第二十五話:交流演習
光神祭の翌日、学術院にはまだ祭の飾りが残っていた。
廊下の柱には白い飾り紐が残り、掲示板には片づけ当番の紙が貼られている。食堂では、昨日余った香草丸パンが朝食に出されていた。
セリナはいつものように手を振った。
よく笑い、よく話す。
けれど、ガイア帝国の話題になると、一度だけ言葉を選ぶ。
エアリスはそれを覚えていた。
その日の午後、Aクラスは総合実技場へ集められた。
授業名は、連携交流演習。
教師は最初にそう告げた。
「今日は、先日の裂け目の見学を受けた連携演習を行います。ただし、裂け目を再現するものではありません。目的は、状況の共有、役割の選択、撤退条件の確認です」
総合実技場の中央には、仮設の通路と小さな結界柱が並んでいた。木箱、荷車、布で作られた障害物。どれも実物より簡略化されているが、配置だけを見ると、護送路のようにも見える。
「三人から四人の組を作り、指定された荷を目的地点まで運ぶ。途中で条件が変わります。戦闘だけで突破しようとしないこと」
セリナが小声で言う。
「私に言ってる気がする」
「心当たりがありますか?」
「ある」
ディートリヒが近づいてきた。
「同じ組でよろしいですか」
「私はいいよ」
セリナが答える。
「私も」
エアリスも同じように手を上げた。
もう一人、風属性の女子学生が加わった。名はミレイユ・カルステン。プロメテ共和国から来ている、先日の見学で記録板を固定していた学生だった。
「よろしくお願いします」
ミレイユは短く礼をした。
声は小さいが、姿勢ははっきりしている。
「記録と視界補助を担当できます」
「助かる」
セリナはすぐに笑った。
四人の前に、演習用の荷車が置かれる。
中には壊れやすい結晶箱が三つ入っていた。直接攻撃されることはないが、衝撃や強い魔力で壊れる仕組みらしい。
教師が告げる。
「第一条件。荷は壊さない。第二条件。結界柱が灰色になった場合、最短路は使えない。第三条件。監督者役の札が反応を止めた場合、自己判断で撤退条件を作る」
ディートリヒが条件を繰り返す。
「荷の保護。灰色柱で経路変更。監督者沈黙時、自己判断」
「燃やす対象は?」
セリナが聞く。
「原則なし。火は進路制御と視界確保まで」
「了解」
エアリスは荷車の位置、通路、結界柱を見た。
「最初は中央路ですか」
ディートリヒが言う。
「条件上はそうです。ただし、灰色柱が出るなら迂回が必要になる」
演習が始まった。
「風標を置きます」
ミレイユが風の小さな線を出した。
「左右の布壁の上に、風を通します。動いたら分かります」
「お願いします」
セリナが前方を見る。ディートリヒが条件を記録し、ミレイユが風で布壁と視界を確認する。エアリスは荷車の横に立ち、結晶箱へ自分のマナを薄く添えた。
満たしすぎない。
押さえすぎない。
先日のマグヌスの言葉を思い出す。
余白を残す。
荷車は中央路を進んだ。
最初の変化は、右側の結界柱だった。
青から灰色へ。
「右柱、灰色」
ミレイユが言う。
「中央路を維持できますか?」
エアリスが聞く。
ディートリヒは記録板を見た。
「最短路は使えない条件です。左へ迂回」
「左は布壁が揺れてる」
ミレイユが言った。
「風じゃなくて、下から」
セリナが前に出る。
「火線、薄く置く。燃やさない」
彼女の赤い線が床を走った。
布壁の下から、小さな黒い影が飛び出す。模擬魔物だった。火線の手前で止まり、横へ流れる。
セリナは追わない。
「行かないんですか?」
エアリスが聞く。
「行きたい。でも荷が先」
「はい」
セリナは口元を曲げた。
「今の、ちょっと褒めて」
「よく待てました」
「言い方が先生」
ミレイユが小さく笑った。
次の地点で、監督者役の札が反応を止めた。
教師からの指示が止まる。
演習用だと分かっていても、足を止めたままでは進めない。
ディートリヒの指が記録板の上で止まる。
「監督者応答なし。退避路は左と後方。荷は無傷。魔物模擬一体、位置不明」
「撤退ですか」
エアリスが聞く。
「本来なら、監督者応答なしは撤退条件に近い。ただ、演習目的が荷の護送なら、目的地点への到達も条件に含まれている」
ディートリヒは迷った。
先日の準備授業で、彼は条件が欠けた時に判断が遅れると認めていた。
今も、その場面だった。
セリナは口を挟まない。
ミレイユも待っている。
エアリスは荷車の結晶箱を見た。
「目的地点へ行く理由は、荷を届けることです」
「はい」
「でも、荷を壊さず持ち帰ることも、失敗ではないと思います」
ディートリヒは顔を上げた。
「目的の再設定」
「今の条件で、目的地点へ進む理由が足りません」
ディートリヒは一度目を閉じた。
すぐに開く。
「後方退避。荷を保護したまま、監督者応答なしを申告。理由は、監督者応答の途絶、魔物位置不明、右柱灰色」
「了解」
セリナが後方へ赤い線を置いた。
ミレイユが風で布壁の揺れを止める。
エアリスは結晶箱の周りの白いマナを弱め、荷車が動いても箱が揺れすぎないようにした。
四人は後退した。
終了の鐘が鳴る。
教師が手を叩いた。
「そこまで」
結界柱の光が消え、布壁がただの布に戻る。
「この組は目的地点へ到達しませんでした」
教師が言う。
セリナが眉を上げる。
「失敗ですか?」
「いいえ」
教師は首を振った。
「荷は無傷。撤退理由は明確。条件の再設定も妥当です。現場で目的を捨てるのではなく、守るものを変える判断でした」
ディートリヒは息を吐いた。
「ただし」
教師は続けた。
「判断まで三呼吸遅い。次は一呼吸で」
「はい」
ディートリヒは深く礼をした。
セリナにも指摘が来る。
「グランツベルクさん。火線は良好。追わなかった判断も良い」
「ありがとうございます」
「ただ、褒めを求める余裕があるなら、次は後方確認も同時に」
セリナが固まった。
「聞こえてましたか」
「聞こえています」
「はい」
ミレイユは視界補助を評価され、エアリスは荷の保護について指摘された。
「ヴァレンさん。保護が薄すぎず、強すぎない。前より余白がありました」
「ありがとうございます」
「ただし、箱だけを見すぎると、足元の変化が遅れます。視界を広く」
「はい」
演習の後、各組の結果が短く共有された。
目的地点へ到達した組もあれば、撤退した組もある。教師は順位をつけず、判断の理由だけを取り上げた。
別の組では、水属性の学生が通路を濡らして模擬魔物の足を止めたが、荷車の車輪まで滑らせてしまった。教師は、敵を止める手段が味方の足場を奪うこともあると指摘した。
もう一つの組では、星属性の学生が結界柱の変化を早く読んだ。だが、読めたことを言葉にするのが遅れ、前衛が一歩だけ先へ出すぎた。本人は短く謝り、前衛の学生も頷くだけで責めなかった。
Aクラスの学生たちは、結果に騒がない。
自分がどこで遅れたか、どこで先走ったかを覚えている顔だった。
教師が指名すると、各組の代表は一言ずつ理由を述べた。
「前衛が強い場合ほど、後方の確認が遅れます」
「記録役が判断を出すなら、事前に権限を決めるべきです」
「目的地点への到達を優先しすぎると、荷の意味を忘れます」
どの言葉も短い。
言い訳ではなく、次のための確認だった。
エアリスはそのやり取りを聞いた。少なくとも、この演習の場では、失敗を隠そうとする者はいなかった。誰も、まず言い訳から入らない。
セリナも、黙って頷いていた。
マグヌスは最後に見学席から降りてきた。
「今日は、皆さんがそれぞれの得意な形と、苦手な形を見せてくれました」
彼は穏やかに言った。
「前へ進む者。条件を読む者。視界を支える者。荷を守る者。どれか一つで十分な場面もありますが、現場では組み合わせが必要です」
エアリスはそれを聞きながら、荷車の結晶箱を見た。
守るものを変える。
マグヌスはさらに、演習用の荷車へ手を置いた。
「強い魔法を使えることは、確かに価値です。ですが、壊してはいけないものがある時、強さは使い方を選ばなければなりません」
エアリスは箱の角に残った煤を見た。
学生たちは黙って聞いていた。
学生たちの視線は、煤のついた箱の角から自分の杖へ移っていった。
アキが魔導書から顔だけを出した。
「今日の僕、静かだったと思わない?」
「はい」
「褒めて」
「よく待てました」
「セリナ君と同じ扱いだ」
セリナが笑った。
「待つの、大事だから」
「君が言うと説得力が育ってきたね」
「今のは褒めてる?」
「たぶん」
セリナはアキを見たあと、エアリスの隣を歩いた。
「ねえ」
「はい」
「私、夏季休暇に帝国へ戻ると思う」
「はい」
「まだ正式には決めてないけど。家の方で、来いっていうなら行く。逃げるのは嫌だから」
「はい」
「それで……もしルセリア様が許してくれるなら」
セリナは言葉を探した。
「一緒に来てくれると、助かる」
エアリスはすぐに答えなかった。
約束は、まだできない。
「相談します」
「うん」
セリナは笑った。
その笑顔には、祭の日より力が戻っていた。




