第五十四話:見学許可証の副紙
午後、見学許可証が届いた。
白い封筒に、皇室と軍務局の印が並んでいる。中には外縁訓練場の見学許可、集合時刻、同行人数、立ち入り可能な区画が記されていた。
届けたのは軍務局の使いだった。だが、門の向こうには見知らぬ家紋の馬車が一台、短く止まっていた。
セリナの指が、封筒の角を一度押した。
昨日、角にいた若い貴族の顔が頭をよぎる。
馬車はすぐに走り去ったが、門番はその家紋を見ていた。
「帝国青年協賛会の連絡役だそうです」
護衛が低く告げる。
「同じ日に、見学枠が重なっています」
封筒の内側には、薄い副紙が一枚入っていた。
外縁支援に関心を持つ若い貴族数名が、別枠で訓練場を見学する。軍務局の許可済み。赤炉会職員が支援事業の説明に立ち会う。そのうち一名は、ライオネル殿下の名代として祝辞を述べる予定もある。
文章は丁寧だった。
下端には軍務局の承認印が押されている。
返答を書く欄はなかった。
「同じ日に重ねてくるんだ」
セリナは副紙を見下ろした。
「偶然ですか」
「偶然なら、帝都の偶然はだいぶ働き者だね」
声は軽かったが、笑ってはいなかった。
副紙を折ると、薄い紙の向こうに見学許可証の時刻が透けた。
同じ時刻、同じ門、別の名簿。
セリナは封筒の角を押した。
セリナはそれを持って、もう一度オスカーの執務室へ向かった。
エアリスも同行する。
オスカーは副紙を読み終えると、机の上へ置いた。
「昨日の許可書で示された範囲は、そのままだ」
「はい」
「今日は見学として扱いなさい。軍務管制に触れるものを見たら、その場で踏み込むな。いったん私へ戻せ」
セリナは表情を引き締めた。
「護衛と記録は?」
「こちらで手配する」
「分かりました」
セリナは封筒を胸元へ引き寄せた。
エアリスも許可書を見る。
立ち入り可能区画の中に、外縁訓練場、回復訓練棟、装備調整棟、火神祈祷室という文字がある。軍務管制区画は別枠で示されていた。
「祈祷室も見学に含まれるんですね」
「帝国の軍では珍しくない」
オスカーが答えた。
「訓練の前に火神へ祈る者は多い。特に外縁へ向かう者ならな」
セリナは許可書を受け取った。
「父上」
「何だ」
「もし、見学だけで済まなかったら」
オスカーは娘を見た。
「その時は、まず戻れ」
「戻れない場合は?」
「戻れるように動け」
「はい」
執務室を出ると、廊下の端でセリナが封筒を見下ろす。
「父上らしい」
「戻れるように動け、ですか」
「そう。逃げろとは言わないけど、無駄に沈むなって意味」
「良い言葉です」
「軍人の家っぽい言葉だよ」
セリナは封筒の角を指で弾いた。
部屋へ戻ると、カバンの中の魔導書が開いた。
「外縁訓練場か。いよいよ帝国らしくなってきたね」
「アキさんは来るんですか?」
「僕は契約精霊だからね。カバンの中で大人しくしているよ」
「大人しく、ですか」
「なぜ疑う」
「昨日までの実績です」
セリナが吹き出した。
アキは心外そうな顔をしてから、すぐに笑う。
「まあ、今回は見学でしょ。手は出さないよ、たぶん」
「壊す前提で話さないでください」
「じゃあ、なるべく」
「なるべくでも困ります」
エアリスが言うと、アキは軽く肩をすくめた。
「はいはい。では、必要になるまで本らしくしてるよ」
「本らしく、というのは」
「閉じている」
「それは助かります」
アキは少し傷ついた顔をして、魔導書の中へ戻った。
セリナは椅子に座り、見学許可証を机の上へ置く。
許可証の横には、副紙も置かれていた。
帝国青年協賛会。
外縁支援。
ライオネル殿下の名代扱い。
それぞれの名は別々に書かれているのに、同じ時刻表の中で近くに並んでいる。
「見学なのに、見られる側にもなるんだね」
セリナが言った。
「セリナさんが、ですか」
「私たちが。たぶん、エアリスも」
セリナは髪飾りを小箱に戻した。
昨日の赤い石ではなく、明日は小さな黒鉄の留め具にするらしい。
「赤い方は使わないんですか」
「あれをつけて行くと、叔父様の席に寄ったみたいに見える。黒鉄なら、グランツベルク家の護衛色に近い」
「髪飾りにも意味があるんですね」
「意味を持たせる人がいるからね」
セリナはそう言って、箱の蓋を閉じた。
机の上では、見学許可証の白い紙だけが残っている。
廊下の向こうでは、護衛が交代表を確認していた。
声は低い。だが、靴音だけで人数が増えているのが分かる。
記録係の青年が結晶板の予備を二つ持って通り過ぎ、侍女が外出用の外套を運んでいく。誰も慌ててはいない。けれど、ただの見学へ向かう支度でもなかった。
セリナは扉の隙間からそれを見た。
「父上、本気で仕事にした」
「見学ではなく、ですか」
「うん。遊びでも、叔父様への返事でもなく、家の仕事」
そう言ってから、セリナは肩の力を抜いた。
「その方が、たぶん楽」
セリナは黒鉄の留め具をもう一度手に取り、明日の外套の上へ置いた。
小さな家紋が、布の上で鈍く光った。
「ねえ、エアリス」
「はい」
「明日、もし私が腹を立てたら、止めて」
「止めます」
「早いね」
「頼まれましたから」
「じゃあ、もし止まらなかったら?」
エアリスは少し考えた。
「一緒に戻れる方法を探します」
セリナは一瞬だけ目を丸くした。
それから、机に突っ伏す。
「そういう返し、ずるい」
「ずるいですか」
「ずるい。怒りにくくなる」
「では、役に立ちました」
セリナは顔を伏せたまま笑った。
翌朝、出発の支度は思ったより早く終わった。
見学用の衣装。学生証。最低限の筆記具。カバンに入れた魔導書。グランツベルク家の護衛が用意した記録用の小さな結晶板。
エアリスは結晶板を手に取った。
使い方は難しくない。光を当て、短い映像と音を残すためのものだという。
「聖都にもありますが、帝国のものは形が違うんですね」
「軍用に近い型だからね。頑丈さ優先」
セリナはそう言って、自分の腕輪を締め直した。
護衛が扉の外で待っている。
その後ろには、グランツベルク家の馬車があった。
訓練場へ向かうには、テレポートではなく馬車を使うらしい。軍務局の敷地に入るには、決められた門を通る必要があるからだ。
馬車の側面には、グランツベルク家の紋章が控えめに刻まれている。
セリナが乗り込む前に、ふと振り返った。
「昨日より、怖くないかも」
「なぜですか」
「行くって決めたから」
エアリスは馬車の窓へ目を向けた。
「それなら、良かったです」
「でも、やっぱりちょっと怖い」
「それも、良いと思います」
「何でも良いって言うね」
「何でもではありません」
セリナは笑い、馬車へ乗った。
エアリスも続く。
扉が閉まる。
車輪が動き出した。
外縁訓練場へ向かう道は、帝都の中心から少しずつ軍の色を濃くしていった。




