第三十五話:赤炉会という名前
赤炉会から届いた正式な招待状を開いたのは、その翌日の朝だった。
封筒は赤い。表面には、炉火を囲む円環の印が押されている。宛先はグランツベルク公爵家。内容は、慰霊式と軍属支援活動への参列依頼だった。
セリナは封書を見て、軽く息を吐いた。
「来たか」
「予定されていたものですか?」
「毎年ある行事ではあるよ。ただ、今年は時期が少し早い」
エアリスは招待状を見せてもらった。
戦死者への慰霊。
傷病騎士への支援。
軍属家族への給付。
魔淵外縁安定化計画に伴う新規支援枠の説明。
そして、別紙として外縁功労者交流会の案内。
そちらの紙には、赤炉会の印だけでなく、軍務局の副印と皇室の小印が押されていた。
上皇陛下の臨席予定。
ライオネル殿下の挨拶。
外縁勤務経験者と若い貴族子弟の懇談。
文字は礼儀正しく並んでいる。
だからこそ、断る時の理由まで礼儀正しく整えなければならない。
文面は丁寧だった。印は薄くも濃くもなく、宛名の横には参列者への礼が添えられている。
命令調の語はない。末尾には、都合がつかない場合の返答先まで添えられていた。
セリナは封書をすぐには閉じなかった。
「出席するのですか?」
「たぶん。グランツベルク家が無視できる相手じゃないし、していること自体は必要だから」
「交流会の方もですか?」
セリナは別紙を見た。
「そっちは、まだ分からない。慰霊式だけなら家の義理で済む。でも、若い貴族の席に出ると、誰と話したかまで残る」
「昨日の封書と、同じ席ですか?」
「たぶん、同じ流れ。叔父上が持ってきたものと、赤炉会から来たものが別々に見えるようで、同じ場所へ向かってる」
セリナは招待状を机に置いた。
「赤炉会は、帝国の中でも評判がいいの。戦場で傷ついた人や、その家族を支える組織だから」
「国ではなく、民間の組織ですか?」
「民間だけど、軍や貴族との繋がりも深い。寄付も多いし、魔導具工房とも協力してる」
セリナは棚から一冊の小冊子を取った。
「これ、前に配られた赤炉会の活動記録」
エアリスは受け取り、頁をめくった。
義肢魔導具の支給数。
治療施設への紹介件数。
遺族への支援金。
戦死者慰霊行事。
復職支援。
数字も、添えられた記録用の絵も、同じ幅で並んでいる。
その中には、支援を受けた人々の短い感謝の言葉もあった。
特に多かったのは、魔淵帰りの騎士に関する記録だった。
義肢を受け取った者。
後方勤務へ戻った者。
家族へ支援金が渡った者。
名前の一部は伏せられているが、支給日と担当者の印は残っている。
記録の端には、寄付者の名も並んでいた。
貴族、商会、工房、退役軍人の集まり。グランツベルク家の名も小さく載っている。
寄付者一覧の後ろには、新規協賛予定の家名もあった。
エーレンフェルト家。
ブランシュタット家。
ヴェルナー商会。
いくつかの名の横には、まだ小さな点が打たれている。確定ではなく、協議中という意味らしい。
セリナはその一つで指を止めた。
「この家、帝都に着いた日に声をかけてきた人のところ」
「マティアスさんの」
「うん。本人は軽かったけど、家は軽くない。名前がここにあるなら、あの場にいたのは偶然じゃないと思う」
「うちも寄付してる」
セリナが言った。
「父上は、こういう支援を軽く見ない人だから」
「お父様らしいです」
「まだ二日しか会ってないのに?」
「はい。そう見えました」
セリナは嬉しそうにした。
「父上、怖いけどね」
「怖いです」
「そこは否定して」
「すみません」
短いやり取りの後、二人は同時に笑った。
「助かっている人が多いんですね」
「うん」
セリナの返事は短かった。
「気になりますか?」
「悪い組織だとは思ってない。でも、良いことをしている組織だから全部正しい、って言い切るのも違う気がする」
エアリスは小冊子を閉じた。
「それは、難しいですね」
「難しい」
セリナは椅子に座り、腕を組んだ。
「帝国は強さを尊ぶ国でしょ。でも、戦って傷ついた人を弱いまま放っておく国ではいたくない。だから赤炉会みたいな組織は必要なの」
「はい」
「必要だから、信じられる。信じられるから、近づける。近づけるから、力を持つ」
セリナはそこで言葉を止めた。
自分で言って、嫌になったような顔だった。
「ごめん。最近、こういう考え方ばっかり」
「いいえ」
エアリスは小冊子の表紙へ目を落とした。
赤炉会会長。
エルガー・ヴァイスマン。
名前の横には、穏やかな顔立ちの男性が描かれている。年齢は中年に見える。紹介文には、傷病騎士支援に尽力する慈善家であり、高位魔法使いでもあると書かれていた。
肩書きは多い。
会長。
慰霊術式の後援者。
軍属救済基金の代表。
外縁計画支援顧問。
肩書きの横には、式典の日付と後援記録が並んでいた。
「この方は、セリナさんも会ったことがありますか?」
「遠くからなら。慰霊式や公的な式典で挨拶しているのを見たくらい」
「どんな方でしたか?」
「落ち着いていて、声がよく通る人。傷病騎士に話しかける時は、目線を合わせる。ああいうところが信頼される理由なんだと思う」
セリナは小冊子の肖像を見た。
「だから、余計に扱いが難しい」
「尊敬されている人だからですか?」
「うん。何かを決めつけるには、理由がいる」
エアリスは、受付で頭を下げていた騎士の姿を思い出した。
セリナは小冊子を閉じた。
「それに、赤炉会を悪く言うと、傷つく人もいる。助けられた人たちは本当に助かってるから」
「はい」
「だから、もし変なところがあっても、声の出し方を間違えると、こっちが悪者になる」
その言葉には、昨日の家族会議で見た疲れと似たものがあった。
「この方が代表ですか?」
「エルガー・ヴァイスマン。赤炉会の会長。第七階位に届く実力者とも言われてる」
「第七階位」
エアリスは小冊子の肖像を見直した。
教室でマグヌスが語った第七階位の重さが、そこで少し遅れて戻ってきた。
肖像の周囲に描かれた護衛の立ち位置まで、急に違って見えた。
帝国では、強さそのものが信用になる。
「強い人が支援をするから、信頼されるのですね」
「それもある。弱い人が弱い人を助けるより、強い人が手を差し伸べる方が、帝国では納得されやすいから」
セリナは苦い顔をした。
「そこは、あんまり好きじゃないけど」
昼過ぎ、二人は赤炉会の帝都支援窓口へ向かった。
招待状を受け取ったことを伝え、窓口も見ておく。返事そのものは屋敷の使いに任せることもできたが、セリナは自分で行くと言った。
「見ておきたいから」
セリナは招待状を上着の内側へしまった。
支援窓口は、火神殿から少し離れた通りにあった。派手ではない建物だが、人の出入りは多い。受付には職員が並び、奥では義肢魔導具の調整を受ける騎士がいた。
壁には、支援先の一覧が掲げられている。
治療院。
義肢工房。
軍属宿舎。
孤児教育基金。
赤炉会が扱うものは、思っていたより広い。
窓口に来る人々も、騎士だけではなかった。軍服を着た若者、子どもを連れた女性、年配の商人。おそらく寄付の相談に来た者もいる。
赤炉会の印は、掲示板だけで三つ見つかった。
受付の横には、小さな掲示があった。
次回慰霊式の案内。
外縁計画協力者向けの説明会。
傷病騎士の再訓練相談。
外縁功労者交流会の席次確認。
その欄には、赤炉会と軍務局の印が並んでいた。
席次確認の紙には、まだ名前が伏せられている欄が多い。
けれど、家名だけは一部見えていた。
グランツベルク。
ヴァルデック。
エーレンフェルト。
帝国の若い世代、と一言でまとめられるほど単純ではなかった。
片腕を失った男性が、赤炉会の職員に何度も礼を言っている。
「これで、また働けます」
「無理はなさらず。次の調整日は、こちらに」
職員は手慣れていた。
男性は何度も頭を下げ、受け取った書類を胸に抱いた。
エアリスは、その手元を見た。
受付で用件を伝えると、職員はセリナを見るなり姿勢を正した。
「グランツベルク家のご令嬢でいらっしゃいますね。ご参列、感謝いたします」
「まだ受領の挨拶と確認に来ただけです」
「それでも、心強いことです」
職員は徽章に軽く手を添えて言った。
「交流会のご同席についても、後ほど確認の者が伺います。ライオネル殿下も、若い方々と直接言葉を交わす機会を大切にしておいでですので」
セリナの返礼が遅れた。
「まだ、家として返答を決めていません」
「承知しております。急かす意図はございません」
職員は丁寧に頭を下げた。
その姿勢に、押しつけがましさはない。
だから余計に、断りにくい。
セリナは短く礼を返した。
帰り際、義肢の調整を終えた騎士が、試すように指を動かしていた。
金属の指が、ぎこちなく曲がる。
赤炉会の技師が横で調整具を当て、細かな数値を読み上げていた。
「痛みは?」
「前よりはましです」
「無理をすると接続部が焼けます。今日は握るところまで」
「分かっています」
騎士はそう答えたが、悔しそうだった。
義肢を確かめる騎士の足先が、何度も床を叩く。
早く立ちたい人の音だった。
建物を出た後、エアリスは聞いた。
「セリナさんは、どうして直接来ようと思ったんですか?」
「昨日見たから」
「昨日」
「あの窓口で、助けられてる人がいたでしょ。紙の上だけで決めたくなかった」
セリナは通りの向こうを見た。
「でも、見たら余計に分からなくなった」
「よいことをしているからですか?」
「うん」
セリナは招待状の端を押さえた。
「悪いものなら、嫌えばいい。でも、必要なものが政治に使われたら、どう見ればいいのか分からない」
エアリスは考えた。
「今は、見たことだけを書いておきませんか」
「答えを急がないってこと?」
「はい」
「図書館の子みたいなこと言うね」
「受け売りかもしれません」
セリナが笑った。
その笑いで、重さが抜けた。
屋敷へ戻ると、招待状の写しが机に置かれた。
エアリスは小冊子をもう一度開き、会長の名をノートに書いた。
エルガー・ヴァイスマン。
赤いインクの文字は、紙の上でよく目立った。
その横に、今日見たものを短く書き足す。
義肢。
治療。
軍属支援。
感謝していた人たち。
セリナはその文字を見て、何も言わなかった。
ただ、自分の手元にある招待状を軽く叩く。
「行けば、もっと分かるかな」
「分かることは増えると思います」
「答えじゃなくて?」
「はい。たぶん、問いの方が」
セリナは招待状の端を指で弾いた。
「それも、あなたらしい」
割れた赤い封蝋が、招待状の端に残っていた。
エアリスはその印を一度見て、ノートを閉じた。
部屋の外では、帝都の夜番が短く号令をかけていた。
その声も、今は遠かった。




