない。指二本ほどの細い札だった。
兵は受け取り、何も言わずに胸の内側へ入れる。
軍務局の男が一人、紙に印を押す。
赤炉会の職員が一人、別の板に何かを刻む。
同じ作業を、二つの側が別々にしている。
記録係は、小さな結晶を布の中で起動した。
光はほとんど漏れない。けれど、前の車列と札の受け渡しだけは残せる。
護衛長が低く言った。
「長くは無理です」
「分かっています」
記録係は必要な部分だけを映し、すぐに止めた。
その間に、別の車両が倉庫の奥から出てきた。
荷台には木箱が積まれている。
箱の一部には、慰霊品と書かれた札がある。別の箱には、訓練用補助具。さらに奥の箱には、何も書かれていない。
赤炉会の職員が、その無記名の箱だけ別の車へ移した。
軍務局の男は見ていた。
止めなかった。
「あの箱」
セリナが言う。
「はい」
エアリスも見ている。
箱は重そうではなかった。二人で持てる大きさだ。けれど、運ぶ時だけ周囲の距離が変わる。
誰も近づきすぎない。
誰も背を向けない。
大切な物というより、扱いを間違えたくない物に見えた。
箱を積み替える時、蓋の隙間から赤い光がわずかに漏れた。
すぐに消える。
セリナは息を止めた。
エアリスのカバンも小さく震える。
「アキさん」
「うん。今のは覚えておいて」
「何ですか」
「まだ言い切れない。近くで見ないとね」
アキの声はそこで止まった。
セリナの喉が小さく動いた。
車列の準備が終わると、兵たちは二台に分けられた。
新兵らしい者は前の車へ。
傷病騎士は後ろの車へ。
無記名の箱は、さらに別の小型車へ積まれた。
小型車だけ、進む道が違った。
外縁へ向かう本線ではなく、倉庫群の奥へ続く細い道へ入る。
セリナが護衛長を見る。
護衛長は首を振った。
「あちらは、旧炉区の点検路に近い。外から回れば、まだ見えるかもしれません。ただし、危険です」
セリナはすぐには答えなかった。
エアリスを見る。
「行く?」
「セリナさんが決めてください」
「また私」
「はい」
セリナは唇を結び、煤のついた指を握った。
「行く。無理なら戻る」
護衛長は剣帯を押さえ、先導に移った。
全員が動き出す。
火炉の外壁に沿って進む。石は冷たい。ところどころに古い煤が残り、触れると指が黒くなりそうだった。
道の先に、低い扉があった。
扉というより、点検口に近い。昔、火炉の熱を逃がすために作られた通路らしい。
鍵は古い。
だが、最近開けられている。
金具の錆が一部だけ落ちていた。
セリナが護衛長を見る。
「開けられる?」
「音を立てずには難しい」
カバンの中で、アキが小さくため息をついた。
「はい、僕の出番」
「壊さないで」
「壊さないよ。扉に開いていたことを思い出してもらうだけ」
何を言っているのか分からなかった。
けれど、次の瞬間、鍵は小さく鳴って外れた。
護衛長が黙ってアキの入ったカバンを見る。
「今のは、報告にどう書けば」
「古い鍵が緩んでいた、でどう?」
「……検討します」
セリナが小さく笑いかけ、すぐに口を押さえた。
扉の向こうは暗い。
旧炉区の下へ続く通路だった。
熱はない。
それでも、石の奥に昔の火が残っているような匂いがした。
エアリスは一歩、通路へ足を入れた。
背後で、遠くの車輪の音が薄くなっていく。
セリナが隣へ並ぶ。
「行こう」
「はい」
小さな魔導灯が、石の壁を赤く照らした。




