表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥籠の令嬢は、神と悪魔を連れて世界の嘘を旅する ~政略結婚の前夜、地下牢で始まった神授物と邪教の巡礼譚~  作者: 0くるみ0
ガイア帝国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/80

第三十六話:歪んだ丸

 翌日の午後、セリナの部屋に紙束が二つ届いた。


 一つは、赤炉会の慰霊式と支援活動に関する公開資料。


 もう一つは、叔父ライムントからの私信だった。


 正式な招待状は、すでに受け取っている。


 返事をする前に目を通しておけ、という扱いの資料だった。


 セリナは赤い炉の印が押された表紙を見て、顔をしかめた。


「仕事が早い」


「赤炉会ですか?」


「うん。慰霊式の式次第、支援活動の概要、協力団体の一覧。昨日見た窓口と同じ名前がいくつもある」


 セリナは資料を開いた。紙は上質で、文字は整っている。傷病騎士への支援、遺族への慰問、軍属相談の場。書かれている内容だけを見れば、断る理由はなかった。


 次に、叔父ライムントの私信を開く。


 読み終えるまで、少し時間がかかった。


「……出た方がいいって」


「叔父様からですか」


「ええ。赤炉会は今の帝国で信頼されている団体だし、グランツベルク家としても顔を出すべきだって。あと、ライオネル皇子側の人間も来るらしいわ」


 最後の言葉だけ、少し硬かった。


 叔父の手紙には、家名もいくつか添えられていた。


 エーレンフェルト家。


 ブランシュタット家。


 ヴァルデック家。


 セリナは名を順に見て、眉を寄せた。


「私が知る限り、どの家も外縁計画への立場を曖昧にしているか、最近になってライオネル側へ寄り始めた家ね」


 そこに、反対寄りの若い貴族の名も少し混じっている。


 集められるのは、賛同者だけではない。


 見られる側も、見る側も、同じ部屋へ入れられる。


 エアリスはすぐには答えなかった。


 セリナは資料を机に置く。


「行かなければ、家の中でまた言われる。行けば、向こうの顔を立てることになる。どっちにしても面倒」


「若い方の集まりでも、家の立場になるのですね」


「なる。本人がどう思っているかとは別にね」


 セリナは手紙の端を指で押さえた。


「でも、みんなが操り人形ってわけじゃない。むしろ厄介なのは、自分で考えて家の利になる言葉を選ぶ人たち。帝国の若い貴族は、早く役に立たないと場所を取れないから」


「では、あのマティアスさんは」


「あれは、たぶん分かりやすい役をさせられてる。本人も少し調子に乗ってるけど、周りはもっと冷静に見てた」


 その言葉が終わる前に、扉の外で足音が止まった。


 侍女が入り、外出用の手袋と薄い外套を机の端へ置く。


「奥様からです。赤炉会へお出になるなら、こちらを」


 セリナは外套を見た。


「返事をする前に、服だけ先に届くんだ」


 侍女は困ったように頭を下げ、すぐに部屋を出ていった。


 扉が閉まると、セリナは外套をしばらく見ていた。


 袖口には、グランツベルク家の赤い糸が細く入っている。慰問や式典へ出る時に使う、家の色だった。


「こういうの、断る前から準備されているのが一番困るのよね」


「断りたいんですか?」


「分からない。断りたい気もするし、行かないと後で嫌な気もする」


 セリナは外套を指でつまみ、すぐに離した。


「赤炉会に助けられた人がいるのは知ってる。だから余計に面倒なの」


「行きたくありませんか?」


「行きたくない、だけで済むなら楽なんだけどね」


 セリナは窓の外を見た。


 庭では使用人が水を撒いている。帝国の午後は熱く、石畳の上にゆらりとした光が立つ。


「お父様は?」


「出るなら、見てから決めろって」


「見てから」


「赤炉会が何をしている団体なのか。魔淵外縁安定化計画と、どこまで関わっているのか。見られる範囲だけでいいから、自分で確認しろって」


「決めるために、見るんですね」


 エアリスが言うと、セリナはすぐには返事をしなかった。


 外套の袖口に入った赤い糸を、指先で一度押さえる。


「家がどちらへ寄るのか。私がどこに立つのか。誰かに先に丸をつけられる前に、見たものを持っていたい」


 セリナは外套を畳まなかった。赤い糸を指で押さえたまま、赤炉会の資料ではなく、父の短い返答へ目を戻す。


 返事の欄は、まだ空いている。


 セリナは立ち上がった。


「だから、まず見られるものだけ見る」


 確認に使う部屋は、屋敷の奥にあった。


 壁には帝国各地の地図が掛けられ、棚には封をされた箱と、革紐でまとめられた書類が並んでいる。古い本の匂いより、紙とインクの匂いが強い。


 入口には護衛が一人立っていた。


 セリナが名を告げると、護衛はすぐに扉を開けた。中にいた書記官が一礼し、机の上へ紙束を置く。


「全部は見せられないわ。客人に見せても問題ないものと、公開されているものだけ」


「十分です」


「あなたはそう言うと思った」


 セリナは机の前に座った。


「隠されたら、私はたぶん疑うわ」


 彼女は赤炉会の印ではなく、軍務局の印が押された頁へ指を置いた。


「だから見せるのよ。軍務局の印、赤炉会の支援、ライオネル殿下の名。見せても困らないものだけをきれいに並べて、こちらが自分で納得するのを待つ。グランツベルク家を引き寄せたいなら、隠すより、その方がずっと上手い」


 置かれていたのは、魔淵外縁安定化計画の公開要旨、徴兵拡充の通達、傷病騎士の再訓練制度、赤炉会の小冊子、それから軍属支援団体との協力一覧だった。


 エアリスは紙面を追う。


 近年、魔淵周辺の魔物活動が活発化している。


 外縁地域の防衛負担を下げるため、新たな補助部隊を育成する。


 新兵だけでなく、復帰を望む傷病騎士、一定条件を満たした死囚兵も、後方支援や補助任務へ回す。


 セリナは、その行で指を止めた。


「魔淵のことを出されると、反対しにくいのよ」


「止めるほどのことは、書かれていませんね」


「そう。そこが困る」


 セリナは軍需輸送の紙を開いた。


「糧食、簡易寝台、訓練用の防具、治療材。ここは増えてる。義肢調整用の部品も増えてる」


「正式装備は?」


「増えてはいる。でも、人数に比べると薄い」


 エアリスも数字を見る。


 兵を増やすなら、武器、防具、軍用魔導具、輸送車両の発注も動くはずだ。けれど、見える範囲では補給、輸送、訓練備品の欄が厚い。


「新兵はまだ訓練中だから、正式装備は後から配るのかもしれません」


「そう言われたら、反論しにくい」


 セリナは紙の端を押さえた。


「死囚兵や傷病騎士を後方へ回すなら、一線級の装備を最初から渡さない。そういう説明もできる」


 エアリスは赤炉会の小冊子を手に取った。


 慰霊式の補助、軍属への支援金、傷病騎士の義肢調整、療養院への紹介、遺族の相談窓口。


 頁をめくると、昨日の騎士が義肢を持ち上げた時の顔が浮かんだ。


 小冊子の端には、片脚に義肢をつけた騎士が職員へ礼をしている図版があった。絵は少し古く、紙の角も丸い。


「この人たちに救われた家は、本当にあるわ」


 セリナが言った。


「だから、怪しいって言うのも嫌なの。嫌なのに、最近は家に届く名前が多すぎる」


「赤炉会は、昔からこういう活動をしていたんですか?」


「ある程度はね。今ほど大きくはなかったと思う」


 セリナは招待状を指で弾いた。


「でも、魔淵が荒れ始めたから支援が増えたと言われたら、それも変ではないの」


「はい」


「変ではないものが重なると、嫌な感じがする」


 エアリスは封筒の印へ視線を落とした。


 そこへ、書記官が新しい封筒を運んできた。


「お嬢様。旦那様より」


 セリナが受け取り、中を読む。


 オスカーからの返答は短かった。


 出席を禁じない。


 ただし、出るなら見聞きしたことを家に残すこと。


 赤炉会と軍務局が同席する場では、個人の判断で深く踏み込まないこと。


 護衛は増やす。


 セリナは紙を机に置いた。


「行くな、とは言わないんだ」


「セリナさんが決めることだから、でしょうか」


「たぶんね。お父様、そういうところは厳しい」


「厳しいんですか?」


「決める余地を残してくれる。だから、逃げにくい」


 セリナは椅子の背にもたれた。


 しばらく何も言わない。


 窓の外で、馬車の音が遠くを過ぎた。


「エアリス」


「はい」


「あなたは、どう思う?」


「赤炉会のことですか」


「うん。出るか、出ないか」


 エアリスは机の上を見た。


 赤炉会の案内。


 招待状。


 叔父からの手紙。


 父からの短い返答。


 それから、昨日の赤炉会で見た傷病騎士の顔。


「見ないまま避けると、セリナさんはたぶん気にします」


 セリナは目を丸くした。


「私?」


「はい」


「赤炉会が怪しいから行くべき、とかじゃなくて?」


「それもあります。でも、セリナさんが気にすると思いました」


 セリナは招待状を見た。


 指先が、赤い炉の紋の上で止まる。


「……ほんと、そういうところ」


「どこですか」


「私がごまかしたいところを、ごまかさせてくれないところ」


 セリナの肩から力が抜けた。


「行く。行って、自分で見る」


「はい」


「ただし、何かあったら止めて。私、家のことになると意地になるから」


「分かりました」


「本当に止めてよ」


「必要なら、腕を引いてでも止めます」


 セリナは手袋の端を直した。


「じゃあ、お願い」


 その後、二人は机の上の紙を片づけた。


 エアリスはノートを開き、赤い炉の紋を小さく写した。


 その横に「正式装備」とだけ添える。


「それだけ?」


 セリナが覗き込む。


「今は、セリナさんが何を見るかの方が大事だと思いました」


「……またそういうことを言う」


 セリナは手袋の指先をそろえた。


 セリナは返事の紙を取った。


 出席。


 その欄に、丸をつけた。


 丸は歪んだ。


「丸が少し歪んでいます」


「見ないで」


「見えました」


「そういう時は見えなかったことにして」


「検討します」


 セリナの視線が、外套の留め具へ落ちた。


 笑ったあとで、外套を手に取る。


「似合うと思います」


「まだ着てない」


「色は、似合います」


「先に褒められると逃げにくいんだけど」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ