第四十六話:若き火の席
外縁功労者交流会の案内が届いたのは、オスカーへの報告を終えた翌日の午前だった。
封書は二重になっていた。
外側には赤炉会の印。
内側には軍務局の副印と、皇室の小さな火紋。
文面は丁寧だった。慰霊式に参列した若い世代へ、外縁防衛と軍属支援について意見を交わす場を設ける。実技場では簡単な訓練披露も行う。堅苦しい会議ではなく、相互理解のための交流である。
どこにも、政治という言葉はない。
その分だけ、家名の並びと皇室の火紋が目についた。
「来たか」
セリナは封書を机に置いた。
「行くんですか」
「父上に通す。返事はその後」
そう言いながらも、彼女はすでに断れないことを分かっている顔をしていた。
慰霊式に出た。
療養施設も見た。
赤炉会と軍務局が関わる場でグランツベルク家の娘が姿を消せば、空いた席の方が目立つ。
誰かが、出なかった理由を先に語る。
エアリスは封書の端へ目を落とした。
出席予定者の欄には、いくつかの家名が並んでいた。
エーレンフェルト。
ブランシュタット。
ヴァルデック。
ヴァルトシュタイン。
ファルケンラート。
上皇派、反対派、中立派。
紙の上では、同じ案内状の中に収められている。
「若い方ばかりですね」
「若い者同士なら角が立たない、って言いたいんだと思う」
セリナは苦く笑った。
「でも、角を立てない刃物もある」
午後、オスカーは封書を読んだあと、短く言った。
「行ってこい」
セリナは少し目を見開いた。
「よろしいのですか」
「お前を隠しておけば、相手は隠れている理由を作る。出れば、相手は出た意味を作る。どちらにせよ見られるなら、こちらも見る」
「はい」
「ただし、返事はするな。署名もするな。個人の感想を家の立場に変えられるような言い方は避けろ」
「分かっています」
「分かっているだけでは足りない」
セリナの背筋が伸びる。
「守ります」
オスカーはそこでエアリスへ視線を移した。
「ヴァレン嬢も同行するのか」
「セリナさんが望むなら」
「君の存在も、見られる」
「はい」
「それを承知で行くなら、よく見ておきなさい。帝国の若者は、家の前触れだ」
前触れ。
エアリスはその言葉を覚えた。
交流会の会場は、軍属支援会館に併設された小さな訓練場だった。
広間と砂敷きの実技場がつながっている。広間には茶と軽食が用意され、壁には外縁防衛線の簡略図、傷病騎士支援の実績、赤炉会の徽章が並んでいた。
訓練場の方では、木剣と簡易杖が整然と置かれている。
遊びではない。
だが、本気の軍務でもない。
その中間にある、帝国らしい社交の場だった。
セリナが入ると、いくつもの視線が向いた。
マティアス・エーレンフェルトもいた。
ラウグラで声をかけてきた若い貴族だ。あの時よりずっと礼儀正しくしている。周囲に別の家の者がいるからだろう。
その隣で、金髪の令嬢が一礼した。
「クラリッサ・ブランシュタットです。お会いできて光栄です、グランツベルク公女」
「セリナ・フレイア・グランツベルクです。こちらこそ」
クラリッサの笑みは柔らかい。
だが、柔らかいだけではない。
彼女はセリナの髪飾り、袖の赤糸、エアリスとの距離を一度で見た。
別の青年が短く礼をする。
「ヘルムート・ヴァルデック。外縁方面に兄がいます」
体格のよい青年だった。礼法は少し硬いが、目はまっすぐだ。
その少し後ろに、黒髪の青年が立っていた。
「イザーク・ヴァルトシュタインです」
彼は必要な分だけ名乗り、それ以上は言わなかった。
中立派の家。
セリナが手袋の指先を押さえた。
広間の奥では、ファルケンラート家の若い騎士ディーナが、腕を組んで壁にもたれていた。彼女はセリナを見ると、軽く顎を引く。壁際には、セリナのために空けられたような間が一つ残っていた。
若い者ばかり。
けれど、どの顔にも背後の家がある。
やがて、ライオネルが姿を見せた。
彼が入ると、場の温度が少し上がる。
大きな声を出す者はいない。だが、姿勢が変わる。
若い軍人たちの目には、素直な期待が混じっていた。
「今日は堅い会議ではない」
ライオネルはそう切り出した。
「だが、外縁は堅い言葉だけで守れる場所でもない。家に戻れば、それぞれ立場があるだろう。ここではまず、自分の目で見たものを話してほしい」
若い軍人たちの背が、そこでまっすぐになった。
クラリッサの扇も、ヘルムートの手袋も止まる。
ヘルムートがすぐに言った。
「殿下。外縁安定化計画は、若い世代が支えるべきものだと考えます。戦場を知る家の者ほど、遅れを嫌います」
クラリッサが続く。
「赤炉会の支援も広がっています。傷病騎士の再起を支える制度が整えば、民心も落ち着きましょう」
ディーナが壁際で口を開いた。
「支えることと、急かすことは違います。制度が大きくなれば、誰が責任を持つのかも問われる」
イザークは黙って聞いていた。
セリナへ視線が集まる。
ライオネルも彼女を見た。
「グランツベルク公女は、どう見ている」
セリナはすぐに答えなかった。
沈黙が、逃げではなく言葉を選ぶ時間になる程度には、彼女は落ち着いていた。
「私は、まだ全部を知りません」
彼女は言った。
「けれど、傷ついた方を支えることは必要だと思います。外縁を守ることも、帝国にとって大切です」
クラリッサの扇が、胸元で静かに止まった。
ヘルムートは頷きかけた。
セリナはそこで続けた。
「だからこそ、支える人たちが何を選んだのか、何を選ばされたのかは、丁寧に見るべきだと思います」
広間が静かになった。
言葉は反対ではない。
賛同でもない。
セリナは、誰の旗の下にも入らなかった。
ライオネルはすぐには返さず、セリナを見た。
「よい見方だ」
それが本心か、政治的な返しなのか。
エアリスにはまだ分からない。
ただ、彼の声に怒りはなかった。
その後、実技場へ移った。
若い貴族たちは、誰も驚かなかった。言葉のあとに実技場へ移る流れを、最初から知っていたように席を立つ。訓練場には結界が張られ、簡易の術式標的が三つ立てられた。
「軽い制御試技です」
案内役の士官が標的の方へ手を向けた。
「相手を傷つけるものではありません。魔法をどこまで抑え、どこまで届かせられるかを見るものです」
ヘルムートがセリナへ向き直った。
「グランツベルク公女。よろしければ一手、お願いできますか」
挑発ではない。
だが、断れば、その返事だけが先に広がる。
セリナは外套を一歩後ろの侍女へ預けた。
「構いません」
「セリナさん」
エアリスが声をかけると、彼女は振り返った。
「大丈夫。これは帝国式の挨拶みたいなものだから」
「挨拶が強いですね」
「帝国だから」
セリナは短く笑い、実技場へ入った。
ヘルムートは土と鉄の系統を扱う魔法使いだった。砂の下から低い壁を起こし、そこへ鉄片を走らせる。速いが、殺意はない。試技の範囲を守っている。
セリナは指先に火を灯した。
「焼き留め」
最初は小さい。
小さな灯り程度の火。
それが、一歩ごとに薄い帯となって広がった。
火は相手へ向かわない。
砂の上を滑り、ヘルムートの鉄片の進路だけを熱で歪ませる。
鉄片は標的の前で角度を変え、砂へ落ちた。
次の瞬間、セリナの火が三つの標的の縁を同時に撫でる。
燃やさない。
焦がさない。
ただ、赤い線だけを残す。
観客の中から小さなどよめきが起きた。
ヘルムートは二撃目を準備していたが、そこで杖を下げた。
「参りました」
「ありがとうございました」
セリナは礼をした。
勝った顔はしない。
それでも、十分だった。
ディーナが壁際で小さく笑った。
「グランツベルクの火は、やっぱり綺麗だね」
「褒めてる?」
「半分」
セリナも少し笑う。
その笑いは、朝より明るかった。
エアリスは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
セリナは、ここでも立てる。
それを、彼女自身も少し思い出したように見えた。
だが、場はそれで終わらなかった。
マティアスが一歩前へ出る。
「聖都のAクラスの方も、少し見せていただけるのでしょうか」
声は明るい。
けれど、明るさが少し上滑りしていた。
クラリッサが横目で彼を見る。
止めるかどうか、迷った目だった。
「エアリスは客人です」
セリナがすぐに言った。
「今日は私の付き添いとして来ています」
「もちろん、無理にとは。ただ、帝国の者も聖都の学びを知りたいだけです」
マティアスは引かない。
「契約精霊をお連れだとも聞いております。見学の場であれば、危険もないでしょう」
その瞬間、場のいくつかの視線がエアリスのカバンへ向いた。
エアリスはカバンの留め具へ指を添えた。視線はセリナだけで止まらず、彼女の横にも集まっている。
セリナの友人。
聖都のAクラス。
大主教の保護下。
契約精霊を連れた客人。
どの言葉も、彼女自身のものではある。
だが、この場では誰かの手札にもなる。
「私は、今日の試技者ではありません」
エアリスは答えた。
「残念です。聖都では、客人が友人の背に隠れるのが礼法なのですか」
マティアスの口元が、言い終えたあとでわずかに強張った。
遅い。
セリナの表情が冷えた。
その前に、魔導書が開いた。
アキが姿を現した。
音は小さい。
近くの若者が足を止め、監督官の手が記録板の上で止まる。
彼は実技場の砂に足を下ろし、近くにあった練習杖を一本、指先で持ち上げた。
何も唱えない。
杖の先に灯っていた訓練用の赤い光が、ふっと消えた。
実技場の三つの標的も、同時に沈黙する。
結界は壊れていない。
ただ、場が止まった。
「彼女を測りたいなら」
アキは笑った。
「まず、僕に許可を取ってね」
声は軽い。
軽いのに、誰もすぐには動かなかった。
標的を管理していた士官の手が、記録板の上で止まっていた。
結界の警告灯は、一つも鳴っていない。
ライオネルが先に口を開いた。
「エーレンフェルト卿」
マティアスの顔色が変わる。
「客人を場で追い込むのは、帝国の礼ではない」
「……失礼しました」
彼は頭を下げた。
セリナではなく、まずエアリスへ。
その後で、アキへも。
アキは肩をすくめ、練習杖を元の位置へ戻した。
消えていた赤い光が、何事もなかったように戻る。
「はい。終わり」
そう言って、彼は魔導書へ戻った。
ディーナが低く息を吐いた。
「今の、見なかったことにはならないね」
イザークは黙ったまま、初めてエアリスを正面から見た。
クラリッサはマティアスへ一瞥だけを送り、すぐに微笑みを戻す。
「失礼が重なりました。聖都の学びについては、また別の席で穏やかに伺いたいものです」
「はい」
エアリスは礼の角度だけを整えた。
その返事だけで十分だった。
交流会は、その後も形の上では穏やかに続いた。
茶が出され、外縁計画の説明があり、若い軍人が訓練で得た経験を話した。
だが、場の視線は少し変わっていた。
セリナを見る目。
エアリスを見る目。
カバンを見る目。
どれも、来た時と同じではない。
帰りの馬車で、セリナは長く黙っていた。
「ごめん」
やがて、そう言った。
「またですか」
「またって」
「セリナさんは、すぐ謝ります」
セリナは膝の上で指を組み直し、口元だけを緩めた。
「今日は、あなたまで巻き込まれた」
「最初から、少し巻き込まれています」
「そういう返し、ほんとに逃げ道を塞ぐ」
「逃げたいですか」
セリナは窓の外を見た。
帝都の通りには、夕方の火が入り始めている。
「逃げたくない」
声は小さかった。
「でも、怖い」
「はい」
「自分がどこに立ってるのか、他人に決められるのが怖い」
エアリスは少し考えた。
「では、自分で立つ場所を見つけるまで、隣にいます」
セリナは顔を伏せた。
「それ、強すぎる」
「そうですか」
「うん。今日は、ちょっと効いた」
馬車がグランツベルク邸へ戻る頃、ユリウスからの封書が届いていた。
旧商館で、短く話したい。
外縁計画と赤炉会の流れについて、共有できる紙がある。
セリナは封書を読み、エアリスへ渡した。
「今度は殿下」
「行きますか」
「行く。けど、信用はしない」
「はい」
セリナは椅子へ腰を下ろした。
机の上には、交流会で使った赤い髪飾りが置かれている。
その横に、エアリスのカバンがあった。
魔導書は閉じたまま、何も言わなかった。




