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鳥籠の令嬢は、神と悪魔を連れて世界の嘘を旅する ~政略結婚の前夜、地下牢で始まった神授物と邪教の巡礼譚~  作者: 0くるみ0
ガイア帝国編

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第三十話:帝都への道

 翌朝、ラウグラの空はよく晴れていた。


 支邸の中庭には、出発の支度を終えた魔導馬車が待っている。車体は黒に近い赤銅色で、縁だけが鈍い金に光っていた。車輪の内側には術式が刻まれ、馬の脚にも細い魔導具が巻かれている。


 けれど、テレポート用の魔法陣とも違う。


「今日はこれで行くのですか?」


 エアリスが尋ねると、セリナは得意そうに馬車の扉を叩いた。


「うちの馬車。護衛用の上級補助術式が積んであるから、かなり速いよ」


「かなり」


「かなり」


 セリナは同じ言葉を返して、そこで少し表情を曇らせた。


「本当は昨日のうちにもう少しラウグラを案内したかったんだけど、帝都へ戻れって連絡が来たから。叔父様も、帝都で会うって」


「ライムント様、でしたね」


「うん。……会えば分かると思う」


 その言い方に、エアリスは問いを重ねなかった。


 セリナは明るい。だが、明るいまま無理をしている時がある。昨日の夜から、それは少し見えていた。


 カバンの中で魔導書がかすかに動いた。


「馬車という名の小型移動要塞だね」


 アキの声だけが聞こえた。


「出てこないでください」


「はい」


 返事は素直だった。


 素直すぎて信用しづらい。


 セリナは笑いそうになったが、すぐに咳払いでごまかした。


 見送りに出た支邸の使用人たちへ挨拶を済ませ、二人は馬車へ乗り込んだ。中は外見より広い。向かい合った座席、折りたたみの小机、窓の内側に薄く張られた防護膜。走行中でも読書ができそうなほど揺れが少なかった。


「テレポートの方が早いのではありませんか?」


 馬車が静かに動き出してから、エアリスは聞いた。


「早いよ。だけど、何でもテレポートで済ませるわけじゃないの」


「理由があるんですね」


「大きな陣は都市や軍の管理下にあるし、途中で寄りたい時は馬車の方が楽。空間が荒れている場所を避けられるのも大きいかな」


 セリナは窓の外を指した。


 ラウグラの市壁が遠ざかっていく。門を出た先には、赤茶けた大地と広い道があった。道は何本にも分かれ、商用、軍用、一般用で通る道筋が違うらしい。


「この馬車は地脈の流れを拾って走るの。術式を整えるために、中継所へ寄ることもある」


「なるほど」


「一気に飛ぶより時間はかかる。でも、安全に止まれるし、景色も見られる」


 そう言ってから、セリナは窓の外を見た。


 セリナの視線は、しばらく窓の外に残った。


 道の向こうでは、巨大な魔導車が列を作っていた。箱型の車体に厚い装甲がつき、側面には帝国軍の紋章がある。馬はいない。下部の赤い術式が地面を滑るように光っている。


「あれは?」


「軍の輸送車。馬車より頑丈で、荷物を守るのに向いてる。動かすには魔力霊を持つ操縦士が必要だから、民間ではほとんど使わないけど」


「軍用なんですね」


「うん。今は特に動きが多いと思う」


 セリナはそれ以上言わなかった。


 言えないのか。


 言いたくないのか。


 エアリスは、どちらとも決めなかった。


 道の左右には、一定の間隔で監視塔が立っていた。


 塔の上には兵がいる。旗の色は赤と黒。ときおり、遠くの塔から別の塔へ、小さな光が走った。遠話晶ほど大きな通信ではない。道の状態や通過許可を知らせる、簡易の信号だ。


「帝国は、道も軍のものなんですね」


「半分はね。商人も使うし、旅人も使う。でも、いざという時に軍がすぐ動けない道は、帝国では役に立たないって考え方」


「聖都とは違います」


「聖都は、まず人が安心して歩けるように整えるでしょ。帝国は、まず何かが起きた時に動けるように整える」


 エアリスは窓の外へ目を戻した。


 兵と商人が、同じ道を違う速さで進んでいる。


 一つ目の中継所に着いたのは、昼前だった。


 中継所は小さな砦のような場所だった。赤銅の柱が立ち、中央に馬車用の大きな魔法陣がある。商人の馬車、貴族の馬車、軍の輸送車がそれぞれ決められた場所で待機していた。


 手続きは速い。


 グランツベルク家の紋章を見せると、兵はすぐに道を開けた。だが、荷物の確認だけは省略されなかった。兵の態度は丁寧だったが、目は鋭い。


 中継所の奥には、テレポート用の魔法陣もあった。


 大きな魔法陣の周囲には鉄柵があり、管理官と兵が別々に立っている。民間用の窓口とは分けられていた。


 壁には、行き先ごとの札が掛かっている。帝都直通、北方鉱山路、魔淵方面連絡線。発動が近いものだけが赤く光っていた。


 その隣に、別の掲示板があった。


 赤い縁取りの布に、外縁安定化計画の名が大きく刷られている。火神殿、軍務局、赤炉会の小さな印が並び、その下に若い皇子の肖像があった。精悍な顔立ちで、肩には帝国軍の儀礼外套を掛けている。


 ライオネル・ヴァルター・アルディオン。


 文字は丁寧だった。だが、掲示板の前に立つ兵たちの視線は、ただの告知を見るものではない。


「ライオネル殿下ですか」


 エアリスが尋ねると、セリナは掲示の名を指で示した。


「第二皇子。今の皇帝ではなく、上皇の周りが前に出している人」


「前に出している」


「本人にも力はあるよ。演説も上手いし、若い軍人には人気がある。……だから、ただの飾りではないんだと思う」


 最後の言い方は少し曖昧だった。


 掲示板の近くで、二人の士官が声を落として話していた。


「第一皇子殿下は、まだ議会で止める気か」


「止めるというより、手順を見ておられるんだろう」


「手順で魔物は止まらん」


「だが、手順を捨てた帝国は、あとで何に従う」


 短い会話だった。


 どちらも、相手を軽んじてはいない。


 それでも、同じ帝国を見ているはずの二人の声は、別の火を見ているように違っていた。


 セリナは聞こえないふりをした。


 聞こえていないわけではない。


 掲示板の下には、外縁勤務志願者向けの説明会、傷病騎士支援、軍属慰労会の日程が続いている。別々の行事のようで、同じ赤い縁取りが使われていた。


 エアリスはその赤を目で追った。


 人は多いが、動きは静かだった。


 一瞬で場所を変える分、乗る前の確認は馬車より細かい。身分、荷物、人数、到着先の空き。管理官は紙と結晶板を見比べながら、一人ずつ処理している。


「急ぐ時ほど、ここで止められる人もいるよ」


 セリナが言う。


「陣に入ってから止める方が危ないから」


「馬車とは、止める場所が違うんですね」


「そう。馬車は途中で止められる。テレポートは、飛ぶ前に済ませる」


「あれは使わないんですか?」


「帝都へ直接飛べる陣だけど、今日は使わない。予約も必要だし、軍用の優先枠もあるし、なにより今回みたいに途中の様子を見るなら馬車の方がいい」


「途中の様子」


「ラウグラから帝都までの道は、商人も軍もよく使うの。家の者なら、道を知らないと困る」


 セリナはそう言った。


 言葉だけなら、家の教育の話に聞こえる。


 けれど、彼女が見ているのは道だけではなかった。


 兵の数。


 魔導車の種類。


 検問の厳しさ。


 そうしたものを、彼女は自然に数えている。


 公爵家の娘として身についた見方だった。


「帝国らしいですね」


「どのへんが?」


「急いでいても、確認は省かないところです」


「よく見てるね」


 セリナの口元が少し緩んだ。


 休憩の間、二人は中継所の売店で軽い食事を取った。硬めのパンに、香辛料の効いた肉が挟んである。聖都の食事より味が強い。塩も、香草も、火の匂いもはっきりしている。


「辛い?」


「おいしいです」


「本当に?」


「はい。ただ、水がほしくなります」


 そう言いながら、エアリスはもう一口だけかじった。香辛料の熱が、最初よりはっきり分かった。


「それは辛いって言うんだよ」


 セリナは笑って、水の入った杯を差し出した。


 エアリスは素直に受け取った。


 馬車は再び動き出す。


 二つ目、三つ目の中継所を過ぎる頃には、風景が変わっていた。赤い岩場が増え、遠くに黒い山脈が見える。道沿いには火神の小さな祠があり、そこへ頭を下げて通る兵もいた。


 三つ目の中継所では、馬の脚具を交換した。


 整備士が慣れた手つきで術式板を外し、新しいものを取り付けていく。馬は暴れない。普通の馬ではなく、魔力に慣れた血統なのだとセリナは言った。


「帝国の馬は、だいたい何かしら混じってる。速さを出すためだったり、長距離に耐えるためだったり」


「魔物ではないんですね」


「魔物じゃない。魔物の血を使うと、扱いが難しくなるから。古い異種の血統を入れている牧場もあるって聞いたことはあるけど、詳しいことは牧場ごとに違うかな」


 馬の首筋を撫でる整備士の手つきは丁寧だった。


 整備士は最後に馬の耳元へ何かを囁き、革具の位置を直した。


 窓の外に、赤銅色の門が近づいてくる。


 頬に当たる風が、聖都より少し乾いていた。


「セリナさん」


「なに?」


「疲れていますか?」


 セリナは一瞬、返事を忘れたように目を瞬いた。


「……顔に出てた?」


「少し」


「そっか」


 彼女は窓の外へ視線を戻した。


「帝国に戻ると、家のことを考えちゃうんだよね。聖都にいる時は、もっと簡単だったのに」


「簡単」


「授業を受けて、実技をして、ご飯を食べて、友達と話す。それだけで一日が終わるでしょ」


「はい」


「こっちは、そうはいかない」


 セリナは笑った。


 明るい顔だった。


 だが、今の笑顔は少し薄かった。


「嫌になったら、言ってください」


「何を?」


「話すことでも、黙ることでも」


 セリナは膝の上で手袋の縫い目をなぞった。


 それから、小さく息を吐く。


「エアリスって、たまに逃げ道みたいなこと言うよね」


「逃げ道ですか?」


「うん。逃げてもいい場所を、ぽんって置いてくれる」


「置いただけです」


「それがありがたいの」


 セリナはそう言って、今度はきちんと笑った。


 夕方の少し前、帝都が見えた。


 遠くからでも分かるほど巨大な都だった。


 赤銅と黒鉄の外壁が幾重にも重なり、その内側に高い塔、軍旗、火神殿の尖塔が見える。聖都の白い調和とは違う。帝都は、力を隠さない。


 門の上には炎をかたどった紋章が掲げられていた。


 兵たちは整然と並び、入城する馬車を一台ずつ確認している。商人も、旅人も、貴族も、軍用車も、同じ流れの中で動いていた。


 帝都の外側には、もう一つ街があった。


 外壁の外に広がる市場、宿、修理工房、輸送倉庫。入城を待つ者たちのための場所だ。そこだけでも、普通の街なら中心になれる規模だった。


 だが、帝都はその奥にある。


 外壁の向こうに、さらに内壁が見えた。


 エアリスは、聖都を初めて見た時のことを思い出した。


 聖都では、よく塔を見上げた。


 ここでは、まず足元の石と、行き交う兵の靴音が気になった。


 馬車が門の前で止まる。


 兵が紋章を確かめ、姿勢を正した。


「グランツベルク公爵家、ご帰還を確認しました」


 門が開く。


 赤い都の音が、馬車の中まで届いた。


 セリナは窓の外を見たまま、指先で膝の上を軽く叩いていた。


 エアリスはその手元を見てから、自分のカバンを少し寄せた。


「セリナさん」


「うん?」


「帝都でも、途中で休んでいいです」


「……休んでばかりだと、怒られそう」


「私が道に迷ったことにします」


 セリナは目を瞬いた。


 それから、声を抑えて笑った。


「それ、エアリスにしては悪い言い訳だね」


「はい。まだ練習中です」


 馬車は帝都の門を抜けた。

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