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鳥籠の令嬢は、神と悪魔を連れて世界の嘘を旅する ~政略結婚の前夜、地下牢で始まった神授物と邪教の巡礼譚~  作者: 0くるみ0
ガイア帝国編

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第四十一話:大主教の名へ

 ユリウス・オルフェン・アルディオンのもとへ報告が届いたのは、夜に近い時刻だった。


 帝都の空は、まだ完全には暗くなっていない。窓の外には赤銅色の屋根が連なり、その奥で軍用の灯りがひとつずつ点き始めている。聖都の白い光とは違う。帝国の夜は、火を消さない。


 部屋には、ユリウスのほかに二人だけがいた。


 一人は彼の側近。


 もう一人は、皇室の私的な情報網に属する記録官だった。


 机の上には三枚の報告書が並んでいる。


 一枚目は、昼間の臨時検査について。


 二枚目は、エアリス・アウレリア・ヴァレンについて。


 三枚目は、ローゼンベルク子爵領焼失に関する、古い通信記録の写しだった。


「処分は」


 ユリウスが短く尋ねると、側近が答えた。


「記録上は、確認手順の不備として処理されます。グランツベルク家も、大事にはしていません」


「大事にできなかった、というべきだな」


「はい」


 側近は否定しなかった。


 あの場に残ったものは少ない。身分証は本物に近く、口令も通った。使用された魔導具も、粗悪な偽物ではなかった。


 ユリウスは一枚目の紙を伏せた。


「あの場の確認を手配した者は」


「当人はすでに姿を消しています。所属記録はありましたが、当日朝に差し替えられていました」


「差し替えた痕跡は」


「残っていません。残っていないように処理されています」


 ユリウスは、そこでわずかに息を吐いた。


 ユリウスは一枚目の端を指で叩いた。紙の音だけが、机の上に残った。


「中にいるな」


「可能性は高いかと」


「ヴァレン嬢は?」


「大きな動揺は見せなかったようです。むしろ、グランツベルク嬢を気遣っていたと」


「……そうか」


 ユリウスは二枚目の報告書へ目を落とした。


 エアリス・アウレリア・ヴァレン。


 大主教ルセリア・ソルヴィエル・オーレクロフトの保護下にある少女。セラフィア中央神導学術院Aクラスの編入生。九属性適性を示したとされる、教廷でも異例の存在。


 紙面に並ぶ印は、どれも端まで揃っていた。急いで作った跡がない。


 大主教の遠縁。


 教廷の保護。


 学術院への編入。


 ユリウスは、二枚目の紙へすぐには手を伸ばさなかった。


 ユリウスは、大主教ルセリアという人物を知っている。


 親しいわけではない。だが、帝国皇子として何度か顔を合わせたことはある。会議で曖昧な報告が出れば、彼女は最後まで問い直した。情で動く時でさえ、手続きだけは外さない人だった。


 その彼女が、遠縁という一枚の紙で少女を聖都へ入れ、学術院Aクラスへ通している。


 ユリウスは、ルセリアの署名に指を置いた。


 ユリウスは、ルセリアの署名欄と、ローゼンベルク子爵領焼失の見出しを見比べた。


 ユリウスは、古い婚約照会の控えも見ていた。ローゼンベルク家から帝国へ渡った、形式ばった書状。そこには、子爵令嬢ユイ・オデット・ローゼンベルクの年齢、家格、教育内容、健康状態が記されている。添えられた小さな肖像は、写しが荒い。けれど、白い髪と白い瞳だけは見間違えようがなかった。


 ユリウスは肖像の端に指を置いた。


 白い髪と白い瞳。偶然と言うには、残りすぎている。


 だが、紙の上だけで同じ人物と決めるには早い。


 ユリウスは三枚目の紙を手に取った。


 ローゼンベルク子爵家。


 古い家ではあるが、大きな家ではない。帝国皇室がわざわざ婚約を結ぶ相手としては、目立つ。


 ユリウスは、そこを利用した。


 あの家は、外典教団へ触れる入口だった。


 小さく、頼りない。だが帝国側から手を伸ばせる、数少ない入口だった。


 その入口は、ある夜を境に消えた。


 子爵家は滅び、城は焼け、大主教は聖都へ戻った。そして、死んだはずの少女と同じ顔をした娘が、今はグランツベルク家の客として帝都にいる。


 三枚の右上に記された日付は近い。


 封筒の角は揃っている。


 三枚を重ねても、日付の列だけがずれて見えた。


 教団が仕組んだ、と書けば紙は整う。だが、少女をもっと扱いやすい場所へ置く手もあった。帝国へ戻すにしても、別の名門家、別の教師、別の護衛をつければよい。大主教の影をここまで濃く残す必要はない。


 教廷が仕組んだ、と置いても、別の空欄が残る。帝国皇室との古い婚約照会にはもっと早く触れるはずだった。少なくとも、ユリウスの耳へ届く前に手を打つ。


 ユリウスは、そこで紙から目を離せなくなった。


「殿下」


 記録官が低く言った。


「あの少女を、教団に使われている者と見ますか」


「まだ分からない」


 ユリウスは即答した。


「ただ、教団が積極的に動かしている相手には見えない。もしそうなら、あまりに目立ちすぎる」


「では」


「巻き込まれた証人。あるいは、教廷側が拾った例外。今見えている範囲では、その方が近い」


 教団は、目立つ存在を嫌う。


 必要なら派手に殺す。必要なら街ごと焼く。だが、潜らせるものは徹底して潜らせる。ローゼンベルク家もそうだった。古い子爵家として見れば、帝国皇室との縁談も目を引くが、そこから邪教の名までは届かない。


 そこへ、九属性の少女。


 大主教の保護。


 契約精霊を名乗る青年。


 どう見ても、隠す気のある配置ではなかった。


「教団があの少女を置いたなら、もっと地味に動かす」


 ユリウスは報告書の端を指で押さえた。


「逆に、目立つこと自体を利用している可能性は」


「ある。だから断定しない」


 彼女のそばには、あの魔導書がある。


 実技場で契約精霊として姿を見せたという青年。報告だけなら笑い話だ。だが、昼間の臨時検査で場を収めたのも同じ存在だという。


 グランツベルク家の護衛は、彼の動きを見失っている。


 ユリウスは、その行に視線を戻した。


 帝国では、強者は隠しにくい。


 強い魔法使いには、魔力の癖がある。高階位になるほど、その癖は大きくなる。隠しても、周囲の圧や術式の痕跡は残る。


 だが、あの青年については報告が曖昧だった。


 強い。


 異質。


 それ以上が出てこない。


 弱い相手なら、報告はもっと簡単になる。


 魔力の癖を拾えない相手ほど、記録は曖昧になる。


「ヴァレン嬢本人に会う」


 そう言うと、記録官が顔を上げた。


「ローゼンベルクの件を?」


「それは早い。露骨すぎる」


 ユリウスは紙を机に置く。


「大主教から入る」


 ルセリアは帝国でも知られている。大主教が行方を絶っていた一件は、各国の上層部には伝わっている。


 ユリウスは、記録の端に指を置いた。


 大主教失踪。


 ローゼンベルク子爵領焼失。


 エアリス・アウレリア・ヴァレンの編入。


 三つの日付は、近すぎた。


「ご心配だったでしょう、と聞くだけでいい」


「追い詰めますか」


「いいや」


 ユリウスは首を振った。


「追い詰めれば、相手は防ぐ。こちらが知りたいのは、防ぐ前の反応だ」


「分かりました」


「それと、この件は外へ流すな。教団の耳に届く経路には乗せるな」


 側近がわずかに眉を動かした。


 ユリウスはそれを見たが、説明はしなかった。


 机の右側には、外へ回せばいずれ教団の目にも触れかねない写しがあった。


 左側には、渡さない資料が残っている。


 ユリウスは左の束だけを引き出しへしまった。


 ユリウスは、外へ回す報告束から一枚だけ抜き取った。


 ユリウスは、エアリスの名がある行を指で隠した。


 もし彼女が本当にローゼンベルク家から逃れた少女なら、教団は彼女を軽く見るかもしれない。だが、教廷が拾った理由を知れば話は変わる。


 あの魔導書のことまで伝われば、さらに変わる。


 今は、封筒の外へ出す話ではなかった。


 記録官が去ろうとして、足を止める。


「殿下。グランツベルク家へは、どこまで」


「セリナ嬢には何も言うな。公爵には、必要なら私から話す」


「オスカー公が先に気づいた場合は」


「あの方なら、こちらが隠していることまで含めて読む」


 ユリウスは、そこだけ少し苦く言った。


 グランツベルク公に証拠のない紙を渡しても、まず突き返される。


 だが、娘を守るためなら動く。


「次の接触を整えます」


「あくまで挨拶だ」


 記録官が頭を下げる。


「はい」


 二人の足音が、扉の向こうへ遠ざかった。


 ユリウスは窓の外を見る。


 帝都の灯りは多い。軍都としての顔、商業都市としての顔、皇都としての顔。そのすべてが夜の中で燃えている。


 その明るさの下で、いくつもの手が動いている。


 上皇派。


 公爵家。


 赤炉会。


 外典教団。


 そして、エアリス・アウレリア・ヴァレン。


 ユリウスは、ローゼンベルクの名が書かれた紙を指先で押さえた。


 婚約者だった少女。


 死んだはずの少女。


 今は、別の名で立っている少女。


 ユリウスは三枚の報告書を重ねたまま、しばらく封筒へ戻さなかった。


 封蝋を押す前に、彼は短く命じる。


「この件は、私の手元に置く。他へは回すな」


 扉の外で、控えていた従者が返事をした。


 その声を聞いてから、ユリウスは封を閉じた。

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