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鳥籠の令嬢は、神と悪魔を連れて世界の嘘を旅する ~政略結婚の前夜、地下牢で始まった神授物と邪教の巡礼譚~  作者: 0くるみ0
ガイア帝国編

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第三十七話:皇子の視線

 赤炉会の慰霊式を前に、帝都では協力者たちの顔合わせが行われた。


 場所は、火神殿に近い軍属支援会館だった。赤い石と黒い鉄で作られた建物で、広間には帝国軍の旗と、火神を示す紋章が掲げられている。


 グランツベルク家にも出席の求めがあり、セリナはエアリスを伴って会館へ向かった。


「今日は顔を出すだけ」


 馬車を降りる前、セリナはそう言った。


「本番は慰霊式。今日は貴族、軍側、支援団体の挨拶みたいなもの」


「私は隣にいればいいですか?」


「うん。退屈だったら、後で甘いもの買ってあげる」


「では、退屈にしておきます」


 セリナは遅れて笑った。


「そういう冗談、言うんだ」


「今のは、冗談です」


「知ってる」


 広間には、すでに多くの人がいた。


 軍服の者、神官服に似た礼装の者、支援団体の職員、貴族らしい男女。声は抑えられているが、場は静かではない。挨拶のたびに、視線が家名と席順を行き来していた。


 セリナは慣れていた。


 彼女は笑い、名を呼ばれれば答え、相手に合わせて距離を変える。学院で人を呼ぶ時より、声の高さが少し低い。


 エアリスはその隣に立ち、必要な時だけ礼をした。


 少し離れた場所では、赤炉会の職員が軍側の者へ式次第を説明している。火神殿の神官は慰霊の祈りについて確認し、貴族たちは誰がどの席に座るのかを、それとなく気にしていた。


 エアリスは、式次第を抱えて行き交う職員の列を目で追った。


「ヴァレン嬢」


 声をかけてきたのは、年配の軍属支援官だった。胸元に赤炉会の小さな徽章をつけている。


「聖都から来られたとか。帝国の式は初めてでしょう」


「はい」


「驚かれるかもしれませんが、怖いものではありません。ここに集まる者の多くは、亡くなった者を忘れたくないだけです」


「忘れたくない」


「ええ。帝国では、戦って傷を負った者も、帰らなかった者も、家に残った者も、同じ火の前に名を置きます」


 支援官の声は穏やかだった。


 胸元の小さな火の徽章には、灰の跡が薄くついていた。


「ありがとうございます。見て、覚えます」


「よいことです」


 支援官は微笑み、別の相手の元へ向かった。


 セリナが小声で言う。


「あなた、どこへ行っても真面目に返すよね」


「不真面目に返す理由がありません」


「まあ、そうなんだけど」


 その時、広間の入口付近がわずかに動いた。


 大きな声はない。


 ただ、人々が自然に道を開ける。


 若い男が入ってきた。


 暗い赤を基調とした礼服。肩に掛けた薄い外套には、皇室の紋章が小さく入っている。年は二十前後だろう。整った顔立ちをしているが、印象に残るのはそこではなかった。


 目が、よく動いている。


 セリナが姿勢を正した。


「ユリウス殿下」


 ユリウス・オルフェン・アルディオン。


 皇子。


「グランツベルク公女」


 ユリウスは穏やかに応じた。


「聖都から戻ったばかりと聞いている。疲れてはいないか」


「お気遣いありがとうございます。問題ありません」


「それならよかった」


 ユリウスの視線が、セリナの隣へ移った。


 エアリスは一礼する。


「エアリス・アウレリア・ヴァレンです」


 その瞬間、ユリウスの目が止まった。


 ほんの短い間だった。


 彼の視線は、エアリスの顔で止まってから、半拍だけ下がった。記憶の中の誰かと照らし合わせるような間だった。


「大主教閣下の保護下にある方だね」


「はい」


「帝国へようこそ。ここは聖都とは、だいぶ空気が違うだろう」


「はい。街の色も、音も違います」


「面白い答えだ」


 ユリウスは微笑んだ。


 セリナが一歩だけ位置を変えた。前へ出るほどではない。だが、エアリスとユリウスの間に、自然な角度で立つ。


「エアリスは、まだ帝国に来たばかりです。私が案内しているところなんです」


「よい案内役を得たようだ」


「友人ですから」


 セリナは笑っていたが、エアリスの前からは動かなかった。


 ユリウスはそれを聞き、表情を変えないまま頷く。


「友人か。大切にするといい」


「もちろんです」


「聖都の学術院は、帝国でも評判が高い」


 ユリウスはエアリスへ視線を戻した。


「Aクラスなら、退屈はしないだろう」


「はい。知らないことが多いので」


「知らない部分を残しておける者は、判断を急ぎすぎない」


 ユリウスは笑みを崩さず、エアリスの返事を待っていた。


 エアリスはすぐには受け取らなかった。


「ありがとうございます」


 エアリスは礼だけを返した。


 ユリウスは軽く会釈し、別の貴族へ声をかけるために離れていった。


 セリナはその背を見送ってから、小さく息を吐いた。


 その息は、さっきまでの礼儀の中にはなかった。


 セリナは指先で袖を一度だけ直した。


 エアリスは、彼女の横顔を見た。


 いつもの笑みは口元に残っていた。けれど、セリナの目はユリウスの背と周囲の貴族を順に追っていた。


「今の、ちょっと緊張した」


「ユリウス殿下は、どういう方ですか?」


「皇室の中でも、かなり優秀な方。冷静で、判断が早くて、見落としが少ない」


「見落としが少ない」


「そう。だから、相手にすると疲れる」


 セリナは杯の縁を指で押さえた。


「悪い方じゃないと思う。でも、近いと楽な相手でもない」


「私を見ていました」


「気づいた?」


「はい。私ではなく、別の何かを見ていた気がします」


 セリナの表情が引き締まる。


「心当たりは?」


「分かりません」


 エアリスは正直に答えた。


 皇室。


 ガイア帝国。


 旧婚約。


 浮かぶ言葉はあった。けれど、まだ結びつけるには早い。


「気になるなら、後で資料を見直す?」


「今は、見られたことを覚えておきます」


「あなたらしい」


 その後も顔合わせは続いた。


 赤炉会の職員が挨拶をし、軍側の代表が慰霊式の流れを説明し、貴族たちが穏やかに言葉を交わす。


 途中、セリナは何人かの若い貴族に声をかけられた。


 上皇派に近い家の者もいた。


 彼らは直接何かを言うわけではない。だが、家の話、近頃の議会、魔淵外縁安定化計画への期待。そういう言葉を、挨拶の中へ混ぜてくる。


 マティアス・エーレンフェルトのように分かりやすく踏み込んでくる者ばかりではなかった。


 ブランシュタット家の令嬢クラリッサは、傷病騎士支援の話から自然に赤炉会への寄付実績へ移した。


 ヴァルデック家の次男ヘルムートは、軍需輸送の遅れを気にしていると言いながら、グランツベルク領の工房数を確かめようとした。


 どちらも礼を外さない。


 声も、笑みも、ちょうどいい高さに整えられている。


 セリナは同じだけ礼を返し、一つずつ受け流した。


「父に伝えておきます」


「家で相談します」


「今日は慰霊式の顔合わせですから」


 返しは柔らかい。


 けれど、どれも踏み込ませない。


 広間の奥で、もう一度人の流れが変わった。


 今度は、さきほどよりも若い声がいくつか混じる。


 暗赤の礼服を着た青年が入ってきた。ユリウスより表情が明るく、歩き方には軍人に近い硬さがある。胸元の皇室紋は小さいが、周囲の者が道を開けるには十分だった。


「ライオネル殿下」


 セリナが小さく言った。


 第二皇子、ライオネル・ヴァルター・アルディオン。


 彼の周りには、若い士官と貴族子弟が数人ついている。熱を帯びすぎないよう抑えているが、広間の空気が少し前へ傾いた。


 ライオネルはまず赤炉会の職員へ礼をし、次に軍側の代表へ声をかけた。


 傷病騎士の再訓練制度について、短く具体的な質問をしている。


 ただ飾りとして来た皇子ではない、と見せるには十分だった。


 やがて彼の視線が、セリナへ向いた。


「グランツベルク公女。帰国早々、足を運んでくれたことに感謝する」


「恐れ入ります、ライオネル殿下」


 セリナは深すぎない礼をした。


 臣下としては礼を尽くす。


 けれど、近づきすぎない。


 その線が、声の高さにも姿勢にも出ていた。


「聖都で学んだ目から見て、帝国の今はどう映る」


 ライオネルは声を荒げなかった。


 だが、近くの若い貴族たちの視線が一斉に鋭くなる。


 クラリッサの隣にいた令嬢が、そっと扇を閉じた。


「強くあろうとしているように見えます」


 セリナは少し考えてから答えた。


「ただ、強くあるために何を守るのかは、まだ見ているところです」


 ライオネルはすぐには返さなかった。


 その間を、笑って流さなかった。


「よい答えだ」


「ありがとうございます」


「見てくれ。見たうえで、必要なら厳しく言ってほしい。帝国の家に生まれた者が、帝国を軽く見るよりはいい」


 近くの若い士官が、背筋を伸ばした。


 クラリッサは扇を伏せ、隣の令嬢も口を挟まなかった。


 ライオネルが正面から言うと、周囲の視線が自然に同じ方を向く。


 ライオネルの視線がエアリスへ移る。


「君が、セリナ嬢の友人か」


「エアリス・アウレリア・ヴァレンです」


「聖都から来た客人に、帝国は騒がしいだろう」


「はい。けれど、見たいものも多いです」


「それならよかった」


 ライオネルは目元だけを少し緩めた。


 問うべきところで止まり、こちらの返事を待つ。


 さきほどの若い貴族たちより、ずっと穏やかな扱いだった。


 けれど、皇子の一言は、彼らの十の挨拶より重い。


 エアリスは隣で聞いていた。


 学院で笑っているセリナと、ここで言葉を選ぶセリナは同じ人だ。だが、立っている場所が違う。


 話が切れた隙に、エアリスは小さく尋ねた。


「座りますか?」


「まだ大丈夫」


「では、水をもらってきます」


「ありがと」


 エアリスが近くの卓から水を取って戻ると、セリナはそれを受け取り、ほんの短く笑った。


「あなた、本当にこういうところ見てるね」


「友人なので」


「その返し、強い」


 セリナは水を一口飲み、表情を戻した。


 エアリスは、学院で笑うセリナと、家名を背負って立つセリナを、無理に別人として分けようとは思わなかった。


 広間の反対側で、ユリウスが別の相手と話している。


 彼はもう、こちらを見ていない。


 エアリスは、先ほど彼がこちらを見た時の角度だけを覚えていた。


 帰りの馬車で、セリナは珍しく黙っていた。


 窓の外を見ている。帝都の通りには火の色をした旗が並び、式の準備をする職人たちが行き来していた。明日はもっと人が増えるだろう。


「疲れましたか?」


 エアリスが聞くと、セリナは窓の外を見たまま、口元だけを少し緩めた。


「ちょっとだけ」


「今日は、話しかけてくる方が多かったです」


「私じゃなくて、グランツベルク家にね」


「同じではないんですか?」


「同じにされる。けど、同じじゃない」


 セリナはそう言って、窓から目を離した。


「こういう時、私は家の名前を着て歩いてる感じがする」


「重いですか?」


「日による」


「今日は?」


「少し重い」


 エアリスは返事を急がなかった。


 代わりに、この前買った干し苺を小さな包みから一つ出し、セリナの方へ差し出す。


 セリナは目を丸くした。


「持ってきてたの?」


「必要になるかもしれないと思いました」


「どんな予想?」


「甘いものが必要になる予想です」


 セリナはそれを受け取り、笑った。


「正解」


 馬車の揺れは穏やかだった。


 エアリスは窓の外へ視線を戻す。


 ユリウスの視線も、セリナの疲れも、今日の広間の声も、まだ机の上には並べられない。


 でも、消えたわけではなかった。


 エアリスは包みの中に残った砂糖漬けを一つ見て、明日も持ってこようと思った。


 セリナが疲れていたら、渡せる。


 包みは、カバンの内側へ戻した。

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