第四十三話:赤炉の慰霊式
赤炉会の慰霊式は、火神殿前の軍功広場で行われた。
広場の中央には、黒い石でできた碑がある。磨かれた表面に、戦死者の名が刻まれていた。すべてを読むには時間がかかる。近くに立つ人々も、全部を読むために来ているわけではない。ただ、自分の知る名の前で足を止め、花を置いていく。
帝国で献げられる花は、白だけではない。
赤い花も多かった。
白い花の間に赤が混じる。黒い碑の前では、火の色も静かだった。
けれど、派手ではない。帝国では、赤は火の色でもある。碑の前に置かれると、祝いの色には見えなかった。
セリナは黒い礼装に近い外套を羽織っていた。胸元にはグランツベルク家の小さな徽章がある。
普段より背筋が伸びていた。
家の代表として、そこに立っていた。
「ここに名前がある方たちは、魔物との戦いで亡くなったんですか」
エアリスが尋ねると、セリナは碑を見た。
「多くはそう。魔界の裂け目、魔淵周辺、魔物討伐。あとは、邪教事件で亡くなった人もいる」
「邪教事件」
「帝国は軍が強いから、そういう事件でも軍人が前に出ることが多いの」
セリナは碑から目を離さなかった。
広場の一角に、赤炉会の職員たちが並んでいる。白と赤を基調にした服で、胸に赤い炉の印をつけていた。神官ほど神聖ではなく、軍人ほど硬くもない。支援団体らしい穏やかさがある。
赤炉会が用意した席には、遺族と傷病騎士が座っていた。
年老いた父親。
まだ若い妻。
義肢魔導具をつけた元騎士。
膝の上で花を握る子ども。
エアリスは、そこに並ぶ顔を一つずつ見た。父親、妻、子ども、元騎士。それぞれが別の名を探している。
式は静かに進んだ。
軍の代表が戦死者の名を読み上げる。次に、赤炉会の代表が傷病騎士と遺族への支援について述べる。
慰問金。
義肢魔導具。
療養施設。
遺族への生活補助。
項目が読み上げられるたび、前列の遺族が膝の上の手を握り直した。
代表の声はよく通った。
「戦場から戻った者に、戻る場所を。残された者に、明日を。帝国のために傷を負った者が、傷だけを理由に忘れられることのないように」
広場の人々は静かに聞いていた。
前列の遺族が目を伏せ、義肢の騎士が胸の前で拳を握った。
片腕を義肢魔導具に替えた騎士が、赤炉会の職員へ頭を下げる。職員は慣れた様子でそれを受け、次の手続きの札を指で示した。
黒い服を着た女性が、子どもの肩を抱きながら礼を言う。
職員は膝を折り、子どもの目線に合わせて赤い花を一本渡した。
子どもは花を受け取り、母親の袖を握ったまま小さく頭を下げた。
式の途中、セリナに挨拶へ来た老騎士がいた。
片目に古い傷があり、歩く時に右足を少し引きずっている。
「グランツベルクのお嬢様か」
「はい。ご無沙汰しております」
「公爵閣下には世話になった。赤炉会にもな。あれがなければ、今ごろ酒場で管を巻くしかなかった」
老騎士は笑った。声が広場の石に跳ねた。
「今は?」
「若いのに剣を教えている。足は遅いが、口は動く」
セリナは表情を緩めた。
「お元気そうで、安心しました」
「元気でいるのも仕事だ。死んだやつらに顔向けできん」
老騎士は義肢で胸元を探り、小さく折った紙を取り出した。
「孫からだ。最初の頃は、字を返せなかった。義肢で筆を持つと、線が震えてな。赤炉会の調整師が、筆を握る留め具まで直してくれた」
紙の端から、子どもの丸い字がのぞいた。
「戦えなくなった腕で、返事は書ける。そういう救いもある」
老騎士はそう言って、碑の方へ歩いていった。
足取りは遅い。
それでも、背は伸びていた。
エアリスは赤炉会の徽章から、老騎士の背へ視線を移した。
「セリナさん」
「うん」
「助けられることは、恥ですか」
セリナは少し驚いたようにエアリスを見た。
それから、碑の方へ視線を戻す。
「帝国では、そう思う人もいる。強くあることを誇りにしている国だから」
「はい」
「でも、私は……助けが必要な時に手を取れる方が、たぶん強いと思う」
セリナは言ってから、少し照れたように口元を曲げた。
「今の、ちょっと綺麗に言いすぎた」
「いい言葉だと思います」
「真面目に受け取られると困るんだけど」
「では、半分だけ」
「半分ならいいかな」
二人が小さく言葉を交わしていると、軍側の者が赤炉会の職員に近づいた。
名簿の確認。
遺族席の案内。
義肢魔導具の調整予約。
赤炉会が軍属支援をしているなら、軍の名簿も、遺族席の案内も、義肢の予約も同じ場に並ぶ。
ただ、手順が早すぎた。
軍人が書類を出す前に、赤炉会の職員が必要な項目を指で押さえる。
職員が名を呼ぶ前に、別の軍人が席を示す。
手際がよい。
セリナも、書類を渡す手元を見ていた。
セリナとエアリスの視線が、短く合った。
セリナは口を開かず、視線だけを戻した。
式の終わりに、赤炉会の代表者名が読み上げられた。
エルガー・ヴァイスマン。
会場には姿を見せていない。ただ、名だけが広場に響いた。
前列の老人が胸元で手を合わせ、近くの兵が短く頭を下げた。誰も周囲を見回さなかった。
式が終わると、人々はゆっくりと散っていった。
赤炉会の職員は最後まで残り、花の位置を整え、遺族の荷物を運び、歩きにくい騎士へ手を貸していた。
エアリスは碑の前で足を止める。
知らない名ばかりだった。
けれど、どの名にも、ここへ来る誰かがいる。
セリナが隣に立った。
「重いでしょ」
「はい」
「でも、帝国はこういう国でもあるの」
赤炉会の職員が、最後の花を整えている。
その手つきは丁寧だった。
だから、エアリスはすぐに目を離せなかった。
慰霊式のあと、セリナは数人の参列者から声をかけられた。
公爵家の娘としての挨拶だ。エアリスは少し離れた位置で待っていた。会話の内容は、はっきりとは聞こえない。けれど、相手の表情は見える。
礼。
期待。
遠慮。
その中で、ひとつだけ違う顔があった。
疲れの残る女性だった。手には古い封筒を握っている。セリナの前で何度も言葉を飲み込み、最後にようやく一歩近づいた。
「セリナ様。お時間をいただけませんか」
セリナはすぐに姿勢を正した。
「もちろんです」
女性の名は、マルタ・ベルン。
夫のトマス・ベルンは、数年前に魔物との戦闘で足を負傷した騎士だという。赤炉会の支援を受け、義肢魔導具の調整と療養を続けていた。
セリナは、そこではまだ頷いていた。
マルタは封筒を開く。
中には通知書が二枚と、短い手紙が一枚入っていた。
「先月、外縁安定化計画の支援施設へ移ると通知が来ました」
マルタは紙を見せる。
「正式な書類です。印もあります。けれど、移ってから返事が少なくなって……前は月に一度は手紙が来たのに、今は短い報告だけで」
セリナは紙を受け取った。
エアリスも横から見る。
封蝋の位置も、署名の順も乱れていない。グランツベルク家の者でなくても、正式な通知書の写しだと分かる。
魔淵外縁安定化計画に基づく、療養および再訓練施設への移管。
理由は、機能回復と後方支援任務への適性確認。
家族への通知もされている。
最後の欄には、軍務局と赤炉会の印が二つ並んでいた。
「トマスさんは、嫌がっていたんですか」
エアリスが尋ねると、マルタは少し驚いた顔をした。
「いいえ。あの人は、もう一度働けるなら、と。けれど……」
「けれど?」
「最後の手紙だけ、字が違うように見えたんです」
マルタは別の紙を取り出した。
短い手紙だった。
心配しないでほしい。
訓練は順調。
帝国のために働けることを誇りに思う。
乱れた字はない。けれど、マルタの指はその一枚だけを離さなかった。
紙の端は何度も触れられて、柔らかくなっていた。
セリナは紙を丁寧に封筒へ戻し、マルタへ目を向けた。
「この控えを預かって、確認します。すぐに全部分かるとは約束できません。でも、見ないふりはしません」
マルタは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
マルタの肩が、そこでようやく下がった。
彼女が去ったあと、セリナはしばらく封筒を見ていた。
「トマス・ベルン」
エアリスが名前を繰り返す。
「覚えた?」
「はい」
「あなた、名前を覚えるの早すぎるよね」
「覚えようと思いました」
「そういうところだよ」
セリナは小さく笑い、すぐに表情を戻した。
「印も理由も揃ってる。だから、すぐには止められない」
「でも、家族の不安は消えない」
「うん」
二人は広場を離れた。
屋敷へ戻ると、セリナはすぐに家の記録係へ確認を頼んだ。グランツベルク家の名を使えば、公開範囲の資料くらいは見られる。
記録係は中年の男で、セリナの話を聞くと、何も言わずに封筒を取り、控えに日付を書き、使いを走らせた。
待つ間、セリナは窓際に立っていた。
セリナの指先は外套の縁を何度もなぞっていた。
「セリナさん」
「ん?」
「座りますか」
「座ったら、余計に考えそう」
「では、立っていましょう」
「付き合ってくれるんだ」
「はい」
セリナは少し笑った。
「変な付き合い方」
「そうですか」
「うん。でも助かる」
それからしばらくして、使いの者が戻ってきた。
戻ってきた書面には、印が三つ並んでいた。
トマス・ベルン。
赤炉会支援対象。
義肢魔導具調整済み。
外縁安定化計画の療養兼再訓練施設へ移管。
その後、外縁再訓練区へ再配置予定。
「書類の上では、全部通ってる」
セリナが言う。
セリナの眉は上がらない。ただ、紙を持つ指に力が入っていた。
「印がそろっていても、不安は消えないんですね」
エアリスが言うと、セリナは印の並びに目を落とした。
「そう。だから困る」
「確認するには、施設を見る必要がありますか」
「たぶん。でも、私が勝手に動けば家に迷惑がかかる」
「はい」
「だから、父上に通す」
セリナは封筒を閉じた。
封筒の角を一度だけ押さえてから、記録係の方へ向けた。
エアリスは、マルタが握っていた封筒の柔らかさを思い出した。
何度も開き、何度も読み、何度も閉じた紙。
印も日付も揃っている。
マルタは、あの紙を何度も開いた。
エアリスは、手紙の折り目をもう一度見た。
同じ頃。
帝都の別の屋敷で、ユリウスも同じ名を見ていた。
トマス・ベルン。
赤炉会支援対象。
外縁再訓練区へ移管。
そして、その下に小さく付けられた印。
再確認要。
ユリウスは紙を閉じた。
「入口にはなるか」
従者は答えない。
ユリウスは、机の端に置かれた別の封書へ手を伸ばした。
宛先はグランツベルク家。
形式上は、軍属支援施設の視察案内。
封書の下部には、視察の日付と同行者の名が書かれていた。




